第35話 その願いは叶わない
美味しくもない昼食を終えて、ビジイクレイトは戦闘服に着替える。
(あのころはまだ、会話があったからな)
もう戻れないアープリアとの昼食を思い出して、ビジイクレイトは堅く目を閉じる。
すぐに気を取り直して、盾の鍛錬室へと向かう。
道中、窓の外から人だかりが見えて、ビジイクレイトは足を止めた。
「……『聖剣士』様でしょうね」
人だかりの中心に誰がいるのか見えないが、見えなくてもわかる。
中心にいるのは長剣の『聖財』を賜った『聖剣士』ヴァサマルーテ・ノールィンだ。
彼女も、ビジイクレイトとの関係が完全に壊れた人物の一人である。
王女であり、『聖人』でもある『聖女』アープリアは、もちろん時の人であるが、ヴァサマルーテも人気では彼女に負けていない。
すらりと長い手足に、静かな森の湖畔を思わせるヴァサマルーテの容姿は、アープリアとは異なる美貌であるし、それになにより賜った『聖財』が長剣であるということが大きな要因である。
もともと、『聖財』を賜るだけで歴史に名を残せる偉業なのだが、そのなかでも剣の『聖財』は、戦う者である貴族たちにとって特別な意味があるのだ。
剣の『聖財』を賜るということは、剣の天才であるという証明だと考えられている。
実際、ヴァサマルーテの剣は、並の大人の騎士では相手にならないほどの腕前で、国中から稽古の依頼が絶たない状況になっていた。
「お師匠様、なんて呼ばれていたのにな」
もう、そんなことをヴァサマルーテから呼ばれることはないだろう。
元々、分不相応な呼ばれ方だと思っていたのだ。
呼ばれなくなっても、何も感じない。
……嘘である。
正直、寂しい思いがある。
空しい感情がある。
『お師匠様』と無邪気に飛びついてくるヴァサマルーテの温かい手に、もう二度と触れられないと思うと、どうしようもなく心がざわついていく。
(……忘れよう。この想いは)
結局、一度もヴァサマルーテの顔を見ることが出来ないまま、ビジイクレイトはその場を去る。
もう一年近く、ビジイクレイトはヴァサマルーテの顔を見ていなかった。
盾の鍛錬所での鍛錬を終えて、ビジイクレイトは風呂に入る。
この後は、キーフェと夕食の時間だ。
身綺麗にしなくてはいけないだろう。
例え、会場が屋敷の中で最も小さな『盾の間』であろうとも、一応は誕生日であるビジイクレイトのために準備された食事の場なのだ。
(なるべく、楽しむようにしないとな……表面上だけでも)
無理だった。
何がとは、キーフェとの食事である。
いつもどおり、ただビジイクレイトを睨みつけてくる者と食事をしても、楽しいわけがないし、美味しいわけがない。
(小説なら描写もなくカットされているな、あの食事)
大した会話もなく、何を話したのかも覚えていない。
ただ疲れた十二歳の誕生日を祝う食事を終えて、ビジイクレイトはゆっくりと自室へ戻っていた。
(明日は十二神式か。はやく寝て……)
もう、就寝のことしか考えていなかったビジイクレイトの前から、集団が歩いてくる。
(最悪だ。これが十二歳の誕生日、最後のイベントなのか?)
集団を誰が率いているのか、遠目でもすぐにわかった。
ビジイクレイトが、アイギンマンの屋敷で生活するうえで、最も警戒しないといけない相手だからだ。
「……ビジイクレイト様」
「おまえたちは下がっていろ。いつものようにな」
「……いつでもお呼びください」
ロウトが悔しそうに顔をゆがめる。
一方、ブラウが眼鏡のようなモノをかける。
すると、目の前からロウト達が姿を消した。
ブラウの『神財』の能力だ。
ロウト達が消えていることを確認してから、ビジイクレイトはすぐに膝をつく。
「おや、このようなところに『ケモノ』がいますね」
集団を率いていたのは、ランタークだった。
年々、着飾る服や装飾が多く、豪華に、そして、下品になっている。
「本当ですね、母上」
「何か臭うと思ったら、『ケモノ』の臭いですか」
カッステアクも、カッマギクもいる。
この三人だけでは、前と関係が変わっていない。
顔も合わせたくないのに、遭遇する。
(どうせ関係が壊れるなら、こいつらとの関係が壊れたらいいのに)
その願いは、叶わないようだ。
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