第25話 膝はつかない

 ビジイクレイトは二人の目に入らぬようにそっとアープリアを目立たない位置へ誘導する。


「このようなところに『ケモノ』がいるのか。ふん。空気が悪いわけだ」


 ビジイクレイトは何も言わずに膝をつけ、顔は床に向ける。


 何も言わずに膝をつき、目を合わせないのは、平民が貴族にするような圧倒的な権力者に対する姿勢ではある。


 しかし、どのような言葉で挨拶しても、礼儀知らずの『ケモノ』と呼ばれるのだ。


 ならば、言葉を発しないほうが楽だ。


 そんなビジイクレイトの姿勢に面白くなさそうに鼻息を出しながらカッマギク達は通り過ぎようとした。


 しかし、カッステアクだけは、じろりとビジイクレイトたちを睨みつけている。


「一人だけ無礼者がいるようだな」


 カッステアクの言葉にビジイクレイトは視線を動かすと、アープリアが立ったままカッステアク達を睨みつけていた。


(いや、何をしているの? ロウト達も侍女さん達も、空気を呼んで膝をついていたのに!)


 ビジイクレイトの心の声はまったく届いていないのだろう。


 アープリアは堂々とした姿勢を崩していない。


 そんなアープリアに、カッステアクが近づく。


「その格好……神殿の関係者か? おい。お前、我々が誰か知らないのか?」


「カッステアク様とカッマギク様ですよね? 存じております」


「ならば、膝をつけ! 我らは偉大なるアイギンマンの子ぞ!」


 ビジイクレイトよりもふた周り大きい……アープリアとも同じくらい大きいカッステアクに怒鳴られても、アープリアは姿勢を崩さないし、表情も変わらなかった。


 ただ、まっすぐとカッステアクを睨みつけている。


「膝はつきません。ここは聖地に作られた神殿です。聖地では神以外に膝をついてはならない……そのようなことも知らないのですか?」


(……いや、そうだけど)


 アープリアの言うとおり、聖地に作られた神殿は神に近い場所のため、貴族や平民も平等となる……一応、建前として。


 しかし、その中には例外もあるし、そもそもあまり守られていない決まりだ。


「神以外で膝をつくのは、自分が主と認めている人物か、もしくは敬意を払う人物だけです。申し訳ございませんが、私はお二人に敬意を持っておりません」


「き……さま!」


 カッステアクとカッマギクが剣を抜く。


 刃がついている真剣だ。


 ジメイーキを含む、カッステアクたちの護衛騎士も同様だ。


「な……!?」


 侍女たちは慌ててアープリアを庇うように前に出る。


 しかし、すぐにアープリアが侍女の一人の肩を押さえて下がらせる。


 カッステアクはアープリアに剣を向けると隣にいるビジイクレイトに目を向けた。


「もしや……そこの『ケモノ』の関係者か?」


「……それが何か?」


「はっ。なるほど、だから礼儀も常識も知らないのか。『ケモノ』の仲間は『ケモノ』。昨日のノールィンの娘もそうだった」


 カッステアクの言葉に、カッマギクが同意する。


「ええ。あの娘、乱暴に杖を投げつけて……野蛮な『ケモノ』め。汚らわしい。そこの『ケモノ』と同様に、貴族としてまったくもって嘆かわしい」


 恨めしそうに、カッマギクは表情をゆがめている。


 そんな二人の会話に、アープリアは真っ向から反論する。


「何が『ケモノ』ですか! ビジイクレイトお兄様は誰よりも貴族に……いいえ、それ以上のお方です。毎日のように研鑽を積んで、驕ることもない立派な志を持っています。このような場で、短絡的に剣を抜く貴方たちのほうがよっぽど『ケモノ』です!」


 アープリアの言葉に、カッステアクは激しい音を立てて、一歩前に出た。


 刃が、あと少しでも動けばアープリアに刺さりそうだ。


「……謝れ。命乞いをしろ。そうすれば私の気が変わるかもしれんぞ?」


「謝りません。貴方たちのような身の程知らずの愚か者……いえ『ケモノ』に、乞う命など私は持っていない」


 毅然とした態度で、ゆるぎなくカッステアクを見て話したアープリアの言葉は、彼の小さい度量を完全に越えていた。


「っ……あぁあああああああああああああああああ!」


 カッステアクは剣を振りかぶり、振り下ろす。


「アープリア様!」


 アープリアの侍女たちが慌てて彼女の前に出る。


 侍女たち諸共、アープリアを切り捨てるはずのカッステアクの剣は、途中で止まっていた。


 剣を握っているカッステアクの手が抑えられているからだ。


 抑えたのは、いつの間にか立ち上がり、カッステアクの隣にいたビジイクレイトだ。


「……なんのつもりだ?」


 カッステアクが、驚いた顔でビジイクレイトを見ている。


「なんのつもりか、は私の言葉です。このような場で刃傷沙汰など、何を考えているのですか? 昨日の件もあるのです。これ以上はいくら父上でも庇いきれるモノではないですよ」


「そのようなことは聞いておらぬ!!」


 唾をとばす勢いで、カッステアクが吠える。


「貴様……『ケモノ』が! 汚らわしい手で私に触れるなど、何を考えているのだ!」


「私だって触りたくて触っているわけではないのですよ。いいから、剣をしまってください」


 そんなビジイクレイトの懇願などは聞いていないのだろう。


 カッステアクは周りにいる護衛騎士とカッマギクに指示を出す。


「お前たち、何をしている! 早くこやつを切り捨てろ!」


 カッステアクの指示で、護衛騎士とカッマギクが動いた、その時だった。


「お止めなさい」


 荘厳な、とても通る綺麗な声が響いた。


 その場にいた全員が、自然と声の聞こえた方を向く。

 

 そこにいたのは、燃えるような朱色と黒曜石のような黒い髪に、深い海のような青色の目を持つ、煌びやか衣装をまとった女性だった。


「……神殿長様」


 畏怖を漏らしたような声でつぶやいたのは、トコオーマだ。


 彼女の名前は、フューラシュイン・アイギンマン。


 アイギンマン領の神殿長であり、ビイボルト・アイギンマンの第一夫人である。

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