30話 誰でもいいだろ


「誰だ……か」


 マークの質問に対し、アルドは自身の掌を見つめながらボソリと呟いた。


 ×                    ×


 数分前────



 頂上からは再び轟音と共に炎が吹き出したかと思えば、下の階でも何かが爆発した様な鼓膜をつんざく音が聞こえた。

 恐らく下で起きた音は雪菜によるものだろうか。

 アルドは動かない自分の脚を恨む様に強く押さえながら、声にならない声を嗚咽の様に吐いていた。


「何してんだ俺は……」


 父に会ってから、アルドの調子は確実に崩れていた。

 父の言った『エゴイズムの無い人間』とは。

 自分には何が足りないのか。雪菜にはあって、自分には無いもの。それがどうしてもわからない。

 何よりも────なぜ脚が動かないのか。

 友人が戦っていると言うのに、どうして自分はそれを聞いているだけなのか。


『多分アルドは俺と同じ側の人間だと思うよ?』


 ────馬鹿言うな……


 ────俺はお前と違って、どこまでも保守的な人間なんだよ。


 ────今だって、この件に首を突っ込んで父に迷惑をかける事を心配しているんだ。


 アルドはこの様な心配をしているが、同時に一つの結論にも辿り着いていた。

 それは……


 ────でもエゴイストが無いってのは、多分こう言う所に保守的な人間の事なんだろうけどな。


 アルドは自重的な笑みを浮かべながら塔に背を向け、寮へと足を向かわせる。

 しかし、そんなアルドの目の前にある人物が現れた。

 なんの前触れも無く突如として現れたその影に、思わずアルドは普段の平然とした態度を崩した。

 何故ならその人物とは────


「こんばんは、ハリル副団長」


「やあ、これはこれはグリア団長のご子息だね」


 ハリル・スティーブン。

 黒髪に程良い癖っ毛、そして丸眼鏡を掛けた優しそうという印象を受ける男性。しかし見た目とは裏腹に、現魔術協会の騎士団で副団長に任命されている実力者である。

 そんな人物に対してアルドは、すぐに頭を下げて慇懃いんぎんな態度を見せるが、ハリルは頭を上げる様に促す。


「そんなに畏まらなくて良いよ。ほら、頭を上げて」


「しかし……」


「これは命令だよ」


 ハリルの優しい口調から放たれた言葉に、アルドはやや困惑気味に命令通り頭を上げた。

 ハリルはアルドが頭を上げたところで、道の端にある適当なベンチに腰を掛けた。

 側から見るとアルドの方が頭が高くなってしまう為、急いでアルドはその場に膝を付こうとしたが、ハリルはそれを予期していたかの様に「立ったままで質問に答えてくれ」と口にした。

 アルドは曲げ掛けていた膝を戻すと、軍人の様に姿勢を正し、両足はピタリと閉じ、両手は身体にピタリと密着させて言葉を返した。


「何のことでしょう」


「君は、なんで今あの塔に背を向けていたんだい?」


 ハリルの質問に、アルドは背中に冷や汗が滴るのを感じた。

 恐らくハリルは爆発音がかなり響いていた為、危険の確認の為に塔にこれから行く所だったのだろう。

 それだと言うのに同じ騎士団の部下でもあるアルドが、その塔から背を向けて帰っていく様に疑問を覚えたのだろう。

 本来ならばすぐに騎士団の一任として塔に向かい、調査を行うのが良いのだろうが、アルドは自分でも自覚している『都合の良い言い訳』を並べて塔へは向かっていない。

 アルドはどう答えるべきか迷っていた。

 どう答えようとも自分の身勝手な判断であるし、何より友人一人を危険な目に合わせているとなれば尚更だろう。

 口が中々開かないアルドに対し、ハリルは一旦視線をアルドから空に浮かぶ月に移して言葉を紡いだ。


「よし、なら質問を変えよう。君は何でそんなに浮かない顔をしているんだい」


「浮かない顔を……していたでしょうか」


「かなりね。何かに迷っている様に見える」


 自分でも自覚していない程き気の迷いが顔に出ていた事を、アルドは恥ながら言葉を返す。


「すみません」


「謝る必要は無いよ。悩みもがくのは学生の特権だ。思う存分に頭で悩めば良い。けど、今回の君の場合は少し違うんだろ?」


 まるでアルドの心を見透かしているかの様に、ハリルは言葉を続けて行く。


「君の中で答えは出ている。だというのにそれに背を向けて来たという様に見えるけどね」


「……自分は、ハリルさんの事を本当の意味で怖いと思ったかも知れません」


「ハハッ!普段から恐れられてたかな」


 ハリルの軽い調子とは真反対に、アルドは深刻そうな顔を貼り付けながら言葉を紡いだ。


「俺は……父の言葉が全てだと思っていました。父の言う事、父の考え……それらを全うする事が父の喜びだと」


「ほう?」


「父はそんな自分を突き離すのです。自分にはエゴがないと。しかし、最近ある一人の学生に出会ってからは前までの自分の考えが馬鹿馬鹿しく思える時があるんです」


「へえ、それはどんな人だい?」


「アイツは……馬鹿ですよ。飛び切りの」


 アルドは雪菜の顔を思い浮かべると、口元を僅かに緩ませて言葉を続けた。


「何も考えずに面倒ごとに首を突っ込むし、平気で他人を巻き込む。最近、そんなアイツに憧れる時があるんです。俺もこうなれたら……って。けど、父の事が頭を過る度に父の手を煩わせてはいけないという考えも頭を過ってしまうんです」


「ぷっ……!ハハッ!なんだそれ!」


 突然目の前で吹き出したハリルに対し、アルドは思わず困惑の色を顔に出してしまう。


「あの……何か変な事言いましたかね……」


「ああ!変だとも!笑いが止まらない程度にはね」


 ハリルは目に溜まった少量の笑い涙を拭いながら、言葉を続けた。


「親に迷惑をかけるのが子供の仕事さ。君は老成ませているのさ」


「しかし!父は!」


「君の父親は、君が思っている程強い人間じゃ無いよ」


「……?」


 ハリルの言葉の意図が分からず、アルドは思わず首を傾げてしまうが、ハリルはすぐに言葉の肉付けをした。


「彼だって一人の人間であり、父親なのさ。悩み、考える。だから僕らみたいな支える部下がいて、君の様な心の拠り所がある。その拠り所となる君が、まるで自分の奴隷の様になっていたら嫌だろ?」


「自分が……父の拠り所?」


 普段の態度からは考えられない言動に、アルドはどうにも納得できていない様だが、ハリルはここで一つの提案を投げた。


「そうだ、一度暴れてみると言い。あの塔には僕が様子見をしにいくつもりだったけど、君に託そう」


「……!しかし!」


「父の反応を伺ってみればいい。何かあった時の責任は全部僕が取るからさ。損な話では無いだろ?」


「……」


 確かに、ハリルの言う通りアルドにとって損な事は無い確実に美味い話だ。

 しかしハリルを通したとしても、その責務を放たせなければ、それはそれで自身の沽券に関わる。

 アルドの頭の中にグリアの反応が浮かび、判断を鈍らせる。

 そんなアルドを見たハリルは、わざとらしく肩を竦めながらボソリと言葉を呟いた。


「こりゃ、重症だ」


 ハリルは椅子から立ち上がると、アルドの背中に手を添えて言葉を続けた。


「良いかい?君は一皮剥ける必要があるんだ。今までも剥けるチャンスは無数にあった筈なのに、君はその消極的な性格のせいでチャンスをどぶに捨てて来たんだ。なら、もうそろそろ変わる機会を掴んだらどうだい」


「……」


 ハリルの言葉に、アルドは口が中々開けなくなっているが、それでもハリルは言葉を続ける。


「さらに言うなら君はこの前、剣技を教えてくれたグリアに頼み込んでいたね。君は確かにグリアの子だが、グリアの物じゃない。君は君のやりたい事を自由にやれば良いんだよ。別にそれで失敗したとしても、それを支えるのが父や僕達の責務さ」


 直後、アルドの心の霧がスッと晴れた感覚が走った。

 雪菜にあって自分に無い物────

 『エゴイズム』。この言葉がアルドの中で繋がったのだ。

 いつからか、天才肌の雪菜に追いつく為に、家系のプライドもあってか騎士団の剣技のみを習得していた。

 しかし、それでは雪菜には追い付けない。

 どれだけ強くなろうと、雪菜の前に出る事は無いのかもしれない。

 人として、雪菜は限りなくなのだから。

 父のしがらみ、騎士団の責任。それらに囚われている自分では決して追い付ける筈が無いのだ。

 雪菜はどこまでも自由に、自身の道を進んで行く。

 それに追いつく為には────柵を破るしか無い。


「ありがとうございます。……やってみようと思います」


「ふふん!その息だよ」


 アルドは塔へと駆け出した。

 過去の自分を引き離す様に、ただ真っ直ぐに、ただひたすらに。

 友人である雪菜に、追いつく為に。そして、追い抜く為に。


 ×                    ×


 塔の一階にて────



「誰だ……という質問に、お前が納得する様な回答は出来ない」


「はぁ!?」


 アルドは剣を構え直し、戦闘態勢を整える。


「俺が誰だろうと関係ない。寧ろ、誰でもいいだろ」

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