23話 お前は


 ────私、何であんな事言っちゃたんだろ。


 路地裏にて、一人の少女がそんな事を心中で溢した。

 辺りは夕日が落ち始め、段々と夜を象徴する黒が世界の侵食を始めている。

 そんな街を夕の同級生である椿はゆっくりと歩いて行く。


 数分前に夕と別れて以降、椿の心はどうにも晴れない様だった。

 何故自分はあんなにムキになってしまったのか。

 何故自分は夕に対して、拒絶する様な言葉を言ってしまったのか。

 何故、何故何故────

 何故、自分は、好きな人に思いを伝えられないのか。


 椿は胸の中で渦巻くドロドロとした感情を抑えながら、家へと足を向かわせる。

 今日一日であまりに不可解な現象を見せられた椿の頭は、夕の件も相まって活動限界を迎えていた。

 脳のキャパがオーバーしていたのだ。


 突然現れた不気味な男と、それに何処からともなく刀を持ち出して対抗した夕。

 夕は重症に見えたが、自身を公園から遠ざける時にはその傷が塞がっていた。

 その時、椿は一つの噂話を思い出していた。

 小学生の頃、夕にはある噂が立っていたのだ。

 それは────不死身という噂。


 クラスの男子が喧嘩で怪我を負わせた際に、その傷がすぐ塞がったという所からその噂は立ち始めた。

 とは言え、そんな幻想的な事は一時の話題に過ぎず、あまりに夕に勝てない男子学生の嫌がらせとして片が付いた。

 それ以降夕には喧嘩で負けないという圧倒的な強さから、ある意味不死身という名称が付けられていたが、椿の中でその認識は変わりつつあった。


 ────本当に……夕は不死身なの?


 先程も、妙に傷については触れたがらなかった。

 もし本当に夕が不死身なのだとしたら、その理由にも納得が行く。


 ────気になるけど、今話すのはなぁ……


 別れ方が別れ方だっただけに、椿は今から夕と話すのはどうにも乗り気になれなかった。

 単に気まずいと言う理由なのだが、思春期の学生同士の関係的にそれは充分会いたくないという理由になる。

 椿は一瞬足を止め、夕の方へ戻ろうとも考えたが、すぐに踵を返して再び家へと足を向かわせた。

 もう少しで路地裏を抜け、人が大勢居る場所へ出る。

 住宅街には耳を澄ませば、ほんの少しの喧騒が響いている。

 そんな場所へ足を踏み出そうとした瞬間だった────



「お前は、八代木を知っているか?」


 表通りに出ようかという場所に、黒いコートを羽織ったペストマスクが特徴的な長身の男が、突如として椿の目の前に現れたのだ。


 ────何!?


 あまりに不気味なその姿に、思わず椿は足を止め、額に汗を滲ませる。

 そんな椿の気を全く気遣う事なく、ペストマスクから僅かに空気を漏らしながら男は近付く。


「八代木を知っているか?どっちだ」


 一歩、また一歩と近付いて来る非日常的な得体の知れない存在は、椿を錯乱状態へと陥れるのには充分すぎる要因だった。

 椿は目の前の恐怖に対して呼吸の数が無意識に早くなり、脳が逃げろ、逃げろと命令を出している。

 しかし椿の身体には恐怖によって力が入る事が無く、中々その足は駆け出す事が出来ない。


 ペストマスクはそんな椿の目の前に立つと、椿の腕を取った。

 身長差が激しい為、椿は無理矢理身体を持ち上げられる様な形となっており、肩には体重の負担で痛みが響いている。

 苦悶な表情を浮かべる椿に対してペストマスクは、特に配慮する訳でも無く、再度八代木に関して話を進める。


「お前は。魔術因子の匂いが服に付着している」


 ────何の話!?


 ペストマスクは、カラスの様なマスクの先をピクピクと動かしながら椿の制服の匂いを嗅ぎ、再び質問をする。


「これは、八代木の魔術では無いのか?どうなんだ?」


 ペストマスクは腕を一際高く上げ、椿の肩に更に負担を掛ける。


「くっ……!」


 椿はこのままではいけないと思ったのか、表通りに向けて悲鳴を出そうとしたのだが、それをすぐに察知したペストマスクが開いていた手で口を塞いだ。


「下手な真似はするな。今すぐお前を殺す事など容易いんだからな」


 簡単に呟かれた狂気的な言葉────

 生きている中で滅多に聞く事ない、本気で殺意が込められた言葉は、椿の恐怖心をさらに煽り立て、正常な思考が出来ないように心を追い込んで行く。

 身体が硬直してきたから、椿の身体はピクピクと震え始め、筋肉が無理矢理身体を支えられている事に対して限界を迎えていることを表していた。

 しかしペストマスクは椿の手を離さず、壁に椿を押し当てると、一旦手を押さえていた手をどかし、人差し指に意識を集中させる。

 何かされる。そんな予感がした椿は何とか抵抗を試みるが、恐怖で言葉を出ない、身体に力も入らずに手を振り解く事も出来なかった。


 ペストマスクはそんな椿を他所に、人差し指に少量の魔力を放出した。

 すると、ペストマスクの黒コートの中から、その魔力に釣られる様に一匹の虫が現れた。

 その虫は例えるならてんとう虫と同じ形と大きさだった。てんとう虫との違いがあるとすれば、点々とした色が無く、全身が黒いところだろうか。

 ペストマスクは、人差し指の先でそんな虫に対して魔力を喰わせながら、椿にこれから何をするのか説明をする。


「この虫は身体に入った直後脳へと移動し、自我を持つ中枢を粗方喰い漁り、脳を穴だらけにする。穴の部分には自身の卵を産みつけ、元あった中枢に取って代わり支配し始める。そうなれば、俺の言葉にはまだ消えていない記憶中枢から記憶を引っ張りどんな秘密だろうと答えさせられる」


「……嫌!」


「更に言うならば自我が消えるから君の身体は傀儡と何ら変わらなくなる訳だ。俺の手駒として駆使するのも良いだろう」


「嫌だよ!!!」


「なら八代木について話せ」


「何で……何でそんなに夕に固執しているの!」


 ペストマスクは夕という名前は知らない。しかし話の流れからその人物が八代木という事は容易にわかる。


「その夕という奴は何処にいる。答えろ」


「……」


 椿の中で一つの想いが渦を巻く。

 ここで場所を言ってしまえば、夕に再び先程の様な厄災が降り掛かる。

 また、自分が夕に迷惑をかけてしまう。

 夕がまた────遠退いてしまう。

 そんな気がしたのだ。

 故に椿は、夕の大凡の居場所が言える訳もなく、ただ口を塞ぐ。

 そんな椿の態度を見たペストマスクは小さく溜息を吐くと、人差し指を椿の顔へと近付けて行く。


 ────あぁ、死んじゃうのかな。


 先程のペストマスクの話が本当なら、もう夕と話せる事はないだろう。


 ────結局……何も言えなかったな……


 愛する人への言葉も、仲違いの謝罪も、全てが後悔へと変わる。


 ────死にたくないな……


 椿の目には自然と涙が浮かび、頬を滴って行く。


 ────夕に……会いたいよ!


 ────助けて……!夕!夕!


 椿の叫びが心の中で爆発する。

 自分はこんなにも夕の事が好きだったのだと、自分でも驚く程に。

 夕に会いたい────その一心で椿は願う。

 ただ切実に、生きたいと。


 そうして、ペストマスクの人差し指が椿の鼻に触れようとした瞬間だった。

 

 ペストマスクの片手が、何の前触れもなく突然────切れた。


「え?」


「────!?」


 椿とペストマスク。両者が同時に疑問を露わにする。

 次の瞬間、両者の間に鋭い風が走り、二人は無理矢理距離を取らされる。

 ペストマスクは切られた片手を瞬時に拾い、距離を取りながら体勢を整える。

 対して椿は、身体が痺れたまま宙に投げられた為、このまま落ちれば身体の何処かを痛める事となるだろう。

 しかし椿の落下地点には一人の男が剣を腰の鞘に仕舞い、椿を待ち構えていた。

 見事に宙から落ちた椿をキャッチした男は、すぐに椿を地面に下ろし、一歩前へ足を踏み出す。


「何があったのかは知らんが────魔術師では無い者にそれは随分酷では無いか?」


「……誰だ」


「ワシか?そうだな……しがない天才剣士と言った所か!」


 自分で自分の事を天才と言ってしまう、場の空気を壊した変人男は、再び刀を抜きペストマスクと相対する。

 刀を向けられたペストマスクは、すぐに戦闘態勢を整える。

 その一端として、切られた片腕を元あった場所へ近付けると、その腕はまるで意志を持った一生物の様に融合を果たした。

 夕の時と同じく、再び不可解な現象を見た椿はまたもや言葉を失う。

 そんな椿とは対照的に、男は興味深げに顎を摩りながらペストマスクが起こした不可解な現象を観察していた。


「切った腕から血は一滴も落ちていなかった。その身体はもはや人の身では無いと言った所か」


「……そんな所だな。まぁ、知られた所で何が変わる訳では無いがな」


「ふうむ。先程の魔術を見る限り貴様の基本武器メインウェポンは虫じゃろう。ならこういうのはどうだ」


 男は、刀に軽く魔力を送る。するとその刀身は────炎を帯びた。


「そういう系統か。確かに厄介だ」


 ペストマスクの言葉を聞いた男はニヤリと口元を歪ませ、再び刀に魔力を送る。


「そうじゃろう。こういうのも厄介では無いか?」


 男は魔力を送った刀は、炎を纏っていたと言うのにその姿はほんの一瞬で移り変わった。

 男の刀身は────冷気を帯びたのだ。


「複数の魔術因子を持つ人間か」


「ハハッ!では殺り合おうか」


 男は刀を構えると、一気に闘志を剥き出しにし、その場にいた椿とペストマスクに威圧感を与える。

 対するペストマスクは────


「いいや、ここは一旦身を引こう」


 男の炯眼けいがんに当てられたペストマスクは、魔力を抑え、住宅街の屋根の上に飛ぶと、そのまま姿を眩ましてしまった。

 そんなペストマスクを男は追う事はせず、刀を鞘に控えると、背後にいる椿に言葉を掛けた。


「無事かね」


「あっ……はい。ありがとう……ございます」


 ペストマスクとは違った不気味までとは行かないが、何処となく変わった雰囲気を持つ男に、椿は名前を尋ねる。


「あの……貴方は」


「グラン。ヴィルディ・グランだ」


 異様な程に日本語が達者であり、髪型もまるで日本の武士の様なヘアスタイルをしているグランと名乗った男は、椿を威圧しない様に腰を低くして質問をする。


「何故あんな輩に命を狙われていた」


「それは……私の大事な人があの人達に狙われてるらしくて。それで!」


「ほう……?」


 グランは、顎を再び摩りながらある事を思案する。


 ────まぁ、急ぐ仕事でもないからなぁ。


 グランは仲間であるレクサスとフレイルの顔を頭の中に浮かべたが、その思考はいとも簡単に途切れる事となる。

 任務として八代木を捕えろと言われているが────目の前のお嬢さんの方がと判断した為、優先順位を変えたのだ。


「よし、その大事な人とやらをワシが守ってやろうぞ」


「……え?そんな!迷惑ですよ!こんな事になった以上今すぐ警察行きますし!」


「警察なんぞに奴らがどうこうなる訳なかろう。それはこれはワシの興味本位からじゃ。気にするな」


 言うが早いか、グランは椿の手を取り、その場から立たせると表通りを刀を携えながら堂々と歩き始める。


「では!案内してくれ!」


 椿は目の前に突如として現れた命の恩人に対し、感謝と同時にもう一つの感情を抱いていた。


 ────えっ、こんな人と一緒に街を歩かなきゃ行けないの……?


 流れるように纏まった話は、物語を複雑化させる。

 何故ならグラン任務の対象者は、椿と勝手に『守る』と約束した八代木なのだから。

 そんな事は知る由もなくラグナは、ガハハと好奇心に身を任せる様な笑いをしながら街を歩いて行く。


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