暴食は蜜の味

発条璃々

日常

「今も、苦しいデスカ?」

 修道服に身を包んだ年端もいかない少女にそう問われた私は自問した。

(苦しくはない。なにが苦しかったのかさえ思い出せない。なのに……)

「まだ、捨てきれないのデスカ?」

 私の前にうやうやしく跪いた少女は私の頬にそっと触れた。割れ物を扱うように慎重に。

 

 もう誰も傷つけたくない。

 もう誰も壊したくない。

 もう、誰も、

 誰も、この手で殺めたくなかった。



 ー三時間前ー


 真っ赤に染まった手を見つめて私はその場から動けずにいた。

 本当なら今すぐにでも、この場を立ち去り、行方をくらませなければならないのに。

 私は何かに縛り付けられたように動けずにいた。

 辺りは深夜ということもあり静かだ。喧騒から外れた古い神社の裏手。

 私はそこで、思わず手にかけてしまった恋人と別れ話をする予定だった。

 だが恋人は、私の身辺を調べたようで、それをネタにゆすってきた。

 だから仕方なかった。

 だけど言い訳をするならば、殺すつもりで呼び出したわけじゃない。

 私が、巷で騒がれているであっても、自分に課したルールがあった。

 それを私は自ら破ってしまった。

「あらあら、大変デスネ」

 声がした方へ振り向けば、神社には不釣り合いな……。どちらかといえば、教会にいるべきの。

 修道服に身を包んだ年端もいかない少女が佇んでいた。

 私は、見られてしまったことに動揺したのではない。この身体の震えは、自分の標的を見つけてしまったからである。しかし、もうひとつのルール。

 殺めていいのは一週間に一度。まだ、三日しか過ぎていない。

 それにルールを破って今も私の目の前には、口から血を吐き苦悶の表情をした恋人が横たわっている。


 私はようやく、金縛りが解かれたように立ち上がった。

 そして一歩、また一歩と。少女のもとへと歩を進め、対峙する。

 近くで見ると、暗がりでは判断できなかったが、透けるような白髪と肌が綺麗だった。指を入れれば、さらさらと何の抵抗もなく入っていきそうな艶やかさだった。

 細かく少女の顔色を見ていると、口元が汚れていた。

 そして、接近することで感じることのなかった異臭に鼻をくすぐった。

 これは私の手から匂うものではない。

 少女は、口元の汚れに気付き、手の甲で拭った。そして、丹念に汚れを舐る。一滴も逃すまいとするかのように。

 猫のように、毛づくろいでもするかのように。その仕草に、私は思わず顔をほころばせて笑った。

 少女も悪戯がバレた時のように、舌を出して笑ってみせた。それはもう艶然えんぜんに。

 対峙する女と少女。

 そして、横たわる骸がふたつ。



 ✳︎



 私たちは、その場から離れるどころか二人して談笑していた。

 同じ殺人鬼として通ずるものがあったのか。はたまた私が理想の標的を見つけてしまった運命か。

「アレ、もらってもいいデスカ?」

 修道服の少女は、私が殺めた恋人を指差した。

 私は断る理由もないので、頷くと。嬉々として少女は骸へと近付き。跪いて首を垂れた。

 神に祈りを捧げるかのように。感謝の意を伝えるかのように。何度も繰り返していた。

 そして、かぶりついた。

 肉が裂ける音と咀嚼音。

 それが波のように打ち寄せては引く。

 しばらく少女の食事を傍らで眺めていた。

 この見た目からは想像もつかないほど、濃密で咽せ返る異臭を放っている。

 これは、獣の類いの匂いではない。該当する言葉が見つからない。

 ただ一つ言えることは、この食事が済めば次は私の番であること。

 少女は決して、私を逃しはしないだろう。

 私の本能がそう告げているのか。それとも気付かずにいたが自分の願望だったのか。

 

 私は少女にを待った。



 ー翌日、未明ー


 奇妙な感覚だった。

 あるはずの物がもう既に失われたというのに。

 まだあるかのような錯覚を覚える。

 だけど、私に動かせるものといえば眼球を忙しなく、左、右と動かすことくらいだった。

 頭は、少女に抱え込まれていて動かせない。

 数時間前まであったふたつの骸。

 骨すら綺麗に片付けられて、今や少女の胎のなか。どこに、大人三人分が収まるというのか。少女は大食らいだった。

「すこし、運動するだけでお腹、空いちゃうんデス。困ったものデス」

 などと言っているが、全く困っているふうには見えない。

 夜が明けるまでにまだ少し時間があった。少女は身の上話をしてくれた。

 自分が化生の類であること。海外からある目的のために日本に来たこと。

 日本に降り立った時、金髪の少年と縄張り争いで揉めたこと。


「そろそろ、白んできまシタネ」

 私はもう目を開けることすら出来ずにいた。膝の上に置かれた私は。

 瞼に感じる光の温かさで判断した。

「どうですか、まだ苦しいデスカ?」

「いいえ、もう……だい、じょうぶ」

 私にはもう見ることもできないはずなのに、私の頭を膝上に抱えた少女は優しく笑った気がした。

「……ありが、とう」

 私は一言、お礼を言い終えると意識は宙に溶け込んでいった。

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暴食は蜜の味 発条璃々 @naKo_Kanagi885

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