第7話 生贄は受験生
祠のある平地もすっかり雑草が刈られ、行き場を失った虫たちが駿太の足にまとわりついた
駿太は道成たちが階段を降りていく姿を確認してフフを呼んだ
しかし、何度呼んでもフフは出てこなかった
仕方なく持参したシートの上に寝そべって、図書館で借りた本をめくった
フフがいなくても過ごせるくらいに、駿太はこの場所を気に入っていた
結局昼過ぎになっても、フフは帰ってこなかった
想像以上に暑く、持ってきた水筒の中身が早々に尽きたこともあり、駿太はあきらめて家に帰ることにした
帰宅したのを見計らったかのように、友子からメッセージが送られて来た
【例の家庭教師の子が、今日の夜空いてるみたいなんだけど、顔合わせもかねて食事でもどうかな?と思ったんだけど、駿太は大丈夫よね?】
半強制的な文面だが、断る理由もない
【OK】というスタンプを返すと、すぐに友子から【今日はいつも通り上がれるから買い物して帰るね。夕飯作るの手伝って】と入ってきた
また【OK】のスタンプを返したが、今度は既読にならなかった
時計を見ると、ちょうど午後1時をさしていて、友子の昼休みが終わったことが分かった
いまは便利な世の中で、簡単に連絡がつくようになっただけでなく、こういった些細なことでも相手の行動や生活リズムが把握できる
顔をつき会わせなくても、無事かどうか、伝わったかどうか、瞬時に判断できるのは助かる
駿太はそう考えて、昴流にもメッセージを送った
【進路って決めた?】
メッセージにはすぐに既読がついた
読んではくれた
問題はそれからだ
無視されるか、返事が来るか
駿太は待つのが嫌でスマホをベッドの上に放り投げた
しかし、すぐに返事を知らせる通知音が鳴った
【俺は南校か、北校かなあ。本当は高専に行きたいけど、相当勉強しないと無理っぽいから】
昨日の告白などなかったかのような返事に、駿太はホッとした
【駿太は?】
【母さんからは南か駿府東じゃないかって言われた】
【駿府東はちょっとランク上だよな】
【そうなの?知らない】
【偏差値一覧調べてみろよ】
昴流がそんなものを見ていたなんて思ってもいなかったため、駿太は驚いた
【第一志望って決めてるの?】
参考にしようと、なにげなく打った
しかし、返事を見てしまった、と思った
【駿太が南に行くなら、俺も南に行きたいけど】
そこから何と返していいかわからず、結局駿太は既読スルーをした
※※※※※※※※※※
約束通り、友子は定時に上がり、夕飯の材料を買って帰ってきた
とはいえすでに午後6時である。二人で手分けして餃子づくりに取り掛かった
ちょうど1枚目が焼き上がろうとするとき、立て付けの悪い玄関の引き戸が開く音と共に「こんばんはー」という声が聞こえた
駿太が玄関に行くと、背の高いオシャレな男性が立っていた
どうやら今夜の客はこの人らしい
家庭教師らしさは黒縁のメガネくらいだが、それもファッションアイテムの様に思われた
「はじめまして。片山
ハキハキと駿太の目を見て挨拶する姿に、駿太は自分と相いれない雰囲気を感じとった
ちょうど、クラスの陽キャグループのような存在感
駿太は目を合わせずに、
「こんばんは。鋏駿太です…」
と言って、玄関からすぐの茶の間に案内した
夕輝は茶の間と続きの間にある浪の祭壇を見て「お線香あげさせてもらってもいい?」と聞いた
駿太がうなずくと、夕輝は座布団に座って産毛一本生えていないきれいな手で線香をあげた
「あら、夕輝くん、ありがとう」
台所から友子が出てきて声をかけた
「真弓も来るかと思った」
「母はフラダンスの発表会が近いので、練習に」
「フラダンス、まだやってたのね」
3月も半ばに差し掛かると言うのに、布団をかけたままのこたつテーブルの上に、焼きたての餃子やさつまいもの甘露煮などの副菜が並べられた
駿太にとっても久々のご馳走だった
「遠かったでしょ?」
「同じ町内だけど、この辺りは初めて来ました」
「同じ学年に友だちとかいなかった?岳さんちのお孫さんが確か同じ歳くらいだったと思ったけど…」
「俺、中学から市内の中高一貫に行っちゃったんですよ。だから第ニ小の子は知らなくて」
「じゃあ受験したのね。すごいわねえ」
友子と夕輝はポンポンと会話を重ねていく
駿太は冷めないうちに食べようと必死で、二人の会話を聞いていなかった
「…てことなんだけど、駿太、大丈夫?」
「え?何?」
「もう…!夕輝くんのバイトがない日が、火曜と木曜なんだって。家庭教師頼むのはその日でいいかって話」
「俺は…いつでもいいよ」
どうせやることといったら祠に行くくらいである
友子の帰りが遅いため、今日初めて会った人と2人きりで勉強しなくてはならないのは気が引けるが、まあなんとかなるだろう
「夕輝くんはいつから来れそう?」
「来週からでも大丈夫ですよ」
「早い方がいいよね?駿太」
「え…うん」
駿太が口を挟むまでもなく、トントン拍子に決まってしまった
勉強、受験、卒業、高校生、青春
急に現実が迫ってきて、駿太は自分を浮遊させてくれる存在のフフに会いたくてたまらなくなった
しかし、翌朝も祠にフフはいなかった
それどころか、昨日お供えしたホットケーキも手付かずのままだ
仕方なく蟻がたかったホットケーキを回収して、昨日の夕飯の餃子を山盛りのせた皿を置いた
フフが現れるのをしばらく待ったが、雨が降ってきたので駿太はあきらめて家に帰った
雨はそれから夜通し降り続けた
雨の音を聞きながら、駿太は図書館で借りてきた本を読んでは気になるところをメモしていった
日本書紀には、ヤマトタケルノミコトが白い犬に助けられるという神話があった
その他にも、フフを彷彿とさせるような白犬の記述はいくつかあったが、それがフフと同一の犬なのかは不明だった
古事記と日本書紀の現代語訳を読み終え、考察本に移ると、中国やキリスト教の天地創造との比較があった
そこには、チルヒメが逃れてきたとされる蛇の記述も多数存在した
アダムとイブを誘惑した生き物として蛇はあまりに有名だが、中国神話にも女媧と伏義という下半身が蛇の天地創造神がいる
では蛇とは何か
考察本の結論はこうだった
『蛇とは、性交や男性器の隠喩で、すなわち繁栄への信仰である』
見慣れない単語の羅列に、駿太はドキドキしてそれ以上本を読み進めることができなかった
※※※※※※※※※※※
月曜の朝、駿太は不安と期待を抱いて祠に向かった
しかし、そこにあったのは雨で水浸しになった餃子だった
「フフ、どこに行っちゃったの…」
駿太の目に涙が溢れてきた
もう丸2日会っていない
いまどこにいるのだろう
怪我はしていないか
お腹は減っていないか
雨に濡れて風邪をひいていないか
心配で仕方がないが、探すあてもない
せめて放課後、朴山神社に探しに行ってみようかと思い、きびすを返したその時、祠の扉の隙間から白い毛がはみ出ているのが目に飛び込んできた
祠の扉を開けると、大きな体をぎゅうぎゅうに詰めてうずくまっているフフがいた
白い毛は泥で茶色く汚れていて、むしられたような箇所も見受けられた
足の裏は傷だらけで血がにじんでおり、口の端からも血を流していた
「フフ!」
フフは肺をめいっぱい使って息をしていた
駿太は「ごめん!」と言ってフフを抱き抱え、階段を駆け降りた
フフを家に連れ帰った駿太は、祖母が使っていた灯油のストーブをつけ、その前に毛布を敷いてフフを寝かせた
精が付きそうなものをと思案した結果、温めたミルクを口元に持っていったが、ピクリとも動かない
それでも生きているとわかるのは、過剰なまでに上下する肺と、湿った息のおかげだ
「どうしたらいいの?フフ、俺にできることはある?」
その時、フフが一瞬だけ薄目を開けて駿太を見た
そのうつろな眼を見て、駿太はフフとの会話を思い出した
精気、生贄、金色の瞳―
駿太は急いでフフの額に自分のおでこを当て、願いを込めた
(お願いだから目を開けて。僕はここにいるよ)
どのくらいそうしていただろうか、フフの瞼がピクリと動き、瞼の下から現れた金色の瞳が駿太の心臓を射抜いた
その瞬間、駿太の意識が飛んだ
※※※※※※※※※※
【駿太、学校はいいのか?】
駿太が、真っ黒で淀んだ空間を
混濁した意識が明瞭になっていき、目が覚めた
そこには駿太の頬を舐めるフフの姿があった
「フフ!気がついた?!」
「それはこっちの台詞だ。お前のおかげで助かった。礼を言う」
駿太はフフの首に抱き着いた
よく見ると、脚の傷や毛がむしられたところはすっかりきれいになっていた
「本当に元気になったんだね…あ!そうだ!学校!」
時計を見ると、二時間目が始まろうとしている時間だった
駿太は慌ててバッグを掴んだ
「ごめん!俺行くね!フフは僕が帰るまでここにいるんだよ!」
駿太はストーブの火を消して、後ろ髪を引かれる思いで家を飛び出した
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