第5話 生贄の秘密

祠では、フフが待っていた


「フフ!待ってたの?」

「そろそろ夜になるからな」

「フフは夜行性なの?」

「眷族に夜行性も何もないが…」

「ふーん…あ、そうだ!」


駿太は祠から朴山神社の鳥居を指差した


「この祠から見えるあの神社ね、コノハナチルヒメを祀っているんだって」


フフは駿太が指差す方向に目を細めた


「あとね、これチルヒメとフフの絵じゃないのかなと思って」


駿太はスマホを取り出して朴山神社の掛け軸の写真を見せた


フフはスマホの明るい画面を見て涙を流した


駿太はフフの隣に腰を下ろしてフフの頭を抱き寄せた

お日様と獣の匂いがするフサフサな毛が駿太は好きだった


辺りは暗さを深め、眼下に見える町の道路にはヘッドライトをつけて走る車が徐々に増えてきていた


フフの涙が止まったら帰ろうと思って寄り添っていると、急にフフが鼻をヒクヒクとさせ駿太の匂いを嗅ぎ出した


「おや?お前、変わった匂いがするな。ははあ、男色家だったのか」

「へっ?!」


いきなり自分の性嗜好を暴かれて、駿太は頭が真っ白になった


「なんで…」

「俺は鼻がいい」

「でも、いきなりすぎない?」

「なんだ?違うのか?」

「違う…」


そう言い切れる自信はない


生まれてこのかた、好意の対象として男のクラスメートや男性教師を意識することはあったが、女性を意識することはなかった


駿太が膝を抱えてうつむいていると、フフがくるっと空中で一回転した

すると、フフの姿が消え、豊かな白髪を蓄えた少年が現れた


「え?フフ?」

「月の光が強まれば、このくらいのことは造作もない」

「なんかかっこいー…」


いつの間にか、陽はすっかり傾いて月の形がくっきり出ていた


駿太は、犬の姿の時と変わらないフフの柔らかい白髪を撫でた

フフは犬の姿の時にやるように、駿太の手に頬をなすりつけた


「俺の鼻を疑っているな」

「ええ…?!」

「自分でわからないのなら、確かめてみるか?」

「へ?」


矢継ぎ早に質問されて戸惑っている駿太をフフが抱き締めた


「どうだ?ドキドキするか?」


フフの湿った息が、駿太の耳元にかかった


「うん…」


誰からもこんな近くで囁かれたことなどなかった


「俺の姿を見ろ。男か、女か」

「お、おとこ…のこ」

「男の俺にドキドキするお前は何だ?」

「おとこ?」

「だな。ならお前は男色家だ。もしくは両刀だが、あいにく俺は女には化けられないから確認はできない」

「そうなの?」

「当たり前だろ。俺はオスだからな」


その時、駿太のカバンの中でブルブルとスマホが振動した

駿太は鞄からスマホを取り出して耳に当てた


「はい…」

『駿太!こんな時間まで何してるの?!』


母親からだった

今日は、保育園の仕事がないことを忘れていた


「図書館で調べものしてたら遅くなっちゃって、いま帰ってるから」

『もう、心配かけさせないでよ!GPSで調べるところだったんだからね!車で迎えに行こうか?』

「大丈夫。すぐに帰るから」


フフが駿太の反対側からスマホに耳を当てた

駿太がちらりとフフを見ると、フフの三日月型の瞳孔の周りの光彩が金色に光った


その瞬間、駿太の膝から力が抜けた



気がつくと自分の部屋のベッドに横になっていた

どんなに思い出そうとしても、電話を切ったあとからの記憶がない

時計を見ると、深夜2時だった

ベッドから起きて着替えていると、そっとドアが開いて友子が入って来た


「駿太!よかった!目が覚めて。どこか痛いところない?」


友子が駿太に駆け寄って頭を撫でた

友子の手からもフフと同じような匂いがした


「どこも痛くないよ」


友子はホッとした表情で駿太を見つめた


「帰ってきたと思ったら玄関先で寝てて、何をしても起きなかったから、そのまま寝かせたの。私は心配で寝れなくてそしたら部屋から音がするから…」

「起こしてごめん。本当にどこも痛くないんだ」


確かに身体はどこも痛くなかった


しかし、心臓が縛り付けられたように痛くてたまらなかった


※※※※※※※※※※


友子には学校を休むよう言われたが、どこも悪くもないのに休むのは気が引けていつも通り登校した

ただ、祠へのお供えはすっかり忘れていた

思い出したのは、自転車で10分ほど下って通学路で朴山ほおやまの姿を見つけた時だった


頭からすっかり抜け落ちていたことに自分でも驚いたが、もう戻る時間はない

駿太は気を取り直して、自転車から降りて朴山に声をかけた


「おはよう!」

「あ、鋏くん、おはよう」


昨日までは顔も名前も知らなかった相手と、たった一日で目を合わせて話せるまでになった

それもこれもフフのおかげだと思った


「昨日はありがとう」

「お役に立ちそう?」

「うん!早速ー」


駿太はフフとのことを話しそうになり口をつぐんだ

フフとのことは自分でも夢のような出来事なのに、他人に話すなどもっての他だ

そういう意味では、駿太は常識人である

しかし、その裏にはフフに対する独占欲があることにも気づいていた


放課後、昴流と共に町役場に併設されている郷土資料館に足を運んだ

久しぶりの若者の来訪に、町役場の担当者は嬉しそうに案内を買って出てくれた

展示は、町の地形や遺跡のジオラマ、出土品が主だった


一通り見て回ったが、展示品のなかにチルヒメやフフに関するものはなかった


最後に案内されたのは郷土資料の閲覧スペースだった


「町の成り立ちとか歴史はこっちに本があるから、好きに読んでいってね」


駿太は、立ち去ろうとする担当者に尋ねた


「僕、小谷おや地区なんですが、あそこにある祠って、誰が管理してるんですか?」

「あそこに祠なんてあったかな?」

「小さい祠なんですが…」

「うーん、僕はわからないから、自治会長さんに聞いてみたらどうかな?」


町には祠や道祖神のようなものがたくさんあるから、いちいち管理はしていないのだろう

駿太はお礼を言って、椅子に座った


「マジで町のマップ作って第ニ小に寄付しようかなー」


昴流が椅子に寄りかかって言った


「いいんじゃない?でも、昴流は無理して付き合わなくてもいいんだけど」

「だって暇だもん。お前しか遊ぶ相手いないし」

「分校あるあるだよね」


駿太は分厚い郷土史を繰った


【飢饉から逃れこの地にやってきた人々が、海で紅色に輝く小魚の群れを発見した。

この小魚は非常に美味しかったため、高値で取引されるようになり、この地に漁業が根付いた。そのサカナの群れる様がサクラの花びらが散ったように見えるため、コノハナチルヒメのご加護だと神社を造ってこれを祀った】


郷土史に載っていた神社の建立理由はおおよそこんなところだった


駿太はメモを取った


神社のパンフレットには、

【巨大な蛇から逃れてコノハナチルヒメがこの地に降り立ち、人々にサクラ色のサカナを与えた】

とある


サクラ色の小魚とは、町の特産品である小桜魚こおなのことであろう

自然と神話は切っても切れないものではあるが、どちらかといえば、神話はこじつけのような気がした


しかし、信仰のお陰で人は大義名分をを翳すこともできるし、住みよい環境を守ることもできる


とりあえず、今日もフフに報告できることがありそうで駿太はホッと胸を撫で下ろした


※※※※※※※※※※


「駿太、待てよ」


閉館時間になり、すぐに帰ろうとする駿太を昴流が止めた


「今からお前んち、遊びに行っていい?」


3月の夕方5時である

日は伸びてきてはいるが、あと30分もすれば日没だ


「もう遅いよ」

「明日休みだからいいじゃん」

「飯は?」

「お前はどうする?」

「今日は焼きそばか何か作ろうかとー」

「じゃあ俺のも作って。材料費やるから」

「俺、今日用事があって…」

「もう夜じゃん。何の用事だよ」

「…そんなことまで昴流に言わなきゃダメなの?」


フフに、今日調べたことを一刻も早く伝えたかった


「ダメじゃないけど、それなら俺が聞くのもダメなの?っていう話になるよな」

「昴流、なんか変じゃない?」

「変なのは駿太だろ。ここ最近町?のこと調べたり、神社行ったりさあ…今日だって付き合いわりぃし…」


確かにその通りだが、昴流がそういうことを気にするタイプだとは思わなかった


「俺は頼んでないのに、昴流が勝手についてきたんだろ?」


振り切って自転車を出そうとする駿太の手を昴流がつかんだ


「俺には駿太しかいないから!」


駐輪場から思い切り引っ張り出され、駿太はよろめいた

しかし、昴流は引っ張る力を緩めず、そのまま駿太を抱き寄せた

その瞬間、昴流の【好き】の種類が男友達に向けてのものではないとわかった


「駿太…」


昴流の腕に力がこもった


「すば…やめ…ろ」


駿太が力一杯昴流を押すと、昴流は弾かれたように飛びのいた


「ごめん…」


昴流が申し訳なさそうに駿太を見た


「そんな顔するくらいならするな!」


駿太は自転車を乱暴に引っ張り出して、逃げるようにその場から走り去った


※※※※※※※※※※


自転車を階段の下の空き地に放り投げ、駿太は階段を駆け上がった

いつもは駿太の呼び掛けで出てくるフフが、その日は祠の外に出て月を眺めていた


「昨日の今日だからな。今宵は来ないかと思っていた」


月の光がフフの瞳に反射して金色に輝いていた

駿太は目に涙を溜めながらフフの前に膝まづいた

感情が乱高下を繰り返し、涙が止めどなく溢れた


「どうした、そんなに慌てて…ははあ、お前誰かにマーキングされてきたな」

「マーキング…?!」

「俺以外の男の臭いがする」


フフは尻尾を地面に打ち付けながら、長くて湿った舌で駿太の顔を舐めた


「くすぐったい」

「のんきなものだな」

「フフ、もしかして怒ってる?」


尻尾の振り方がイラついてるように見えた


「久々の男の贄が、昨日の今日で横取りされそうになれば、それは面白くはないな」

「贄って生贄のこと?」


昨夜のフフの変身に始まり、途切れることなく不可思議なことが起きて、駿太の頭は疑問符だらけだった


「そうだ。俺にとって駿太はやっとありつけた生贄だな。ここ何百年も給仕女きゅじおんなしか来なかった故…」

「給仕女って?」

「食事を運ぶ勤めの女だ」

「もしかして、ばあちゃんのこと?」

「ああ、なみか」


浪とは、祖母の名前だ


「やっぱりばあちゃんともこんな感じで会ってたんだ」

「おおらかで、気持ちの優しい女だったな。飯は…まあ貧相だったが…お前に代替わりしたということは、浪は死んだのか」


駿太がうなずくと、フフはフンッと一回鼻を鳴らした

まるで涙をこらえているかのようだった


祖母は、フフのことなんて、一言も喋らなかった


その前の人も、その前の人も


皆、フフとのことは、心の中にずっと大事に秘めていたのだろう


きっと駿太もそうするのと同じように



駿太の胸のなかにモヤッとしたものが沸き起こった

その複雑な気分を、フフにぶつけてみた


「昨日のことなんだけど…」

「なんだ?」

「俺、電話切ってからの記憶がなくて…フフ、もしかして運んでくれた?」

「ああ」

「何が起きたの?」

「お前の精気をもらった」

「え?!」

「こうやって」


フフは金色の目を大きく見開いて駿太を見つめると、大きな口でニヤリと笑った

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