第3話 犬と母ちゃん
「母ちゃん!母ちゃん!」
駿太は、犬を抱き抱えて家に帰った
洗面所から歯磨き中の母親が顔を出した
「ふんは、あんは、はっほーいっはんひゃひっはほ?」
「え?学校?!」
時計を見ると、8時半を回っていた
「あー!」
駿太は玄関に置いておいたバッグを手に自転車に飛び乗った
「あ、ワンコ!」
しかし、犬はどこにもいなかった
※※※※※※※※※※※
教室に到着したときには、学級活動が始まっていた
「すみません。途中で犬を拾って…」
駿太の言い分けにクラスメートがざわついた
教師も、叱るべきか迷った挙げ句、
「仕方ない、次からは気をつけて」
と言った
「鋏くん、犬飼うの?」
席につくと、隣の席の赤石
「それが、家に連れ帰ってきたら逃げちゃって」
「えー。飼ったら見に行きたかったのに」
「どこかにいると思うから、また見つけたら教えるね」
駿太がそう言うと、清花はにこりと微笑んで前に向き直った
駿太も前を向くと、前の席の
※※※※※※※※※※※※※
駿太の母親の友子は毎晩9時過ぎに帰ってくる
朝の9時から夕方5時まで、町の調剤薬局で薬局事務のパートとして働き、そのあと、夜間預りをしている隣の町の保育園で、保育補助のバイトをしているのだ
毎日疲れて帰ってくる友子のために、ご飯を作り、お風呂の用意をしておくのが駿太の日課だ
いつもなら、友子の顔を見たらすぐに寝るようにしているが、その日は友子が食事を食べ終わるまで付き添った
「いつも悪いわね。勉強したり、友だちと遊ぶ時間はあるの?」
「帰ってから結構時間あるし、誰も急かさないから」
「それならよかった。でも、何か話したいことがあるんじゃない?」
「うん…」
「何かほしいものでもあるの?遠慮なく言っていいんだからね」
慰謝料も、養育費もきっちりもらい、住む家も引き継いだのだから、本当は薬局の仕事だけで十分暮らせる
だが、なぜ仕事を掛け持ちしてまでお金がほしいかと言うと、駿太に何不自由なく育ってほしいからだ
友子の考える“何不自由なく”というのは、流行りのものが欲しいのに遠慮したり、友だちと遊びに行くのを控えたりしなくていい生活のことだが、家事をさせている時点で何不自由なくというのはできていない
だが、お金は
しかも、若いうちしか、だ
他の子と少しずれてしまうかもしれないが、駿太が高校・大学と進学した時に、勉強や遊びをたくさんさせてあげられるよういま頑張ろうと友子は覚悟を決めていた
「朝話そうとしたんだけど、ばあちゃんがお供え物をしてた祠さ、何を祀っているか母ちゃん知ってる?」
「何、突然」
「いや…」
まさか犬が出てきて話しただなんて言えない
「コノハナチルヤヒメじゃないの?」
「へ?」
「わたしは昔そう聞いたわよ」
「コノハナチルヤヒメ…」
「古事記?とかに出てくるんじゃなかったっけ?」
友子はそう言って、インスタントのお味噌汁をすすった
※※※※※※※※※※※
翌日は、洗い替え用のプレートに昨日と同じようにお弁当のおかずの残りとご飯をのせて、祠に持っていった
前日のプレートは舐められたかのようにきれいになっていた
これは持ち帰って洗い、明日使う
「ワンちゃーん…」
猫の額ほどの広場だから、何かいれば着いた瞬間にわかる
だが、昨日もその前日も、動物の気配などなかったのに、犬はどこからともなく現れた
今日も突然現れるかもしれないと、駿太は期待に胸を膨らませた
「昨日はよくも連れ帰ったな」
ドスの効いた声が聞こえて振り向くと、駿太の後ろに犬がちょこんと座っていた
犬は悠然と歩いてくると、新しいお供えの臭いを嗅いですぐに食べ始めた
「ワンちゃん、帰ってたんだね!昨日はどうしていなくなっちゃったの?」
駿太がそばに座って聞くと、犬はガツガツと食べながら
「俺の家はここだ」
と言った
「食べながら喋れるんだ?!」
「んなわけあるか。犬と人間では声帯の作りが違う。俺はいま、お前の頭のなかに話しかけている」
「おお~ファンタジーだ!ねえ、君の名前は?」
「フフ」
「ふふふ」
駿太が笑うと、
「笑ったんじゃない。俺の名前だ」
「フフ?」
「そう」
「何それかわいい!」
駿太はフフを抱き締めた
野良犬とは思えない毛触りと匂いに、思わず顔をうずめた
「こら!無礼者!俺は神の使いだぞ!」
「そうなの?」
「そうだ。我が主は
※※※※※※※※※※※
駿太は、昼休みと放課後を使って学校の図書室で古事記に関する本を片っ端から調べた
しかし、フフが言っていた
母は【コノハナチルヤヒメ】と言っていたが、正式には【コノハナチルヒメ】
同じ
駿太は、図書室で借りられる最大数の本を自転車の前かごに入れると、全速力で祠に向かった
「フフいる?」
自転車の立ち漕ぎと階段で震える足を抑えながら声をかけると、フフが祠の後ろから現れた
「
「僕の名前は
駿太は、フフの隣に山座りをした
「コノハナチルヒメについて調べてきたんだ」
「おお。して
フフは嬉しそうに、駿太の膝にくっつき、本を覗き込んだ
すべての本に目を通し終った頃には、夕日は上部3分の1ほどしか残っていなかった
「…こっちの方には名前すら出てなかったね」
駿太は最後の本を閉じた
「何もわからぬではないか!もっと有益な情報はないのか!」
フフが怒ると、ばうわうと吠えているように聞こえる
「フフは何も覚えてないの?」
「うむ…」
「ヒメを守らなきゃならないの?ヒメは危険なの?」
「…わからぬ」
「どういう風に危険かわからないとねえ…」
駿太は頭をひねった
その時、夕日をバックに高台に建つ鳥居のシルエットが目に入った
「あそこの神社は、何を祀っているんだっけ?」
「どこだ?」
「ほら、鳥居が見えるでしょ?」
夕日が沈んで、辺りが急に暗くなった
「見えん」
「あるんだよ。明日調べてきてあげる」
「悪いな」
「フフはここから動けないんでしょ?」
「動けることは動けるが、何か落ち着かなくてのう」
フフが寂しげに笑った
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます