第4話 寝取り妖虫最後の日


 私は泣きたい。

 だけど、涙の一粒すら浮かべることができない。

 私は助けを求めたい。

 だけど、かすれ声すら言葉を発することはできない。

 もう数十分は精神的な苦しみでのたうちまわっている。泣いて助けを求めたいのに許されない。私は先行者の試験を甘く考えていた。最初が人間とロボットの心にまつわる問題だったから、危険性に対する心構えがやわらいだのもある。なにかあっても、露がなんとかしてくれると安心しきっていた。だからこんなことになるなんて想像もしなかった。


「やりました! 成し遂げました。完璧です」

 研究室で露が歓喜にうわずる声を響かせた。こっちをふりかえった彼女ときたら、繊細な眉をきりりと立て、可憐な唇の端をほほえませる、なんとも可愛く美しいドヤ顔であった。町を歩いたら十人中九人は二度見する美少女の綺麗なドヤ顔だ。

「そんな得意げな露の顔を性愛の羞恥に染めてやりたいと私は思った」

「せ、星くんっ、蜂蜜みたいにとろけた脳内のト書きを口にしないでください!」

 おっと、つい声に出してしまった。

「じゃあいまから実行に移すから、いい反応してね」

「えっ? あ、あの、わわ……いじわるしないでください。本気だったら、抵抗する意思がなくなっちゃいます……」

 その態度は興奮を抑えられずに押し倒したくなるから、このへんにしておこう。

「で、なんだっけ。このまえ私の愛撫で大きく進展した研究が完成ってことでいいのかな」

「はい。三重思考を見事に会得しました。予想外の副産物も得られたので万全さには自信があります」

「ふーん。三重思考ってなんなの?」

「それはヒミツです」

 露が人差し指を唇に沿えてウインクした。私に隠し事をするんだと拗ねてみせて反応を楽しむのもありかなと思ったが、それはちょっと意地が悪すぎるか。

 とりあえず心の広さをアピールしておこうと考えたとき、先行者の試験による問題発生スペクトル(もし地球から稀人星が見えるなら輝いて映るだろう)が明滅した。

 提示された目的地へ直接転移することはせず、息抜きを兼ねて露の実家で一泊する流れに。

 露の家に着いたときは夕刻を過ぎていた。窓の向こうに目をやると、住宅街とビル群の彼方に暮れなずむ真っ赤な太陽が、硬派な墨のように黒々とした山の稜線へゆっくり沈んだ。露がキッチンで念願の手料理に挑戦するあいだ、私は恋人の妹を相手していた。

「星さん、あたしが占ってあげます!」

 うきうきと声をはずませる雫ちゃんが虹模様の小箱を持ってきた。整理整頓された部屋にはポップでオシャレな小物たちがひしめきあい、合間を縫うように流行のファッション誌やローティーン向けの化粧品が花を添えている。露の部屋とは対照的に現代っ子らしさ満点だ。

 雫ちゃんは小箱から取りだした占い用具をペパーミントグリーンのテーブルに置いた。なにかの銀河が描かれた円形の盤、火星を示す惑星記号が彫られた白銀色の小石が数個、そして七色の色彩がゆらめく水晶玉である。

「へえー、よくわからないけど本格的だね」

「友だちがプレゼントしてくれたんです。占い方も教えてもらいました。占ってほしいこと言ってくださいっ」

「それじゃあ、私と露が次に解決することになる異星人の試験についてなにかヒントがあれば」

「おまかせください! ではでは……教えてくれセブンズムーン、答えてくれ虹の支払い役よ――ていていっ」

 白銀の小石が銀河盤を所狭しと転がり、雫ちゃんが水晶玉とにらめっこを始める。私の目にはなんの変化もない虹水晶だが、彼女にはなにかが見えているのだろうか、ふんふんと首をこくこく上下させた。

「あやしい虫に要注意。スペシャルポイントは、えーと、にりつはいはん……?」

 知らない単語にぶつかった雫ちゃんが眉間にしわを寄せてスマホ検索する。

「ああ、二律背反のことなら知ってるから大丈夫だよ」

「ほんとですか、さすがです星さんっ」

 中学一年生のきらきらした尊敬と憧れのまなざしが私にはまぶしすぎる。大学生なら知ってて褒められるようなことじゃないからなあ。

 というか虫に注意ってなに? 虫は苦手なんだけど……それとも男の暗喩かなあ。二律背反もアンチノミーかアンビバレントかで意味合いが違ってくるけど、どっちだろう。

「あっ、もしやばそうな結果が出たらこれを渡すようにって、友だちから。念のため受け取ってください」

 雫ちゃんから手渡されたのは、七つの月を薄浮き彫りで装飾した白銀のブローチだった。下弦の月から満月までを七段階に分けて虹の七色に彩色している。占星術とかその手のグッズかなあ。デザイン的には悪くない感じだ。

「雫ちゃんの友だちって、占いとかそういうの好きなの?」

「うーん、なんていうか……いろんなことよく知ってて、なんでもできちゃうすごい子なんです。ええと、これが彼女の写真」

 スマホの画面には雫ちゃんとおなじくらいの年頃の少女がピースサインしていた。まったり感が強いニヤリとした顔。きらきらした白銀の髪(細めの短いツインテール)、アルビノかと思うほど真っ白な肌、未来都市を舞台にしたSF作品のコスプレみたいな服装もさることながら、なにより特徴的なのは虹の光彩とおぼしき七色の双眸である。特殊なカラコンでも使っているのか、こんな瞳は見たことがない。

「なんか、すごいね。外国の子?」

「あたしにもわかりません。半月前に出会って友だちになったんですけど……彼女の名前に関しては、モアって呼んでます。あっ、悪い子じゃないですよ? 気さくでまったりしてて、とにかくもうだいじな友だちなんです。それと、そうだ、この子のことはお姉ちゃんには内緒にしてください。絶対にダメってわけじゃないけど、なにとぞお願いしますっ」

 そういう言い方されると逆に気になるけど、雫ちゃんにこんな頭を下げられたら断るわけにはいかないな。

「わかった。念のため聞くけど、反抗期じゃないよね」

「ち、ちがいますっ。そりゃお姉ちゃんにはイラっとくることありますけど、でも、恥ずかしいから面と向かって言わないだけで、あたしはちゃんとお姉ちゃんが好きだから……って、これも秘密ですよっ?」

 やっぱり雫ちゃんはいい子だ。模範的な良い子ではなく、デレをわきまえたいい子。

 露のことが話題になったタイミングで階下からなさけない声が上がった。キッチンへ移動すると、調理エプロンを着用した露が眉を八の字にしてしょげかえっていた。手料理は失敗らしい。惨状と原因を確認。どうやら調味料の適量を間違えた模様(どんなミスをしたらこんな有様になるのかは置いておこう)。この状態なら軌道修正が可能と判断した私は、てきぱきと露に指導してなんとか夕食を完成させた。

 そう、露にも現状ではなんとかできない事態があるということは、この一件だけでも理解しておくべきだったのだ。


 翌日の正午過ぎ、私と露はイギリス南西部の深い森の中を歩いていた。今回の先行者試験発生源である。

 森のそばにある村で聞き込みしたら、全員が親切に森の神秘を教えてくれた。探索した人間には必ず不思議なことが起きるのだとか。最初はキャンプが置かれただけだった。そのうち不思議体験者が増えたことで集落となり、ついには村にまで発展したのだという。このまま定住者が増えれば町になるかもしれないとのことだったが、あとから思えば村の住人はすべて犠牲者だったのだ。

「ひっ!」

 目の前を蜂が飛んだ。私は反射的にびくっと震えて小さな悲鳴を発した。蜂は私たちのまわりをしばらくまわったあと、木々の奥へ飛び去った。

 ちらりと露に目をやると、我が恋人は微塵も動じていない。

「いまのはハバチ上科に属する蜂です。広腰亜目ですから人を刺しません。毒針もありませんから安心してください」

「へ、へえー、そうなんだ。よかった……」

 そういや露は生物学も専門分野だっけ。刺す蜂と刺さない蜂の違いなんて義務教育で習ったとは思うが、私は虫に対する勉強は記憶から抜けている。

「もしかして星くんは虫が苦手ですか?」

「あー……うん。自然と触れ合うのは無縁で育ったから」

 そもそも虫って大抵の人間は嫌うよね。

「ほお。なるほど。でも私がいるから大丈夫です。星くんに怖い思いはさせません」

 露がすごく頼もしい。

「あっ、あそこ、見てください、あの虫は食べられますよ。意外とおいしくて栄養たっぷりです」

 やめてくれ。

 頼りがいを感じた直後になんてこと口走るんですかつゆ先生。

「私はゲテモノ料理はノーサンキューだから」

「ありとしある自然の動植物にゲテモノなんていう人間の勝手な概念は存在しません。ゴキブリのからあげを食べられるお店もあります。アーモンド味がして普通においしいですよ?」

「やめて。これ以上そんなこと言ったら私が露を食べちゃうから。性的な意味で」

 たちまち露が頬を赤らめてあわあわした。効果は覿面だ。

 こんな調子でイチャイチャできると思っていた。なにか起こるとしても、それらしい場所に到着してからだと思っていた。そんなことはなかった。異変はなんの徴も予兆も伏線もなく突然に私を襲ったのである。

 具体的に説明すると、まったくもって常識外の、異常きわまりない宇宙的な妖しい虫が私の頭の中へ侵入して脳を占拠し、私の体を乗っ取ってしまったのだ。

 なぜそんなことがわかるかというと、その妖虫が私の脳を通して、ご丁寧に自身の存在と意識的な感覚をイメージ伝達してきたからだ。私は身体の自由を完全に奪われ、触覚を遮断された。表情も自由にならず声を発することもできない。他人が操作するロボットに精神だけ投影された感じだ。

 そして最悪なことには、この妖虫には悪意と嗜虐性がある。嘲笑を意味する愉悦の感情が私の精神をせせら笑った。ひとつだけおかしな部分があるとすれば、困惑の感情も何度か伝わってきたことだろうか。しかしそんなことを気にする余裕がなくなるほど、怒りと苦しみと無念さと無力感を絶望的なまでに味わわされる行為を立て続けに犯されたのだ……私に寝取られ属性なんてないのに!


 いともたやすくおこなわれたえげつない行為。


 まずこれが最初にやらかしたことだが、私の手が露のお尻をまさぐった。単にさわったとかいうものではなくて、熟練の痴漢さながらにミニスカートへもぐりこみ、純白の下着越しに性の修練を積んだ華麗なる揉みしだきを発揮したのだ。妖虫は私のフィンガーテクニックをほぼ完全に模倣していた。

「きゃああっ! なっ、なな、なにするのですか星くんっ!」

 黄色い悲鳴が森にこだまする。本来ならその反応だけでぞくぞくするのだが……。

「ごめん。誰もいない海外の森で露とふたりきりって状況に、つい性欲をもてあましちゃって」

「えっ!? そ……そですか。あっはい。……もう、セクハラにしても度が過ぎますよ?」

 びっくりした顔で私を見つめた露が、溜息を吐いていつものとがめるようなまなざしを向けてくる。ファッキンクソバグズは寄生した人間の性格や性癖もかなり把握できるらしく、私の口から発せられる弁解はいかにも私が言いそうな内容と調子だった。

 いやもうこれで充分でしょ。自由にならない私はこの先も露を背後から抱擁して愛の言葉をささやいたり、たくみにかどわかしてあちこちキスをしたり、勘繰られない程度に絶妙な範囲でやりたい放題しまくった。最悪なのは、触覚が遮断されているからそれらの触感を味わえないし、神経回路もピンポイントで遮断されているため興奮できないことだ。妖虫はわかったうえで精神的に私を苦しめている。もし感触や興奮を味わわせてくれるなら、その所業の三分の二くらいは私も満足できたのに。それすら許してくれないとは。なんてやろうだ。

 そんなわけで現状に至る。

 どうしようもない。私にはなにもできない。露も気づかない。わーお、詰んでる。

 動きがあった。新たに妖虫が一匹出現して露の頭に侵入したのだ(私の脳内クソ虫がそれを視認させた)。

「ぅああっ!」

 露が頭をおさえて苦痛の声を発した。

「つゆっ!」

 反射的に名前を呼んだ。私が。

 声が、出た。体が動かせる。しゃべれる!

 本来ならまず露の身を案じる言葉をかけるべきなのかもしれない。しかしそんな余裕などあるはずもない。私はとっくに我慢の限界を超えているのだから。

「助けて! 頭の中に変な虫がいるの。そいつが私の体を乗っ取って――痛いよ、苦しいよ、怖いよ……露っ、いつもみたいになんとかしてよ!」

 私はみっともなく泣いた。痛いのは心で苦しいのは精神だが、この状況で正確な伝え方なんかできるか。とにかくわかってもらえれば……。

 ぞっとした。

 露が氷のように冷たい微笑を浮かべていた。

 ああ、そうか……。私とおなじく乗っ取られたんだ。いま私が声を出せたのも、希望をあたえた直後に絶望へ突き落とすための演出だった。その証拠にまた体の自由を奪われた。これからもう一匹の妖虫が露に私を冷笑させて嘲りの言葉を浴びせるつもりだ。嫌だ。露にそんな顔で見られたくない、露に愚弄されたくない。でも目を閉じられないし耳もふさげないし逃げることもできない。ひどい、ひどいよ……。

 なさけなく涙を流す私に向かって露は、


  真想初在襟

  誰謂形迹拘


 と、詩を詠んだ。たしか陶淵明「始作鎮軍参軍経曲阿作」終盤の二句だったか。

 意味は『本来の考えは最初からずっと胸の中にあり、肉体や行動に心が縛られているなどと誰が思おうか』のはず。

「よくも、星くんを」

 静かな怒りを含んだ低い声音に、私と頭の虫が驚愕の感情をシンクロした。

 ほんの一瞬だろうか。露の赤眼がきらめいた。精神世界らしきものが展開された(ゲームで例えるならフィールド効果?)。なにかの核を掌握する露の心象が浮かんだ。それらすべてが刹那に過ぎ去った。

 気がつくと私は完全に自由を取り戻していた。妖虫はまだ頭の中に存在するが、ピンで刺された標本みたいに身動きできないでいる。今度は虫のほうが自由を奪われたようだ。

 おそるおそる露に目をやると、彼女はやさしく口もとをほころばせた。

「なんとかしてみせました」

 私の求める自信に満ちた表情――私の大好きな露だ。

 安堵した途端、みっともなく泣いたことが恥ずかしく思えた。ごしごしと涙をこする。

「あー、えっと……なさけないところ見せちゃったね」

「そんなことないです。謝るのは私のほうです!」

「えっ。なんで?」

「だって私、星くんがなにかに乗っ取られたこと、お尻を痴漢されたときに気づきました。星くんが私にセクハラして素直に「ごめん」なんて言うはずありません。星くんがそんな殊勝な詫びを口にする誠実さを持ちあわせているわけないです。だからすぐ違うってわかりました。でも、単純に意識を失わせたうえで体を操っているだけだと判断して様子見しちゃったんです……。まさかこの虫が陰湿で残酷な嗜虐性をもっていて、寄生先に激痛と恐怖を味わわせて楽しんでるなんて思いませんでした。そうと知っていたらもっと早く対処したのに!」

 なんか最初のほう、さらっとひどい言われようなんだけど……まあ、うん、まあいいや。

「露はなんとかしてくれた。私を助けてくれた。それをいうなら私なんて露が騙されてると思っちゃって、露を信じられなかったわけだし」

「でも……」

「それより、このクソ虫まだ頭の中にいるようだけど、大丈夫なの? こいつなんなの? どうするの?」

 矢継ぎ早に質問して問題を先に進める。このままじゃ落ち着かない。

「ああ、完全に掌握しましたから大丈夫です。この虫は、ええと、ポンプ座銀河団からわりと離れた位置にある惑星からやってきた昆虫型種族ですね。狙いを定めた星の支配種に寄生して操作することで仲間を呼んで繁殖し、次々と植民惑星を増やして、最終的には宇宙のあらゆる生命の破滅を望む害虫です。どうするか? そんなの決まってます。一匹残らず宇宙から絶滅させます」

 脳内の妖虫が猛烈に震えた。たぶん絶叫の悲鳴と思われる感覚が伝達される。正直ざまあみろという気分たが、それはそれとして。

「絶滅させるって、そんなことできるの? たくさんいるんでしょ? どうやって?」

「できますよ。たくさんといっても数千兆ちょっとの数ですから意外と少ないです。ちゃんと繁殖制限をして全体の統制を維持してますね。さて、星くんは蚊などの羽虫を手でたたいて殺すとき、最初はわりと動きがのろくて簡単に始末できたのに、何日か後に発生した虫は素早くなってたりして仕留めるのが難しくなった経験はありませんか?」

「えっ、突然だね。うん、まあよくあるかな。あれわりと不思議なんだけど」

「それは種族保存本能から発せられるテレパシーに似た交信網による情報伝達で学習しているからです。欠陥が多いし短期間しか持続性がないのでたいしたことはありませんけど。ところがこの虫はそのへんの進化が究極的で、宇宙に散らばる全個体が永続ノータイム情報共有を実現しています。何億光年離れていようと空間と遮蔽物と距離の概念に一切影響されません。しかし、逆をいえばそこを掌握してしまえば一方的に全個体をどうにでもできるわけです。いまの私にはそれができます。つまり私の頭の中に入った時点で種族全体の命運が滅びに確定したということです」

 さすが露、説明だらけの説明不足が半端ない。

 うーん……ファッキンクソバグズに同情する気はないけど、絶滅させるのはなんか哀れな気がしてきた。

「そこまでしなくても、寄生者をすべて解放してからクソ虫をみんな母星に閉じ込めて二度と害を起こせないようにしたらいいんじゃ」

「ダメです。この虫は星くんにひどいことしました。あんな激痛を数十分も……断じて許しません」

 激痛? まって、なんか私と露の認識が大きく食い違ってない? そういえば妖虫が私の頭に侵入してからしばらく何度か困惑していたっけ……もしかして物理的な痛みを私にくわえていた?

 不意に雫ちゃんの占い結果を思い出した。正確にはそのときもらったブローチを。そうだ、露は私のブローチに対してまったく言及しなかった。普通なら私が新しいアクセサリをつけたらなにかしら感想を述べてくれるのに。

 露が目を閉じた。

 一瞬で、私の頭の中から――おそらくは現在寄生されている犠牲者すべてから――妖虫は消滅した。その最期にかすかな二律背反の感覚を残して。

 私は自分の胸もとを見た。七つの月が装飾された白銀のブローチが、役目を終えたように塵と化していく。あっという間に風に流されて散った。

 露が目を開けた。

「おしまいです。一匹残らず、幼生や卵なども含めた全部を、宇宙から消し去りました。……星くんは、やりすぎだと思いますか?」

 ひとつの宇宙種族を根絶した少女が不安げな顔で私の返答を待つ。私に嫌われるのではないかと内心びくついているのだろう。ああ、やっぱり、露のそういう態度は眼福だ!

 んー、もし露が私を助けるために私の前で人間をたくさん殺したとして、それで目をきらきらさせて『星くんにひどいことする人は許しません』とかやらかしても、私は嬉しくなって抱きしめるだろうなあ。でもいまそんな気持ちを伝えたら怒られそうだからやめておく。

「えーと、やりすぎかどうか私にはわからない。ただ、消滅する直前の虫から、絶望と歓喜が同時に伝わってきた。たぶん、他生命を滅ぼす願望の裏で自分たちが滅びる願望も背中合わせにあったんじゃないかと思う。だから、ある意味では露はあいつらの望みをかなえてやったってことでいいんじゃない?」

「そうなのですか? 私にはそんなの把握できませんでしたけど」

 おや。となると、ますますブローチの効果か。

「露は私が嘘をついてなぐさめようとしているって思うの?」

「そ、そんなことないですっ。私が星くんに嘘をつかないように、星くんも私に嘘つかないって信じています」

 こくこくとうなずいて真摯さをアピールする露。なにはともあれ一安心だ。

 一件落着したところでそれとなくブローチのことをきいてみたら、やはり認識していなかった。

 稀人星に帰ると、露は憤慨しながら「星くんが被害を受けて生命の危機にさらされたことに対して、先行者に抗議のメッセージを送ります」とまくしたてた。そんな露があまりに可愛いから、私はつい彼女に性愛の羞恥を実行したのだが、なぜか怒られた。納得がいかない。


 * * *


 手料理、失敗しちゃいました。レシピのとおりにやったのに……適量って、なんなんでしょうか。


 三重思考は思考を三層に分けて、それぞれ個別に思考できる能力です。たとえば催眠で洗脳されたり、超能力者――がいたとして――に精神と肉体の自由を奪われたりしても、二層目と三層目の思考は自由なままで、今回の妖虫のときみたいにいつでも自分の支配権を取り戻せます。ちなみに妖虫も三層の思考を有していましたが、掌握したので問題ありません。

 単なる多重思考と決定的に違うのは思考の置き場です。二層目はイドの海、三層目はEsの深淵に配置しています。このふたつは他者が干渉することのできない領域です。イドは可能かもしれませんがEsはまず無理で、どちらも侵入しようものなら想像を絶することになるでしょう。本来なら思考をそこに置くなんてことは不可能ですが、非凡発現者にはその資質が拡張されているようで、私はようやく会得できたわけです。

 でも、それより重要なことは、三重思考完成の副産物として得られた能力です。現実空間を上書きする独自の精神世界フィールドを展開させ、対象の核を見つけて掌握することができちゃいます。ほかにもいろいろ応用がききそうなので研究のしがいがあります。

 三重思考や副産物の内容を秘密にしたのは、間接的な情報漏洩を防ぐためというより、能力バトル作品のキャラクターみたいだと思われるのが嫌なだけです。私、そういうのじゃないんですよ。


 魚のしるしポイントがボーナス追加で付与されましたけど、そんなことはどうでもいいです。先行者の試験がランダムに自動発生するものだとしても、星くんに被害がおよんだのは許せません。もちろん私の落ち度なのはわかってます。わかってますけど、それでも文句を言わないと気がすみません。だから抗議のメッセージを送りました。どんな返答がくるか、その内容によって向こうの性質や私たちをどう見ているかを推測する判断材料になりますし。

 あと……星くんはもう少し自重してくれないと、私だって我慢できなくなっちゃいます。

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