第3話 ロボットの心


 目的地は郊外にひっそりと建つ洋風の屋敷だった。森と見まごうほどの緑葉樹と白い外壁に囲まれ、広い庭には色とりどりの花壇と立派な彫刻が等間隔で配置されている。

「ふーん、大きなお屋敷だねえ」

「そうですね。稀人星で私たちが住んでいるところよりもずっと大きくて、でも、星くんの実家とくらべたら、ずっとずっと小さくて……あっ、ごめんなさい」

 露がはっとして私の顔色をうかがった。バツの悪そうな表情。あー、二日前のことがまだ心に残ってるんだ。星露船でも話題にしてきたし。まいったな。

「そんなことで気を悪くしないし、怒ったりしないから。露に萎縮なんてされたくない」

「はい……。こんな私じゃ興奮できませんか?」

 うわあ。思ったより根が深い。露以外の相手だったら私は人間関係を上手く立ちまわれるんだけどな。そもそもこういう状態にまで落とすことはない。

 とりあえず露の頭(相変わらずヘアケアが雑だ)を撫でてから、門前のインターフォンを押してみた。モニターに十代半ばといった風貌の美しい少女が映った。栗色の髪を三つ編みに垂らし、翡翠と表現してもいい緑色の瞳(非常に稀だが緑色や紫色の目をした人間は存在する)をきらめかせ、名家の令嬢にふさわしいドレスを着た上品な子だ。露に匹敵するほどの美少女である。

「はい、どちらさまですか。ご用件はなんでしょう」

 声も露に匹敵するほど――いや、正直にいうと露よりも綺麗な響きだ。人間のものとは思えない。

 名前を伝えた私たちは屋敷の主人に会いたいと告げた。ここが目的地ということ以外なにもわからない以上、とりあえず家の主に会うしかないだろう。もっとも、見知らぬ人間の訪問に門を開いてくれるかどうか……と思っているうちに、少女が画面に戻ってきた。

「お待たせしました。その名字と赤い瞳について、主人は露様が非凡発現者かどうかきいておられます」

 私は露と顔を見合わせた。なぜ非凡発現者のことを知っているのか。露の一族の関係者なのだろうか。露が発現者であることを肯定すると、音を立てて門が開いた。

 エレナと名乗った少女に案内された私たちは、寄り道なしに主人の間へ通された。少女が立ち去り、高級アンティーク品や洒落た暖炉がある王室っぽい部屋に目をやると、貴族みたいな優雅な衣服を身につけた金髪の男が私たちを出迎えた。二十代前半だろうか、美形のハンサムな青年だ。まあ私はこういう線の細い男には惹かれない。

「私はカシウス・ロイター。見てのとおり貴族趣味の天才科学者だよ」

 自己紹介からさらっと移行した自分語りによると、カシウスという名前は本名ではなく、ソウルネームとやらを名乗ってるだけのパーフェクト日本人。金髪も染めで地毛は普通に黒髪だ。これは私の推測だけど、たぶん顔は整形を受けていると思う。

 家柄は数百年前に露の一族と血縁別れした分家の末裔らしい。皮肉なことに分家のほうが経済的には成功して、資産家の祖父が残した莫大な遺産で悠々自適な暮らしを送っているのだとか。露の両親とは疎遠で、近郊に住んでいることは知らなかったようだ。

「非凡発現者の実物とお目にかかるのは初めてだが、見たところ中学生かな?」

「私、一八歳です。大学生です」

 露は毅然として実年齢を主張する。大学かあ……私も露もかれこれ一ヶ月は通学してないわけだけど、ひさしぶりに顔を出したほうがいいよね。異星で暮らすことになったとはいえ、露と出会えた大学なんだから、ふたりでキャンパスライフを満喫して卒業したい。帰ったら露と相談しよう。

「それで、露君はどんな非凡さを有しているのかね? 失礼ながらあまり教養があるようには見受けられないが」

 ほんとに失礼なやつだな。露が教養あるように見えないのは事実だけど。

「露はすごく頭がいいんです。たとえば、えーと、ヴォマクトの法則にも精通してますし、応用理論だって――」

「星くん、私はそういうのをひけらかしたくはありませんよ」

「自信があるようだね。ためしに私からいくつかの問題を出そう。答えてみたまえ」

 問題はどれもこれも私には微塵も意味不明なものだった。もちろん露は悩むことなくきれいさっぱり全問正解したうえ独自の有益な指摘をみせたので、カシウスも驚愕して非礼を詫びた。

「しかし不思議だな。それだけの頭脳がありながら、なぜ専門用語を使わないのだ。なぜ言葉の組み方が粗末なのだ」

「私の非凡は与えられたものです。そこに語彙と言語構築の才能は含まれていません」

「なら身につけようと思わないのか? 他者からの知的印象と信用は比類なきものになるぞ」

「与えられたものを装飾するより、もっと便利に使えるように、もっと研究できるように、もっとすごいものを作ることに時間を割いたほうがいいじゃないですか」

 これ、私もまえに似た問答をしたことあるけど、彼女の答えは同様で、露は関心がないことには怠惰だということがわかったんだよね。化粧はしないしファッションにも無頓着だし。そもそも素で顔と肌が綺麗なうえに天才って、度し難いにもほどがある……。

 じっと露を観察していたカシウスは、やがて態度を軟化させた。

「露君が類稀なる神童だということは理解した。そこで恥を忍んで頼みがある。私には現在ひとつ気がかりなことがあってな。君たちをここまで案内したエレナは私の恋人なのだが、どうも彼女には大きな悩みがあるらしいのだ。それを探って解消してくれないかね? もちろん報酬は支払わせてもらう」

「そんなのわざわざ露に頼まなくても、恋人の悩みは恋人のあなたがたずねるべきなんじゃないでしょうか」

「それは無理だ。世間には内密に願いたいが、彼女は私が作ったアンドロイドだからだ」

 えー。これはまた唐突な展開。

 人工知能を持つ人間型ロボットは倫理問題をクリアできないため一般的な開発はされていない。個人が個人使用の範囲で一台だけ開発するのは許されているが、決して外に出してはいけないなど、数多くの制約を満たしたうえで政府の許可がいるはず。つまりアンドロイドを所持できるのは、自身がひとりで開発できる資金と設備と技術を持った金持ちの天才だけだ。

「彼女がアンドロイドというのが本当だとして、カシウスさんがその悩みを直接きくわけにはいかない理由にはならないと思うけど」

「大切なことをお話しよう。これは政府にも秘密だが、エレナはただのアンドロイドではない。彼女には心がある。彼女は心を持つ世界で唯一のアンドロイドなのだ。恋人である私が彼女の悩みに踏み込んで心を壊してしまう危険性はおかせない」

 なんか大仰なこと言いだした。心を持つロボットとか、はあ?

「私の祖父は当時の非凡発現者が発明した「心の器」というマイクロチップを秘蔵していた。それは機械に本物の心を与えるオーバーテクノロジーだった。私はエレナの開発時にそれを根幹部として使用したのだ」

 露が「ほお」と強い関心を示した。その場でなにやらデータを調べだす。そういえば心というものに一家言あったね……いまどう思っているんだろう。

「私は彼女を愛している。ゆえに心を与えた。開発者とロボットの関係ではなく、対等の恋人として、人間の心をもって自由に私と愛を育んでもらうために。私はエレナと結婚するつもりだ。そのためにも彼女には遠慮なく対等に接してほしいと伝えている。だから、なぜ彼女が悩むのか、私にはわからないのだ」

 なんか、こいつ気にいらないな……。

「彼女があなたの作ったロボットなら、機能を停止させてプログラムをチェックすればいいんじゃないですか?」

「そこが難しいところでな。「心の器」は機能を停止させたらメモリーがリセットされてしまうのだ」

 めんどくさい設定だなあ。

「じゃあ、メンテナンスとか理由つけて、稼働状態のままチェックさせてもらえばいいんじゃ――」

「それは駄目だ!」

「それは駄目です!」

 うわ。カシウスと露が反射的にハモって否定した。

「稼働状態でチェックを開始したら、本人の意思を無視した探査であるとすぐに気づかれてしまう。そんなことになれば「心の器」は――」

「防衛機能が働いて、二度と干渉できなくなります。心を持つということは知性があるわけです。自我を有する者はよほど特別な理由がないかぎり自分を守ろうとします。プライバシーの尊厳です。自分の創造主の命令でも受けつけないでしょう」

 そうなんだ……門外漢で悪かったね……。

 どうにも納得いかない私をよそに、カシウスは信頼のまなざしで露に頭を下げた。

 それから、ふと気づいたように露と私の顔を眺め、憐れみの表情でナルシスト的なしぐさをした。

「申し訳ない。前もって連絡を頂けたら、顔は綺麗な君たちのために時間をかけて淑女に見えるような衣装を用意させたのだが。貴族趣味を謳歌する者としてお恥ずかしい。引け目を感じてしまったならお詫びしよう」

 は? なにこいつ。人に頼みごとをしている最中に、さも自然な流れで上流マウント? 道楽の貴族ごっこのくせに? はあー?

「お気になさらず。世知辛い世の中です。でも私たちは私たちなりの楽しい生活ですよ」

 さすが露。マウントや煽りはまったく意に介さないどころか井戸端会議よろしく気楽に反応している。

 だけど私はこんな馬鹿にされて黙ってはいられない。

「あのー、カシウスさん。もしよろしければ、そういった上品な衣装などあれば貸していただけませんか? せっかくエレナさんとお話するのに、こんな場違いな格好で、仰るとおり恥ずかしいですし。えーと、二〇分……いや、一五分ほどですませますので」

「ふむ……貴族に憧れる若い娘の羨望を無視するわけにはいかないな。この部屋を出て向かいの突き当たりに衣裳部屋と化粧室が同フロアにあるから、好きに使いたまえ」

 言ったな。見てろよこのやろう。

「えーと、露はどうする? 一緒に来る?」

「私はこの服のままでいいです」

 だよね。返事はわかっていたので、私は一人で衣装部屋を兼ねた化粧室へ移動した。

 衣装とメイク一式を見渡す。なるほど、自慢するだけのことはある。

 さあて……うん……よし、品定め完了。それじゃ、手早く、完璧に。まず現在のメイクを落とす。髪を右上にまとめて白い花飾りでとめる。嫌味にならない程度に清楚な白のショートドレスを着こなす。ドレスには黒のアクセサリを適度にあしらい、コントラストを程よく彩る。最後に上質なお嬢様風の軽いメイクを施して、はい完成。

 時計を確認。あっ、くそ、こういうの数年ぶりだから一五分をオーバーした。

「――お待たせしました」

 主の間に戻った私を見て、カシウスが驚きの表情で目をみはった。さすがに呆然としている。露がぱあっと目を輝かせた。

「すごいです、星くん、とてもきれいです!」

 そういや露に社交姿を見せるのは初めてだったか。まあいいや。じゃあ露もついでにもっと驚かせてやろう。

 私はまだ我を取り戻せずにいるカシウスに向けて優雅に会釈すると、社交界の夜会(親の付き添いで嫌というほど参加させられた)でさんざん披露した令嬢しぐさを軸に小さく一礼した。

「わわ、星くん、声色と言葉遣いと動作が、わわ……」

 あわあわする露を無視してカシウスに目をやると、必死に紳士的な態度を崩さないように微笑を維持していたが、唇の端と足もとが小刻みに震えていた。思い知ったかこのやろう。

「星君、その、なんだ……先刻の非礼を許してほしい。君は本物の淑女だ」

 おおっと。こいつむかつくやつだけど、相手の実力はちゃんと認めて詫びるから、まあ悪い人間じゃないかな。オーケー。許してあげよう。

 私はあくまで淑女にふさわしい所作で露を廊下へエスコートした。露はめずらしくおっかなびっくりした様子で、とてとてついてくる。

 廊下に出てしばらく歩いたところで私は溜息を吐いた。

「あーつかれた」

「わ、いつもの星くんにもどった」

「なに? 露は社交モードの私をもっと見たい?」

「えと、私はいつもの星くんのほうが好きです。でもさっきまでの星くんも新鮮で魅力的でした。やはり実家にいたころに取った杵柄で――あっ、いえ、なんでもないです」

 あ、またか。これこのまま放置しておくのよくないな。ただでさえ今から問題解決しに行かなくちゃいけないのに、露が萎縮状態だと困る。

「露、ちょっと言うこと聞いて」

「はい。言うこと聞きます……もう星くんを怒らせるようなこと口にしません」

 ちがうそうじゃない。

「やめて。私が欲しいのは、なんでも言うことを聞く人形じゃない」

 私が、私が好きな露はそんなしおらしい女の子じゃなくて――

「露は遠慮なく私に思ったこと口にしていい。不満があったらいつもみたいにとがめるようなまなざしを向けてくれていい。もちろん私も言い返すし、口論だってする。悪いと思ったら謝る。だから、最後は私の望みを必ずきいてくれる――そんな都合のいい女にならないでほしい。たまに険悪になっても結局なんとなく元通りにおさまる。恋人……いや、人間って、そういうものでしょ?」

 露が茫然と私を見つめた。その美しい紅玉の瞳に涙がにじんだ。

「せ、星くん……あの、その、わたし……はい……はいっ! わかりました。ありがとうございます。私、だいぶわがままになってました。星くんがそう言ってくれるなら、もう遠慮しません」

 よかった。やっといつもの露にもどってくれた。わがままと表現するところが露らしい。彼女にとって自分の意思を押さえつけて相手の顔色をうかがうのは、臆病ではなくわがままということなのだろう。

 私もガラにないことを口走って、まったくもって照れくさい。

「こういうこと言わせないでよ。恥ずかしいから」

「星くんは、やさしいです」

 ほほえんだ露の、木漏れ日のような、あたたかさ。

 優しいなんて言われたのは生まれて初めてだな。これまでの人間関係で、気配り上手、機転が利く、空気を読むのが上手い、コミュ力が高い、などなど、さんざんお褒めの言葉をいただいたものだが、優しいと言ってくれたのは露だけだ。


 エレナの居室は花模様の調度品が多いことを除けばカシウスの部屋と似た感じだった。私と露は彼女が本当にアンドロイドなのか確認した。露の発明品「マネキン・ミイイイくん」で測定したところ、その肉体は機械であるとの構成結果が出たのだ。

 それにしても驚きだ。やわらかく弾力のある肌の感触なんて、どう考えても人間の体としか思えない。なによりも顔の表情、その豊かさ。テレビ番組で海外の大富豪が所持しているアンドロイドを見たことがあるけど、人間そっくりなのに微妙な差異があって、薄気味の悪い違和感をおぼえたものだ。しかし眼前のエレナにはそれが一切ない。なるほど、これは「不気味の谷」を完全に超えている。まあ私見を述べさせてもらえば、自分の理想の少女をアンドロイドというかたちで完璧に作りあげて恋人にするとか、あまりよろしくない意味での二次元美少女限界オタクの極みじゃないだろうか。

 私たちはエレナにカシウスから頼まれたことを伝え、単刀直入になにか悩みがあるのかきいてみた。

「そうですか……それでは露様と星様には包み隠さず打ち明けます。主人は――カシウス様は、私が対等の恋人として接することを望んでおられますが、実をいうと私はカシウス様の思いのままにされるほうが好きなのです。あれこれと意見を挟んだりするのは嫌なのです。でも、私が従順なアンドロイドとしてふるまったらカシウス様を落胆させてしまう。どうすればいいのかわからないのです」

「ほお。そういう理由ですか。お互いの希望のすれ違いですか。まるでスカボロー・フェアみたいですね」

 しみじみとした露の反応。えっ、あのイギリス民謡ってお互いに現実性のない無理難題をふっかけてるやつだよね。あれ最初から相手を恋人として見てなくない?

 ここで私はスカボロー・フェアの解釈について延々と思考してしまったので、そのあいだに白熱したらしい露とエレナの問答はこれっぽっちも耳に入っていなかった。

「ふむ……こういう話題はやはり私では荷が重いかも。星くんのほうが得意です。ということで、今の会話を踏まえて、星くんの意見をお願いします」

 突然に話を振られて私は内心とまどった。まったく聞いてませんでした、なんて間の抜けたことは絶対に言いたくはない。ならばここは思っていることをぶっちゃけさせてもらおう。

「私の意見? まず悩み以前の問題として、エレナに心があるって前提で話が進んでいるのがおかしいと思う」

 うん。案の定、ふたりとも怪訝な顔になった。

「いやさ、私にはロボットに心があるっていうの、どうしてもピンとこないんだよね。というか信じない。だって、どんなに人間らしい感情を見せても、それはそうプログラムされてるってだけでしょ?」

「そんなことはありません。私には心があります。どれだけ高性能な人工知能でも決して感じることのできない未知の領域があるのです。それが私を司る「心の器」なのです」

「だから、それもプログラムの反応にすぎないってこと。機械に本物の心なんて存在しない。心を持つのは生き物だけだよ」

「星くんの意見は一面的な穿った見方です。エレナさんには心があります」

「へーえ? 人間を人間たらしめているのは心じゃなかったっけ?」

「そうです。このひとは、人間の心を持ったロボットです」

 なーるほどね、露はそういう認識なんだ。そこは私の解釈とは相容れないなあ。

「私はそう思わない。人間には生化学反応だけじゃ説明できない意識の揺らぎがある。だけど機械はプログラムで説明のつかない領域なんてものはない、たとえ無意識でさえも。そこが人間と人形の違い」

「星くんはわかっていません。「心の器」に使用されているプログラムはアナクロンのデータをまじえたもので……ん、人形……?」

 また難しい論理を説明しようとしたところで、露はまじまじと私を見つめた。こんなときでも私に見惚れてしまったのだろうか。やがて彼女はぽんと手を打った。

「私、わかっちゃいました。カシウスさんが欲しいのは――彼が愛しているのは――なんでも言うことを聞く人形です」

 露は問題解決を導き出した主人公だけに許される結末への誘いをエレナに向けた。

「エレナさん、あなたが望むことはなんですか? あなたの望みを答えてください」

「私の望みは……これまでと同じ日々です。カシウス様の愛情に従順に応じることが私の幸せなのです」

「それなら話は簡単です。あなたはこれまでと同じようにカシウスさんと接すれば万事うまくいきます。彼があなたに対等の恋人らしい態度を求めているのは建前で、本音は必ず自分の言うことを聞いてくれる恋人を欲しています。つまり、エレナさんはまったく悩む必要なんかなかったわけです――めでたしめでたし」

 どうやらこれで満足のいく顛末になるのは確実らしい。露の表情には「なんとかしてみせました」という自信がみなぎっていた。

 そして彼女は締めとばかりに中国古典の漢詩を吟じる。


  十四為君婦 

  羞顏未嘗開

  低頭向暗壁

  千喚不一回

  十五始展眉

  願同塵与灰

  常存抱柱信

  豈上望夫台

 

 李白の長干行だ。なぜ二首目なのかときいたら、カシウスが決めたエレナの設定年齢は一四歳から一五歳とのこと。あー、そうですか、これだからロリコンは……。というか李白の長干行って三首目から雲行きがあれなんだけど、抜き出した分だけならいいのか。

 そんなわけでロリ――少女趣味のカシウスは問題が解決したことに大喜びで感謝してくれた。露が報酬を辞退しようとしたので、私はそれをさえぎって「カシウスさんの力を借りる必要ができたとき、可能な範囲で協力してほしい」と伝えた。偏愛ゆえに露とは違う方面の優秀さをそなえているのだから、パイプは作っておくのがベターだろう。


 星露船に乗った私は正面にすわる露に言った。

「あいつの愛は二次元美少女オタク的な『可愛いものを愛でてる』だけだよ。逆らわない人形相手の恋愛ごっこ。そんなのは愛じゃない」

「人を愛することのできない星くんが口にしても……。そんなだから星くんはご両親の愛も生じなかったんです」

 おっ、言ってくれるじゃない。急所を傷つけない範囲でのストレートな意見。やっぱり露はそうでなくちゃ。

「そんなだから――私はそんな星くんが大好きなのです。いろいろ言っちゃうかもですけど、あらためて、今後もよしなに」

「私もそんな露が大好きだよ」

 可愛い恋人の手をとって、みずみずしい手の甲に上品なキスをする。私が意識的に耽美なまなざしをそそいで微笑を浮かべると、露はあわあわと口を泳がせた。

「わ、わ、そういうの、ずるいですよ、もう……」

 まずは重畳。

 

 * * *


 星くんの冷たい怒りで恐怖を感じて以来、ずっと私はわがままになっちゃってました。実家やご両親のことで地雷を踏んでしまうのが怖くて顔色をうかがうなんて……。恐怖は尾を引くものというのを実感して勉強になりましたけど、本当に恥ずかしいです。星くんは、それで私のことを嫌ったり、見損なったりなんてしないのに。私はそんなことさえわかってませんでした。反省。

 だから、星くんがああ言ってくれたこと、とても嬉しかった。恋は難しくて、喜ばしい。

 びっくりしたのはやっぱり星くんの社交界モード。いつもの星くんとはまた違った魅力がありました。私はダンスができないので、星くんに社交ダンスを教えてもらって一緒に踊りたいなあ。


 先行者の試験。自動発生を考慮すると、彼らが内容を決めて引き起こしているわけではないのでしょう。最初の問題が人間とロボットの悩み解決という穏やかなものでよかったです。ロボットの心の有無について、星くんとは意見が合いませんでした。私の観点だと心と愛は内奥から生じてくるものなんですよ。だから決して誰かがこしらえることはできないのです。

「心の器」とは先代の非凡発現者が混沌時間アナクロン――虚無のヌル――のデータでその内奥を再現したマイクロチップです。先代発現者はカシウスさんの祖父と協力してアナクロンへ跳びました。先代は短命による死期が迫っていました。どうせ死ぬなら〈時のこぶ〉に挑んで類稀なる成果を遺したい。その一念で蓋然性の隙間へ跳びました。そして二度と帰ってきませんでした。カシウスさんの祖父のもとに、アナクロンから送られたマイクロチップだけが帰還したのです。この件で私の家族と分家が疎遠になったのかは知りませんが、先代発現者の容姿は、赤い瞳を除いてエレナさんにそっくりでした……。


 ついさっき、研究室に先行者からのスタンプホログラフが届きました。〈魚のしるしイクテュス〉ポイントが三個付与されていました。試験問題を解決するたび、その解決度に応じたポイント数がもらえるみたいです。これが完全にたまったとき、彼らは私たちを迎えにくるのでしょう。

 ただひとつ確かなことは、迎えがきてもこなくても、私と星くんはずっと一緒です。誰にも引き離させません。

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