第2話 前奏酒
地球と実家への帰郷をすませ、稀人星に戻ってから二日目の朝。
今日も露は研究室でなにかの研究に没頭していた。背もたれのない五角形の椅子にすわり、ホログラフィデータを赤い瞳に投影させて唇を小刻みに動かしている(思考連結による演算処理らしい)。例によって私が話しかけても返事は上の空だ。恋人なのにこの反応はとてもよろしくないと思う。
私は露の背後にしゃがんで密着すると、いい匂いのする首筋にキスした。綺麗なうなじから鎖骨まで丹念に舌を這わせたところで、
「ひゃあーっ!?」
清涼な悲鳴とともに露の背中がびくんと跳ねた。とてもよい反応である。
「せ、せっ、星くんっ、なにするのですか。わたしいま――」
「やっと露の手があいて恋の営みを育めると期待していたのになあ」
「あ、うう……すみません。でも、私にとっても星くんにとっても今後の安心を強める研究で……おや?」
ホログラフィデータの配列がすっかり変化していた。私の愛撫で驚いた際に乱れたのだろう。これはさすがに怒られるかなと身構えたが、意外にも露は目をきらめかせた。
「この方程式は――おお! おお! おお! なるほどです。イドの海……
なんか褒められた。
それならとばかりに背中から露を抱き寄せ、彼女の控えめな胸とミニスカートから覗くふとももに手を伸ばす。
「わ、わ……星くん、て、手が……あ、ん……っ」
「私たちの肉体的な研究も進展させてみない?」
耳もとでささやくと、露は頬を上気させて目を細めた。抵抗はない。胸の高鳴りがしなやかな肢体から伝わってきそうだ。
「えと……わ、私の部屋で、どうぞ、よしなに……」
ああ、ようやく露の嬌声を聴くことができる――と、そう思った矢先。
緊急連絡スペクトルが明滅して、室内の空間に色彩万華鏡の波長を描いた。
『露さま。星さま。〈彼ら〉からの返信が到着しました。研究室へ転送します』
太公望(私たちがこの星に来たときに出会った釣り人の異名)の音声と同時に、緊急用のホログラフィに異星言語が表示された。
ついに異星人からの返信がきた。狙ったわけではないだろうけど、いいところを邪魔されて非常に不愉快だ。
「星くん。大丈夫です。私も胸のどきどきをこんなので終わらせたくないので、今夜になったら、つづきにおよんでください」
露が真面目な顔でそう言ってくれた。いまほど彼女の言葉に感激したことはない。
それから十分後。異星人からの返信を露が日本語に翻訳表示した。
重要レベルS事項として第一級超光速通信でメッセージを届ける。
完熟せし発現者の少女よ、我々の用意した星へよくぞ辿り着いた。
我々は
汝は既に地球への往還機を完成させたことだろう。
これよりプロジェクト参入試験が自動的に開始される。
地球で発生する様々な問題を見事解決していってみせよ。
問題解決が充分な量に達したとき、我々は汝らを迎えに往く。
相まみえることを期待しているぞ。
「ざっと訳しましたが、びっくりするほど一方的で直接な内容ですね」
「なにこれ。ゲームのミッションみたいなことやらされるの?」
異星人の考えることはわからん。と言いたいけど、めちゃくちゃ指示が具体的だしわかりやすいよね……ほぼ用件しか述べてないし。参加拒否とかできないんだろうなあ。
「そういえば、露は異星人の伝えたことには嘘が混じっているってこのまえ言ったよね。あれどういうこと?」
「そのことでしたら、異星人……ええと、せっかく種族名を明かしてくれたのですから先行者と呼びますか。先行者は、非凡因子を与えた当初の一族が非凡発現者の短命解決法を解読できるとは思ってなかったわけです。いくらなんでも、超銀河規模の文明を有する種族が当時の地球人の技術を把握できないはずありません。先行者は一族が非凡発現者の短命を解決するまでに時代がかかることを知っていました。推測するに、稀人星に辿り着く発現者は少数……たぶん数名で充分だったのではないかと。つまり彼らは能力と技術が長い年月の末に熟成された発現者を欲したわけです。だけど、それでも先行者は地球人の文明発達速度を過大評価していたと思われます。たぶん数百年内に現代の文明レベルに達すると予測していたのでしょう。彼らの誤算は、地球人が野蛮性と同族同士の争いを早期に克服するとみなしていたことですね」
露の説明下手を咀嚼するのはもうなれっこだ。
「へえ。じゃあこのメッセージにも嘘が混じってたりする? というか、やっぱり私はいらない子って思われなくない?」
「返信をみるかぎり、嘘をつく必要性はないですね。汝らを迎えに往くって複数形を用いているので安心していいかと」
そっか。ならあとは私たちが試験とやらに参加しなくちゃいけないだけか。
地球でなにか起きるのかなと首をひねったとき、緊急用ホログラフィに座標が表示された。ここに行けということか。
「郊外ですけど、私の実家からたいして離れていない場所です」
「あ、今日は露の家を再訪する日じゃなかった?」
「ですね。じゃあ、まず私の実家に寄ってから目的地へ向かうことにしましょう」
出発の準備をすませると、露は宇宙を模したイヤリングをつまんで星露仙槎――星露船を起動した。一瞬で周囲が翡翠の山水郷に変わり、私たちは古びた二人乗りの舟に乗った。
すぐにも転移するかと思われたが、露はロダンの考える人のポーズをとってから、じいっと私を見つめた。こういうときは大抵めんどくさいこと口にする流れだ。
「二日前に私が初めて恐怖を感じたときのことですけど、星くんは私のおびえた様子を見てどう思いました? 興奮しましたか? 正直に答えてください」
えっ、いまそのことを蒸し返すの? しかも気になるところそこ?
意趣返しかと勘繰ったけど、露は私に対してそういうことしないから、たぶん真面目に質問しているのだろう。だから私も真面目に正直に答えよう。
「興奮した。動画撮影して永久保存版にしたいくらいゾクゾクした。露のおびえた顔を肴にモンラッシェ一本あけられる」
「それは対象が私だからですか?」
「もちろん。私がサディスティックな気持ちになるのは露だけだよ」
「なら、いいです。安心しました」
いいんだ……。露って、意外と独占欲が強いのかなあ。
「ところで星くん。モンラッシェってなんですか?」
「フランスのブルゴーニュ地方にある特級畑で生産された白ワイン」
「ああ、お酒ですね」
「そうそう。私はちゃんと一八歳になってから飲んだよ。えらいでしょ」
日本の飲酒可能年齢が二〇歳から一八歳に引き下げられたのは十年前だ。お酒は十代のうちに飲むんだと決めていたから、それを実現させてくれた〈酔いどれ船効果〉には感謝している。
ちなみに私はロマネ・コンティよりモンラッシェのほうが舌に合うんだよね。一人暮らしするとき実家から何本かかっぱらってきたけど、まだマンションに置いたままかな。もう一ヶ月近く戻ってないからどうなってることやら。残ってたら回収しよう。
「そうだ、お酒の話題で思いだした。露はお酒を飲んだことがあるの?」
「ありません」
「じゃあ、今夜一緒に飲んでみない?」
露はきょとんと目をぱちくりさせた。無言で座標に手を伸ばした。私はその手をぱっと押さえた。
「待って。まだ話の途中なんだけど。なんでそんな警戒するの」
「星くんがそういうことを言うときは、だいたい不純な動機だからです」
「私は露がお酒を飲んだらどうなるか興味があるだけだよ。露も気にならない?」
「それは、まあ、私も自分がお酒を摂取したらどういう状態になるのか興味はありますけど……。わかりました。それでは夜になったらデータ観測も兼ねて飲みましょう」
彼女は上目遣いで頬を染めた。
「あの、星くん……もし私が前後不覚におちいってしまったら、ちゃんと介抱してくださいね?」
今夜はロマンチックないい夜になりそうだ。
露の両親との再会、現状報告をまじえた談笑はつつがなくすんだ。予想はしていたが彼女の親はとても好感のもてる人たちだ。私と露の仲も素直に祝福してくれた。日本で同性愛が一般的にも認められ、同性婚が完全に合法化されたのは私が生まれる以前のことだが、年配の人間にはまだ偏見を捨てられない者も一定数存在する。少子化問題は「ヴォマクトの法則」により世界全体の出生率が平坦になりはじめ、ゆるやかな人口調整段階へと移行しつつあった。
「お姉ちゃん、いつもだいたいおなじ服なのはもう諦めたけど、服のセンスはどうにかならないの? せっかくステキな恋人ができたのに」
学校から帰ってきた雫が、姉に向けて可愛げのあるかしましさを発揮した。
「アイザック・アシモフはファッセンションセンスについてインタビューされたとき、こう答えました。あなたは多作なアシモフとおしゃれなアシモフ、どちらを望むのか。言っておくが両方は選べない、と。つまり、私は慣れないおしゃれに時間を割くより、知識に時間を費やしたいのです」
「もうーっ、はぐらかさないで! ほら、星さんはお姉ちゃんの服、どう思います?」
問われた私は、あらためて露の服を観察する。古代中国の御伽噺と現代のブレザーをミックスしたような衣服。ミニスカートが露の女の子としての主張であるらしい。
「露の服は……オタクが喜びそう、かな」
「それだー! お姉ちゃんの普段着はクリスマスやバレンタインデーを独りさびしく過ごす二次元美少女オタクが喜びそうな服! 顔が綺麗だからごまかせてるけど、普通なら表を歩くのも恥ずかしい格好! さすがです星さん、あたしが言葉にできなかったのを見事に表現してくれました!」
いや、そこまでは言ってない。
「よくわかりませんけど、私は自分の服が気に入ってますし、星くんも気にしてませんよ」
「まあ、露はなに着ても似合う――とまでは言わないけど、雫ちゃんの言うとおり顔が綺麗だから、よほどおかしな服じゃなければ大丈夫だよ」
「お姉ちゃんをあまり甘やかさないでください」
「星くんは私を甘やかしたりなんてしてくれませんよ。むしろ嗜虐的な――んぐっ!」
私は手早く露を抱き寄せてディープキスで唇をふさいだ。つゆ先生、恋人のイメージを悪くするようなことを口にしてはいけません。
たっぷり一分近く露の口腔をねぶってから唇を離すと、あわあわと顔を真っ赤にしている雫にウインクしてみせた。
「このように、甘い行為はいたしております」
「あ、わ、わわ……っ。し、失礼しましたぁっ!」
顔をぶるぶる振って逃げだす雫。いやあ、いまの若い娘にしては初々しい。
「星くん、雫の前でこんなこと……少し恥ずかしいですよ、もう……」
火照った吐息を漏らしながら、露が眉をとがらせた。永遠の一九歳と一八歳になった私と露だけど、無限に続くこの先も、ずっと恋愛の甘酸っぱさを維持していきたい。
窓から差し込む光が私たちを茜色に染めた。もう夕刻だ。
「こんな時間だし、目的地へ向かうのは明日にして、今日は私のマンションで一泊しない?」
露の頬が夕焼けの朱とまじわった。こくんとうなずいてくれた。
大学生になって私が一人暮らしを始めたマンションは、シックなデザインの高級マンションだ。実家を出るとき学費を含めた数年分の生活費をぶんどってきた賜物である。親からすれば取るに足らない金だから私も後ろめたさはない。
一ヶ月ぶりに戻った私の部屋はなにも変わっていなかった。露をリビングで待たせてワイン棚を確認。よし、一本も欠けはない。私はそこから黄金色の液体がきらめく一壜を取った。
外の世界を照らす月光は、めくるめくロマンチックな夜にうってつけの美しさだ。
「というわけで、露にご馳走するお酒はこれに決めた」
「わあ、なんか蜂蜜やオレンジジュースみたいな色してますね」
「シャトー・ディケムっていう貴腐ワインだよ。すごい甘口の白ワインだから、お酒が初めての露にも飲みやすいかなと」
「えへへ、なんだか今日は甘いことだらけですね」
露の近くのカーペットには彼女の発明品「マネキン・ミイイイくん」が置かれている。ミニチュアサイズのマネキン人形で、セットした対象の脳波および身体の容態変化を正確に測定して表示する代物だ。
星座をあしらったワイングラスをじっと見つめた露は、澄んだ声で漢詩を朗読した。
葡萄美酒夜光杯
欲飲琵琶馬上催
酔臥沙場君莫笑
古来征戦幾人回
王翰の涼州詞だ。露にとってお酒を飲むことは戦地におもむく覚悟に等しいのかと思うと、
かちんと鳴る乾杯の音が心地よい。露がグラスを傾け、こくこくと喉を満たすのを眺めた。加減がわからないのか初めてにしてはいい飲みっぷりだ。あっという間に三分の二を空にした。
「あ、これ、結構おいしいかも……」
露がほんのり微笑した。案外いけるクチかなと思った直後――彼女の顔が青ざめるのと「マネキン・ミイイイくん」が奇妙な機械音を発するのはほぼ同時だった。
* * *
吐きました。
洗面所でおもいっきり吐いちゃいました。
嘔吐なんてするの、小学生のころに体調を崩したとき以来です。
そんなわけで、昨夜は星くんに迷惑をかけちゃって本当に恥ずかしい。せっかく星くんに初めての性交を捧げられると期待していたのに……またの機会におあずけです。残念。
ええと……マネキン・ミイイイくんのデータ分析表示を見ると、私の体質は2型アセトアルデヒド脱水素酵素の働きが欠損した不活性型みたいですね。でも私の一族が生粋の下戸だという話は聞きませんし、うーん、歴代非凡発現者の遺伝データがあればいいのですけど。
今日は先行者の試験が起こるらしい目的地へ向かいます。どんな問題が待ち受けているのかわかりませんが、危険がないものだといいですね。護身用のアイテムはアピシア人くんだけですし(稀人星で得た技術でかなり改良しましたけど)。今後のことも考慮すると、早いところ三重思考を完成させて会得するに越したことはありません。
よし、がんばりますよー。
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