星露の探求

皇帝栄ちゃん

第1話 帰郷

「よし、できました」

 地下の研究室で、つゆが地球への転移装置を完成させた。稀人星まれびとぼし――この惑星の名前だ――で暮らすようになって三週間しか経過していない(ここの一日は地球時間に対応しているのだが、異星人が環境をそのようにコントロールしたのかは不明である)。

「いやいや、早すぎない? 露が天才なのはわかるけど、そんな簡単に作れるものなの?」

「非凡発現者のために用意されていた書籍と素材と設備がすごいんです。私自身びっくりしてます。でも、うーん……異星人からすれば、最低でもこの程度はできないと問題外ということなのかも」

 露は小首をひねって紅玉の瞳を細めた。発現者の特徴である赤眼は、光源によって柘榴石めいた色合いにもなる。彼女の目がとにかく綺麗なのは恋人の私が保証しよう。

 他愛ないノロケはさておいて、彼女の見解に私は一抹の不安を抱いた。

「それってさ、もし異星人が帰還したら、発現者じゃない私は役立たずとして捨てられなくない? 露だけ連れていかれて私は放置されるなんて絶対に嫌だよ?」

「私も、絶対、ぜったい嫌です。なので異星人が戻ってきて私とせいくんを引き離そうとしたら、断固拒否します。場合によっては全力で抵抗しちゃいます」

 なんとまあ嬉しいことを真顔で口にしてくれるのだろう。ちょっと感動している私を見て、露が穏やかにほほえんだ。

「もっとも、その心配はほとんどないと思いますけど。杞憂だと安心してくれていいですよ」

「そうかなあ。特別な能力を与えた地球人を、超銀河団とやらのスケール大きそうなプロジェクトに利用しようって連中でしょ? 利用価値がない人間にも枠を用意するとは考えにくいけど」

「私の家系ルーツである古代の一族と交流した事実がポイントです。地球人と友好的な意思疎通ができて、遥かに高度な科学力と精神レベルに到達しているであろう知性体が、個人のだいじなところを無視することはありえません。そんなのはフィクションの世界です」

「そういうものなの?」

「地球人的な思考を解する超銀河規模の知性体なら、ほぼまちがいなく。――異論反論大歓迎です」

 まあ、露が自信をもって楽観視する以上は安心してよさそうかな。

「よーし。がんばった露に、ご褒美のキスをしてあげる」

「それ、星くんがしたいだけですよね」

「せっかく同棲することになったのに、研究ばかりでまともにキスしてないじゃない」

 私たちは異星人が用意した二階建ての屋敷に住んでいる。非凡発現者がこの星に到着すると、その人数に合わせて自動生成されるようだ(結局のところ私と露が最初で最後の利用者となったわけだが)。

 ちなみに露とはまだ部屋が別々である。これは私の提案でそうした。ほら、いきなりおなじ部屋で寝るより、段階を踏んで進展させたほうがロマンチックじゃない?

「じゃあ、お願いします」

 露がそっと瞳をとじた。私は彼女の繊細な顎を人差し指と親指でくいっと上向け、清楚可憐な唇にキスをした。三週間ぶりの味わいは年代物ワインの美味だ。――そういえば露はお酒を飲んだことがあるのだろうか? 今度機会をみてきいてみよう。

 キスを終えると、露はなんだか拍子抜けといった表情で目をぱちくりさせた。

「あれ? もしかして、舌を入れたほうがよかった? 濃いキスを期待してた?」

 私がわざとらしく首をかしげると、露の頬がぼっと赤くなった。

「そっ、そゆとこ……そういうところ、ですよ、星くん! もう。あまりいじわるすると、わたし怒っちゃいますから」

 いつものとがめるようなまなざしを堪能する。エクセレントだ。

 怒っても怖くないけど、機嫌をそこねるのは私としても不本意なので……。

「ごめんごめん。じゃあさ、今度は露が私にしてほしいこと言ってよ。無理難題はなしで」

「……星くんの手料理が食べたいです。研究に没頭して合成食ばかりでしたから。星くんの作る料理はおいしいです」

「それならお安い御用」

 私が化粧全般(露に対しては髪の手入れ)や料理が上手なのは、実家にいたころ専属のメイクさんとシェフに仕込んでもらったからなんだけどね。あと社交ダンスやピアノ、バイオリンなんかもひととおり(英語はまったく身につかなかった)。ろくでもない実家だけど、プロに技術を教えてもらえる環境だったのは感謝してやってもいい。

「ところで、私はいまだに露の手料理を食べさせてもらってないんだけど?」

「うう。お料理、むずかしいです……が……がんばります」

 私たちは顔を見合わせて笑った。これが、幸せというものだ。


 露が宇宙デザインのイヤリングをつまんで異星言語をつぶやくと、耳飾りが極彩色に発光して、研究室だった空間は一瞬で翡翠色の山水郷と化した。私たちは夢幻めいた二人乗りの舟に乗っていた。

「これが地球への転移装置です。名称に関しては、星露仙槎ほしつゆせんさ、もしくは星露船ほしのつゆふね、お好きなほうで呼んでください。そしてこれはワープやテレポーテーションと似た原理を用いた転移なのです」

「そりゃ転移なんだからそうでしょ」

「あっ、いえ、その……転送技術というのは大雑把に二種類ありまして……ワープ航法の類はどちらかというとオーバーテクノロジー寄りに分類されるのです。逆に、転移させる物質を情報化し、データ転送して転移先で再構築する物質転送のほうが、まだしも現代科学の延長線上としては現実味があると思います」

 あー、なんか聞いたことがあるなあ。転送時に蠅が混入してえらいことになるホラー作品とかなかったっけ。

「でもさ、その物質転送って、怖くない? だって人体をデータ化した時点でその人間は死ぬってことじゃないの? 転送先で再構築されても、それはもはやクローンみたいなものであって、転送前の本人とは別人じゃない?」

「星くんの意見は自我や精神はデジタル変換できるわけがないという観点からくる恐れですね。それは突きつめると、人間に魂があるかどうかが焦点になります。面倒なのでやめておきましょう。とにかく、この星露仙槎はワープ航法なので安心してください。原理としては使用地点と転移先のあいだの空間を折り畳み、直結させてスターラインを移動する形です。この方法ならウラシマ効果も発生せず、双方の実時間は数分しか経過しません」

「ということは、露はこの星が地球からどれくらいの位置にあるかわかったの?」

「はい。彗星銀河の近くですね。私たちの太陽系からはだいぶ遠いです」

 露がだいぶって形容するからには、めちゃくちゃ遠いと考えていいだろう。それだけの距離を数分で移動する。この古ぼけた舟が。

「ええとさ、露の作ったもの疑って悪いんだけど、この舟って本当に安心なの? 絶対に大丈夫?」

「物事に絶対はありませんから、疑いをもつのは悪いことじゃないですよ。それではお聞きしますが、星くんはこれまで電車やバスを利用するとき、事故を懸念して乗らなかったことはありますか? 星露仙槎は地球の公共交通機関よりもずっと安全です」

 むむ、そんな言いまわしをされたら納得するしかない。しかし、それにしても――

「露は恐怖を感じたことないの?」

「えっ。星くんと一緒にこの星へ行くとき、もし拒否されたらと思うと怖かったって言いましたよね」

「いや、そういう嫌われたくない、捨てられたくない類の怖さじゃなくて、もっと純粋な恐怖というか」

「星くんの言いたいのは、脅しや暴力などの物理的あるいは心理的な危害に対する怖さですか? もしくは怪物とか幽霊とか未知なる脅威に発する恐れでしょうか。まず私、死に対する恐怖はありません。ですからそういう不安とつながるものは怖くないです。たとえば中学三年のときサイコパス殺人鬼に狙われて殺されかけたことありますけど、べつに怖くなかったです。知能犯なのでなかなか手こずりましたが、頭脳戦で最後は私が勝ちました。再起不能にしてやりました。――ええと、世界や価値観の基盤が崩れる宇宙的な恐怖系も興味深いだけです。精神や心を蝕まれる系は嫌だなとは思いますけど怖くはないです。あっ、星くんのことを徐々に忘れていく、星くんを好きだという心を徐々に失っていく、別ものにされると考えると怖いです!」

 なんか途中さらっとすごい過去の体験を述べてたけど聞かなかったことにしよう。

「だから失いたくない類の怖さじゃなくて、もっと実際的な」

「うーん、そうですね……ものすごい拷問を受けたら泣き叫んで命乞いしちゃうかもしれません」

 それは痛みに屈服するだけで、恐怖とはちがう気がするなあ。露が性的な拷問されて泣きながら命乞いする場面は想像すると興奮がやばいけど。

 こういうの、世界の童話や民話であったっけ。怖いもの知らずの人間が恐怖を求めて化物たちの棲み処へ行って、現れた怪異や怪物を平気で撃退しちゃうやつ。それで最後はなんじゃそりゃとツッコミしたくなるような怖がり方というオチ。饅頭怖いほうがよっぽどうまい。

「つゆ先生はTRPGのプレイヤーキャラクターとしては失格だね。正気度チェックの必要がないなんてルール違反だよ」

「よくわかりませんけど、ご期待に沿えなくてすみません。星くんの不安もどっかいっちゃったようですし、それでは、出発しますね。目的地の座標展開完了。起動キーは中国の漢詩に設定したのでいまから詠みまーす」


  君家何処住 妾住在橫塘

  停船暫借問 或恐是同鄉


  家臨九江水 來去九江側

  同是長干人 生小不相識


 崔顥の「長干行」らしいが私の知らない詩だ。露が意味ありげに口もとを綻ばせたので、あとで検索してみよう。いつもながら五臓六腑に染みる銀鈴の声音。聞き惚れているうちに数分は過ぎ去った。

 星露船を降りたら山水郷は霧散した。

 たぶん日本だ。長閑な住宅街に立っていたが、突然出現した私たちに通行人が気をとめた様子はない。露の説明によると、護身用アイテム「アピシア人くん」の記憶平面化機能を応用したもので、到着時に周囲の認識を歪曲させて違和感をなくすとのこと。

「やりました。大成功です。どんぴしゃりです」

 露が眼前の家を指して歓声をあげた。ここが目的地か。とくに変わったところはない、どこにでもあるシンプルモダンな一軒家だ。

「私の実家です。一八年の人生を家族と過ごした家、三週間前まで住んでいた場所です」

 それをきいて私は二度見した。

「ちょっと意外。古代から血脈を維持している一族の家系っていうから、てっきり旧家のでかい和風屋敷とか想像してたんだけど」

「小学生のときも中学生のときも高校生のときも、友達を家に連れてくるとみんながっかりしてました。ええと、一族も昔は立派なお屋敷を持っていたのですけど、やたらと評価が大きいため固定資産税が厳しくて、私が生まれる前に土地ごと手放しちゃったそうです」

「それは世知辛い」

 近くの番地表示を見ると、私が一人暮らししている(していた)マンションからさほど遠い場所ではない。そういえば露が「私の家とわりと近いですね」と述べていたっけ。おなじ大学だからそんなものだろう。

 露はひとつ深呼吸して、実家のインターホンを押した。間隔をあけて三度鳴らすと反応があった。

「はいはーい。どちらさまですかー?」

「あ、しずく

 と露がつぶやいた。

「――えっ、お姉ちゃん!?」

 ドアがあいた。玄関に出てきたのは、薄茶色のロングヘアーと青い目が印象的な少女である。見た感じ中学生だろうか、背は私たちより低い。いつか話に聞いた露の妹かな。活発そうな現代っ子というイメージだ。

「はい。露お姉ちゃんですよ」

「うそっ! お姉ちゃん、死んだんじゃなかったの!?」

「わあー。私もう死んだ人あつかいですか。判断が早い。解読できたので実行に移すって言いましたよね? 二度と帰ってこないかもしれないとも言っちゃいましたけど」

「解読できたなんて、そんなの誰も信じてないよ! だってこれまで非凡発現者の人がそういうこと言って蒸発すると、ぜーんぶ自殺とかで遺体発見されるか、行方不明のまま終わるっていわれてきたし」

 姉妹の対照的なやりとりを前に手持ち無沙汰を感じていると、妹のほうがようやく私に意識を向けた。じろじろ値踏みしてくる。最初は怪訝な顔つきだったが、なんかみるみるうちに目をキラキラさせた。

「お姉ちゃん、この人だれっ?」

「星くんです。私の恋人です」

「わーっ、そうなんだ! うわー、きれいだし、オシャレだし、メイクもピンポイントで決まってて!」

 ぐいぐい押してくる。こんなストレートに褒められると、こそばゆいなあ。

「あ、ありがと。雫ちゃんのお姉さんほどの魅力はないけど」

「えーっ? そんなことないですよーっ。ぜーったい、星さんのほうがカッコよくてステキです! お姉ちゃん顔と頭はいいけど、ヘアケア雑だし、ファッションセンス変だし大抵おなじ服着てるし、料理もできないし、流行にはてんで疎いし、シュミは古臭い中国古典ポエムと難しくてわけわかんない物理学だし!」

 結構ボロクソに正直な気持ちを口走るのはこの家系の特徴なのだろうか。もちろん露は平気の平左だ。彼女は自分に対する罵詈雑言や煽りはまったく気にしない。ましてや愛情の裏返しともいえる妹の比較など可愛いものだろう。

 とりあえず、悪い印象を与えないようにしつつ、姉のことも適度に持ちあげ、バランスよく好感を得られる形で雫と会話する。このへんはお手の物だ。それに露の妹はわかりやすい率直な女の子だから話をしていて楽しい。心が軽くなった私は、自然と彼女の頭を撫でていた。

「雫ちゃんは、いい子だね」

 わりと本心からの言葉を紡ぐと、雫はぽおっと頬を赤くした。

「わ、わ、あ……あっ、あたし、お茶の用意をしてきますね! いまお父さんもお母さんも出かけてるからっ」

 ぱたぱたと戻っていく少女をほほえましく見送る。露がひょこっと顔を寄せた。

「雫の相手をしているときの星くん、とてもやさしそうな顔してました。……私、星くんのそんな顔を見るの、はじめてです」

「ふーん。ちょっと妬いた?」

「星くんが雫のこと気に入ってくれて嬉しいです。これからも仲良くしてやってください」

 さらっとはぐらかされた。家の奥からお招きの声が飛んだ。

 雫によると両親は二泊三日の旅行中で、帰宅は二日後になるそうだ。そこで露は両親に手渡すつもりだった呼吸器を妹に預けた。あの星の空気を詰めたもので、非凡発現者が吸えば短命ウイルスを無力化できるはずである。もっとも、発現者が誕生したとして、呼吸器の結果が判明するのに数十年の歳月が必要なことは言うまでもない。

「えっと、お姉ちゃんが生きててくれて、あたし……すっごく嬉しいから。それだけ!」

「わあ、雫がそう言ってくれるの、わたしとても――」

「テスト勉強するから今日はもう帰って帰って!」

 なんてわかりやすい素直な照れ隠しなんだろう。

 二日後にまた来ることを約束して、露の帰郷は終わった。

「呼吸器の効果があるといいね」

「えっ? ああ……あれは保険みたいなものです。実のところ、私の家系に非凡発現者が誕生することは今後もうないだろうと思ってます」

「なにそれ、どういうこと?」

「異星人が私の一族や稀人星の監視用人員に伝えた内容には嘘が混じっていたと推測します。それより――」

 彼女は私を真剣に見据えた。

「私、星くんの実家に行きたいです。星くんの両親にご挨拶したいです」

 うん、やっぱりそうくるよね。最初からその予定だったのだろう。

「一緒にってことなら、お断り」

「星くんに複雑な家庭の事情があるらしいのは察しています。それでは、私だけで星くんの実家をたずねるのはいけませんか? それも駄目というのなら、あきらめます……」

 えーと、露が一人で私の両親に会って話をすると?

 想像すると面白い絵面だ。もちろんご一緒するのはノーサンキューだが。

「まあ、それなら好きにしていいかな……。ああそうだ、まだ通用するかわからないけど、合言葉を教えておくよ。もし通してくれないようなら伝えてみて」

 露に実家の住所と合言葉を教えた。ここからだと電車を乗り継いで片道四〇分くらいか。

 ん? 電車? 電車ねえ……。うーん。

「ああっ! そんな、まさか、露の乗った電車が鉄道事故を起こすなんて!」

「えっ、えっ、急にどしたのですか? なんか縁起でもないのですけど」

「気にしないで。念のためフラグはへし折っておこうと思って」

 忘れてるかもしれないけど、転移前の会話が死亡フラグだったら嫌だし。

「じゃあ、私は適当に時間つぶしておくから、挨拶が片付いたらメールして」

 露と別れた私は映画館に足を運んだ。『ド・ジョーンの殉教』を観た。私は泣いた。観賞したほぼ全員がすすり泣いていた。当然だと思った。露からは「星くんは人を愛することができない人間です」と言われた私ですら、いまなら世界中の人間を愛せそうな気がする。

 日の当たる地上に出てスマホを確認。メール受信はなかったのでVRカラオケ店に移動した。店の場所を露にメールしてから、三時間コースを選んだ。手始めに新星歌手サン=ボーイの新曲「コンゴヘリウム・ビート」を選曲。仮想空間に一千の虹色の光と騒音があふれ、アクロバティックなダンスを意識しながら熱唱できる演出になっている。ラストは津波のような水流が迫る感覚と音響効果で締めだ。うん、悪くない。リズムに乗って「恋した男はホミニッド」「いかれディータの唄」と続け、一時間半ほど歌ったところで休憩。仮想空間を切ってメールを確認したら、一時間前に着信があった。わーお、と思った瞬間、ドアの開閉音がした。

 私はもう一度、わーお、と思った。

 そこはかとなく憔悴しきった顔色だ。目が腫れていた。泣きはらした跡だろう。こんな露を見れただけでも、実家へ行かせた甲斐はあったかもしれない。

「えと、その……合言葉、たすかりました」

「うん」

 そっか、まだ通用したんだ。

「あと……ものすごく大きな家で、びっくりしました。最初どこが入口なのかわからなかったです」

「だよね」

 物心ついてからは他人を家に連れて帰ることはめったになかったけど、大抵みんな驚いてたな。そして決まってこう口にするのだ。こんな大きな家に住んでていいな。お金持ちでうらやましい――と。

「で、どうだった? なかなか酷い親だったでしょ」

「ええと、その……私、あんなにカッとなったの生まれてはじめてでした。星くんの親なのに、それなのに、あそこまで自分の娘を悪く言うなんて……私、悲しくて悔しくて、感情がぐちゃぐちゃに熱くなって、最後はぼろぼろ涙を流して大きな声を出しちゃいました。星くんが私にとってどれだけ大切なひとか、どれだけ素敵な恋人か、ぶっちゃけちゃいました。星くんがあの場にいなくてよかったです。あんな私の姿は見られたくないです」

 それはむしろ、ぜひ見たかったな。いまさら親になにを言われようと気にならないけど、露が私のことでそこまで怒ってくれるのはうれし――

「星くんのご両親はたしかにひどいです。それはそのとおりです。ただ……でも……」

 おや、あからさまに言いよどんだ。声のトーンや顔つきから、かなり言いづらい、心底どうしようか迷うほどの意見というのがわかる。

 しばらく沈黙していたが、やがて彼女は意を決して私を見つめた。

「でも――親子の問題に関しては、先に両親を裏切ったのは星くんじゃないですか」

 あ。

 ……。

 ……へえー。

「ひゃっ」

 露がびくっと数歩あとずさった。あー、私そんな顔してるんだ。ここまでおびえた露ははじめて見た。これだけでモンラッシェ一本を空けられそうだが、残念、私は平静さを欠いている。

 困ったな。露はこういうところ頑固で空気読まないから、引きさがりそうにないし。

 ちなみに露の言葉は正しい。あまりにも正鵠を射すぎて急所をぐっさりだ。いま私が口をきいたら、鋭利な棘だらけの言葉で露をずたずたに引き裂いてしまう。そんなぼろぼろの彼女を見たら絶頂で自分を抑える自信がなくなる。困ったな。

 そのとき、脳裏にド・ジョーンの言葉がよみがえった。――愛!

 刹那のひらめきで距離を詰めた。露が身を震わせてぎゅっと目をとじる。私は彼女をぎゅっと抱きしめた。

「怖がらないで。――愛してるから」

 愛に満ちた完璧なささやき。

 呆けた顔で不安げなまなざしを向ける露に、とびきり優しくほほえむ。ああ、いま私には愛が宿っている!

「せいくん……ひとつ、いいですか?」

「うん。なに?」

「わたし、星くんのいまの言葉、まったく信用できません」

 えー。

 結構がんばって愛と優しさを込めたんだけどなあ……。

「自分の都合しか考えてない星くんが人を愛するなんて無理です。いまのほほえみだって、雫に見せたやさしい顔とは雲泥の差があります」

 えー。

 というか、やっぱり妬いてない?

「でも、私はそういう星くんが大好きですから」

「そっかー。そうかなあ……。えー。なんか納得いかないんだけど」

「えへへ。もう、だいじょぶそですね」

 露が安堵の息を吐いてへたり込んだ。

「うう……安心したら力が抜けちゃいました」

 言葉どおりの脱力状態。どうやら不安と緊張が限界だったらしい。

「さっきの星くん、すごく、怖かったです。私、はじめて直接的な恐怖を感じました。大好きな人に冷たい怒りを向けられるの、こんなに怖かったんですね……勉強になりました。正直あまり味わいたくないかも」

 喉まで出かかった「ごめん」という言葉を、必死に飲み込む。まって。私これ謝る必要なくない? なにも酷いこと言ってないし。露が私の顔見て勝手におびえて被害者面してるだけだし。

 あれこれ逡巡しているうちに、露が弱々しく顔をあげた。

「私、星くんの家族関係の溝をわかったような気になって、言い過ぎちゃいました。星くんを傷つけちゃいました。ごめんなさい」

「だよねっ。あやうく私が悪いと思うところだったよ」

「……さすが星くんです」

 あ、つい声に出てしまった。私は謝るかわりに露の頭を撫でた。

 うーん。結局、露が感じる恐怖って、私の絡むことばかりかあ。なんか露のウイークポイントになったみたいで複雑な気持ちだ。

「ところで星くん。私、なんの成果もなかったわけじゃないですよ? というのも、星くんのご両親に私たちの仲を認めさせましたから。これで親公認です。あと、星くんのお父さんが私に餞別として一億円プレゼントしてくれました。贈与税を差し引いて一億円前後になる金額なので、私たちが地球で活動するときお金には困らなくなると思います」

「えっ。なにそれこわい」

 もしかすると本気で露を怒らせると怖いのかもしれない。


 * * *


 今日はいろいろあって大変でした。

 はじめて感情を抑制できず頭にきちゃいました。人前であんなに泣いたのもはじめてです。星くんにはとても言えなかったけど、彼女の両親は可哀想な人だと思います。救ってあげられないか考えたあたり、傲慢ですね、私。

 はじめて特定の個人に恐怖を感じちゃいました。冷たい星くん怖かった……謝ってもくれなかったし。でも、私の落ち度なのでしょうがないです。あっ、こんなこと思ってしまうあたり、私ほんとに少しわがままになっちゃったんだなあ……。

 恐怖といえば、内的要因でも外的要因でも私の心から星くんが失われるのは絶対に嫌なので、これに関しては明日の朝から対抗手段の研究を始めないと。たしか異星人の自動生成書籍にそれらしいのがあったはず。お料理の練習は……うん、また今度で。

 雫が星くんと仲良くなってくれてよかった。星くんは私が雫に嫉妬してないか気にしていたようだけど、私は自分の気持ちがわからない。

 恋仲になって半年も経つのに、星くんの気持ちも、私の気持ちも、わかったようでわかってないこと多いです。本当に、恋ってむずかしい……。

 私の理性は、星くんが人を愛することはないと結論している。

 私の感情は、星くんが人を愛せるようになると期待している。

 じゃあ、私は……?

 私は星くんに愛されたいのでしょうか?

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