第17話 私の日曜日、君のひとこと

相良日夏さがらひなつ#16】


 ペットボトルの蓋を開け、コップに水をそそぐ。たちまちコップのふちのギリギリまで水で満たされて、私は小さな悲鳴を上げた。なんでこう、どばっと入れちゃうのかな。顔を近づけ、飲もうとコップの水をのぞきこんで、


「ペンギンだ」


 と、敷いてあるコースターの感想をぽつり、つぶやいた。


 小川さんと水族館に行ったのが嘘のように、今日はいつもと変わらない日曜日の昼下がりを迎えている。昨日と今日で変わったものといえば、このコースターの有無だけだ。いや、小川さんに対する見方も、誰かと出かける気持ちも、少し変わった。


「また月曜日に、か……」


 去り際、彼女が言った言葉を口に出してみる。水族館に行っただけで、別に私と彼女は友達になったわけじゃない。物語、特にラノベのなかでは「お出かけ」といえばすなわち「デート」を意味するし、主人公とヒロインはデートで仲を深めるけど。


 もし、小川さんが魔法少女という秘密を抱えていたとしたら。昨日のお出かけで、私にその秘密を打ち明けてくれただろうか。「実は私、異世界から来たんだ」とか、「実は私、世界を救ってるんだ」とか……。


 そういう物語的な「おいしい」展開を、考えていなかったわけではない。「誰かと水族館に行く」という出来事イベントなのに、何も起きなかったことを残念に思う自分もいる。でも、今、胸を占めているのは、去り際の彼女の「また月曜日に」という言葉。


「よし、古文の勉強しますか」


 コップの水を飲み干し、私は古文のノートを開いた。


小川真愛おがわまい#16】


「何も! 書け! ない!」


 私の前に広がるのは、真っ白でまっさらな画面と、真っ暗な私の未来。


 書いては消して、書いては消してを繰り返して、はや数時間。文化祭で配る文芸部の部誌、そこに載せる短編小説が、1文字たりとも進まない。まぁほら、空腹だとありとあらゆる能力が落ちるし……集中力とか、持久力とか。


「なぜ書けないんだぁ……」


 パソコンのキーボードの上で、私の両手はぴくりとも動かずに、ただただ存在している。書くことは決まっている。昨日の相良さんとのお出かけを参考に、高校生の男女が部活とか遊びとかを通じて仲良くなる、みたいな話を書きたいのに。


「もう書くのやーめた……締め切りなんて知らない……」


 ベッドにダイブして、しばらく動かずにいよう。そう決心したのに、階下から聞こえるお母さんの「おやつあるよ!」の声に、私は颯爽と階段を下りて台所へ。


「進んでるの、小説」


「まぁぼちぼち……」


 お母さん特製のホットケーキをむさぼりながら、私はテレビのチャンネルを回した。この時間、旅番組かドラマの再放送しかやってない……。


 適当につけた旅番組の再放送を見ながら、メープルシロップがほどほどにかかったホットケーキを口に運ぶ。もう少し多めにかかってたほうが嬉しいけど、去年虫歯になってるから仕方ない。虫歯、治療が大変だから本当に気を付けよう……。


「水族館どうだったの」


 と、洗濯物をたたんでいるお母さんに訊かれる。口から出たのは、


「た」


 の、ひとこと。いや、1文字。「た」に続く言葉が出なかったのは、きっと、私が小説を書くなかで、昨日の相良さんとのお出かけについて考えてたからだと思う。


 私たちは子どもみたいに、一緒に遊んだら友達になれるわけじゃない。私は仲良くなりたくても、相手は嫌かもしれない。それでも、誰かと遊ぶことは、たしかに。


「楽しかった?」


「うーん、楽しかったって言うことは簡単なんだよ。それで済ましちゃうなら」


「なにそれ」


 お母さんは笑いながらそう言って、たたんだ洗濯物を持って奥の部屋に消える。


 ホットケーキの最後のひとくちで、めいっぱいメープルシロップをかき集めて、口に運ぶ。おいしい。これくらい単純でいいのかもしれない。甘くておいしい。一緒に遊ぶと楽しい。私はあなたと仲良くなりたい。


「よし、書こう! やるぞ私!」


 メープルシロップの香りがほのかに残る皿を水に浸し、私は階段を上った。

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