最終話:世界はここに

 20年後。


 ポーランドの屋敷では、世界に羽ばたいていった子供達の写真を前に、微笑むマシューの姿があった。

 

 彼は現在、35歳。ポーランドの屋敷を起点に、世界展開をする『希望の家』の理事長を勤めている。この学校のコンセプトは『望んだ全ての子供に教育を』だ。


 希望の家設立にじんりよくしたのは、キンドリー家とフランツ・デューラー、そしてモリシタ家であった。


 理事長でありながら、未だ現場できようべんるマシューが、校長室を後にする。


「はーい皆、座って! 授業を始めるぞー」


 キャッキャとはしゃいでいる子供達は、光の粒そのものだ。


「マシュー先生、おはよー!」

 

「職員から、夜更かししてたって聞いたぞ。ゲームに夢中になるのも……」


「先生も一緒にやろうよ! ゲームって、頭の体操になるんだぜ」


「全く。じゃあ、晩ご飯が終わった後で集合だ。一時間だけだからな?」


「「やったー!」」


 光に囲まれたマシューが、優しい笑みを浮かべていた。





 高台からの眺めが良い、老人ホーム。そこにフランツ・デューラーがいた。施設であるものの、小さな戸建てが連なっている。

 

 米帝は、危機が去ってからの方が大変だった。


 大統領の不在。何も知らない世界は、副大統領含む彼らを行方不明として扱った。かつてのヨシュアによって、大統領を演じていたイタリアの極右組織は、状況が変わったと同時に撤退。


 超大国としての立場が揺らぐ中、ここでもフランツ・デューラーは持てる全てを出し切って、国の再建にじんりよくした。


 そんな彼は今、車椅子生活である。


 窓際に生けられた百合の花。その色に顔をほころばせていたフランツは、ドアを叩く音で振り返った。


 トレーに紅茶を載せて立っていたのは、エマであった。現在は、エマ・デューラーと名乗っている。フランツの娘として、養子縁組をした。


「エマ、いつもありがとう。今日は、例の会合だったか」


「ええ。お父さんはもう、ゆっくり休まれては如何ですか? 自分の事だけ考えてください」


 窓際に立ったエマが、紅茶のポットをテーブルに置く。


「私は、趣味のようなものだから良いんだよ。それより、君もそろそろ引退したらどうだい?」


 現在、エマは60代も半ばである。すっかり白くなった髪に手をやり、窓から見える海岸線を見つめた。


「この辺りには中々、私のような独り身が住めるアパートがなくて」


 ティーカップに注がれる紅茶の華やな香りが、部屋を包み込む。コポコポと静かに音を立てるポットを見ていた彼が、エマに視線を移した。


「そんな事を気にしていたのか、エマ。私が何故、この施設を選んだと思っているんだい?」


「分かりません。お父さんなら、自費で幾らでも介護を受けられたでしょうに」


 ティーカップを受け取ったフランツは、立ち上る湯気にこうを膨らませた。


「私は金の亡者だが、自分で使うことに興味がないんだ。この施設には、病院が併設されている。景色も良いし、何より戸建てなのが気に入ってね」


 隣に腰掛けたエマは、ティーカップを手に取り『そんな事は知ってる』と肩をすくめた。


「君の部屋は、ここにあるって意味だよ。越しておいで、エマ」


 ビックリした顔でフランツを見たエマは、涙でかすむ目を窓の外に向けた。


「潮風に強い花を探してこなくちゃ。ずっと言いたかったんです。この庭は殺風景だって。それから……」


 泣き出してしまったエマの頭を、フランツが撫でる。二人は紅茶を楽しみながら、子供達の20年に想いを馳せた。

 

 窓の外を、鳥たちが羽ばたいてゆく。

 海岸線は光を浴びて、眩しいほどにきらめいていた。

 




 ◆





 アンナは、自室で鏡を見ていた。口紅を選ぶ顔は真剣そのものだ。ずっと目が見えなかった彼女にとって、ささやかな喜びであり、趣味の一つである。


 彼女は43歳になっていた。


 あれから、キングは学校に戻った。彼が大学を卒業するのを待って、二人は晴れて夫婦となった。

 

 アンナとキングの間に出来た子供は、無事、この世に生を受けた。

 彼らの娘は、名前をナオミと言う。


 国の再建に加えて、子育て。特にヨシュアは、記憶がそのまま残っている。この20年は、二人にとって初めての連続であった。中々、夫婦の時間も取れない。


 アンナは振り返ると、テーブルに積まれた書物の山に目元をゆるめた。


 ヨシュアと娘ナオミは、大学生だ。ここ数年、ようやくキングと過ごす時間が増えてきて、アンナは幸せを噛み締めていた。


 その時、ドアを叩く音がして身体を捻った。さんぼうが呼びに来たのだ。


、そろそろお時間です。会場へ移動を」


「わかった。今、行くわ。少し待っていてね」


 アンナは、米帝の大統領になっていた。

 この国、初の女性大統領である。





 会場に到着したアンナは、既に着席していたレイラに手を振った。会場の隅では、時空の切れ間が陽炎かげろうのように揺らめいている。レイラの羽織っている革ジャンは、セツコのものであった。


「半年ぶりね、アンナ。TVで毎日見てるわよ」


「私は外交が本当に苦手だから、恥ずかしいわ。カインは来ていないの?」


 レイラとカインは38歳になっていた。息子の名前はホープ。現在は、米帝に留学中だ。


「息子とツーリングに行くんだって、まだバイクをいじってるわよ」


「セツコから貰ったバイクね。そう言えば私もこの間、TVで見たわ。元トロイの子達、世界レースで一番になっていたでしょう?」


 レイラは腕を組むと、心底嬉しそうな声を出した。


「頑張ってるわよね、あの子達。私らバイク屋がはいしゆつした、誇りだわ」


 結論から言うと、特別顧客制度は復活した。アンナとレイラは、その称号者である。

 

 あれから、人間界と死神界で何度も話し合いが持たれた。ヨシュアの暴走は、称号者を一名とした事に欠陥があった。取引に人間を使う事もだ。抜本的な改革がなされ、十年前に復活を果たした。


 レイラ夫妻は、住居をウクライナに構えている。とはいえ立場は、ソビエトが立てた特別顧客だ。クレムリンは、彼女を政権のちゆうすうに置きたがった。


 今更、権力に興味のないレイラは、バイク屋をやりたいと言う夫についていってしまった。そんなままが通るのも、彼女が持つ抑止力のお陰である。


 プルトの存在で、核が急速に抑止力を失ったこの世界では、ブラックダイアモンドがその代わりを勤めていた。


 世界に開示されてしまった情報は、戻らない。


 アンナとレイラは、西と東の代表になった。が、それ以上に二人は親友であった。

 

 会話が弾む中、カインが現れた。セツコから譲って貰ったバイクを引いている。20年もの間、チューニングにチューニングを重ねて、未だに現役のカインの宝物だ。


「あれ、来る場所を間違えた。悪いな、アンナ。ここからバイクを持って出てもいいか? ホープは大学か?」


「ええ、もちろんよ。業者用のエレベーターを使って」


「ちょっと、カイン。立て続けに質問しすぎ。久しぶりにホープと会うのが嬉しいのは分かるけどさ……」


 カインはピカピカのバイクを撫でると、少しだけ不満げな顔をした。


「アイツ、俺達に似過ぎだろ。親に連絡の一つもよこさないで、何やってんだ。折角、メールしたのに」


「ホープはもう20歳よ? 父親より大事なものがあるんでしょ」


 その時、切れ間が一際輝いて、三人目の称号者が姿を現した。クロエだ。

 彼女は26歳になっていた。今や、一児の母である。タッパーに詰めた惣菜を手に持ったクロエは、ハンカチで額を拭いていた。


 二人目がお腹にいるクロエを気遣って、全員が駆け寄る。


「そうよ、カイン。私達は、もう子供じゃないんだから」


 いつから話を聞いていたのか。タッパーを開けだしたカインに、クロエが呆れ顔で笑っていた。


 クロエはあれから、ジョージと共に住居を長崎に移した。セツコが経営していた件の孤児院は、ジョージが跡を継いだ。

 

「そう言えばジョージは?」


 姉レイラの言葉に、クロエはお腹をさすりながら笑顔を浮かべた。


「会合が終わったら、皆で食事をするでしょ。新鮮な魚を食べさせるんだって、釣りに出てる」


「ジョージは、相変わらずね」


 思わず笑ってしまったアンナに、クロエがクスクスと肩を揺すって笑った。


「もう、アンナってば。キングも一緒にいるわよ」


「いやだ、あの人……昨日からいないと思ったら。サプライズってはしゃいでた理由、それだったのね」


「アンナ、クロエ。ぼちぼち時間よ」


 アンナ

 レイラ

 クロエ


 三人の称号者が揃った会場で、PCのモニターが一斉に灯った。半年に一度の特別顧客会合が始まるのだ。


 今日の議題は、ルルワのまつえいについてである。国際テロ組織と認定されたこの団体は、ノーマンとレベッカがトップを務めており、未だに各所で問題を起こしている。


「さあ、始めましょう」


 アンナの声に、レイラとクロエが両脇に立った。





 ◆





 長崎では、ジョージとキングが釣りにいそしんでいた。時差があるので、こちらは真夜中である。

 

 中々、大物の釣れないキングがふくれっ面で、海流を指差した。


「潮の流れを変えよう、ジョージ」

 

「そういう事で、死神の力を使おうとするなって」


 二人は昼間、恒例の墓参りに訪れた。


 セツコ・モリシタは、トリガーをレイラに譲渡した三年後にその生涯を閉じた。老衰で、眠るような最期だったという。

 晩年、プルトを連れてはカラオケを楽しみ、クロエを孫のように可愛がった。

 

 プルトは、ジョージから能力を一部譲渡された。

 念願だった、人間への接触が可能になったのだ。


「餌が悪いのかな……」


 ブツブツと分析し始めたキングの横で、ジョージが大きく欠伸をした。


「最近、ヨシュアはどうなんだ?」


「相変わらずだよ。僕とアンナにだってね、育て直せば性格が変わるかもって、思っていた時期がありました」


 揺れる小舟の上で、ジョージが当たり前だと言わんばかりの笑い声を上げた。


「アイツからプライドを取ったら、別人になっちまう。こじれてなきゃ、それで良いのさ」


「それが別の事でこじれてるんだよね。どうも好きな人がいるみたいでさ。遅れてきた思春期ってやつ?」


「ヨシュアの場合、万年思春期……」


 その時、辺りが急に明るくなって、魚を大量に抱えたプルトが現れた。小舟が傾く程の魚が、彼のパラソルでピチピチと跳ねている。


「「あー、ズルした!」」


 指差して叫ぶキングとジョージに、ドヤ顔で胸を張る。魚が一気に小舟に落ちた。


「兄ちゃんが来てるんだから、良いじゃん」


 プルトの言葉に続いて、ポウッと光が拡散した。シルクハットとえんふくが浮かび上がる。「磯臭いですなあ」そうぼやきながら姿をあらわしたのは、魔術師であった。


 偶像の一件で急遽、輪廻が決まった魔術師。彼が人間界に再降臨したのは、クロエの結婚式であった。彼女の結婚式、悲喜こもごものドタバタは、いずれ番外編で語られる。


 魔術師は、シルクハットから魚を放出すると、改まった調子で話し出した。


「キングとジョージの寿命についてですが。人間と同じだそうです」


 暗闇の中で顔を見合わせたキングとジョージは、思わず吹き出してしまった。二人の容姿は、しっかりと20年の歳月を重ねている。キングは35歳、ジョージは50歳になっていた。


「この老け方は人間の名残だろう。プルトなんか、未だに男の娘だしな」


「ボクはずっと可愛いの。羨ましいだろ、ジョージ」


 小突きあいを始めたジョージとプルトの横で、キングが口を開いた。


「僕の能力は寿命が来たら魔術師、君に返したい。それが自然だよ。僕は、アンナと一緒に老いていきたいんだ」


 そうして、誰ともなく同じ言葉が口をついて出た。


「過去の改ざん能力は、使わずに済むのが一番だよね」





 ◆





 ヨシュアとナオミが、州都市部のダウンタウンを歩いていた。ナオミは、キングとアンナの娘である。二人は同じ大学に通う、叔父と姪であった。


 どんどん人混みをかき分けてゆくナオミに向かって、ヨシュアが不満げな声を漏らした。


「少しは私に配慮をしたらどうだ。人混みは苦手だと言ってるだろう」


「『ハイヤーを使う生活はしない』それが我が家の教育方針でしょ」


 信号を渡った先には、ボクシングジムがある。二人はそこを目指していた。ヨシュアの言い分も少しは分かる。夏が訪れており、歩くだけで汗が吹き出てくるのだ。


 健康的な日焼けをするナオミと比べて、ヨシュアの肌は真っ赤だ。「ヒリヒリする」文句を言ってばかりの叔父を見たナオミが、呆れた顔で立ち止まった。


「ホープの所に行きたいって言ったの、ヨシュアでしょ? 後さ、その『私』って言い方止めなよね。コミュ障が余計に目立つ……」


「私はコミュ障などではない!」


 急な大声に、人混みの目線がにわかに集中した。途端にうつむいてしまったヨシュアは、どうひいに見てもコミュ障であった。


 ナオミに手を引いて貰い、信号を渡ってジムまで走る。


 二人は、20歳の夏を迎えていた。


 ダウンタウンにしては、中々に立派なジム。ここの経営者は、亡きセブンの弟ナインであった。かつてのヨシュアは、セブンの遺族に大金を遺した。送り主が自分であるとは名乗らずに。


 二つしか年の変わらない弟ナインは、兄と同じ地下格闘技をやっていた。大金を元に地下街から足を洗い、ジムを設立。苦手な経営は外部に任せ、もっぱらトレーナーに専念している。


 冷房がひんやりと気持ちいいジムでは、ホープがスパーリングをしていた。


「汗の匂いが気になる」

 

 訳の分からない理由で、入り口から動かないヨシュア。共に育ったナオミは知っている。それが彼の普通なのだと。肩をすくめたナオミは、そのままリングに向かって歩いて行ってしまった。


 スパーリングを止めたホープが、二人に手を振った。レイラとカインの息子ホープは、見た目がカインとよく似ている。三人は、幼なじみであった。


 イジイジしっぱなしだったヨシュアが、初めて自分から「友達になって」と言った相手である。


 そして、二度目の人生における初恋の相手でもあった。


 ホープとナオミは談笑の最中にも、互いに見つめ合っている。その視線についた名前をよく知っているヨシュアが、チクチクする胸をつかんだ。


 瞬間、外の熱気と共に、筋肉質の身体がヨシュアにぶつかった。


 ホープのトレーナーをしていたナインが、タオル片手に笑いかける。

 

「おう、ジュニア。巡回中じゃなかったのか」


「巡回中だって。涼みに来たんだよ。アレ? ヨシュアじゃん。久しぶり」


 ジュニア、そう呼ばれた彼の本名は7sセブンスナインの息子である。太陽を思わせるブロンドヘアと、グリーンの瞳はセブンの生き写しと言って良かった。


 キングとアンナの教育方針により、ヨシュア達は公立学校に通った。つまり、7sセブンスもまた幼なじみなのである。それも、幼稚園時代からの。

 

 勉強が嫌いと公言していた7sセブンスは、ハイスクールを卒業すると、警察官になった。


 話が弾むホープとナオミを、ジットリした目で見ていたヨシュア。そんな彼の肩に筋肉質の腕が絡む。大型犬のような笑顔は、セブンそのものだった。


「なぁ、ヨシュア。今日って夜、空いてる?」

 

「気安く私に触るな、7sセブンス。お前は、昔から距離が近すぎるんだ」


「俺が誰にでも距離が近いと思うなよ」


 二人の会話に気づいたホープが、ヨシュアを見る。けれども直ぐにその視線は、ナオミに戻ってしまった。堪らず切なさを宿らせたヨシュアに、7sセブンスがずいっと頬を押し寄せた。


「離れろ、汗臭い」


「ヨシュアはさあ、俺に恋すればいいんだよ。俺は、ずっと本気だぞ」


「……は?」


 赤面して固まるヨシュアを7sセブンスが抱き寄せた時、どこからか鐘の音が聞こえてきた。





 特別顧客会合でも、鐘の音が聞こえていた。アンナは『身に覚えがない』と首を振った後で、レースカーテンを開けた。


 鐘の音は、ポーランドの屋敷とフランツ達にも聞こえていた。


 そしてまた、長崎でも同じ音が聞こえていた。山ほど魚を積んだ小舟で、ジョージとキングが顔を上げる。プルトと魔術師も、どこから来ている音だろうと水平線を見た。


 世界中を、鐘の音が包み込んでゆく。


 死神界でアーキテクトが「たまには神様らしいことをせねばな」と呟いていた。





 貴方が誰かを愛する時、別の誰かもまた、貴方を愛している。


 彼らには名前がなかった。

 その日、生きるのだけで精一杯だった。


 理不尽な理由で、沢山の命が落ちた。


 けれども、子供達は学んだ。


 光を求め続けた時、光もまた、こちら側を照らしてくれるのだと。


 ありがとう。

 ありがとう。


 貴方の笑顔は、きっと誰かを幸せにしている。

 それだけで、貴方には生きる価値がある。


 そして、私達はつむいでゆく。


 明日は、もっと素晴らしい日になる。

 私達は、生きてゆく。

 

 人は、それを希望と呼ぶ。


 ありがとう。


 平和の鐘に、幸あれ。





  -おわり- 


 

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