正義-Ⅱ
双子には胎内の記憶があるという。僕には
僕達は研究所で生まれた。ずっと二人で生きてきた。父さんは、たまに顔を出すだけ。父さんは、僕らを見て見ぬ振りをする。
僕は、アンナが世界で一番大事だった。
「兄さん、この花は何色?」
「太陽の色だよ」
アンナの笑顔が、僕の幸せ。研究所では、毎日沢山の子供が命を落としてゆくから。
「それじゃ、このお花はきっと暖かいんだね」
アンナは生まれつき、目が見えない。飼ってた鳥が死んだ時、僕は怖かった。アンナもこうなっちゃうの? って。だから、誓ったんだ。アンナだけは守るって。
命はとても軽い。
そして、大人達は死を隠す。
僕が、8歳になった頃だった。父さんが、珍しく僕を呼び出した。期待をしてたんだ。もしかしたら、アンナと一緒に、ここから出してくれるんじゃないかって。
けれども、違ってた。父さんは、出生証明書をテーブルに置いて、背中を向けたままだった。
「……どういうこと?」
「ヨシュア、お前はスイスの寄宿舎にいけ」
「違うよ、父さん。出生証明書の名前。なんだよ、これ」
出生証明書には『
だって、僕には胎内の記憶があるんだよ。
出生証明書取り上げた父さんは「遺言みたいなものだ」と言っていた。聞きたいのはそんな事じゃない。僕とアンナは双子じゃないの? 僕は……ヨシュアじゃないの?
「アンナと僕は双子でしょ。なんで戸籍に名前がないの? 変だよ。僕の名前は、どうしてヨシュアじゃないの?」
「お前はここを離れろ。アンナの事は忘れるんだ」
父さんは、何一つ質問に答えてくれなかった。
僕は馬鹿じゃない。出生証明書を見れば分かるよ。
僕の本名はキング。
その上、アンナとも双子じゃなかった。
僕とアンナは、天使の子供だと思ってたのに。僕は知ってるんだ、本当の母親がこの研究所にいることを。彼女がキングってつけたんだろ。
「父さん、名前をキングに戻してよ。天使がくれた名前なんでしょ。あの人は僕達の母親じゃないか。どうして隠すんだよ」
「天使? ……接触したのか。エヴァと」
「見ただけだよ。僕はスイスになんか行かない。それより、血の実験をしてよ。もう何回もお願いしてるじゃないか」
父さんは、僕の肩を掴んで強く揺すった。その目は酷く真剣で、僕は『こんな時ばっかり父親面をするな』って思った。
「まだそんな事を言ってるのか、ヨシュア! お前には別の才能がある。スイスで友達を作れ。外の世界を見るんだ」
「絶対に嫌だ。父さんは嘘つきだ! 秘密ばっかりで、僕達に会いにも来ない。アンナから無理に離すなら死んでやる。ここで何をしてるか、スイスで全部喋ってやる!」
父さんは
嘘であって欲しい。
部屋に戻ったら、アンナが泣きそうな顔をしてピアノの
「兄さん、お帰り。父さんと何の話をしてたの?」
「何にも。元気にしてるかとか、くだらない話だよ」
僕は、アンナに本当の事を言えなかった。
双子じゃない事も、名前がヨシュアじゃないって事も。
アンナは兄さんって呼ぶけど、感情が
ヨシュアって名前は、アンナのためにあるものだ。
僕は、アンナの手を握った。とっても冷たい手で、胸が苦しくなった。誰がなんと言おうと、僕達は
「ずっと一緒にいような、アンナ。僕が守るから」
アンナは、涙をこぼして何回も
僕にも秘密があった。
アンナには内緒で、こっそり母親を見に行ってた事。セキュリティーカードは、所長がくれた。モリシタ所長は「真実から目を
アンナには、ちゃんと知らせるつもりでいたんだ。嘘じゃないよ。
ただ……天使はアンナと全く似てなかった。
僕は、彼女を「天使」と呼んでいた。
天使は、分厚い扉の奥に
いつもベッドに腰掛けて、窓の外を眺めてる天使。
彼女は背中から真っ赤な羽根が生えていた。
初めて見た時、僕達も天使になれるんだって思った。だって、こんな羽根は、天使にしか生えない。
血の実験をすれば、僕らも天使になれるんだ。
もしかしたら、死んでしまった鳥だって
この研究所では、毎日子供が死んでいる。
だから、僕が先に実験するつもりでいたんだ。
アンナに何かあったら、僕は生きていけない。
父さんは、スイスに行けって言った後、天使の元へ向かった。僕は、天使が本当の母親だって知ってる。アンナとは、血が繋がってないんだと、ショックも受けたけど。
父さんは、研究所によく現れるようになった。けれども、僕達とは会わない。天使の所にばかり行っていた。
天使は、皆から「エヴァ」って呼ばれていた。
真っ赤な羽根を生やした天使は、父さんを見ると涙をこぼして笑った。父さんも、僕らには見せたことがない笑顔を浮かべていた。
僕は、こっそりとそれを
アンナには「二人で逃げよう」って、何度も言いかけた。だけど、目の見えない彼女を連れて、僕達みたいな子供が生きていける訳がない。
公園で遊ぶアンナを見ていると、どうして僕らには自由がないんだろうって、泣きたくなる。
そのうち、天使がお腹をさすりながら、名前を呼ぶようになった。「キング、貴方の名前はキングよ」って。
止めてよ、母さん。
それは、僕の名前だよ。
◆
母さん――エヴァが身ごもったある日。モリシタ所長と父さんの言い争う声が聞こえてきた。
父さんは所長室で煙草をもみ消した後、頭を
「意味が分からない。エヴァの中で何が起きてるんだ!」
「貴方が望んだ事でしょう! エヴァは最初の子で、流産しかけてるんです。ヨシュアを残して、もう一人は実験に使う。そう指示したのは貴方だ!」
「胎内に戻したヨシュアの片割れは、順調に成長してるんだろう。じゃあ何故、実験は失敗だと断言するんだ」
「ええ、成長しています。それはもう順調にね。エヴァから血を欲しがったのは、初めての事です。最初の妊娠では、拒絶反応が出ましたから。ヨシュアまで流産する所だったんですよ」
僕は、モニターに映るエコーと呼ばれるものを見た。のぞき見だから、細かい部分はよく分からない。けれど。
お腹の子が、血をぐんぐんと吸い込んでいるのだけは分かった。
やっぱり僕は双子だったんだ。
全然知らない、エコーに映ってるヤツと。
なんだそれ。
なんなんだよ。
僕がいたから、血の実験で拒絶反応が出たってこと?
父さんが血の実験をしてくれないのも、そういう事じゃないか。
オマエナンカニ、カチハナイ。
……誰か、助けて。
「話を
「お断りします。私はこれ以上、実験に
「……なんの話だ」
「今回の実験にセックスは必要ありません。エヴァの元へ戻って、彼女を抱くのは何故です?」
僕の中で何かが壊れる音がした。
ガラガラと崩れ落ちてゆく。
天井が回って、立っているのかすら分からなくなった。
ただの女だ。
父さんは、僕らには会いに来ない。
身ごもった
僕の名前だぞ。
返せよ、その名前は僕のものだ。
「ヒ……醜いナ、人間ハ」
いつ、隣にいたのかすら分からない、女の人が立っていた。
叫び出しそうだ。
でもそれをしたら、本当に僕は壊れてしまう。
口を
所長と父さんが、まだ何か話してる。
「アンナに関しては、どうなんだ」
「彼女の価値は未知数です。完全に偶像の管轄内なんですよ。彼女に何をしているのか我々には……」
その時、隣にいた女の人が黒い煙になって、部屋の中に入っていった。所長と父さんは、煙に包まれたかと思うと、直ぐに気を失ってしまった。
戻ってきた黒い煙は、再び女の姿になると、笑顔で僕の手を取った。
「酷い大人達ダナ。子供ニ価値ガなけれバ、平気デ捨てル」
「ハッキリ言えよ。僕の事だろ」
「ハ……ハ。ならバ、教えてヤロウ。アンナには価値がアル。器としての大事ナ価値がナ。エヴァの中にイル、お前ノ片割れもそうダ。しかし、お前ニハ何の価値もナイ」
僕は、自分で言えって言ったくせに、心臓が破れたみたいに痛くなった。悔しすぎて、涙が出てくる。
ほんの少しで良い。
僕にも価値があるって言って欲しかった。
だから僕は、すごく無駄な事を口にした。
「……嘘だ。僕だって血の実験をすれば、天使になれるよ」
「ナレナイ」
「どうして、そんな事が分かるんだよ! 何者なんだ、お前」
「私ノ名ハ、偶像。お前ノもう一人の親でアリ、死神ダ。お前ハ、死神ノ能力を何一つ受け継いでイナイ」
死神と能力。
僕達はとっくに気づいてた。
この研究所で、死神を作ろうとしてる事を。
僕とアンナは、失敗作。
けれども、違ってた。
「親なんか要らないよ、どっかいけ。二度と僕らの前に現れるな」
「良いノカ? アンナは私ナシで生きられないゾ。アレは試験管デ作った子だからナ。身体ガ弱い」
「アンナに手を出すな。やってみろ、死神だって許さないぞ。ぶっ殺してやる」
「フ……面白い事ヲ言ウ。宜シイ、ナラバ私と取引をシロ。父親ハお前を排除しようとしてイル。母親ハお前など見てイナイ。簡単な話ダ、私ヲ受け入れるだけでイイ」
偶像の言う通りだった。
僕には価値がない。価値がないから、愛されない。
誰も、僕の事なんて見ていない。
僕の家族は、アンナ一人だ。
天使なんか何処にもいない。
こんな世界、滅茶苦茶になれば良いんだ。
……滅茶苦茶にぶっ壊してやる。
「……僕は、キングじゃない。エヴァなんて女は、母親じゃない!」
「ホゥ、飲み込みが早イナ。イイゾ。流石、我が子ダ。さあ、私と共に行コウ」
その晩、初めて僕はラボにいたラットを殺した。
鳥が死んじゃった時は、とっても悲しかったのに。びっくりするくらい、何も感じなかった。
偶像は、
殺せば殺すほど褒めてくれて、僕は自分にも価値があるんだって――そう、勘違いをした。
勘違いでもいいから、すがっていたかったんだ。
◆
ヨシュアから放たれた
ヨシュアの中で沈黙していた偶像が、明確な悪意を持って記憶を見せたのだ。その隙にも、黒い煙が伸びて、アンナの元へ向かおうとしている。
我に返ったキングは、偶像を大鎌で切り払うと、ヨシュアを思い切り抱きしめた。エヴァと同じプラチナブロンドを柔らかく預ける。
その姿に母親を見たヨシュア。彼は大粒の涙を
「離れろよ、出来損ない! 僕の傷を治そうとするな!」
キングは、絶対に離れまいと更に強く抱きついた。嫌がる兄に額を
それは、亡くなったジョージが教えてくれた『親愛』の証しであった。
「僕が兄さんでも同じ事をした! 偶像と取引したよ! 僕らは、たまたま立場が違っただけの双子だろ!」
「お前なんかに、分かってたまるもんか……離れろよ」
「離れないよ。兄さんが僕の立場でも、同じ事をしたと思う。親を殺して外に出てた。僕には、名前がなかったんだ! 母さんは、捨てられて直ぐに壊れた。一度だって、キングとは呼んでくれなかったんだよ!」
そこには小さな子供がいた。傷ついた子供は、あの日からずっと泣き続けていた。
お願いだから僕を見て、と。
ヨシュアは、心の隙を偶像から良いように利用されてしまった。彼には、自分より大切な人がいる。そして、彼女を救えるのは、双子の弟キングだけだ。
アンナ。兄弟にとって、最も大事な存在。
泣くだけだった小さな子供が、初めて勇気を
「アンナが……偶像に取られる」
顔を歪め、涙を
「分かってる。フランツ叔父さんに留守電を残しただろ、兄さん。偶像と一緒に、消し飛ぼうとしたんじゃないのか」
視線を
言いたいことはごまんとある。一人で死ぬのが怖いから、一緒に逝ってくれると言ったクロエにすがった。死体でも構わないから、カインを
絶望していたから、世界を滅茶苦茶にした。
どうせ自分も死ぬのだからと。
けれどもそれは、偶像にとって都合の良い話でしかなかった。取引を基本とする死神は
しかし偶像は、アンナに根付いた新しい命さえあれば、生きていけるのだ。
キングの覚醒は、あの狡猾な死神でさえ、想定していなかった事であった。
何故なら、エヴァで失敗をしたから。
キングの暴走――つまり、第三の生命としての覚醒は、本来エヴァで成し遂げたい事柄であった。
覚醒に至らなかったから、子孫を残すよう様々な人を『
死神には寿命がある。
偶像の寿命は、後20年と差し迫っていた。
全てを理解したキングは、もう一度、ヨシュアに額を擦りつけた。されるがままになっているヨシュアは、思っていたよりずっと人間らしく、そして弱かった。
「兄さんは生きるんだ。でも、アンナを二度と泣かせないと誓って欲しい」
「……何をするつもりなんだよ。僕はこれだけの事をしたんだぞ!」
額を離したキングは、ヨシュアの顔を改めて見た。真剣な眼差しで、血を分けた兄の瞳を捉える。流石のヨシュアも、その目に宿る光だけは逸らせなかった。
――平和な世界で、一卵性双生児として生まれたかったな。もっと、兄さんと話したかった。
「兄さんは、無価値なんかじゃないよ。家族を大切に出来る人だ。キングの名前は返す」
瞬間、ヨシュアの身体から偶像が実態となって
構えた大鎌を、血の聖杯があっと言う間に溶かしてしまう。大きく
「ヒ……ヒ。魔術師ノ力ハ、使わせナイ」
「お願いだ! 兄さん!」
その言葉だけで、キングの意図を理解したヨシュアが、飛び上がった。全く動じない黒煙を無視して、キングの胸部に偶像のナイフを突き立てる。
目的に気づいた偶像が
最期の宣告が、キングの口から放たれる。
「心臓を捧げる! 時の糸を切り裂き、この惨劇に抗う! 時空よ、我が身に力を! 運命の子に、因縁を断ち切る力を与えたまえ!」
切り取られたフィルムの世界から、
全てを飲み込んだ光は、一際強いサファイアブルーの光を放つと、大きな羽根を形作った。月をも包み込んで、
広がりきった翼は、
無。
キングは、自身が二度目の暴走を起こした日。
心臓を代償にしてしまったので、崩れ落ちるしかない。
「ガハッ……」
這いつくばって、周囲を見渡す。夕日が照りつける、高層ビル。その屋上にある研究所。全ての始まりの場所だ。
アンナの悲鳴に、キングは残った力を振り絞って顔を上げた。
――アンナは、目が見えるようになった。兄から記憶を奪われて、何者でもなくなったアンナが、僕に「誰」と聞いて……僕はここで、二度目の暴走をした。
夕日が
過去は改ざんされた。能力が執行されたのだ。
キングに、死が訪れようとしていた。
かつて魔術師は「運命の分岐点は変えられない」と言った。キングの誕生についても。
――魔術師から継承された力は、この時のためにあった。アンナ……愛してる。アンナ……
「……キング? ヨシュア! 嫌……イヤァアアアア!」
アンナの叫び声がこだまする。
遠のく意識の中でキングが見たのは、胴体を真っ二つにされたヨシュアと、彼の下半身を抱えてほくそ笑む偶像の姿であった。
-つづく-
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