太陽の翳り-Ⅲ
Xデー。5月16日。
ヨシュアの父、オリヴァー・キンドリーの大統領出馬演説。
本物の父親は、ヨシュアを終わらせようとして失敗。その場で彼の手によって殺害されている。
引退した元大統領ステファンも、臨時大統領を務めるオリヴァーも実態はホログラムだ。中身は、彼にとって都合の良い駒が演じている。
米帝の大統領は、35歳から立候補が可能だ。
この日、ヨシュアは出馬演説の場を、メキシコとの国境付近に選んだ。
同じく、国境付近にはレイラ・カインが率いる民兵達もいた。そして、海域と上空にはNATOが配備され、来る事態に備えて緊張感を高めていた。
双眼鏡を覗き込みながら、民兵と無線で話すカインの姿があった。マスコミを装い、会場に紛れ込んだ民兵に問いかける。
「集会場の様子はどうだ?」
「相当数、集まっていますね。二千は確実です。マスコミも多い。内陸部の被害状況を考えれば、この辺りの人々が不安に思うのも無理はありません」
「集会をこんな国境付近で行う、大義名分にもなるしな。さしずめ民衆は人質、マスコミは証人と言ったところか」
――ヨシュアにとって、今日をXデーとするメリットがない。これは、侵略行為を挑発する布陣だ。やはり目的は戦争? 果たして、本当にそうだろうか。
引き続き
彼は、ヨシュアに拘束されていた時の話を、妻レイラに詳しくしていない。身重な彼女を気遣っての事であったが、それ以上に言いづらい話があった。
カインは、キングとの会話を思い出していた。アンナとジョージ救出のため、エデンの家に向かう最中に交わしたものだ。
★★★
「カインをこの世の果てに連れて行く? そんな話をしてたんだ、兄は」
「ああ。行為が終わる度に言っていた」
「けれども、君に新しい組織を与えるとも言っていたんだろ。矛盾してるよね」
エデンの家に向かう下水道。太った鼠が我が物顔で走り回る暗闇で、キングが
「俺を州警察サイドのトップに据えたのは、ヨシュアだ。トロイってのは、これでも縦社会でな。特に、州警察は年齢層も高い」
「オリヴァー……父の時はどうしていたの?」
「天下りを使ってた。仕組み的には、余程そちらの方が納得出来る。反発もないしな」
大鎌を
「兄は本気で君が好きなのか。所有物としてではなく」
「……レイラには言うなよ。なあ、キング。俺には、
「絶望?」
「
★★★
――やっぱり目的は戦争じゃない。今日この場で、全てを終わらせる気だ。
その時、カインの背後で聞き慣れた声がした。レイラ達と合流していたセツコだ。
「ヨシュアが会場に到着したよ。クロエを連れてる」
慌てて双眼鏡を手に取ったカインの肩を、セツコが叩く。彼女は指先で長方形を描くと、空中に大型スクリーンを形作った。
黒マント姿のヨシュアがクロエを抱きかかえて、巨大な一枚岩に舞い降りる様子が映し出されている。
それにしても集会場は、不気味な雰囲気に満ち満ちていた。一枚岩が連なるステージに、だだっ広い敷地。さらには、死神であることを隠そうともしない、ヨシュアの振る舞い。
先進国の大統領出馬演説には、おおよそ相応しくないロケーションと演出である。
だが
マスコミのヘリコプターが上空を飛び回り、中継車が何台も押し寄せている。彼らは既に、ルルワの
ルルワはその性質上、マスコミとの親和性が非常に高い。
ヨシュアの到来によって、病的な熱狂が最高潮に達した。
大型スクリーンに映し出される会場は、異様としか表現出来なかった。集まった民兵達も、なんと言ったら良いのか分からない、神妙な
直ぐ近くで繰り広げられている、開けっぴろげな狂気に言葉を失っているのだ。
マイクを取ったヨシュアは、熱狂に向かって手を振ると、独特のトーンで演説を始めた。彼には、人を夢中にさせる話術の才がある。突出した美貌と卓越したセンス。それは、ヨシュアにしかないものであった。
「我が国、いや全世界が苦境に陥っている中、父の出馬宣言演説にこうして集まってくれた事を、息子として誇りに思う。今日、ここに父オリヴァーはいない。だがしかし、安心してほしい。息子である私、ヨシュア・キンドリーがいる! 私がこの国を救うと約束しよう!」
国境の向こう側でスクリーンを見ていたセツコが、
「これじゃ丸っきり、ヨシュアの出馬宣言じゃないか。オリヴァーの
「一応、ニューハンプシャーで行われているようだ。メディアは、ヨシュア一色だけどな」
無表情でヨシュアに抱きついたままの、黒いワンピースを着たクロエ。彼女をアップで捉えたスクリーンは、再び全体を映し出した。
「疾病対策センター(CDC)から、本日付で出された公式声明だ。
爆発にも似た拍手と、興奮渦巻く声援を、ヨシュアが笑顔で制する。会場に集う人々は、
セツコがボソッと「残念だよ。ここまで、政治家としての才能があったのに」そう独りごちる。
その時、上空で戦闘機と共にいたプルトが戻ってきた。パラソルをくるりと回しながら、キョロキョロしている。
「あれ、レイラは?」
カインとセツコが顔を見合わせる。途端に青ざめたカインの口から、上ずった声が漏れ出した。
「プルトと一緒にいたんじゃないのか?」
「ボクは、
プルトが言い終える前に、カインが走り出していた。民兵達をかき分け「配置につけ!」と叫んでいる。その
戦車の列から離れた広場にあった筈の、強奪したマスコミのヘリコプターがない。カインは膝から崩れ落ちそうになる感覚に、全身が
「誰か! レイラを見た者はいないか!」
余裕を失ったボスの叫びに、後方で衛生兵をしていた元トロイの少年兵達が、泣き顔で走り寄ってきた。
「レイラ、行っちゃった。どうしよう、カイン。何にも言わなかったけど、ヨシュアを殺す気だよ。スナイパーライフルを持ってた」
「プルト……」
この場でヘリコプターから、レイラを連れ戻せるのはプルトとセツコだけだ。
ところが二人は、それとは全く別の事で、酷く深刻な顔をしていた。同一の方角を見て、超音波を拾っている。
「
「識別は出来るかい、プルト」
「当たり前だろ、ボクと同じものが積まれてる!」
薔薇を形取った火柱と共に、プルトが姿を消していった。『ボクと同じものが積まれてる』それが何を意味するかは、明白だ。
今ここで決断をしなくてはならない。カインの額から、脂汗がひっきりなしに流れてゆく。
「セツコ、レイラの元へ行ってくれるか」
「もちろんだ。ただ……」
「分かってる。
「カイン、アンタはどうすんだよ」
カインはセツコの質問に答えなかった。止めてあったモトクロスバイクに飛び乗る。金色の瞳を大きく広げ、普段は無口だと思えない激しい声が、無線を通じてこだました。
「カインだ! 全戦闘員に告げる。直ちに進撃! 繰り返す、直ちに進撃せよ! 国境警備隊の殺害を許可する! 集会場を目指せ!」
エンジンを吹かした彼は、そのままクラッチを握り絞めると、あっと言う間に走り去ってしまった。
◆
ポーランドの屋敷でも、ヨシュアによる演説は、大々的に放送されていた。
あれから、キングと眼鏡のマシューは話し合いを重ねた。
価値観の違いで言い合いになり、エマが仲介に入ることもあった。それでも二人は、お互いの間に出来た溝を埋めようと、話し合いを続けた。
「マシュー。君は僕を頼ってくれた。ハイスクールにも、一緒に戻ってくれた。勇気ある大切な友達だよ。死神の事、きちんと話をしなくて本当にごめんね」
「僕も君を誤解してた。どこかで『死神だから何でも出来る』って思ってたんだ。身勝手だよね。理解出来ない君が怖くて、ヨシュアさんの言いなりになってしまった」
差し出されたキングの手を、マシューが強く握った。
「僕の知っている情報は限られてる。ジョージの言葉が鍵だ。『自分の遺伝子で麦角菌を
西側に
ジョージとアンナの悲劇が起こり、キングが二度目の暴走を起こした日だ。
また、
「偶像を確実に我が物とした瞬間が合図だったのか。どこまで狡猾な死神なんだ。兄がそうするよう仕組んだ」
その時、携帯電話を手にしたフランツが、部屋に飛び込んできた。追いかけるように、エマも入ってくる。二人は何とも言えない複雑な表情を浮かべていた。
「キング。私の携帯電話に、留守番電話が残されていた。ヨシュア君からだよ」
「兄……ですか?」
フランツが留守番電話を再生する。微かに震える声で残されていたメッセージは、非常に短いものだった。
『アンナは、セントラル病院の地下にいます。フランツさん。彼女をどうか、お願いします』
フランツから携帯電話を手渡されたキングは、何度もメッセージを再生した。
光を取り戻したサファイアブルーの瞳に、切なさが宿る。溜め息をついたフランツが、キングに語りかけた。
「私にはヨシュア君が怪物だと思えない。大人達が彼をそう作り上げてしまった。この声が、傷ついた子供に聞こえて仕方ないんだ」
その
風が止んだ時、白マントに大鎌を
「兄の元へ行きます。フランツさん、僕の行いを知って尚、養子にしてくださってありがとうございました。エマ、僕の家族になってくれてありがとう。それから、マシュー。君は大事な親友だ」
「ちょっと待ってよ、キング。そんな。永遠のお別れみたいな事、言わないで」
マシューの言葉に、キングはもう無理をして笑わなかった。全員の姿を焼き付けるように見つめ、淡々と口を開く。
「僕達兄弟には、三人の親がいるんだ。エヴァとオリヴァー。そして死神の偶像。偶像は、人の心につけ入り続けてきた。自分が
「……人間でしょ。泣き虫の子供よ」
腕を組んだルビーが、ドアにもたれて立っていた。彼女の後ろでは、ルーカス達が心配そうな顔をして、キングを見ている。小さく「キングはヒーローだよ」という声が聞こえてきた。
「ありがとう、ルビー。ルーカス達も。僕は、偶像を封じ込めに行くよ。それには、ヨシュアを殺すしか、他に道は残されてないのかもしれない。だけど、最後まで努力してみる。
振り返ったキングは、TVに映るヨシュアに目をやった。強ばった
「終わったら帰ってきてよ、キング」
集まってきた面々に、キングは最初の暴走以来の、美しく繊細な笑顔を見せた。
「何があっても、もう二度と記憶は奪わない。だから、皆も僕の事を忘れないで」
「ちょっと、誰か!」
屋敷の庭から、セツコの酷く慌てた声が聞こえてくる。急に連れてこられて困惑する少年兵達の声も。
死神の姿で現れたキングに、セツコは「お帰り」そう言って肩を叩くと、状況を簡潔に説明にした。
◆
レイラを乗せたマスコミのヘリコプターが、集会場上空に紛れ込んでいた。ヘリコプター操縦するのは、粛正されたノースの部下だ。
眼鏡をかけた神経質そうな顔に、レイラがぶっきらぼうな感謝を投げかける。
「ボルトアクション式の、こんなに良いスナイパーライフルをありがとうね」
「感謝するのは、そこじゃないだろ。ま、いいさ。ソビエトでよ、いきなり特別顧客にしろって現れた時は、頭がどうかしてんじゃないかと思ったぜ」
「イカレてなきゃ、今ここでこんな事してないわよ」
他のヘリコプターからの視線をかいくぐりながら、ライフルを構えてスコープを
ヨシュアの演説で熱狂する民衆の上空を、大きく
身を乗り出したレイラに、男が問いかけた。
「俺達は今日、間違いなく死ぬぞ。お前、妊娠してるだろ。それなのに、どうして」
スコープから顔を離したレイラは、男の横顔を見たあと、振り返って国境周辺を見つめた。強い風に、長い黒髪がはためいている。
「ヨシュアを殺せば、この国は
「最後くらい、本音を言ったらどうなんだ。素直じゃねえ女だな」
「……カインを愛してるの。このままだと、生きて帰れる確率は、限りなく低い。少なくとも、私かカインのどちらかは、確実に死ぬでしょうね。愛してる人に、生きて欲しいって思うのはおかしいこと?」
「おかしくはねえけど、身勝手だわな」
「湿っぽい話は止めて。涙で精度が鈍るから。カインはまだ18歳よ。いずれ、私を忘れるわ。平和な世界で優しい
「お前だってまだ18だろ」
やりきれない溜め息をついた男に、レイラが『静かに』と指でジェスチャーをした。
ヨシュアの演説が、ブラックダイアモンドに言及しはじめていた。
「また、皆さんはこんな話を聞いたことはないだろうか?
会場に訪れてからずっと、クロエはヨシュアにしがみつき、民衆を
――ヨシアが私を抱っこしたら話をする。イスラムが悪いって言う。ジョージは、死んだ。私も、ジョージの所へ行く。
ただ、クロエには一つだけ理解出来ない事があった。ヨシュアの
わざわざジョージに化けていたのは、何故なのだろう。一緒にお昼寝をした時の、指しゃぶりは何だったのだろう。
『僕を一人にしないで』
一切の輝きを失った、ヨシュアの瞳の奥に見えたのは、在りし日の自分だった。人身売買に出され、コンテナの暗闇で怯えていた自分。
6歳の少女に、それを言語化出来る
ピンクのポシェットを握り絞めていると、ふいヨシュアが身体を抱き上げた。我に返ったクロエは、高くなった目線で改めて民衆を見た。イスラムが悪いとお話をする合図だ。
その時、見知った顔が視界に入って、クロエが一気に硬直した。
――遊園地で、うさぎの中にいた人だ。
一枚岩をステージとした陰に、レベッカとノーマンがいた。特徴的なそばかす顔は、忘れようがない。
ヨシュアが、中々喋ろうとしないクロエの顔を覗き込んだ。
クロエの視線は、レベッカに向けられたまま
――ジョージは遊園地に行くまえ「コイツを離さずに持っているんだ」って言った。
「クロエ、お話をして」
丸い頬に
次の瞬間、唐突に放たれたクロエの言葉に、他の誰でもないヨシュアが一番驚いていた。
「……どうして嘘ついたの? ヨシア」
「えっ?」
「ジョージを殺したの、ヨシアでしょ!」
……!
鋭い痛みに力を失った腕が、クロエを手放してしまう。岩場に転げ落ちてしまったクロエが、黒マントを掴んで泣き叫んだ。
「ジョージを返して! なんで、ジョージを殺したんだよ!」
ヨシュアは
-次エピソード『正義』につづく-
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