太陽の翳り-Ⅱ
メキシコに隣接する国、グァテマラにレイラ達がいた。国境付近で、ジープのボンネットに座り、集まった民兵を見やる。強い日差しが張られた白いテントに反射して、光を放っていた。
「プルト、そっちの様子はどう?」
(ナトゥーだっけ? が動きだしたよ。ボクはもう居なくても大丈夫みたい)
「NATOね。分かった、それじゃこっちに来て。フランツの言った通り、やっぱりこの辺りには被害が出てないわ。米帝の方が深刻みたいね」
南米特有のラテンな雰囲気に似つかわしくない、薔薇の花びらが顕れて渦を巻く。一気に燃え上がった炎の中から、プルトが姿を見せた。
カインは少し離れた場所で、キューバにいた元トロイの少年兵達と話していた。
「俺らはレイラ達についてくって言ったんだ、カイン。どうして、ここに留まらなきゃいけないんだよ」
「レイラはお前らを守りたいんだ。アイツの気持ちも分かってやれ」
「だからだよ。キングって死神が廃人みたいになってんだろ? 戦力は多い方がいい」
「全く。どこから聞いたんだ、そんな話。分かった。あっちのテントでワクチン・コンポジションAを接種してこい」
少年兵達は、かつて洗脳された単なる人間爆弾だった。けれども今は違う。明確な戦意と理由があるのだ。カインには、どうしてもそれを止める事が出来なかった。
50名ほどの少年兵達がワクチン接種に向かう中、溜め息をついたカインがレイラの元に歩いて行った。レイラは彼女の周囲を上機嫌で旋回するプルト見て、笑顔を浮かべている。
「説得に失敗した。俺には、アイツらを止められない」
「あの子達だって、戦士だもの。後方で衛生兵に回ってもらいましょ。皮肉なものよね。テロリストとしての訓練が、こんな事態で役に立つなんて」
「キングと会ったんだろ? どうなんだ、アイツ」
レイラは長い黒髪を耳に掛けると、それまでの笑顔を引っ込め、複雑な表情で話しだした。
「PTSDね。話しかけても、涙を流すだけ。元々、戦いに向いてないのよ。最初、エデンに喧嘩を売ったじゃない? 正直、何考えてんのって腹立ったもの」
「何だかんだ不器用だからな、キングは。なあ、プルト。暴走の影響はどうなんだ」
上機嫌だったプルトの顔が、分かりやすく曇る。状況が
「キングの身体がどうなってんのか、分かんないんだよ。あんな生き物、初めて見たもん。死神の能力はまだ使えないと思う。結界が壊れるってそういうことだからさ。でも次に暴走を起こしたら、ボクでも止められる自信ない」
「カイン。偶像って、キングを食べようとしたのよね?」
「ああ。ヨシュアに偶像が渡ったのを加味しても、目的は乗っ取りだと思う」
その時、強い風が吹いてレイラの髪が大きく後ろになびいた。黒い眼帯に手をやった彼女は、何処か遠くを見ているような口調で呟いた。
「新しい生命体、か。寄生されてるだけだってのに。寂しい男ね……ヨシュアも」
「……そうだな。プルト、アイツの首を任せても良いか。クロエは生きてるんだろ?」
「うん、ボクがやる。偶像は死神界の恥だよ。昔っから鼻つまみ者だったんだ。
「アンナは?」
「一応、生きてる。偶像が張った結界の中にいるよ」
ふいに、レイラがジープから降りて、場を離れだした。マスコミから強奪したヘリコプターに向かって、一人歩いて行く。
「ヨシュアの狙いは、ナガサキとヒロシマの再現よ。今のアイツは、特別顧客じゃない。あの男は、私が殺す」
「おい! まだそんな事言ってるのか? 腹の中に、俺達の子供がいるんだぞ」
堪らず肩を掴んだカインの手を、レイラが振り払った。硬い顔に浮かぶ涙が、太陽に照らされ悲しく光っている。
「アンタだって、狙われてる。アイツが道連れにしたいのはカイン、貴方だわ。お腹の子は諦めて。いい加減、戦争だって自覚しなさいよ!」
「引けるわけないだろう! お前の方こそ、冷静になれよ」
プルトがオロオロした様子で、レイラの元に飛んでくる。二人を見やったレイラは、再び強奪してきたヘリコプターに視線を移した。
「……そうね、冷静になるわ。Xデーは、大統領出馬宣言の日。5月16日だったわね」
「そうだ、もう三日後だな。俺達も米帝の国境線に移動しよう」
◆
アジアンタウンにあるジョージのアパートに、クロエとヨシュアがいた。ヨシュアはジョージのホロを
外からは、
「……一人で買い物に行ったのか?」
「うん。お店、滅茶苦茶だったや。トーフ持って来ちゃった。あ、でもお金置いてきたよ」
立ち上る豆腐スープの湯気に、
スープに目を落としたクロエは、精一杯の笑顔でスープを促した。
「お腹空いたでしょ、ジョージ。食べよ。私もお腹空いた」
手渡された箸をヨシュアは使えない。
「美味しい」
「良かったー! ご飯は、こうやって家族で食べるでしょ。大好きと一緒に食べると美味しいんだよ」
「大好きと一緒?」
「うん。ジョージが教えてくれた」
大粒の黒い瞳に見つめられた
代わりに脳裏を過ったのは、かつての思い出であった。
――温かい食卓。特別顧客に就任する前、一度だけ映画館に行った。
カチャカチャと食器の立てる音が、小さなダイニングを包み込む。温かく、優しい空間に
「クロエ、お願いがある。キングには、兄さんがいるんだ。彼に協力してやってくれないか」
「いいよ、何?」
「外は酷い有様だろ? これはな、イスラムって所の悪いやつがやったんだ。クロエ、お前の目もそいつらの仕業だ。それを証言してくれないか」
「しょうげんって?」
「三日後に、大統領を決める大事な集会があるんだ。お兄さんと一緒に行って、そこで今言ったことを話してほしい」
豆腐を食べていたクロエは箸を置くと、
――ジョージは、死んでない。
「分かった。ジョージも一緒に来るでしょ。私、キングのお兄ちゃん、知らないもん」
「その日はアレだ。キングと別の場所に行かなくちゃいけなくてな。こんな状況だ。俺達死神も、かり出されて忙しいんだよ。よく似てるから一目で分かるさ。ヨシュアって言うんだ。迎えに来てくれる」
――ジョージは、死んでない。
「毎日、帰ってくるの遅いもんね! 分かったよ。じゃあさ、今日はこれから一緒にお昼寝してくれる?」
「ああ、もちろんだ。いつも一人にさせて済まないな、クロエ」
食事を終えた二人は、台所で一緒に食器を洗った。スポンジの使い方を知らない
木箱に乗る幼い身体が、手際よく食器を洗い流していった。
「ジョージは、食器を拭いて」
「あ……ああ」
慣れない手つきで食器を拭く
食器洗いを終えて、二人でこぢんまりとしたベッドに滑り込む。ここ最近のヨシュアは、満足に眠っていなかった。
最果ての地への歩みを今更、止められる筈もない。目覚めないアンナをただ、見ているだけの日々。
ヨシュアは死神の器ではない。当然、偶像の
子供特有の甘い匂いと高い体温に、
目を閉じて、眠ったフリをしていたクロエは起き上がると、改めてその姿を見つめた。「ジョージ」震える声で
クロエは、泣いていた。
◆
ポーランドの屋敷では、キングが相変わらずぼんやりとTVを見ていた。流石に
「ねえ、キング。僕、前に名前貰ったイーサンだよ」
「キング、こっち見て」
「僕達、みんな元気だよ。ジョージが助けてくれたんだ」
力のないサファイアブルーの瞳が
その時、避難所でボランティアをしていたマシューやセツコ達が戻ってきた。屋敷が
「セツコ所長、お疲れ様です」
駆け寄って行ったエマに、セツコがカラッとした笑顔を投げかけた。
「何言ってんだい。フランツの方が、何倍も忙しいだろうさ。こっちは医師団も到着したし、見通しが立ちそうだよ。レイラ達と合流しようかと思う」
「そのお体で、ですか?」
セツコは思わず煙草を
「米帝の軍部が機能不全に陥ってる。NATOの通信も受け付けないらしい。全面対決は避けられないだろうね。こうなったら、何だってやるしかないだろ」
「あちらの政府は何も気づいてないのですか?」
「冷戦崩壊時に、全てオリヴァーの息子に
チョコレートボンボンを作っていたのは、ジョージだ。気づいたエマは、押し黙るしかなかった。
今度はエマが、キングの部屋に視線を移す番だった。半開きになっているドアの隙間からは、人のよさげなマシューの声が聞こえてくる。
――一体、どうしてこんな事に。
エマは、心の中で嘆かずにはいられなかった。
「それでね、中毒者には特徴があったんだ。普通の
虚ろな目でTVを見るキングに、マシューが興奮した様子で話しかけていた。話の途中で口を
キングがゆっくりと顔を動かして、首を
TVは、
自称専門家もまた、ルルワの構成員である。彼の使命は、話の矛先をイスラムに向ける事であった。そんな専門家が世界中にいて、電波ジャックと言って良い事態を引き起こしている。
「あれ? あの時って何だろ」
再び呟いたマシューの横で、キングが動いた。パジャマに手を入れて、ゴソゴソと何かを取り出している。
肩を叩かれたマシューが振り向いた時、キングは手に持っていたものを渡してよこした。
「どうしたの? なにこれ」
「……ホネ」
キングがどうにか口を開いて、辛うじて聞き取れるくらいの、
その
骨を受け取ったマシューは、自分が急速に遠ざかるイメージに圧倒されていた。ほんの一瞬だけ、意識が途絶える。
「どうして、僕に嘘をついたりしたんだよ! キング!」
マシューは、キングが記憶を奪った日まで戻っていた。
あの時の怒りが、今起きた事そのままに残っている。掴みかかったマシューは、
「僕はさ、君を友達だって思ってたんだぞ! そりゃ、いきなり死神なんて言われても信じられないよ! だけどさ、そんなに僕って信用出来ない? 友達なら頼ってくれたっていいじゃないか!」
TVは番組を再び、緊急ニュース速報に変えた。赤いテロップが点滅して、最新の被害状況を伝えている。直ぐに、キャスターによる解説も始まった。
テロップの点滅に気づいたマシューが、興奮して振り上げた手もそのままにニュースを
ブラウン管に詰め寄った彼は「嘘だ」とわななくのが精一杯だった。
「坊ちゃんは、マシューさまを守りたかったのではないでしょうか」
レイラ達の元へ向かったセツコと入れ違いに、部屋で起きた異変に勘づいたエマが立っていた。倒れたキングを抱き起こす。
サファイアブルーの瞳から止めどなく涙を流したキングが、途切れがちになりながらも、
「……記憶を奪ってごめんなさい、マシュー。僕を……助けて。お願い……します」
マシューは何も言えなかった。へたり込むように床に崩れ落ち、
「私などが居てもお邪魔でしかないでしょうが、話し合いませんか? マシューさま」
「嫌だ。父さんは? ルルワの皆……ジョージは何処にいるの?」
「ジョージは……死んだ。……兄が、死神の力を奪うために」
部屋の扉を閉めたエマは、窓を開けて部屋の空気を入れ換えた。心地よい風に、レースカーテンが波打つ。
「……ジョージが、最期に言ったんだ。クロエを……クロエを頼むって」
「僕とその事は関係ないだろ」
「クロエを連れ去ったのは……レベッカだよ」
頑なに耳を
彼にとって、レベッカとノーマンは悪夢の象徴でしかない。ハイスクール銃乱射事件を起こした張本人であり、マシューも殺されかかった。
事件そのものは、魔術師の介入によって過去を改ざん。ハイスクールでキングを覚えているのは、マシューだけになった。
ノーマン達は何かしらあって、キングを思い出した。「キングがやった……」マシューは言いかけて、そんな矛盾など通るわけがないと首を振った。
――「ノーマンを廃人にしたのは、キングだ」あの日、僕はヨシュアさんから記憶を見せてもらった。……チョコレートボンボンだ。二人にも僕と同じ事をしたんだ!
「話し合いましょう、マシューさま。
耳から手を離して床につき、
それでもエマの言葉に
両親を殺害した、あの日からの事を。
◆
三日後、5月16日。
大統領出馬宣言、当日。
沈んだ顔をしたクロエの前に、スーツ姿のヨシュアが立っていた。
崩壊した病院の地下には、一向に目覚める気配のないアンナが眠っている。キングの兄、そう自己紹介したヨシュアは、クロエを病院に連れてきていた。
クロエはこの日のために、一枚だけ持っていた黒いワンピースを選んだ。ジョージがプレゼントしてくれた、ピンクのポシェットと共に。
「この人、ヨシアの誰?」
「……妹だ」
「ヨシアの妹。キングのお姉ちゃん?」
ヨシュアは、まだ上手く名前を発音出来ない、クロエの問いかけに答えなかった。
壁付けの電話まで歩いて行く。誰にともなく「絶対に手を出すなよ」そう呟いて、受話器を取った。
ヨシュアはフランツの携帯電話を鳴らすと、留守番電話に一言だけ伝言を残した。
クロエは眠っているアンナを見つめながらも、ヨシュアの伝言を聞いていた。ピンクのポシェットをギュッと握り締める。緊張した顔で、小さな喉を上下させた。
「あのさ。ヨシアも死神でしょ」
受話器を置いたヨシュアは、キングと全く同じサファイアブルーの瞳を声の主に向けた。
「そうだ。何故、分かった」
「ずっと、ウチに来てたでしょ。ヨシア」
返す言葉を見つけられず、珍しく黙り込んでしまったヨシュア。そんな彼にクロエの小さな手が伸びてきた。
――ジョージは、死んでない。
「ヨシアの妹みたいに、ジョージもどこかで寝てるんだ」
ヨシュアの細い身体が、ほんの
「私がお話したら、ジョージを起こしてくれる?」
「一緒に来てくれたら、ジョージを起こすよ」
あれから、偶像はヨシュアの中で沈黙を守っていた。
偶像はブラックダイアモンドを『ジョージの父、ノブヒコを脅す為に作った』そう、しれっと言ってのけた。そして、本当の目的についても。
本当の目的――
最早、ブラックダイアモンドに何の価値もない。偶像の能力で、幾らでも生み出せる。沈黙を守る直前「素敵ナ旅ヲ」と
「ジョージ」
半壊した病院で、ついに
「何処かで眠ってる」
――ジョージは、死んで……
「……そう。どこに行けばいいの?」
俯いていたヨシュアは、クロエの体温が離れないよう、強く抱きしめた。置いていかないでくれとすがりつく、幼子のように。細い手は冷たく、震えていた。
「……
「いいよ。行こう、ヨシア」
ラグジュアリースーツから、黒マント姿に変えたヨシュアは、クロエを抱きかかえると病院から去って行った。
とっくに死んだ父、オリヴァー・キンドリーの大統領出馬演説で、グランドフィナーレを飾るために。
-つづく-
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