最高の恋人-Ⅲ
病院の地下にセツコとカインがいた。女傭兵との戦闘で大負傷したセツコ。彼女の能力では止血が精一杯だ。肩を貸しているカインのシャツが赤く染まる。
プルトは人間のDNAで精製された、ガラス製の溶液に閉じ込められていた。フリルのシュミーズ姿で、人類の海をたゆたう。何故か、ズロースが足首まで下ろされていた。
「どういう格好で拘束されてんだ、プルト……」
戸惑いを隠せないセツコに、カインが顔をしかめた。ヨシュアという男をなまじ知っているだけに、口にするのも
「今は時間がない。直接、本人に聞け」
そう言って、セツコをガラスケースの前に降ろした。
セツコの手がケースに触れただけで、能力が共鳴しあい内側から光を放つ。うっすらと目を開けたプルトは、焦点の定まらない瞳で二人を見た。
「最後にもう一度だけ確認する。本当に
「ない。アーキテクトの話は絶対だ。『能力譲渡には直接、死神が立ち会う』私は、不確定要素を避けたかったのさ。前に
痛みを我慢するセツコが『安心しろ』と、カインの肩を叩く。
額に光の切れ目を作ったセツコは、残った全ての力を出し切って、第三の目から継承の証しを取り出した。革ジャンの裏に留めてあった、薔薇細工のブローチだ。
ブローチがケースに触れた時、プルトの目が完全に見開かれた。突如として立ち上った火柱で、溶液が沸騰する。地鳴りと共に、ケースが木っ端微塵に砕け散った。
瞳は愛らしい森の木立色から、炎そのものへと
ブロンドの長い巻き髪も相まって、
「何、この格好?! ヨシュアのヤツ、ボクのをやたらと覗きたがってさ! なんなんだよ、あの変態!」
「否定はしないが、急いでほしい。ジョージとキングが分断された」
下着姿で
高速回転しだしたプルト。その身体を炎が形を変えながら包み込む。花びらの様な火の粉が舞い、ドレスハットとドレスを紡ぎだした。あっという間に、元のロリータファッションへと戻ってゆく。
そうしてセツコに手をかざしたプルトは、彼女の傷を治癒し始めた。力尽きて気を失った白髪を見ながら、硬い表情で口を開く。
「ジョージは意味も分からず、ヨシュアに能力の一部譲渡をしちゃってたんだ。兄ちゃんの仮面だよ」
「ああ。アンナも同じ事を言ってた。特別顧客に能力を使って見せたらしい」
ぱっちりとした目を伏せたプルトが、悲しげに真実を告げた。
「……
ぐったりとしたセツコを抱えたカインが、無言で頷く。ドレスハットから薔薇の花吹雪を舞わせたプルトは、再び瞳を燃やすと、花びらの中に消えて行った。
◆
朽ち果てた研究所の一室。焼け付く様な夕日に目を覚ましたアンナが、落ちた洋服を拾っていた。キングは身体を小さく丸めて、寝息を立てている。
キングは売春宿で再会を果たしてから、まともに眠っていなかった。常に緊張し、崩れそうになる自分をどうにか支える日々。
それもジョージの
キングの手を包んで、そっと口づけたアンナ。彼女は、ひっそりと研究所を後にした。
目が見えずとも、その全てを知る場所を歩いて行く。公園があった場所を通り抜けた時、強い西日がアンナを照らした。
「……兄さん」
高層ビルの屋上、研究所の外れ。枯れた苔ばかりが目立つ、開けた場所にヨシュアが佇んでいた。黒マントを羽織り、フードで顔を覆っている。
そのまま垂直に浮いたヨシュアは、アンナを見下ろした。どこまでが本音か分からぬ、兄の言葉にアンナが顔を上げる。
「お前がここまで
「私は結局、ここから逃れられなかった。でもそれは、兄さんだって同じでしょう? 私達はもう、何処へも行けない。兄さんはまだ、最果ての地を目指しているの?」
目元だけを覗かせたヨシュアが振り返って、
荒廃しきった世界で二人は生きてきた。その先にある最果ての地を、互いに語る必要などない。ヨシュアは突き進み、アンナは違うと説得し続けた。血の繋がらない二卵性双生児として。ただ、それだけの人生だった。
手を伸ばしたヨシュアは、アンナの目に触れた。彼女は、抵抗をしなかった。
「最果ての地へはカインを連れて行く。お前は、最後まで見届けるんだ。それがアンナ。お前の罰だ」
アンナの瞼が意志とは関係なく動き、長い睫毛から赤い涙が零れ落ちる。ゆっくりとその目が開いた時、アンナは堪らず口元を押さえていた。
高層ビルの屋上からは、街が一望出来た。そこかしこでライトが灯り始め、帰宅を急ぐ人々や、手を繋ぐ親子が小さく見える。
夕日に照らされた大空を、鳥たちが群れなして飛んで行った。
――ああ……世界はなんて美しいの。
サファイアブルーの瞳が、生まれたての瞳を覗き込む。初めて見る兄の目。その睫毛が濡れていると気づいた刹那、ヨシュアの声が低く響き渡った。
「さようなら、アンナ。愛していたよ」
研究所ではキングが、胸を押さえて飛び起きていた。身体を重ねた後、溺れるように眠ってしまった。嫌な汗が背筋を伝う中、急いで白マントを羽織る。
「アンナ?」
呼びかけてもシン……とした研究所には生き物の気配がまるでない。代わりに、どす黒い邪気が屋上全体を包んでいる。キングは胸の傷に手を入れると、心臓を掴んだまま研究所から飛び出して行った。
アンナは直ぐに見つかった。研究所外れの開けた場所に、彼女は佇んでいた。
キングは、アンナの元まで飛行すると、枯れた苔だらけのアスファルトに足を降ろした。心臓に手をやり、天を仰ぐ。羽根を広げ、大空を飛ぶ夕暮れの鳥に、自然と涙が
――さようなら、アンナ。ずっと愛してる。
「この心臓を捧げる。時を戻し……」
声に気づいて振り返ったアンナに、キングはそれ以上の言葉を
閉ざされていた目が開き、エメラルドグリーンの美しい瞳が、キングを見つめて微笑んでいる。
「アンナ……目が見えるの?」
アンナは夕日を浴びながら、風に吹かれ、最高の笑顔を浮かべていた。
「ここは初めての場所なの。本当に綺麗な夕日ね。……
◆
この世の終わりを告げるかの様な、
少し離れた所で宙を浮いていたヨシュアは、偶像と共にいた。黒煙がぐるぐると
「終わったな、あの出来損ないも。フフッ、苦しめよ。エヴァの忌ま忌ましい落とし子が」
余りの悲鳴に怯えて耳を塞いでしまった、
一方のキングは、心臓から
「ガガガ……ガ……」
「大丈夫ですか? 具合が悪いのかしら。誰か!」
四つん這いになったキングの右目が、真っ赤に染まった。先日、暴走した時と全く同じ刻印が刻まれている。
異変を感じ取ったヨシュア。彼は無意識だったが、飛び出さずにはいられなかった。
キングの真っ赤な瞳が黒マントを捉える。
凄まじい
「え?」
――
眼前を、薄い
ヨシュアが気づいた時、胴体から下半分がなくなっていた。
ただのアンナも肩から鎖骨にかけて、血の
「グゥアア! ギィヤア!」
キングはその間も、四つ足で駆け回ったかと思えば、頭を抱えて激しくのたうち回ったりしていた。
「何が起きたんだ、偶像! こんな能力、私は知らないぞ」
修復をしていた偶像が、黒い霧でエヴァとそっくりな顔を形作る。大きく膨らんだり、萎んだりさせながら、嬉しそうにキングを見やった。
「エヴァ! ついにエヴァが覚醒するンダ! 奇跡とハ、本当ニ存在するモノだナア、我ガ息子ヨ。新たナ生命体ノ誕生ダ。人間デモ、死神デモない。全ク新シイ第三の支配者……ヒヒッ」
そのまま膨らんだ偶像は、耳元まで大きく口を開けた。
そんな彼の自我は、最悪のタイミングでヨシュアが叩き潰してしまった。
「クソッ、偶像!」
黒くて巨大な顔は、大きな口から赤黒い
『偶像はエヴァに固執し過ぎている』この事に気づいていたのは、キングだけではない。兄ヨシュアもそれは同じであった。
固執に対する疑念が、確信に変わった瞬間。
偶像をねめつけたヨシュアが宣告した。やたらと冷静で低い声が、逆にその激情を強く現している。
「ここにも器がいる。どちらか選べ。
ヨシュアが、アンナの
「貴様の目的に気づいてないとでも思っていたのか、偶像。お前は以前、寿命の話をしていたな。後20年だと。ブラックダイアモンドなど、本当は幾らでも作り出せるんじゃないのか」
「サア……」
「とぼけるなよ、器の意味だ。
「フ……フ。その通りダ。マ、ブラックダイアモンドの矛盾ニ騙されてイタのハ、オリヴァーくらいのモノだったガナ。お前ハ、私ヲ使って好きニすれば良いジャなイカ」
ヨシュアから噛み締め過ぎた、奥歯の割れる音がする。青ざめた顔が、アンナの首に針を食い込ませた。
「私は選べと言っている。お前が乗っ取りたいのはどちらだ? あの出来損ないか、アンナの中にいる子か。選べ」
その時、キングの
「グガァアア……ギィイッ!」
キングが目をギョロつかせながら、素早く四つん這いになった。長い犬歯をしきりに舐めている。
「今、私が死ねば、食われるのはお前の方だぞ。偶像!」
「ソノ
急速な勢いで、ヨシュアの身体に戻った偶像。二人は全ての記憶を失ったアンナを連れて、研究所から足早に去って行った。
◆
「うひゃあー、なんじゃこれ。酷い状態だな」
朽ち果てた研究所に現れたプルトが、内部の惨状に閉口していた。
試しにドレスハットから薔薇の花びらを散らしてみるも、頭蓋骨から咲く奇妙な花々には何も反応がない。「偶像め」そう独りごちたプルトは、突然の絶叫に目を見開いた。
――キングだ!
研究所外れにある、枯れた苔だらけの場所にプルトが舞い降りる。レースのたっぷりとあしらわれたスカートを膨らませた彼は、アスファルトに落ちているパラソルを拾い上げた。
――ボクの武器じゃないか。ヨシュアのヤツ、ここにいたな!
既に日の暮れた暗闇に、キングは身を潜めていた。気配だけでも、普通の状態ではないと分かる。プルトはパラソルの刺繍フレームから剣を抜くと、両口の端から小さな炎をたぎらせて構えた。
「ガルウウウウ……ギィ」
その声はプルトにとっても、獣としか形容の出来ないものであった。斜視になっていたはずの右目だけが、やたらと赤く目立つ。尻尾だと思っていたものが鋼の刃だと気づいた時、死神のプルトですら
一番強いエネルギーを放出しているのは、赤い瞳。針の様な剣先を向けたプルトは、キングの目を狙って細く鋭い短剣を放った。
――クソッ! 外した!
目に追えぬ早さで横飛びをしたキングが、四つ足で疾走し、血の鋼で獲物を追う。大きく開いた口から覗く犬歯は、捕食者そのものであった。
死神は死神の武器でしか、殺す事は出来ない。
しかしキングの身体は最早、死神や人類の
プルトは本能で感じていた。食われたが最後、死神であろうと命の保証はない。
それに能力が解放されたと言っても、まだ人間のDNAが体内に残っていて、万全にはほど遠い。飛びかかってきたキングに、プルトが薔薇の花びらを浴びせた。
目くらましにしかならないが、今はそれで構わない。赤い瞳を諦めたプルトは、次に狙えそうな場所を超音波でサーチした。四つん這いになっているので見え難いが、心臓だ。
プルトは、キングの中に人間の血が殆どないのを知らなかった。最初の暴走を起こす前に、喧嘩別れしてしまったからだ。血にまつわる能力者ではないため、人体の構造にも
「兄ちゃん、ボクに力を貸して!」
そう叫んだプルトは、再び飛びかかってきたキングの
出たとこ勝負も良いところだが、それが明暗を分けた。
首を食いちぎられそうになったプルトは、突然もがきだしたキングから距離を取った。
「ガッガァアア……タスケテ。ウゥゥアアアア!」
「死ぬなよ、キング。だって、お前は人間じゃないか。戻って来いって、おい!」
しかし、暴走していた当人に訪れたのは、正真正銘の地獄だった。
「アッアンナ……傷つけた……ギィイイ! 僕が! グァ……コロシテ! プルト、殺して!」
心臓に突き刺さっていたプルトの武器に、触手が絡みつく。その様を見ていたプルトが、ハッとした顔で武器を抜き去った。
心臓の傷が
プルトはガクガクと
「ボクは殺さないよ。だって、最初にタスケテって言ったじゃないか。キング」
満天の夜空が、米帝の摩天楼に降り注いだ頃。完全に暴走の止まったキングは、そのまま意識を失って動かなくなった。
-次エピソード『太陽の翳り』へつづく-
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