最高の恋人-Ⅱ
「やっぱりジョージのアパートに餌を撒いていたか。結界は壊せそうか?」
「コレは結界じゃナイ。時空ノ切れ間ヲ繋いでるダケだ。キングの結界もガタガタだがナ。どうダ、我ガ子ヨ。今ナラ、アンナを奪いニ行けるゾ」
フランツ達がソビエトで会合を持った、少し後。ヨシュア・キンドリーがクロエを回収して、アジアンタウンに居た。ジョージのアパート屋上で偶像と話をしている。
アンナ。その言葉を出されたヨシュアは、遮るように眠っているクロエを見やった。
「カインの奪取を優先したい。アンナなんて放っておけば良いだろう。どうせ一人じゃ何も出来ない」
偶像を形作る黒煙がヨシュアに纏わり付いた。脊髄から伸びたそれは、狡猾な蛇そのもの。
とりあえずは息子に賛成した偶像が、時空の切れ間に細工した。ジョージの部屋と同じに作った別空間に繋ぎ直す。
「カインとかイウ青年ニ、私ハ魅力を感ジないガナ。何がソンナに良イのか、理解出来ナイ。ソレに引き換え、アンナは大事な器ダ」
ジョージの部屋に入ったヨシュアは、室内を一瞥するとクロエをベッドに横たわらせた。指を鳴らし、ジョージのホロを身に纏う。
その間も、偶像は途切れる事なく話し続けていた。
「ブラックダイアモンドを確実なモノとするニハ、アンナを使ウのが一番ダ。お前ガ女性と生殖出来ナイのは分かってイル。しかし、アンナの身体ハ……」
「少し黙ってくれないか。結局は、ママも僕の事なんかどうだって……いや、いい。そろそろクロエが目を覚ます」
ジョージの部屋。ホログラムでは彼の生活臭まで再現は出来ない。本来の部屋に連れてきてこそ、クロエはよりホロをジョージだと信用する。
懐かしい我が家の匂いに鼻を動かしたクロエが、ベッドで動き感触を確かめた。
大粒の黒い瞳が視界を捉える。大好きなジョージがそこに居て、クロエは叫び声を上げながら抱きついた。
「すっごく、怖い夢みてた。ジョージが死ぬって。遊園地に行く夢で……」
ヨシュアが珍しく戸惑っていた。ジョージを突き放した皺寄せが、ここに来て出てしまった。彼がどんな喋り方をしていたのか、覚えていないのだ。中に居る偶像が『口ヲ貸セ』と呼びかけてくる。
ほんの僅かに目元を歪めたヨシュアが、偶像に口を明け渡した。
「ようやっと起きたか、クロエ。心配したぞ。昨日から寝込んじまってな。アッチッチだ。熱を出してたんだ。分かるか?」
「え、そなの……エマは? 私、キングのとこにいたでしょ」
「診療所はこっちの方が近いからな。お姫様を担いで戻ってきたんだ」
「ホラ、こいつに着替えろ。汗だくじゃないか。また、風邪を引いちまうぞ」
「なんで。なんで夢と同じ格好してるの?」
「大分、うなされてたからな。色々ごっちゃになるのも無理ないさ。腹が減っただろ、何か食うか」
「……
キッチンから顔を出した
「もう少し体調が良くなってからだ、クロエ。
再びキッチンに引っ込んでいった
「しっかし、何にもないな。久々の我が家だから仕方ないか。買い物に行ってくるよ」
――
しかしクロエは、それを口に出来なかった。してしまえば最後、ジョージの死が現実という事になってしまう。小さな唇を噛んだクロエは、空元気に「行ってらっしゃい!」と
「ジョージは死なないもん。あれは全部、夢だもん」
頑なな表情で同じ台詞を繰り返すクロエ。その時、ベッドの下で鈍い輝きを放つ何かが目に入った。遊園地で下げていたポシェットだ。夢の中のジョージは「コイツを離さずに持っているんだ」と言っていた。
「……ナイフだ」
クロエがポシェットから取り出したもの。それは、偶像のナイフであった。
◆
州都市部の病院前にセツコとカインが居た。バイクに跨がったセツコの後ろでカインが
「どうしてこっちにくっついて来たんだい。アンタは嫁さんの側にいておやりよ」
「セツコの護衛はレイラの安全に直結してるだろ。俺が軍を動かせる訳じゃないし、
溜め息をついたセツコは、病院を見上げつつ煙草に火をつけた。実際の所、カインの護衛には感謝していた。いくら死神の能力を一部譲渡されているとは言え、肉体は一介の老人だ。しかし、セツコなりの言い分はあった。
「この病院の地下にプルトは拘束されている。いいかい、カイン。中に居るのは、非戦闘員だ。殺すんじゃないよ」
「どうかな。非戦闘員だって殺人を犯す奴はいる。俺は自分の判断で動く」
「ああ言えばこう言う……面倒くさい男だね。よくレイラもアンタみたいな男に惚れたもんだよ、全く。ホラッ、行くよ! しっかり、つかまっときな!」
セツコがバイクのクラッチを握り絞め、シフトペダルを踏み込んだ。そうして一気にバイクを加速させると、そのまま病院に突撃していった。
入り口のガラス扉が派手に割れて、激しい音を立てる。受付ロビーに居た来訪者の悲鳴がこだまする中、セツコがギアを入れ替えた。直ぐにクラッチを緩めて減速させる。
老齢とは思えぬドライビングテクニックに、後ろに座るカインが目を丸くしていた。
「悪いね! どいておくれ!」
セツコが片手で
そのままロビーを突っ切ろうとした時、銃声が
「行け! セツコ!」
バイクから飛び降りたカインが、受付カウンターに滑り込んだ。プルトを拘束しているくらいだ。最低限の戦闘員が居ないと逆におかしい。カインの予想は当たっていた。
カウンターに潜んでいた傭兵の首を、足で絡めて締め上げる。ポキリと骨の折れる音がして、そのままライフルを奪ったカイン。彼は割れ落ちたガラスに目をやった。
鏡状になったそれからは、吹き抜けの二階部分が丸見えだ。
武装集団の一番奥に見知った顔を見つけたカインが舌打ちをした。名前は知らないが、エデンの家地下で
男の戦闘能力自体はたかがしれている。しかし、スタンドプレイありきの
フロアは、簡易ソファーがあるくらいで、コレと言って身を隠すものがない。訪問者に死傷者が出なかったのは幸いだが、逆に彼らを人質にされてしまった。
カウンターに背中をピタリと付けたカインは、ライフルの残弾を数えた。残り六発。それだけで辿り着けるか。
シン……としたまま、音沙汰のない受付カウンターに
悲鳴が響き渡り、二階に居た戦闘員にも動揺が走る。
ガラス片を鏡にしたカインが、後ろ向きで銃口をカウンターに乗せ、発砲していた。
フォーメーションが崩れた傭兵に、また一発。間髪を入れずもう一発と、確実に仕留めてゆく。撃たれた者達はもれなく絶命し、フロアに落ちていった。ロビーに居る一般人達は、身を伏せるのに精一杯で、声も上げられなくなっている。
そうして六発全てを発砲し終えた時、死体で出口までの道が出来上がっていた。
これが道だと悟られては意味がない。カウンター内で殺害した傭兵を盾に、カインが飛び出して来る。コイツはただのデコイ。直ぐさま、次の死体に潜り込んで武器を奪い、盾にしては戦闘員を片っ端から撃ち抜いてゆく。
余りの手際よさに傭兵達が怯んで、後退を始めてしまった。一番奥に居る男も、ヨシュアの判断を仰ぐか迷い始めている。狙いはそこにあった。統制が乱れれば、あっという間に崩壊する即席集団だとカインは踏んでいた。
――ビンゴ。今だ。
カインが、バイクでぶち壊した病院入り口の前に立って叫んだ。
「早く! ここから逃げて!」
言った傍からエントランスの屋根に飛び乗り、二階部分のガラス窓を突き破って突入する。発砲する隙を与える訳にはいかない。
カインは身体を回転させながら、靴に仕込んだナイフで次々と戦闘員を仕留めていった。
一方のセツコは、
ルルワの
この先に、プルトを拘束しているエレベーターがあるのは明白だった。
「ルルワの奇跡を止めてなるものか! ジャンヌ・ダルクは降臨するんだ!」
「アンタ、医者だろ? 自分で病院が必要な状態になってどうすんだい! 子供らを離しな!」
子供達の首には、もれなく注射針が突きつけられていた。看護師には銃口が向けられている。
セツコは額に切れ目を作ると、第三の目から閃光を放った。彼女の光は、人間であれば一時間は視界を奪う事が可能だ。それだけ強烈な光なのである。当然、攻撃は子供達にも及んだ。
「「「ギャッ!」」」
絶叫と共に、分厚い盾が崩れ落ちてゆく。
その刹那、発砲音がしてセツコは激痛に顔を歪めた。光も急速に勢いを失ってしまう。
銃を放ったのは、人質のフリをしていた看護師であった。
肩を撃たれたセツコが、睨みつける。
「特殊なコンタクトレンズか。ルルワの構成員かい、アンタ」
「バッカじゃない? クソみたいな陰謀論になんて興味ないね。金目当ての傭兵だよ。分かりやすいだろ」
看護師はスカートをたくし上げると、ガーターベルトに仕込んだナイフを手に取った。その数、八本。子供を踏みつけて、飛び上がってくる。
悲鳴と共に、踏みつけられた子供の頭部から血が流れた。
「馬鹿なのはアンタも同じだよ!」
セツコは
「ギャッ!」
堪らず叫ぶ度、セツコの身体に血の花が咲く。
銃弾とナイフ、合わせて三発をくらった時点で、セツコは
カインの言った通り、狭い廊下ではリーチが長過ぎるのだ。そのまま走って行ったセツコは、女にラリアットをお見舞いした。
まさかのプロレス技に女も避けきれず、モロに受けてしまった。持っていたナイフが宙を舞い、落ちてゆく。
女は手練れとはいえ、所詮は傭兵。死神の仕組みに知識がない。一部譲渡者となれば尚更だ。存在を知る者は、ほぼ皆無と言って良い。
セツコの一撃で、壁に穴が開くほど吹っ飛ばされた女は、血を吐き捨てた。「ババア!」叫びながら、セツコの首を狙って突進してくる。
すかさずセツコが顔面を掴みにかかった。ミシッと頭蓋骨の軋む音がして、女もセツコの傷口を思い切り掴んだ。親指が傷口にめり込んで、容赦なく肉を
「ぐぬぅううううう!」
両者、一歩も引けを取らない。そのまま頭蓋骨を割ろうとしたセツコの脛を、女が蹴り上げる。バランスを崩したセツコが倒れて込んでしまった。顔面を掴んでいた手も離れてしまう。
医師達のうめき声と子供達の泣き声が聞こえる中、女がセツコに馬乗りした。勝利を確信した笑みを浮かべている。
頭部を破壊しようと膝立ちになった、その時だった。女の股間をセツコが嫌というほど頭突きしたのは。
「ギッ!」
もんどり打って倒れた女が転げ回る。血まみれのセツコは、女の頭をこれでもかと蹴り飛ばした。再び吹っ飛ばされて、壁に激突し、ずり落ちてゆく女傭兵。
「股間は何も男だけの急所じゃない。それぐらい習わなかったのか。べっぴんの傭兵さんよ」
そう言い捨てたセツコは女を抱え上げると、勢いをつけ、大きく後ろに倒れ込んだ。渾身のバッグドロップを決める。頸椎の折れる軽い音がして、女が息絶えた。
ゆらりと立ち上がったセツコは、目をやられ腰を抜かしている医師達に問いかけた。ファイティングポーズを構え、手招きする。
「老いぼれとまだやり合いたいってんなら、かかってきな。プルトは返して貰うよ」
◆
アンナが「最後に」と
そこら中に散らばっている頭蓋骨からは、見た事もない花が蔦を這わせ、咲き乱れていた。研究所は、建物自体を巨大な木が貫いている。ここだけ、数千年の時を経てしまったような朽ち果てっぷりであった。
キングの手を引いたアンナは、噴水であったとおぼしき場所で足を止めた。辛うじて形を留めているだけの、公園。
「この場所で、エヴァと出会ったの。彼女はね、キング。貴方を身ごもってたわ」
「……アンナ。僕は母さんを殺したんだ」
振り向いたアンナを、傾き掛けた太陽が照らしていた。彼女は笑っているようにも、泣いているようにも見えた。鳥が一斉に羽ばたいてゆく。
「私、エヴァの真似をしていたの。試験管で作られた子供だから、母親を知らなくて。彼女は、とても柔らかくて温かかった。幸せの匂いがしてた。お日様みたいだったわ」
「僕の知ってる母さんは……」
「いいの。それ以上は言わないで、キング。エヴァは、貴方に終わらせて貰って幸せだったと思う。彼女ね、外の世界を見て欲しいって言ってた」
キングの唇が震えて、涙が頬を伝っていった。生きる自信を失いかけた小さな肩に、痩せ細った指が伸びてくる。すがりつきたいほどに恋しいのに、応える事が出来ない。
顔をくしゃくしゃにしたキングは、サファイアブルーの瞳から大粒の涙を零した。
「僕には名前がなかったんだ。
「キング。王様って意味だと言ってたわ。エヴァは貴方を愛していた。本当の事よ。身体に胎内の記憶が残ってた。それだけで十分だわ。私には親の記憶がないもの」
大きく深呼吸をしたアンナが、キングの手を取った。そっと
「私にも証しを残して、キング。過去を改ざんして、出会わなかった事になっても、愛し合っていた事実は変わらないわ。この身体で覚えておきたいの。
「アンナ……」
二人はどちらともなく近寄ると強く抱き合った。細い身体をキングが抱きかかえて歩き出す。二人にはもう、何も話す事が出来なかった。アンナの手が、キングの胸にある傷に触れる。
二人は崩壊した研究所の一室で、ただひたすらに泣きながら、身体を重ねた。
◆
ジョージのアパートから出て直ぐの路地裏。そこに自分の車が止めてある事に気づいたヨシュア。彼は、車内で報告を受けていた。
報告をしているのは、そばかす顔の運転手レベッカだ。
「プルトの奪還に、カインが病院に現れました。アジア人の老婆と一緒です」
「アジア人の老婆? 何者だ、そいつは。調べはついているのか」
「ナガサキに居る構成員から連絡がありました。妙な力を使う女だそうです」
妙な力。ジョージのアパートに現れた、時空の切れ間を作った主だ。手渡されたファイルに目を通していたヨシュアは、怒りを露わに座席を蹴り飛ばした。
「セツコ・モリシタ? ジョージの血縁者じゃないか! あの鬱陶しい男をようやく排除できたと思ったら……なんなんだ、この一族は! おい、偶像。モリシタ一族に何をした」
「私ガ欲しカッタのは、ノブヒコの頭脳ダケだ。セツコにハ、手ヲ出してイナイ。最モ、出せなカッタと言ウのが正しイ。あの女ハ、魔術師ノ管理下にアッタからナ。相互不干渉ノ掟は知ってイルだろウ」
「クソッ、とっくに魔術師は死んでいる。忌ま忌ましい出来損ないが動いていたのか。急いでカイン奪取に向かうぞ。レベッカ、傭兵の増員は出来るか」
バックミラーを覗き込んだレベッカが、歯切れの悪い声で答えた。
「ステファン大統領の引退で、ホワイトハウスは選挙一色です。逃げ出した患者の証言から、医師らによる立て籠もり事件として、立証を回避出来ません。荒事は避けたいと、傀儡達が」
「何が荒事は避けたいだ。極右組織が聞いて呆れる。偶像、このまま病院へ……」
ささくれだった言葉が途切れ、奇妙な沈黙が流れる。
ヨシュアが突然、車から飛び降りた。身に纏っている偶像から、出来るだけ距離を取るべく宙を浮く。
アジアンタウンを見下ろせる高さまで、浮かび上がったヨシュア。彼は、焼けるような夕日を浴びながら高層ビルの方角を見た。
「何故戻ってきた、アンナ」
茫然とそう呟いたヨシュアは、黒マントをはためかせると、高層ビルに向かって急滑空していった。
-つづく-
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