最終章:キングの誕生

最高の恋人-Ⅰ

 米帝のステファン大統領が病気を理由に、人前に出なくなって半月が経った。


 突然の引退発表ニュースが世界中を駆け巡った、この日。


 ソビエトは赤の広場を遠くに臨む、ロシア正教会。その地下室に、フランツ・デューラーとノースが居た。


 フランツは、キングと養子縁組を結んだヘッゲルの弟。冷戦が崩壊したソビエトにおいて、新興財閥オルガリヒに巨額投資をするやり手の投資家である。一方のノースは、現存する特別顧客では最古参。現在は、ヨシュアから特別顧客称号を剥奪され、粛正を待つ身である。


 正教会の地下室に案内されたフランツは、陳列された拷問道具を見てげんなりとしていた。


「久しぶりにと寄ってみれば……こんな場所に軟禁されていたのか、ノース」


 すっかり覇気のなくなったノース。そんな彼を見やったフランツは『冷戦崩壊の余波で、内部闘争が激化したのだろう』位にしか考えていなかった。


「嫌味か、フランツ。どうひいに見ても監禁だろう。まあいい。コミンテルン共産主義インターナシヨナル構成員が君を拉致したそうじゃないか。アレは完全にこちらの手違いだった。本当に済まなかったな」


「君の口から、謝罪の言葉を聞ける日が来るとは思わなかったよ。全く嬉しくないがね。善意の人がコミンテルン共産主義インターナシヨナルの犠牲になった。それで、粛正はいつ?」


「引き継ぎが終わったら直ぐさ。こちらも特別顧客を立てない訳にはいかないからな」


 特別顧客。その言葉にフランツが訝しげになる。


 彼は特別顧客や死神の存在を全く知らなかった。解体された教団イブの庭が事件を起こした時に、中央情報局CIAから拘束されている。キングの取引により、エマが実兄ヘッゲルを殺害した経緯も加わって、実情から最もかけ離れた場所にいた。


 湯気の立つ紅茶に口を付けながら、何の話だとはなじろむフランツ。そんな彼に、ノースは現状に至った経緯を簡潔に説明した。もちろん、特別顧客制度の概念も含めて。


「何処かで見たコミックみたいな話だなあ。本当にそんなものが実在するのか? ノース」


「逆だ、コミックを元に組織を作ってる。特別顧客制度は18世紀からだがな。反グローバリズムを煽るにはコイツが一番、効果的だ。素朴な者ほど簡単に民主主義を否定するようになる」


「呆れると言うか何というか……流石はKGB。中でも君のような者が言うと、説得力が桁違いだな」


「真面目に聞け、フランツ。それは置いておくとしても、オリヴァー副大統領。アイツから嵌められたのは事実だろう」


「オリヴァーは大統領に昇格だ。ステファンが引退を発表してね。大統領署名と声明発表があった」


「最悪だな。オリヴァーはとっくに死んでるぞ。今の中身はイタリアの極右組織だと聞いている」


 フランツはあくまで現実主義者である。早い話が、自分で見たものしか信じない。けんのんな目つきになったフランツの前に、突如として光の切れ間が現れた。


 幻覚剤でも入れたかと、フランツがノースを睨みつける。しかし、光の切れ間からエマとセツコが姿を現した時、持っていたティーカップが床に落ちて割れた。


 エマはエマで、最も会いたく思っていた人物が目の前に居て、小さな悲鳴を上げていた。


「フランツさま……!」


 駆け寄ってきたエマは涙を流していた。フランツの膝に手を置き、頭を垂れる。現状を飲み込めないフランツは、混乱する頭を整理しようと他意のない話をしたつもりだった。


中央情報局CIAから聞いたよ、エマ。君は私の姪だったんだね」


 項垂れたままのエマが青ざめ、唇を震わせる。『父を殺したのは私です』言葉が喉元で引っかかって、どうにも出てこない。正直、今はエマに懺悔をさせてやる猶予すらない。そう判断したセツコとノースが会話を始めた。


「手首から先はどうした、セツコ。レイラはまだか?」


「それが数十年ぶりに会う同僚に掛ける言葉かね、全く。レイラは後から来るよ」


 セツコは煙草に火をつけると、持っていた自然療法誌をテーブルに投げた。ルルワのまつえいが発行している件の機関誌だ。手に取ったノースは、これらから言われる事を察して、セツコの鋭い眼差しを逸らした。


「何回目だ。一体、何回同じ事を繰り返すつもりなんだい! 日本の特別顧客参加権を奪って、ヒロシマとナガサキまで破壊して。まだ足りないのか! コイツはコミンテルン共産主義インターナシヨナルのやり方だ。アンタ達が繰り返さなければ、あの若造も模倣しようなんざ、考え及ばなかったろうよ!」


 一息で言い終えたセツコがテーブルを強く叩いた。事情は未だ飲み込めないものの、セツコの言葉にフランツが同調する。涙するエマに座るよう促したフランツが言葉を繋いだ。


「私の兄もだったが、君達は恐れすぎてる。人類の可能性が怖いんだ。いいかい、ノース。人類は永遠に未完成なんだよ。だから、努力をするんじゃないか。失敗をしても立ち上がり、掴み取る権利がある。それが自由であり、希望だと私は思うよ」


「……これから粛正されるってのに容赦ないな、二人とも。悔しいが、その通りだ。称号者ヨシュアを産み出したのは、我々だよ。あの子にだって、幸せを模索する権利はあった。全てを奪った挙げ句がこのザマだ」


 一通り説明を受けていたフランツがヨシュアの名を聞き、顔を覆った。コミックみたいだとした世界観を否定が出来ない。ずっと泣いていたエマが顔を上げ、おずおずとばつかくきんワクチンをテーブルに置いた。


「ヨシュアはばつかくきんを使って何かしようとしております。何か心当たりはありませんか? ノースさま」


「魔女裁判の再現かもしれないな。奇跡を見た者の多くが、ばつかくきん中毒だったのではないかと言われている。今でこそなくなったが、ありふれた農作物病でな。LSDはコイツから作られた」


 セツコがルルワの末裔が発行した自然療法誌を広げる。中の文言を見た全員の顔が曇った。


『東の黒き血よりジャンヌ・ダルクが再臨した。その者は生命の記憶を瞳に宿す』


 

 ブラックダイアモンドの二人を、ジャンヌ・ダルクになぞらえている。


 その時、セツコの作った時空の切れ間からレイラとカインが姿を現した。





 ◆





 現れたレイラは酷く焦っていた。長い黒髪が汗で湿っている。趣味の悪い拷問部屋に集うメンツを見渡すと、いの一番にセツコを捉えて訴えた。


「ジョージとキングが分断されたわ。ねえ、セツコ。死神能力の一部譲渡って簡単に出来るの?」


 甥っ子の余命に心を痛めていたセツコだったが、嘆いている時間はない。ついにこの日が来てしまったかと、顔を強ばらせる。そして、それを悟られぬようにするのも年長者としての務めだった。悲しみを押し殺し、何でもない風を装う。


「身につけているものを、死神本人の意志で渡せば譲渡が可能だよ。実際に……」


 セツコは革ジャンの裏地に留めてあった、薔薇細工が美しいブローチを外してテーブルに置いた。


「プルトの能力は、このブローチで譲渡された」


「セツコ。今すぐ、私に力を譲渡して」


 部屋に入ってきた時から、納得のいかない顔をしていたカインがレイラの肩を掴んだ。それだけは許さないと、目の奥が懇願と怒りでぜになっている。


「落ち着け、レイラ。お腹の子はどうなるんだ。プルトの能力は、プルトニウムにまつわる能力なんだろ」


 レイラはカインを見なかった。肩が上下して、浅い呼吸音が聞こえてくる。『ヨシュアがついに事を起こし始めた』言葉にしないでも分かる。全員に胃の痛くなるような緊張が走った。


「……子供は諦めるのよ、カイン。これは戦争だわ。戦争が始まったの」


「おい! お前一人で決め……」


「一部譲渡者は人間である。人間から人間に能力の譲渡は出来ない」


 最初、その声が誰なのか、部屋に居る全員が把握出来なかった。エマの悲鳴が聞こえてきて、ようやく声の主が判明した。顔を覆ったままのフランツだ。気づいた瞬間、場が一気に凍りついた。


 フランツは、ぎこちない動きで立ち上がると眼鏡を外した。グレーの瞳は何も捉えておらず、意識を消失しているようにしか映らない。『何が起きた?』と凝視する面々を見渡したフランツは、部屋の中をゆっくりと歩き始めた。


「私の名は。死神界で調停者をしている。人間はと呼ぶらしいが。今回の件、死神界でもかん出来なくなり降りてきた」


 ようやく会えた最愛の人、フランツ。そんな彼を全くの別人にされたエマが、アーキテクトと名乗る別の何かに掴みかかった。


「何をしたの? やめて。あの人を返してよ! フランツさまを私から奪わないで!」


 アーキテクトは落ち着き払った表情で、生気のない瞳を向け微笑んだ。


「私には実体がない。言わばだ。だから、身体を借りている。人間界では憑依と呼ぶらしいが、このような体質の者は多い。例えばそこに居る、褐色肌の少年。彼も同一の体質だ。貴方に謝罪をする。きちんと身体は返すと約束しよう。安心して欲しい」


 この際、何があっても驚かない。年長者のセツコがエマの肩を抱きながら、アーキテクトに問いかけた。


「アンタは死神界の頂点だね。能力の譲渡で現れたのか。だったら頼みたい事がある。偶像っていう死神が暴れている件は知ってるだろう? あれを引き取って欲しい」


 きびすを返したアーキテクトが、感情を喪失した顔で残酷な真実を告げた。


「寿命が来れば回収する。引き取りはしない。そもそも偶像を欲しがったのは貴方方、人間だ。第一次産業革命の時に、我々死神は選択の余地を与えた。そして、選んだのが偶像だったのだ。我々は契約を遵守する」


 アーキテクトは全員の顔を見渡すと、ノースの前で視線を止めた。


「先の大戦での出来事を、死神界はまだ許していない。プルトの件だ。死神にも意志がある。我々の総意をまずは理解して欲しい」


「長生きするもんじゃないな、セツコよ。もう少し、楽に死ねると思ったんだが。これが私の罪なんだろう」


 肩を落としたノースが、ボソリと呟く。セツコがやりきれない顔をして「直ぐに後を追うさ」と声を掛けた。悲壮感が漂う室内で、アーキテクトが無機質に話を続けだす。


「死神界の頂点と言っても、私の能力は未来視だけだ。人間がエンマと呼ぶのは実に不思議な現象と捉えている。私に裁く権限はない。ただ、視るだけだ」


「じゃあ、何のために人間界に降りてきたのよ」


 レイラから怒りを剥き出しにした声が聞こえてきて、全員の視線が彼女に集中した。レイラはブラックダイアモンドとして片目を犠牲にしただけでなく、お腹に居る我が子まで犠牲にしようとしているのだ。彼女が怒るのも無理はなかった。


「私の能力は先ほどから言っているように、未来視だけだ。先に降りるのが視えた。理由は常に後から加わり、かつ流動的だ。芸術と同類のものである。私には視えない。『かん出来ない』今回はこれが理由となった。よって私は今、ここに居る」


「だったら、早いところ譲渡して。時間がないの。ジョージだけじゃなく、キングも死ぬわ」


「能力の譲渡はまだ必要ない。譲渡には死神が必要だが、私ではない者が譲渡に立ち会う。そして、今起きている問題は人間達が自らで解決する」


 束の間の沈黙の後、アーキテクトが最後の言葉を言い放った。


「もう一つ、告げる事がある。退。『かん出来ない』より紐付けされた、死神界の総意だ」





 ◆





 フランツの瞳から完全に色が抜けて、意識を失った。ぐらりと倒れ込んだ身体にエマが走り寄る。「フランツさま!」身を挺して彼を支えたエマが叫んだ。フランツが意識を取り戻したのは、それから数分後の話であった。


 こめかみを押さえたフランツが、床に座る。そうしてエマの涙を見つめながら「ありがとう」と微笑んだ。


「半信半疑だったが、本当に死神は存在するんだね。ノース、特別顧客の件。信じるよ」


「意識があったのか?」


「ああ。身体の底に意識があるって感覚だったがね。やりとりは全て見聞き出来たよ」


 フランツは、この室内に居る者の中では最も顔が広く、また政治に口利きを出来るだけの権力も持っている。時間がない。合理主義らしく、早々に判断した彼は全員に告げた。


「事情は分かった。私の方から仏と独、それから英に掛け合ってみよう」


「あのクズは西側を取り込んでるわ。ばつかくきんだって、東側に散布したんだと思う」


 エマから眼鏡を受け取ったフランツは、酷く真剣な顔で訴えるレイラを見やった。バツの悪そうな顔をしているノースの代わりに答える。


ばつかくきんは西側を重点的に散布した可能性が高い。ヨシュアという青年は、コミンテルン共産主義インターナシヨナルのやり口を模倣している。西側がいくら取り込まれたとは言え、特別顧客制度を政治の中枢は知らない。そうだね? ノース」


 ノースは項垂れて、ただ肩を落とすしかなかった。唇を噛んだセツコが、拷問道具の横にある武器コレクションを見た。なぎなたを手に取る。


「ふん。良い趣味してるじゃないか、ノース」


「そんなにリーチの長い得物、無理だろ? セツコには片手しかない」


 戦闘オタクのカインが止めに入った。確かになぎなたは、両手があってこそ、初めてその威力を発揮する。手袋を被せたセツコは、両方の手で美しい構えを取った。失った筈の手が手袋を通して、そこに残っているかのように映る。


「一部譲渡の恩恵さね。私はこれからプルトの解放に向かう。外にあったバイクを借りるよ。安心しな、レイラ。お腹の子を死なせたりなんてするもんか」


 プルト、その名前を聞いただけでどういう死神かを察したフランツが続けた。


「最低でもキューバ危機レベルの有事を想定しておいた方が良い。NATOを公式には動かせない。しかし、訓練という名目で軍を配備する事は可能だ」


「フランツ、相手もNATOを動かそうとしてくるぞ」


「死神界は、特別顧客制度から一時撤退するんだろう? ヨシュアという青年は非常に賢いがまだ若い。ステファン大統領の引退を焦ったね。金の亡者の間で、オリヴァーは評判が良くないんだ。私を拘束して墓穴を掘った」


 残るはばつかくきんワクチンの培養だが、これもフランツの人脈で直ぐに話がついてしまった。ただし、こちらは既に存在する解毒剤の生産を急ぐ運びになった。余りの手際よさに、誰もがキンドリー親子による、フランツ拘束の意味を悟っていた。


「……キングはキンドリー家の実子よ。それは知ってるの? フランツ」


 思わず口にしてしまったレイラに、フランツが柔和な笑みを浮かべ、強い眼差しを送った。


「私も兄がコミンテルン共産主義インターナシヨナルでね。ナチスとして、沢山の人を殺した。憎しみはきようさくに陥るだけだ。何の問題も解決しないし、誰も幸せにならないよ。さあ、時間がない。動こう!」


 フランツのかけ声に全員が一斉に動き出した。ノースは最後に「ありがとう。本当に済まなかった」と謝罪をして、粛正に向かった。





  -つづく-

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