女帝の行方-Ⅰ

 州都市部の高層ビル。住人がついに一人となってしまったキンドリー邸では、ヨシュアがぼんやりと天井を眺めていた。まだ昼間だと言うのに、シルクのガウン一枚でソファーに身を預けたままだ。


 そこら中にワインの空き瓶が転がる中、セブンが状況報告をしていた。


「やはり、アンナをジョージに監視させるのは危険かと思いますが。せめて拘束場所をこちらに戻すべきかと」


「アンナね……アレをどうにかして男に出来ないか?」


「性転換手術を受けさせれば可能です。手配いたしましょうか?」


「ハァ? 何だお前……冗談だよ。拘束場所は変えない。アレにはそれ相応の罰を与える」


「そうですか、かしこまりました。続きまして、今後の予定についてですが。ステファン大統領の新しいかいらいは、イタリアから選出したいとヨーロッパ連合が」


 ジョージに装着してもらった義手で几帳面に手帳のページをめくセブン。その姿を真顔で見つめていたヨシュアが唐突に吹き出した。


「マフィアでも極右でも軽い神輿ならなんだっていい。それよりも、セブン。前から、そんな性格だったっけ?」


 ガウンから長い足が伸びてセブンを誘う。しかし、セブンは困惑気味に俯いただけだった。無意識に後ずさってしまい、二人の間を微妙な沈黙が走る。ヨシュアがその変化を見逃すわけがなかった。


「……セブン、自分の経歴を言ってみろ」


 手帳を畳んだセブンは、簡潔に経歴を伝えた。母親がカルト教団にはまってしまい、父親が自殺してしまった事。それが原因で一家離散した事。高校を中退せざるを得なくなってしまった事。


 妙に真面目くさった一本調子。それを聞いていたヨシュアの笑い顔がみるみるうちに強ばっていった。


「あのバカ! よりにもよって自分の記憶を上書きしたのか!」


「はい?」

 

「ジョージなんか二人も要らないんだよ!」


 ワイングラスを床に叩きつけたヨシュアが歩み寄る。彼はセブンの義手を外すと、まだ縫い跡が残る傷口に唇を寄せた。驚いて及び腰になったセブンのケロイドを指でなぞる。


セブン。私の為に死ねるかい?」


「ええ、もちろん。俺は貴方の忠実なしもべですから」


「……そういう意味じゃない」


 幼子のような振る舞いのヨシュアが胸元に顔を預けた。硬直するセブンを無視して、飛び散ったガラス片の上を裸足で歩く。ヨシュアの血がワインを上書きして、大理石の床を赤く染めた。


「足を怪我されているではないですか! 特別顧客。直ぐに医者をお呼びいたします」


 反応がジョージくさいにもほどがある。


 目を見開いたヨシュアは、セブンの髪を掴むと乱暴にひざまずかせた。冷徹な眼差しで、血まみれになった足を突き出す。


「私に忠誠を誓うなら、この足を舐めろ」


 髪を掴まれて怯えていたセブンうなれると、口でガラス片を取り除き始めた。振り子時計の音だけが室内に響き渡る。口周りがヨシュアの血で汚れきった時、急にセブンが恍惚としだした。


 ようやく目を覚ました、ヨシュアの狂信者。セブン、本来の姿。


「何処にも行かないで下さい。俺には貴方しかいないんです、特別顧客」


「やっと戻ってきたか」


「ああ、俺だけの特別顧客だ! ジョージとアンナには……そうだ、罰を与えないと!」


 セブンは滴る血を大事に拭うと、床に落ちた義手を邪険に蹴り払った。ヨシュアは面倒なバカことジョージを忘れようと思った。考えただけで、気分が悪くなる。バカは単純なのが一人居れば沢山だ。


「偉いね、セブン。そうだ、特別にカインを殺しても良いよ」


「本当ですか?!」


「ああ、死体が手に入ればそれで良い」


 ヨシュアはキングが州警察達をにしたと報告を受けていた。カインでも同じ事が出来るという算段になる。アンナはその為の撒き餌。


「出来損ないも撒き餌の仕掛けには気づくな。ヤツのお友達でお出迎えしてやろう。狙撃手ガンナーとして後方支援に使え」


「友達って、眼鏡のガキですか?」


 ヨシュアは笑って手を叩くと、出血の止まらない足で機嫌良さそうに歩き出した。


「眼鏡君は用済みだ。もう一人居るんだよ。今から会いに行かないか? ノーマンって言うんだ」


 そうと決まれば話は早いとガウンを脱ぎ捨てたヨシュア。そんな彼にセブンが分かりやすい欲情を剥き出しにしていた。


 ヨシュアは「お前の鳴き声も悪くない」そううそぶくと、セブンをソファーに押し倒した。

 




 ◆






「放射能完全除去装置……」


「そう言ってたわ。貴方のお父さんは」


 エデンの家にある地下。そこでは引き続き、ジョージとアンナの対話が行われていた。


 ジョージの父ノブヒコが自死した時に、金庫を含む書斎は全て確認した。放射能に関する論文がやけに多かったのを思い出したジョージは、しきりに無精ひげを触っていた。


「親父が研究所に入った理由は分かった。一度だけ、生まれは長崎だと聞いた事がある。けれども、なんだって人体実験になんか手を染めたんだ」


 顔を上げたアンナが、見えぬ目でジョージを確かに見ていた。


「ジョージ、貴方の中にいるにそそのかされた」


「偶像か……」


 思わず腹部を押さえてしまったジョージ。彼は抱き続けていた矛盾をどうにも無視出来ず、アンナに尋ねた。


「ブラックダイアモンドの資料は20年前からだった。けれども、アンナ。お前は23歳だ。辻褄が合わない」


「……が全てを狂わせた」


 アンナはジョージに水を求めると、一息でそれを飲み干した。


「父さんが亡くなる前に言ってたの。ノブヒコは人体実験に乗り気じゃなかったって。ブラックダイアモンドは偶像が作ったとも言ってたわ」


「ブラックダイアモンドの中身は、だ……」


「ええ。仮に偶像がノブヒコにだけ、それを渡していたとしたら? 彼はそうでなくとも戦争に敏感だった。中身を知った瞬間、どうにかしていんぺいしようとするでしょうね」


 今度はジョージが水を求める番だった。喉が酷く渇いてひりつく。彼は自らが死神となった事でよく理解をしていた。父親が破棄ではなく、いんぺいを選んだ理由を。偶像ならば、いくらでもチップを作り出せる。いたちごっこになるだけ。


「それでもエヴァを作った時点で親父の手は汚れてた。俺に輸血をしたのだって、狂気以外の何者でもない」


「ねえジョージ。私にも、辻褄が合わないって思っている事があるの」


「何だ?」


「父さんは、ブラックダイアモンドの器として私を作った。知っている筈なのよ。チップが25年以上前から存在していた事を。それなのに、レイラの真実に驚いてたわ」


 ふと浮かんだ仮説が一気に肥大化して、確信となって襲いかかる。がくぜんとしたジョージは頭を抱えるしかなかった。


「まさか。偶像が操っていたと言うのか? 最初から何もかも」


「ノブヒコ所長は亡くなる前、洗脳が入らない子を熱心に研究してた。兄さんには内緒で……


 ジョージは再び、ヨシュアが偶像を「ママ」と呼んでいたのを思い出していた。肌があわつのを止めてくれない。何が虚構で何が現実なのか。考えただけで正気を失いそうだった。


「偶像の力はかけていくだけだ。解く力を持ってない。ヨシュアはその……自分の矛盾に気づいてるのか?」


「正直、分からないの。こんなに長く一緒に居たのにね。けれども、一つだけ言える事があるわ。貴方の中にいるモノは、心の隙間に入り込むのがとても上手よ」


 脂汗をかいたジョージが、後ずさって地下室を見渡す。彼は肩で息をすると、目を瞑って何処かへ信号を流し始めた。01のプログラムコードが頭上を渦巻いては、煙のように立ち消えてゆく。


 二人が居る真上は、レディマムが事務所にしていた部屋だった。半透明のコードが次々と電話線に吸い込まれてゆく。


 地上では雨が降り出したようだ。遠くで雷鳴が聞こえる。地下に漏れてくる雨だれの音が、二人の間をこだまし続けていた。

 




 ◆






 繁華街にある廃ビルでは、キングとレイラ・カイン夫妻が策を練り続けていた。だが、どうシミュレーションしても、アンナ奪取を撒き餌に利用される絵面えづらしか見えない。


 眼鏡のマシューとの一件を引きずったままのキングが、弱気な表情でポツリと呟いた。


「アンナを下手に動かさない方が良いのかも。少なくとも殺される事はないだろうから」


「例の計画が遂行されれば万事OKだからって事? アンナの気持ちはどうなるのよ。というか、アンタはどうしたいわけ?」


 ラップトップから交通局にハッキングをかけていたカインが、深いため息をついた。苛立ってクッションを揉みくちゃにしているレイラの肩を叩く。


「ヨシュアがアンナをどう思ってるのか分からないんじゃないか?」


「私はキングの意思を聞いたんだけど。クズが何を考えてるかなんて決まってるでしょ。『全ては俺様の所有物』よ」


「それがそうとも言い切れないんだよな……」


 思惑ありげにぼやいたカインがキーボードを叩く。ハッキングに成功して、地下下水道地図がラップトップに表示された。


「ヨシュアが俺に向けてた感情は、あんなんでも愛情のつもりだったフシがある」


 目をまん丸にしたレイラが、カインの横顔をぜんと見つめていた。


「嘘でしょ?」


「性欲と混同している可能性は否定出来ない。実際、やってる事は支離滅裂だしな。それでも、歪な愛情というか……その手のものがあったと思う」


 ちんまりと膝を抱えていたキングが、顔を伏せながら誰にともなく独りごちた。


「……


「え?」

 

「僕の中にもあるんだ。アンナを愛してるって想いと同じくらい、彼女から選ばれたい。離れて欲しくないって気持ちが」


「ちょっと待って」


 けんのんな表情のレイラがキングにクッションを投げつけた。


「今更、あのクズと話し合いでどうにかしようとか考えてないわよね?」


「そんなのは考えてないよ! けど……」


「けど何よ」


「兄にもって気持ちがあるんじゃないかな」


 その言葉に心当たりがあったのか、地図をなぞっていたカインも完全に手を止めてしまった。レイラだけが全く腑に落ちず、不愉快を露わにしている。


「もう勝手に……」


 レイラがやってられるかと怒鳴りつけそうになった、その時だった。カインのラップトップが奇妙な文字列で埋め尽くされたのは。文字列は一面に広がると雨だれのように欠けて、メッセージを形づくった。


『アンナ、エデンの家、結界、解く』


「ジョージが決断してくれたんだ!」


「何なの、そのテンションの差。いっそのこと、本当にジョージと結婚したら? バカバカしい」


 毒舌を吐き捨てて、そっぽを向いてしまったレイラ。そんな彼女に、キングはぜんとした面持ちで反論した。


「アンナの事を本気で考えているからだよ! 彼女が兄から離れなかったのには理由がある。レイラの思ってる通り、僕は人の気持ちに寄り添うのが下手だよ! 下手だけどさ……」


 レイラとキング。この二人が喧嘩を始めると、必ず感情的な衝突を起こす。さりげなく立ち上がったカインがキングの腕を掴んだ。素早く武器を装備しながら、簡潔に告げる。


「そこまで想っているなら、アンナにちゃんと言ってやれ。奪還が先だ」


「……ごめん。ムキになって」


「撒き餌の件は一旦、忘れましょ。堂々巡りになるだけだわ。キング、目を貸して。私は、後方支援に回る」


 喧嘩をしても、次の瞬間には当たり前にフォーメーションを組む。

 キングにとってレイラは世界で唯一、泣き言が言える相手だった。


 そしてまた、こういう時のレイラとカインほど心強いものもなかった。頷いたキングは眼球を口に含んで手をかざした。


 どこからか強い風が吹いてきて、白マントがはためき出す。そのままエデンの家に向かおうとしたキングを、カインが止めた。


「ヨシュアは俺を殺したがってる。エデンの家に直接行けば、きゆうしゆうされる可能性が高い」


「僕が州警察をにしたからか」


「ああ、同じ事をするだろう。ジョージが拒否したって、何年でも俺の死体を保管して待つ。そういう男だ、ヨシュアは」


「それなら地下下水道を通っていこう、カイン。あっちは今、手薄だ」


 顔を見合わせた二人は、白マントにくるまるとビルを突き抜け、地下下水道へと向かっていった。





 ◆






 エデンの家。地下室から事務所に戻ってきたジョージは、ヨシュアと対面していた。干からびたレディマムが収納された鏡張りのひつぎ。そこに腰掛けたヨシュアがニヤニヤと挑発的な笑みを投げかける。


 しかしジョージには、その笑顔がどこか寂しげに見えた。


「ジョージ。お前の裏切りで、アンナを餌にするしかなくなったな」


「……もう、そうやって俺に罪悪感を植え付けるのは止めて下さい」


「植え付けるも何も真実だろう。さて、アンナと最後の晩餐をしてくるかな」


 ひつぎを蹴って立ち上がったヨシュアに、ジョージが悲痛な声で訴えた。


「そこまでしないと、アンナの愛情を確認出来ないのですか? 彼女は貴方を理解しようとずっと努力してきた!」


 ヨシュアの肩がピクリと上がる。振り返った彼の顔は青ざめ、引きつった表情は悪魔そのものであった。ジョージに向かって、偶像のナイフを投げつける。深々と腕に刺さった刃から血がしたたちていた。


「理解? 憐れみだろ。アイツがほざいているのは。お前だってそうだ。何を話していたか知らないが、私で自慰をするな」


「特別顧客。私達は人間の形をしていますが、人間ではありません」


「だからお互いに理解しましょう、とでも言いたいのか。どれだけお花畑なんだ? お前とアンナは。どん過ぎて吐き気がする」


 ジョージはヨシュアの足下に回り込むと、土下座をした。何故、そんな行動に出たのか本人ですら説明が出来ない。それでもジョージは、頭を擦りつけずには居られなかった。


「お願いです。これ以上、傷つきに行くのは止めて下さい」


 ヨシュアの革靴がジョージの頭に音を立ててめり込む。じゆうりんを覚悟したその時だった。ヨシュアの酷く冷静な声が頭上から降ってきたのは。


「私が何を望んでいるかは誰も知らない。お前の中に棲む偶像ですらな」


「しかし貴方は偶像から!」


 ヨシュアは革靴を下ろすと、そのままきびすを返して事務所から出て行ってしまった。去り際、ヨシュアの口元が小さく動いた。だが、ドアを閉める音が大きすぎて、ジョージの耳に声が届く事はなかった。





 -つづく-

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