力:パワー-Ⅳ

「この話、懸賞金が掛けられてるって本当?」


「シッ! 施設長に聞こえる」


 長崎にある施設。クロエが生活する施設で、職員達がヒソヒソ話に精を出していた。職員の一人がチョコレートボンボンを手渡す。受け取った女性は周囲に誰も居ないのを確認してから、口の中に放り込んだ。


 二人は別々の場所でルルワのまつえいが発行する機関誌を渡された。チョコレートボンボンと共に。一人はドライフラワー教室で、もう一人はヨガ教室で。

 

 ルルワのまつえいは、俗に言う自然派と親和性の高い人々をターゲットにしていた。理由は簡単である。現代科学にかいてきな傾向がけんちよだからだ。それなのに、彼女らは与えられたチョコレートボンボンに何の疑問も抱かない。


 タダより高いはなんとやら。

 人間とは、所詮そんなものである。


 二人は既に農薬被害を訴える、ルルワのまつえいの主張を真に受けて、ばつかくきんの散布に加担してしていた。中身が何かを確認もせずに。


 そこに来ての冒頭の会話である。


 セツコ・モリシタ。ジョージの叔母にして施設長。彼女は、職員二名を子供達から遠ざけるようになっていた。悲しいかな、それが逆に二人の疑いを強める結果となってしまった。


「クロエがジャンヌ・ダルクよ、絶対に」


「私もそう思う。時期的にもごうしてるし。豆腐がどうたらって二人で買い物に行った日からよ。普通、施設長と寝室を一緒にする? 今までそんなケース、見た事がないわ」


「……これって誘拐にならないわよね」


「事故って事にすればいいでしょ。そろそろ来るわよ」


 お昼寝をしていたクロエが目を擦りながら、裏庭に現れる。手を引いていたのは、彼女の面倒を一番よく見ていた児童であった。





「ねえ、どうしたの? 目、猫みたいだや」


「チョコレート」


 笑顔を貼りつかせた児童に首を捻ったクロエ。彼女は瞳に覚えがなくても、その笑顔に見覚えがあった。


 エデンの家に居た子供達の笑顔だ。


 エデンの家は、洗脳した児童を人身売買していた。あまある米帝の人身売買組織、通称エデン。その頂点に立っていたのが、特別顧客称号者ヨシュア・キンドリーである。キングの介入によりエデンの家は現在、廃墟と化している。


 クロエは、児童の後ろからぜんと問いかけた。


「とっても美味しいでしょ、そのチョコ」


「うん」


「沢山、食べたいでしょ」


「うん、チョコ食べたい。すごく食べたい」


「私、知ってるよ。キャンディーと一緒だ。同じ顔で笑ってるもん!」


 児童の手を振り払ったクロエは、施設へ戻ろうと走り出した。同時に、大声で助けを呼ぶべく叫び出す。その口を慌てて職員が塞いだ。暴れる彼女を無理矢理、駐車場まで担いでゆく。


「ヤバいって! 誘拐だよ、これじゃ」


「あの子が連れ出したのよ? 公園で消えたって言わせるわ」


 職員の会話を聞いていたクロエが突然、職員に噛みついた。当たり前だ。児童は、彼女に鼻水の拭き方を教えてくれた。お箸の使い方を教えてくれた。ジョージを求めて泣いてばかりいても嫌な顔をしなかった。


 クロエはまだ小さいが、実体験を通して洗脳をよく知っている。これは、彼女なりの戦いだった。ぐらついた乳歯が取れてしまっても、クロエは噛みつくのを止めなかった。力の限り暴れ回る。


「いったい! 何すんのよ!」


「離してよ! レディマムそっくり! 大嫌い!」


「誰よ、その何とかマムって。ちょっと。早く、車開けて!」


 誘拐にならないかと怯えていた職員が、震える手で車のキーを開ける。


「レディマムってのは、人身売買組織で幹部をやってた女だよ」


 誰もいない筈の車。その助手席に座っていたのは、施設長のセツコであった。

 

「ヒッ!」


 思わず後ずさってしまった職員の手を、セツコが思い切りひねげる。その力は老婆とは到底思えない強さだった。クロエを担いでいた職員がきびすを返して、別方向に走り出す。振り向いた先に、瞬間移動したとしか言い様のないセツコが仁王立ちしていた。

 

 セツコの額が割れて、中から眩いばかりの光線を放っている。


「こっち来ないでよ……バケモノ!」


「平気な顔で誘拐する方が、よっぽど化け物だと思うがね。人の心は一体、どこに捨ててきたんだ。ルルワのまつえいか?」


 セツコの背後に額の割れ目と同じ時空の切れ間が現れた。光線で目をやられてしまった職員からクロエを奪い返したセツコ。彼女はクロエを抱きかかえると、切れ間の中へと消えていった。





 キングのマンションでは、メイドのエマがデザートを作っていた。フルーツ嫌いのキングは最近、林檎が食べられるようになった。シャワー嫌いは相変わらずだが。コンポートを煮ていた所で、強い光を感じたエマは火を止めた。


「坊ちゃん?」


「悪いね。クロエを長崎に置いておけなくなった」


「エマ!」


 クロエが走り寄ってエマにしがみつく。ヨシュアが冷静崩壊を急いだ事で、何かしらあると覚悟していたエマは「いらっしゃいませ」それだけ言うと、セツコとクロエに微笑んだ。





 ◆





 州都市部にある廃ビル。ソビエト工作員がジョージをそそのかし、カインの潜伏先となっていた繁華街のビル。


 そこでは、キングとレイラ達で情報共有が行われていた。アンナとジョージ奪還に向けて立案と計画を練る重要な話し合いだ。


 ファイルを置いたレイラが肩を揉んでいた。隣にいた夫のカインに頭を預ける。


「……これでファイルの検証は終わったわね。大方予想通り」


「モリシタ所長に起きた出来事を、ジョージは知らないんだよな」


「ねえ、カイン。拘束されてた時のジョージってどうだったの?」


「完全にヨシュアの犬だった。でも……辛そうだったな。痛みを感じないように、色々してくれたのはジョージだったし」


「何それ。結局、悦んでたのはクズ一人だったって事じゃない。つくづく馬鹿な男だわねー。って、ちょっとキング! 話、聞いてんの?」


 壁にもたれたまま、あからさまに心ここにあらずなキング。そんな彼にプルトが手を置く。電流に身体を震わせた彼は、ようやく我に返って全員を見渡した。


「こっちはジョージも救出しましょうって、頭を使ってんのよ! 一番、ジョージジョージうるさかったアンタが上の空ってどうなの」


「昨日、何があったんだ? 打ち合わせに来ないなんて。余程の事があったんじゃないのか、キング」


 カインの言葉に瞼をピクリと動かしたキングは、俯いてかぶりを振った。


「……いや、別に。特に何も」


「お前の嘘は分かりやすいんだよ。隠し事はなしだ。話せ」


 うなれたキングは、昨日の出来事を話して聞かせた。マシューといさかいを起こした、例の一件を。話がポーランドの屋敷まで進んだ時、周囲の表情が如実に批判めいたものになった。


 特に強い反応を示したのは、プルトだった。


「どうして兄ちゃんの力を使わないのさ。過去を改ざんすれば良かったのに」


「人間の僕が魔術師の力を使えるのは、精々数回だ。ヨシュアを討つための代償とするなら、一回のみだと思って間違いない」


「だからって洗脳するのはちょっと違うんじゃない? 一体、何考えてんのよ」


 キングはマシューから取り上げた冊子を全員に見せた。長崎の施設にも渡っていた自然療法誌だ。奇妙な一文の前でレイラが顔を上げた。


「これ……ノースの部下が言ってた陰謀論だわ。妙なのが流れてるって」


『東の黒き血よりジャンヌ・ダルクが再臨した。その者は生命の記憶を瞳に宿す。ルルワの奇跡はジャンヌ・ダルクで起きるだろう』


 プルトも確かに聞いた話だと、レイラを見る。カインにも心当たりがあるようで口元に手を当てていた。


「キング。これ、ルルワのまつえいっていう組織じゃないか?」


「拘束されてる間に聞いてたのか、カイン。その通りだよ。既に拠点が世界中に散らばっているらしい。マシューは嘘が苦手だ。真実だと思う」


「レイラ。ヨシュアは、ここの頭に俺を据える気だったんだ」


「シャープパワーか。陰謀論を使って暴動やテロを扇動する……ソビエトやイスラムのおいえげいをそのまま利用するつもりなのね。どうせ君だけの組織とか言ってたんでしょ。発想が老いぼれのパトロンなのよ、気色わる」


 レイラの言葉に全員が沈黙してしまった。カイン救出が図らずも、計画を推進してしまったからだ。どのみち冷戦崩壊は既定路線で動かなかった。しかし、その主導権は今やヨシュアが完全に掌握している。後悔しても仕方ないとレイラが肩をすくめた。


「イスラムの特別顧客は粛正されたわ。特別顧客を剥奪されたのは、イスラムとソビエト」


「ノース達は? 君の妊娠を知ってるのは、彼らだ」


「アジトに隠れてるわ。部下の眼鏡とあの時、取引しておいて正解だったわね。視覚がまだ機能してる」


「レイラ、君の特別顧客はどうなったんだ」


「一番、宙ぶらりんな立場よ。承認保留に格下げ」


「僕が兄でも同じ事をするだろうね。せいさつだつの権利を確実なものとするために」


 先程から話を逸らされてばかりのプルトが真剣な声でキングに訴えた。


「兄ちゃんの力を使おうよ。レイラとジョージだってさ。ルルワのまつえいが出来る前まで遡れば、全部解決するじゃん。死神と契約してないヨシュアなら殺せるでしょ?」


「無理だ。人間とのハーフである僕が特別顧客を殺せるかは、可能性の話でしかないんだ。そんな事に時間を巻き戻して、レイラの子供を犠牲に出来ない。お腹の子は……僕達の希望だ」


「なんだよ。煮え切らないヤツだな……もういい! ボク、一人で動く」


 パラソルを回しながら宙を浮き出したプルトを、レイラが止めようと手を伸ばした。しかし、虚しくも身体を素通りしてしまう。その様子を見ていたプルトが、今にも泣きそうな声を張り上げた。


「ボクだって人間に触りたかった! キングは贅沢だよ」


 強い風と共に薔薇の花びらが吹き荒れる。キングはプルトを止めようとしなかった。レイラが背中を叩いても動こうとしなかった。そうこうしている間にプルトは、姿を消してしまった。


「プルトをなんで止めないのよ、キング! 中華連邦がたれ込んできた内容を知ってるでしょ? 彼をあのクズにみすみす差し出せっての」


「……プルトの無邪気さはリスクだ。一旦、ここで切り離した方が良い」


「そのためなら囚われても構わないって事? アンタ、ものすごく変よ。友達を洗脳した話だってさ。クソ野郎と一緒じゃない! 血は争えないって本当ね。最低の兄弟だわ」


「言う通りだ、レイラ。最低だよ、僕は」

 

 興奮しだしたレイラをいさめたのはカインであった。やんわりと肩を抱き、クッションの山に座らせる。カインはキングを見つめると、やるせないといった顔で口を開いた。


「他にも何か隠してるだろ? キング。プルトには言えない話だ。あの性格じゃ、うっかり他所よそで漏らす可能性があるからな」


 図星を突かれてしまったキングは、ついに諦めて肩を落とした。そして言葉少なに、これから自分がしようとしている事を二人に告げた。


「……冗談でしょ? えっ……だって。アンナはどうするのよ」


「お願いだから誰にも言わないで」


 消え入りそうな声でキングがこんがんする。その内容に思わず絶句してしまったカインとレイラ。三人の頭上を、プルトが残していった薔薇の花びらが舞っていた。

 




 ◆





 アンナは拘束場所を研究所からエデンの家に変えられていた。監視役はジョージ。ヨシュアは彼を信用しなくなった。代わりに、自分のやった事から逃げるなとかせめた。


 ルーカス達がTVを見ていた部屋は、扉を開け放たれたままだった。

 今は誰もいない、殺風景な部屋。


 ヨシュアから滅茶苦茶に切られてしまった髪が痛々しいアンナ。その時に出来た頬の傷を治療し終えたジョージに、彼女が語りかけた。


「血の臭いがすごいのね、ここ」


「俺の餌場だ。ここで人を食った」


「……辛かったでしょう、ジョージ」


 ジョージは声を押し殺して泣いていた。ヨシュアに心酔してしまったのは、洗脳の仕業ではない。自らの選択だったからだ。ワインの瓶でしこたま頭を殴られた後、中から偶像が出てきたのをジョージはうっすらと覚えていた。


「怖い……俺は近いうちに殺される。自分の中にいる化け物に」


「ジョージ、貴方はまだ生きてる。チャンスはあるわ。キングは私を助けに来る、絶対にね」


「どうしてそんな事、断言できるんだ」


「愛しているからよ。そうあって欲しかった兄と似ているの、キングって」


 ジョージは、偶像を「ママ」と呼んだヨシュアを思い出していた。やせ細ったアンナに視線を落とす。


「ヨシュアを兄だと思っていなかったのか? その……異性として見て……」

 

「正直、よく分からない。けれども、確実に言える事が一つだけあるわ。。その結果が今よ」


「俺はどうしたら良いんだろうか」


「決めるのは貴方だわ、ジョージ。少し話をしない? 私達は、お互いの事を何も知らない。私は貴方のお父さんを知ってるの」


 がらんどうになった地下で、二人はぽつりぽつりとお互いの過去を話し始めた。

 




 中央情報局の二人。元は州警察に潜入していたホワイト&ブラックが、拘置所を早足で歩いていた。


「本当にやるんですか?」


 驚いた様子の後輩ブラックが、ホワイトの背中を追いかける。


「急な冷戦崩壊で上層部はてんやわんやだ。司法もマトモに機能してない」


「確かに。予定では半年後でしたもんね。いくらキンドリー親子でも無理か」


「ブラック。お前は、本当にまだオリヴァー元州知事が生きていると思ってるのか? これは彼のやり方じゃない」


 ホワイトがほぼ駆け足になりながら、一息でブラックに問いかける。同時に目的の場所に辿り着いた。フランツ・デューラーが拘束されている独居房だ。このフロアは独居房で占められていた。


 独居房の鍵を開けている間、ブラックが周囲に監視がいないかを確認した。カメラモニターの監察部は、この混乱に乗じたホワイトが賄賂で黙らせた。


「あれ、君達は……」


 中で本を読んでいたフランツは、キョトンとした顔で自分を拘束した二人組を見ていた。


「すみません、遅くなりました。釈放手続きを待つ時間がありません。出ましょう、フランツさん」


 ホワイトは帽子を脱ぐとフランツに頭を下げた。そして、それきり動かなくなった。ブラックに背後から心臓をえぐられた彼は、己の正義を貫いて生涯を終えた。


 無表情なブラックが、ホワイトの死体を踏みつけていた。


 目の前で唐突に起きた惨劇。理解が追いつかず、呆然とするフランツをブラックがどうかつする。


「お前にはこれからソビエトに来て貰う。人質としてな」


「……ダブルスパイか。飼い主は東だな」


「お前の兄貴と同じだよ。コミンテルンだ」


 言い終わらぬうちに、フランツの首に注射が打たれて彼はそのまま意識を失った。





 -次エピソード『女帝の行方』へつづく-


 

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