力:パワー-Ⅲ

 冷戦が崩壊した。弱冠23歳の青年、ヨシュア・キンドリーの手によって。


 ソビエトのアフガン撤退とベルリンの壁崩壊を皮切りに始まった、一連の大きな流れ。冷戦崩壊をきっかけに、世界中で内紛が激化。中東と連合国で戦争がぼつぱつするのはもう少し先の話である。


 死神プルトはその名の通り、プルトニウムにまつわる能力を持つ。彼の再降臨が世界に明示された事により、表向きの核開発はなりを潜めた。


 ついに世界一の大国となった米帝。テクノロジーの発展と共に、の好景気を迎える事になる。


 劇的な経済発展を遂げ始めた大国もあれば、あおりを食らってほんろうされる国々も少なくなかった。


 改革とは常に二面性を持っている。

 変化を祝福と受け取るか、苦痛と捉えるか。


 それは、米帝に住む人々とて変わらない。資本主義によるひずみは、埋めようのない所まで来ていた。多くの人は変化を望まない。変化には適応が不可欠だ。そして資本主義には明確な悪が存在しない。雇用と経済のじゆんかんを無視出来ないからだ。


 言葉では言い表しようのない不安が、厚い雲のように垂れ込めていた。


 キングのマンションでは、朝食片手に冷戦崩壊のニュースを見ている二人の姿があった。メイドのエマ……今となってはキングの親代わりである彼女が、怒りを露わにTV画面を見つめていた。


「ステファン大統領が会見してますけど。これって特別顧客なのでしょう? 坊ちゃん」


「うん。兄は特別顧客剥奪の回避に成功した。言い出したのがソビエトだった時点で、回避されるリスクはそれなりに高かった」


「その……アンナ様という方はご無事なのでしょうか」


「あれだけしつしていたカインを奪取されて、これといった動きをみせてないんだ。アンナを殺害していないと思う」


 オレンジジュースを一気に飲み干したエマがため息をつく。彼女の母親は、アダムの子とそう変わらない生い立ちで短い生涯を終えた。まだ見ぬキングの想い人に、母を重ねてしまうのも無理はなかった。


「私が殺した実の父……ヘッゲルと似た男なのでしょうか。その、ヨシュアという青年は」


 TVのスイッチを消したキングが、天井を見上げつつ答えた。


「兄は女性に恋愛感情を持てない。アンナと肉体的な何かはないけど、フランツ叔父さんとヘッゲルの関係に少し似ているのかもしれない。叔父さんは兄のした事を憎んでいたけれど、愛してた」


 キングとエマの二人で殺害した元ナチスの男、ヘッゲル。その弟であるフランツ・デューラーは、本当は何があったのかを何も知らない。善意でキングに協力し、人身売買された子供達を救出した。今は事実無根の罪で中央情報局に拘束されている。


 司法をしようあくしているキンドリー親子。キング、実のけいの差し金によって。


 その父もヨシュアに殺されてしまった。


 あれから、ヨシュアは更なる警備の強化を図った。州警察をキングが操り人形にしてしまったからだ。結界内を出入り出来る人間を州警察から、別の組織に変えた。表向きは、人の出入りに変化が見られない。


 そして、キングはいまだ別の組織――ルルワのまつえいに辿り着けずにいる。

 

 朝食を片付けだしたエマにキングが声を掛けた。


「レイラ達の所へ行ってくるよ」


「行ってらっしゃいませ。私は中央情報局の方とお話をして参ります。フランツ様の件で」


 記憶が戻ってからのエマは、フランツに対して強いしよくざいしきを抱くようになっていた。ヘッゲルに取引を持ちかけたのはキングだ。当時の彼はエマの殺意を叶えれば、住まいを手に入れられるとしか考えていなかった。


 何も言えなくなってしまったキングは、ちんつうな面持ちでマンションを後にした。


「キング。久しぶり」


 マンションのエントランスで佇んでいたのは、眼鏡の少年マシューであった。





 ◆





 キングは最初、マシューがアンナの件で現れたのだと思っていた。マシューとアンナは、ハイスクール銃乱射事件以来の友人だ。彼女と連絡が取れなくなった。そう訴えてくるとばかり思い込んでいた。


「一つ聞きたい事があるんだけど、いいかな」


「うん。いいよ、マシュー」


 マシューの顔つきが一気に非難そのものとなる。


「どうしてヨシュアさんと兄弟じゃないなんて嘘をついたの?」


「えっ……」


 キングとアンナ、マシューが再会を果たした日。ヨシュアは直接、宣戦布告をしに現れた。その時、確かにキングはヨシュアとの関係を否定した。ハイスクール銃乱射事件からさほど時間が経っていない頃の話だ。


 あの時、キングは彼なりのマシューを守る行動に出た。アンナについても同様だ。ヨシュアとは二卵性双生児ではないと伝えなかったのは、真実が彼女の身の危険に直結していると判断したからだ。


 それが今になってこんな形で返ってこようとは。


 キングはマシューを見つめると、最大限の誠意を込めて真実を告げた。


「……嘘をついたのは済まなかった。あの時、兄は君達の命を狙ってたんだ」


「ヨシュアさんがそんな事をするわけないよ」


「本当だ、マシュー。爪に仕込んだ針を君とアンナに向けていた」


 敵意をしにしたマシューの瞳が、一瞬だけこうばいしよくに染まる。キングはその変化を見逃さなかった。懐に飛び込んで、すかさず両肩を叩く。眼鏡がずれてマシューは意識を失った。キングが妙に膨らんでいたマシューのポケットに手を入れる。


 出てきたのは、冊子とチョコレートボンボンだった。


「やっぱり。同じ事をジョージにさせてたか」


 苦々しい顔で吐き捨てたキングは、冊子を広げた。非科学的な事を苦手とするマシュー。そんな彼が持つにはあまりに不自然な自然療法誌。発行元は不明。中身にざっと目を通したキングは、奇妙な一文の前で止まった。


『東の黒き血よりジャンヌ・ダルクが再臨した。その者は生命の記憶を瞳に宿す。はジャンヌ・ダルクで起きるだろう』


 ……ブラックダイアモンドの事じゃないか。

 

 兄は一体、何をしようとしてるんだ。


「もう遅いよ、キング。は止められない」


 意識を取り戻したマシューがキングを睨みつけていた。





 マシューの洗脳は確実に解いた筈だ。ぜんとした顔で、何一つ変わっていない彼をただぎようするしかないキング。見透かした様子のマシューが憎々しげな声で話を続けた。


「僕が洗脳されてるとでも思ったの? 確かにそういう人もいる。でも僕は違うよ。きちんとした上でヨシュアさんの側にいる」


「どういう事だ、マシュー」


「君が僕を騙していたんじゃないか! 死神の件だってそうだよ。あれから一度だって僕を説得しようとした? 学校をあんなに滅茶苦茶にしてさ。僕はキング。君が怖かった」


 どう説明しても言い訳にしかならない。俯いて押し黙ったキングにマシューが畳みかけた。


「僕だってうっすら気づいていたさ。ヨシュアさんと君が兄弟なんじゃないかって事くらい。でも、ヨシュアさんは僕にきちんと向き合ってくれたよ。本当の事を話してくれた」


「それが兄のやり方なんだ。マシュー、君を利用したいだけなんだよ。アンナは何処にいる? 無事なのか?」


「ヨシュアさんを殺そうとしたんだぞ、アンナは! 僕は今、ルルワのまつえいで機関誌を発行してる。ヨシュアさんから直々にお願いされた仕事なんだ」


 州警察の代わりとなった組織。その本丸にようやく辿り着いたキングは、死神の力を使おうと手を伸ばした。しかし、マシューが非情な面持ちで手を払い除けてしまった。


「そうやって死神の力を使えばどうにかなるって、僕に対しても思っているんだろ。最低だよ、キング。残念だけど、ルルワのまつえいは世界中に広がってる。魔術師の能力でも使わない限り、止められない」


「魔術師の話まで君にしてるのか、ヨシュアは。兄が何をしようとしているか話すんだ、マシュー」


「あの人が僕に言うと思ってるの? 君はさ、僕を友達だなんて思ってないだろ。ハイスクールの時からそうだった。人を上から見て。銃を乱射したノーマンだって被害者じゃないか! やり過ぎだよ。いくら虐められてたからって、廃人にする事はないだろ!」


 しばし肩を落として、目を閉じていたキング。彼は目を見開くと低い声で、マシューに宣告した。


「僕だってしてる。今から君の記憶を奪う。眠るんだ、マシュー」


 とつに後ずさったマシューの眉間を、キングの触手が容赦なく貫いていった。再び意識を失ったマシュー。彼を抱えたキングは、ポーランドの屋敷へと旅立っていった。





 ◆





 ポーランドの屋敷ではルビーが今日も忙しく働いていた。彼女はエマが育った長崎にある施設の後輩だ。幼児達の寝かしつけが終わったルビーは、一息入れようと自分の部屋に戻って来ていた。外からは、元トロイの少年達がサッカーにきようじる声が聞こえてくる。


「突然で済まない、ルビー」


 声の方を見たルビーは、持っていたマグカップを思わず落としそうになってしまった。キングと眼鏡の少年が突如として部屋に現れたのだから。死神の力を知っているにしても、驚くのは当たり前だ。


 共にいる少年はぼんやりとしており、目の焦点が定まっていなかった。


「どうされたんですか? 坊ちゃん。このお方は?」


「友人だ。僕が記憶を奪った。直にとして覚醒する。彼の保護を頼みたい」

 

 ルビーはにわかには信じがたいという顔でキングを見ていた。本人の口から、エマに対してした事……記憶を奪ってしまった事へのかいこんを聞いたのはつい最近の話だ。『人生そのものを奪ってしまった』というキングの言葉は、何だったのか。


「預かるのは構いません。しかし、記憶を奪うのは洗脳と同じです」


「その通りだよ、ルビー。僕は記憶の上書きも出来る」


 改めてみるあるじキングの表情は冷徹そのもので、ルビーには化け物じみて見えた。最重要警戒人物として渡されていた写真のヨシュアと瓜二つ。彼女は、断固として受け入れられないと語気を強めた。


「そんな事を繰り返していたら、この少年は元の人格をなくしてしまいます。せめて元の彼に戻して下さい」


「それは出来ない。彼はヨシュアに心酔しきってる」


「だったら尚更です! 坊ちゃんのなさってる事は、ヨシュアと同じではないですか」


 ルビーの言葉に長いまつ毛を伏せたキングは、自分に何か言い聞かせているように見えた。しばしの気まずい沈黙が流れる。そうしている間に、マシューが覚醒してしまった。


「あれ……ここは? 僕は……あれ? 僕……」


「君の名前はマシュー。ここは孤児院だよ。君は家族旅行中、事故に巻き込まれたんだ。両親は亡くなった」


「そうだった。両親は死んだんだ。僕は孤児だ」


「坊ちゃん!」


 キングは白マントで顔を隠すと大鎌を構えた。彼の周囲を偶像の象徴であるプログラムコードのホログラムが覆い始める。強い風が何処からか吹いてきて、ルビーは髪に手を当てた。


「全ての責任は僕が取る。。くれぐれもエマには他言無用で頼む」


 平坦な口調で伝えたキングは、それきり姿を消してしまった。


「こんなやり方、許せない」


 納得の出来ないルビーのふんまんやるかたない声が居室内にポツリと響いていた。





 ◆





 時は少々さかのぼり、キングとジョージらの集落戦後。

 場所は州都市部にある高層ビル。


 ヨシュアの執務室では、ジョージがあからさまに困惑していた。


 カインの奪取失敗。

 

 あれほどまでに感情的になり、カインだけは取り戻すと息巻いていたヨシュアは何処へ行ったのか。ソファーに身を預けた彼は、ワイン片手に「そう」と呟いただけだった。


 テーブルの上にはワインの空き瓶が乱雑に捨て置かれている。


「ジョージ、父の死体を処理しろ」


「……はい?」


 偶像の力を使ってキンドリー邸を探し回ったジョージは、血まみれのオリヴァーを発見して絶句していた。戦闘前、急に用があると言って執務室から姿を消してしまったヨシュア。アンナの部屋でこんな惨劇が起きていた事に、誰一人として気づいていなかった。


「早く行け。戻ったらセブンの腕を治療するんだ。欠けた腕は戻せるか?」


「失ったものは取引をしないと、厳しいかと思います」


「ふん……お前は取引に応じないだろうな、ジョージ。そうだな、治療を先にしろ。義手なら作れるだろう。セブンにアンナの拘束場所を変えさせる」


「ちょっと待って下さい、特別顧客。アンナを拘束?」


 振り向いたヨシュアの目は赤く腫れていた。しかし、視線はいつも以上に鋭くジョージの戸惑いをいとも簡単に見透かしてくる。


「ジョージ。お前は狂犬を辞めたようだな。あの出来損ないにきずなされたか」


「……いえ、そんな事は」


「良い事を教えてやろう、ジョージ」


 そう言うとヨシュアは、酔ってふらついた足取りで立ち上がった。あまりの危なっかしさに身体を支えようとしたジョージを邪険に払い除ける。


「出来損ないにファイルを奪われた。アンナにも殺されかけた。しかし、お前の改良していたばつかくきんを実践段階に進めた。それに……」


 ヨシュアはジョージをねめつけるとぎやくあざわらった。


「残念だったな。私の特別顧客剥奪は撤回されたぞ」


「どうしてそれが残念だと思うんですか? 俺は貴方の忠実なしもべだ」


「見え透いた嘘は良いから。早く行け」


「けれど、こんな状態になっている貴方を置いてはいけません。特別顧客」


 顔を強ばらせたヨシュアは、目を見開くといきなりワインの空き瓶でジョージの頭を殴りつけた。うずくまってしまったジョージに馬乗りになって執拗に殴りつける。テーブルにあった何本もの空き瓶が、あっという間に木っ端みじんに砕け散った。


「犬が偉そうに指図するな! 少しばかり器の補強をしてもらったからっていい気になるなよ! 臭いんだよ、血が!」


 ジョージはひたすらに「申し訳ありません」とうなれるしかなかった。しかし、疑念を追い払う事が出来ないのもまた事実であった。ヨシュアが見透かした通りに。


 特別顧客は最初から、使い捨ての駒にする気で俺に近づいた。

 クロエの事だって、救う気はない。

 ばつかくきんを使って何をするつもりなんだ、ヨシュア。


 その時、ジョージの首にワインの空き瓶が突き刺さって、大量の血が噴き上がった。白目を剥いたジョージが、首を奇妙な方向に傾けながら意識を失ってしまう。傷の裂け目から代わりに姿を現したのは偶像であった。


「ヒ……ヒ。お前にしてハ珍しい感情だナ。悲しいノカ」


「うるさいな。肝心な時は出てきもしないくせに」


「ハ……そう言うナ。これデモお前の親だゾ。オリヴァーがお前ラを無視してイタ時だっテ、ずっと側ニいたのハ私ダ」


「……

 

 。偶像をそう呼んだヨシュアは、血の塊にすがりつくと酷く子供じみた様子で泣き始めた。偶像の顔が歪んだ悦びで満たされてゆく。独特の歪み方はまさしく親子。そっくりそのものだった。


ばつかくきんハ上手ク進んデルのダナ?」


「国外に移した。直ぐにでも実行に移すよ。それなのにさ……アンナが僕を殺そうとしたんだ! カインの事だって大切にしてたのに!」


「所詮、アンナは他人だからナ。カインだってソウだ。ソロそろ、ジョージの廃棄ヲ進メロ。ただノ犬ニ用はナイ」


「前みたいに僕の前から消えるなよ、偶像」


「一緒にイルためのジョージ廃棄ダ。安心シロ」


 さっきまで泣きじゃくっていたヨシュアが、急に泣き止んだ。偶像が手を伸ばしてきて、当然のように息子の涙を拭う。


 ヨシュアは死神の中で偶像にだけは触れる事が出来た。

 能力は遺伝しなかったが、血の繋がった親子だからだ。


 ヨシュアと偶像の親子が気を失っているジョージを見下しながら、全く同じ笑顔を浮かべていた。


 悪魔としか形容の出来ない笑顔を。





 -つづく-

 

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