皇帝の目覚め-Ⅲ


 カインは、州都市部の地下下水道を歩いていた。網の目状に張り巡らされたそれは、まるで迷路だ。アジトでモリシタの情報を収集していたカイン。彼は、PC通信の主と研究所の所長だったモリシタは親族である可能性が高いと結論づけていた。


 数は決して多くないが、モリシタ姓は米帝にも一定数、存在していた。ただし、その殆どが日本から南米へ渡った集団移民の一族だった。20世紀初頭の話だ。事業を成功させたその一族は、米帝に住まいを移した。


 そうではないモリシタが、研究所の所長とPC通信の主。彼らと移民の一族には何の接点もなかった。一番大きなパイを削除した時、自ずと点は線になって浮かび上がってくる。


 カインは、件の研究所を当たることにした。記憶障害を起こす薬剤を投与されたが、彼は洗脳だけでなく薬も効きにくい体質だった。途切れがちだが覚えているのだ。下水の臭いや生ぬるい風。そしてそれがどこから吹いてきたかを。


 トロイのアジトからさほど離れていない場所に研究所はあった筈だ。

 

 地図にはない場所。

 

 レイラや他のトロイはその場所を知らなかった。指揮権を持つ、州警察サイドからも研究所の話は聞いた事がない。


「それもそのはずだ。こんな場所にあるなんて誰も思わない」


 カインは目当ての場所に辿り着いて、思わず口にせずにはいられなかった。懐中電灯をくわえて、いたケースブレーカーをこじ開ける。かなりの期間、使用されていないのは明らかだった。半ば強引にブレーカーを上げると、エレベーターの作動音が聞こえた。


 研究所は、州都市部にある高層ビル。

 そう、キンドリー邸があるビルの屋上にけんぞうされていた。


 正規の入り口は、ここ地下下水道の突き当たり。臭いでそれを覚えていたカインは、エレベーターに乗り込むと一つしかないボタンを押した。





「あっ」


 エレベーターが動き出したのと同じ頃、執務室にいたジョージが小さな声を上げていた。せきずいを電流が走ったかのような感覚がする。彼は振り返ると居室内を見渡した。死神になってから常にあった胃の違和感が強くなる。そんなジョージの様子を見ていたヨシュアが声を掛けた。


「どうしたんだい、ジョージ。何か気になることでも?」


「いや、何でも……ァア……アア」


 瞬間、ジョージが白目をいて気を失った。首の付け根から血が噴き上がって顔を形作る。異形の主は偶像であった。


「……ィァ、ネズミ……ヒッ、キタ……ネズミィヒヒッ……」

 

 偶像はおぞましい笑顔で微笑みかけると、その形を赤い液体へと戻した。大理石の床にジョージの倒れ込む音が響き渡って、血だまりが広がる。一部始終をまんじりともせずに見つめていたヨシュアは、はくひようのような微笑みを浮かべて受話器を上げた。





 エレベーターの扉がぎこちない音を立てながら開いた時、カインはきようがくで言葉を失っていた。


「なんだこれは一体……」


 研究所が閉鎖されたであろう事は容易に想定できた。しかし、この場所だけが数千年の時を経たようなかたをしているのだ。カインが訪れたのは、十年前だ。たかだか十年でここまでになると、誰に想像が出来ただろう。


 目の前の研究所は建屋を大木が貫通していた。見渡す限り、苔のじゆうたんで埋め尽くされている。遊歩道の柵にはつたいくにも絡まっていた。建屋に足を踏み入れると、入り口の階段がもろい音を立てながら崩れていった。


 カインは準備不足で来てしまった事を後悔していた。仮にもアイツ――特別顧客の本拠地だ。身軽な方が逃走は容易い。そう判断して、拳銃とナイフしか持ってこなかった。


 こんな状態になったのは、死神の介在以外に考えられない。


 せめてもの救いは、ずっと地下にいて暗闇に目が慣れている事くらいだ。カインは、懐中電灯を消すと研究所の中へ慎重に足を進めた。





 ◆





 アンナは自室で傷の手当てをしていた。昨晩の言い争い。血の繋がらない兄妹喧嘩で、ヨシュアはアンナを殴打してしまった。ここまでハッキリした暴力は、意外な事にこれで二度目だった。


 唇が切れて頬をらしたアンナ。そんな彼女にヨシュアは「お前のせいだからな!」と子供じみた口調で言い放って部屋を去っていった。


 それでも、この家のくんのうはもはやヨシュアだ。メイドたちはおろか父でさえ、傷の心配はしてもそれ以上の事は何も言わない。アンナは手探りで消毒液を手に取ると、口元のガーゼをがした。


 こんな風に殴られたのは、あの時以来。

 兄さんは、本当に私を共犯者だと思っていたのかもしれない。


 アンナは、施設最後の日を思い出していた。





 エヴァがいなくなって5年が経った。あれから、私たちはまだ施設で生活をしていた。ただ少し変わったのは、新しい子がめっきり来なくなってしまった事。施設で生活をする子供は私たちだけになってしまった。


 鬱屈とした生活の中で私は初潮を迎えた。

 私たちは13歳になっていた。


 相変わらず犬猫を殺していた兄さんは、私を臭いと言って嫌がった。部屋を別々にしようとすると、職員が止めに入る。ヨシュアは、時折おねしょをする事があった。私はそれが普通だと思っていたから、どうして部屋を別にしていけないのか不思議で仕方がなかった。


 だだっ広い施設には、私たち兄妹と研究所の職員しかいない。それなのに、部屋だけはいつまで経っても二人一緒。息が詰まりそうだった。


 兄さんは、部屋に男性職員を連れ込むようになった。音と臭いで何をしているのか、大体分かる。私はそれがすごく嫌だった。けれども部屋を出れば、その晩にはおねしょだ。職員にとがめられるのは私の方だった。だから、兄さんと職員がしている間は黙って座っているしかなかった。


「おいウスノロ。答えろよ。僕が今、何をしてるか」


「ダメだよ、ヨシュア君。アンナさんが可哀想じゃないか」


 男性職員の声には、少しも同情の気持ちなんてもっていなかった。けれども私は知っている。この職員には同僚の恋人がいた。お互いに悪いことと知っていて楽しんでいるのだ。ヨシュアはそういう職員ばかりを相手に選んだ。


 施設は今にも腐り落ちそうな果実のようだった。

 とても甘いけれども、長くは持たないもの。


 ある日、一人の男の子が入所してきた。褐色肌のかわいらしい子だと言う。研究のために一週間ばかり滞在すると聞かされた。モリシタ所長は、兄さんのしている事を知っていた。彼の体液が検査に支障をきたす可能性を考慮して、珍しくヨシュアとの接触を禁止にした。


 当然だけれど、兄さんはそれが原因でとても機嫌が悪かった。

 暇さえあれば、男性職員を部屋に連れ込んで奉仕させる。


 妹の前で平然とセックスをする兄さんもおかしいけれど、されるがままになっている職員達もどうかしている。小動物で飽き足らなくなった彼は、服従する男達に暴力を振るうようになっていた。


 皆、口を揃えて言い訳をする。兄さんには独特の色気がある。下の毛が生えてからは尚更だと。誘われたら断れない。仕方がないんだ。


 嘘よ。欲情からは独特の臭いがするもの。身体が成長したから罪悪感を抱かないで済む。たったそれだけの事じゃない。


 異性愛者の男性職員まで、進んで兄さんと関係を持つようになった。女性職員はヨシュアに逆らえない。


 生々しい音をさせながら、兄さんが当たり前だと言わんばかりの口調で訴える。


「新しく来たアイツって名前がないんだろ。ならアダムの子じゃないか。僕にくれよ」

 

「そうは申しましても、洗脳の入らない貴重な子なんです」


「僕たちだってそうじゃないか。なあ、ウスノロ」


「私たちは洗脳対象外なんじゃないの? 兄さん」


「何だよ、ウスノロのくせして難しい言葉を使うな」


 不満を爆発させた兄さんは、職員を殴りながら性行為を続けた。いつまでこんな事が続くんだろう。正気を保っていられるのも、後わずか。私は、新しく入ってきた子が羨ましかった。一度だけすれ違った。あの子からは、エヴァと同じ匂いがする。


 愛を知ってる人、特有の甘い匂い。

 検査なんてしても無駄。

 理由は匂いで分かるもの。


「もう嫌だ。ここから出たい」


 気がついたら私は声に出していた。臓物でも漁ってるかのような音が止まる。独特の鼻を突く臭いが近寄ってきて、私は顔をしかめた。


「ここから出たいの? アンナ」


 兄さんは、私をウスノロと呼ばなかった。

 

 その晩、男性職員の恋人が施設内で死んだ。





 犯人探しなど、する必要すらなかった。ヨシュアがやらせたのだ。けれども、誰も何も言わなかった。それは、私も同じ。


 心のどこかで終わりが来たんだ、と思っていた。


 部屋に戻ってきた兄さんは、酷く興奮していた。手を叩いて走り回ってる。ヨシュアはたまに、小さな子供みたいになる時があった。


「なあ、アンナ。例のアダムの子、人が死んだってのに『そうですか』しか言わないんだって! 僕さ、あの子が欲しい。一緒に連れて行こう!」


「連れてくって……どこに?」


 立ち止まった兄さんは、それまでのはしゃぎ方が嘘みたいな声で呟いた。



 凍えきったヨシュアの声を、私は今でも昨日の事のように覚えている。


 瞬く間に施設は崩壊していった。罪悪感に耐えられない者から死んでいった。この頃には私たちも知っていた。ここは研究所で、子供達は人体実験で死んでいった事を。


 狂気がやりやまいのように感染していった。


 兄さんが言わなくても、ちようあいを巡って大の大人が殺し合いを始めた。奪った命だけじゃない。皆、等しく命は軽い。たったそれだけの真実に気づいたばかりに、誰もが正気でいられなくなった。


 私は、モリシタ所長の元へ走って行った。暴動鎮圧用のガスがあるはずなのに、どうして使わないんだろう。


 所長室の中から、誰かと言い争う声が聞こえてきた。

 モリシタ所長と……人間ではない、だ。


「ガスを興奮剤に替えた?! どういうつもりなんだ、


「イヒ……面白いジャないカ。退屈ハつまらなイ」

 

「エヴァの顔でいるのだって十分な嫌がらせだろう。放射能を完全除去する装置の話はどうなった。散々、実験に協力させてこの有様か!」


「我ガ子を使っテおいテ、よく言えるナ。人間を死神にしたイ。お前ニだって汚イ欲望ガあったじゃないカ。どうする? あれは失敗作フロツピーだゾ。成功体オウルは別にイル」


「お前から言われなくても息子の状態は知っている……成功体オウルはエヴァが産んだのか?」


「ヒヒッ、セイカイ!」


 足音がこちらに向かってきて、私にぶつかった。モリシタ所長は酷く焦っていて、そこに人がいる事にすら気づいていなかった。尻餅をついてしまった私を立たせた所長は、そのまま手を引いて走り出した。


「今まで、本当に済まない事をした。アンナ、君を作ったのは私だ。都合良く聞こえるかもしれないが、君には生きて欲しい。『ブラックダイアモンド』は別の子に移植してある」


「『ブラックダイアモンド』って何?」


 所長は一瞬だけ立ち止まると、聞こえないくらい小さな声で真実を告げた。






 一番隅の部屋まで来た所長は、中にいた男の子と女性職員に声を掛けた。


「これがマスターキーだ。それから薬。この子とアンナを連れて逃げなさい」


「どうして逃げなきゃいけないの? 俺、戦えるよ」


「ダメだ。その力は大事な人を守る時に使いなさい。君はここであった事を忘れるんだ」


 所長と私。それに男の子と女性職員の四人で研究室の廊下を走った。途中、男の子が「戦争みたいだ」と言っていた。血の臭いが充満している。出口まであと少し。その時だった。背筋をそうつような感覚が襲いかかってきたのは。


 兄さんだ。人間ではない――モリシタ所長がと呼んでいたものに抱きかかえられたヨシュアが、追いかけてきていた。


 私はとつに男の子とは別の方向に走り出した。意図を察した所長が直ぐに私の手を掴んで共に走った。思惑通り、ヨシュアは男の子ではなく私を選んだ。


 私は目が見えない。

 けれど、見える物もあるの。


 兄さんは怒っていた。男の子を手に入れられなかったから。それだけじゃない、私が逃げた事に酷く腹を立てていた。


 兄さんは、私が少しでも離れるとおねしょをした。


「何で逃げるんだよ! アンナ」


 私と所長はあっという間に捕まってしまった。あの子は無事に逃げられただろうか。自分よりも他人の心配をしているのが気に入らなかった兄さん。その時、初めて顔を殴られた。


「お前が逃げたいって言うから、壊してやったのに! 何で僕から離れるんだよ!」


「嘘だ! 私、頼んでない! 兄さん、どうしてそんな風になっちゃったの? 昔はもっと優しかったじゃない。飼ってた鳥が死んだ時、一緒に泣いたじゃない!」


 ヨシュアは笑っていた。けれども不思議だ。笑っているのに涙の匂いがする。


「全部、コイツのせいだ! モリシタが悪い。エヴァなんて作ったりするから!」


「お前は悪魔だ」


 モリシタ所長の声。

 瞬間、乾いた銃声が響いた。

 

 モリシタ所長は、銃で頭を撃ち抜いて自殺した。


 父さん達が事後処理に訪れた時、研究所で生きていたのは私たち兄妹二人だけだった。





 ◆





 カインは完全な廃墟と化した研究所を歩いていた。白骨化した死体が放置されたままだ。そして、しげる植物はどれも死体を養分として芽吹いていた。その異様さに、流石のカインも吐き気を覚えていた。ポケットに入れた携帯電話を確認する。


「思い出した。ここで、俺はモリシタ所長から言われたんだ。『その力は大事な人のために使え』って。ここにはもう何もない。撤退する」


「いよう、元気にしてたか? ボス」


 振り向きざま、チェーンでしこたま頭を殴られたカインはその場で気を失った。セブンは憎々しげな顔でその褐色肌を見やると、思い切り蹴り飛ばした。


「傷をつけるな、自爆をさせるなが特別顧客のオーダーだ。俺はお前の事なんて絶対に認めないからな。聞いてるか、レイラ!」


 エレベーターに乗る前から通話状態にしてあった携帯電話から、微かな動揺が伝わる。セブンは伸びてるカインのポケットから電話を取り出すと、ご丁寧に進言して差し上げた。


「特別顧客はお前と引き換えだと言ってる。居場所も割れてるぞ。こっちには死神がいるんでな。恨むなら電源なんか入れておいたカインを恨め。この裏切り者が」


「犬は黙ってな」


 レイラの低い声が漏れてきて、通話はそこで途絶えた。セブンいらまぎれに、もう一度カインを蹴り上げてから拘束した。





 レイラは既にキューバの組織から去っていた。隣では、西洋人形かと見まがうような容姿をした死神が、パラソル片手にふわふわと宙を歩いていた。


「参ったわね。いきなり電話がかかってきたと思ったら……全く。どうして私の周りの男どもって、ビジネスの基本がなってないヤツばっかりなのかしら。プルト、私をモリシタ所長の家に連れてって。てかアンタも使えないわねー。特別顧客が私と身柄交換って言った理由、本当に知らないの?」


 プルトはパラソルをくるりと回すと、陶器のように白い頬をふくらませた。


「あのねえ!ボクのお陰で、トロイの子達は命拾いしたんだからね。あのアジトに結界を張ったの、誰だと思ってんのさ! いくら向こうの死神が頑張ったって、見つけらんないよ」


「それを言ったら、アンタだってカインのいる場所に入れないでしょ。だから理由も分からないんじゃない。私一人で乗り込めっての? そもそも、何で私の前に現れたのよ」

 

 レイラがその長い黒髪を耳に掛けると、砂丘に強い風が吹いた。強い日差しがじりじりと照りつけてくる。そんな場所におおよそ似つかわしくないプルトのドレスが砂混じりの風で揺れていた。


「兄ちゃんが守ってやれって言ったから『ブラックダイアモンド』を」


 だったら行くべき場所はここではなく、クロエの所だろう。そう言いかけてレイラは口をつぐんだ。特別顧客は、どうでも良かった筈の私に固執している。彼女は、自分に洗脳が入らなかった理由を本能で感じていた。


 カインが自分だけ研究所へ連れて行かれたのを疑問に思っていたように、レイラもまた同じ疑問を抱いていたのだ。


 どうして私は対象とならなかったの?

 モリシタ所長は何かを隠している。


「プルト、取引よ。私をモリシタ所長の家へ連れてって。見返りは何がいい? 身体と引き換えにする程じゃないわね」


「炒飯っていうのが食べたい。食べ損ねたんだよ、セツコが来ちゃったから」


「ハァ? 何それ……まあいいわ。アジア料理は得意だから。じゃあそれで取引しましょ」


 プルトはドレスハットに添えてある薔薇の花をつまみ取ると、唇で吹き飛ばした。花びら舞う中、スカートをつまんで貴族の如く足を交差して挨拶をする。


「レイラ、取引は成立しました」


 プルトがウィンクすると、花びらに包まれた二人は砂丘から姿を消していた。





 -つづく-

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