皇帝の目覚め-Ⅳ

 レイラとプルトはジョージの生家に訪れていた。高所得層が住まう住宅街の一角。手入れの行き届いた庭を見たレイラがプルトにたずねた。


「この家の所有者って変わってないわよね?」


「変わってないでしょ。つい最近まで兄ちゃんが来てたんだから」


「魔術師が来てたのか。なら、お邪魔しても大丈夫そうね」


 レイラが正面玄関から入っていった。清潔好きな人間が出入りしていたのだろう。一目でそれと分かる。何年も空き家だったとは到底思えなかった。


 女性とおぼしき部屋に足を踏み入れた時、レイラの瞳に影が差した。その部屋にはドレッサーがなかった。主には必要なかったからだ。


 チェストの上に置かれた写真立てを見たレイラがそれを伏せた。写真には、レイラの殺害したユカリを笑顔で取り囲むモリシタ家が収められていた。


「……そう言えばジョージってどこに居るのかしら? プルト、知らない?」


 少女にしか見えない仕草でプルトが首を振る


「兄ちゃんも探してた。ここから出て、それっきりだって」


「えっ?! そういう情報を先にちようだいって。ビジネスの基本よ。クロエが一緒にいたって事じゃない。何なのよ、もう……」


 隣であっかんべえをしているプルトを尻目に、ノブヒコの書斎へと入っていった。迷わず金庫のある場所へと向かう。レイラからすれば、金庫破りなど義務教育のスキルだ。30分ほどで重たい扉が開いた。


 当然の如く、中には何もない。そこそこ広い庫内に顔を突っ込んだレイラが一枚のメモ用紙を拾い上げた。


「何これ……(息子よ、弱い父を許して欲しい。お前の記憶を奪い書き換えた私の弱さを。いつかこのメモをお前が見つけてくれる事を願う。)だって。ノブヒコのメモだわ」


「ジョージは洗脳のショックで家を出たの?」


「違うわね。『自分に限ってあり得ない』いい? それが洗脳よ、プルト。分断の原因になっても消息不明の理由にはならないわ」


 人間って変なのと顔に書いてあるプルト。でしょうねと視線で返したレイラが再び庫内に頭を突っ込んだ。こぶしで中を叩いて回る。目当ての音に辿り着いた彼女が「ビンゴ」と呟いていた。直ぐに何かが外れる音がして、庫内に薄明かりが灯った。


「穴の奥で何か光ってる」


 それまで所在なさげだったプルトの瞳が、にわかに輝き出す。彼は二重壁を立てかけるレイラを素通りしてゆくと、穴を覗きだした。


「どう? なんか映ってる?」


「何にも。光だけだ、つまんない」


 庫内から顔を出したプルトが口元を尖らせる。レイラは穴に針金を突っ込んで、鍵の引っかかりを探した。しかし、中はつるりとして何もない。しばし腕組みをしていたレイラが、腹を括った。


「クロエがトリガーだったのね。ならば、私も条件に当てはまる筈」


 はたしてレイラの言葉通りだった。穴を覗き込むと、隠し扉はいともあっけなく開いた。用心深い彼女は、もう片方の目でも試みた。どちらも結果は同じ。プルトが目をまん丸にしながら、他人事丸出しで感心していた。


「魔術師がブラックダイアモンドを守れって言った意味、理解してなかったでしょ」


「してるわけないじゃん。兄ちゃんの無茶振りを知らないから言えるんだよ。クロエと同じ周波数を持つ人間がレイラしかいなかった。多分それがブラックダイアモンドなんだろうなあって。そんくらい」


「いい加減な所あったもんね、あの死神。さて……どうしようか。私のブラックダイアモンドは確定だわ。周波数か。洗脳が入らなかったのも、両目にチップが挿入されていたからね」


「クロエは違うの?」


「あの子とは10歳以上年が離れてるもの。電卓と一緒よ。小型化したんでしょ。でもまあ助かったわ。


 レイラは部屋から出て行くと、キッチンを漁り始めた。プルトにホルムアルデヒドホルマリンと麻酔を調達してくるよう依頼する。


「さあ、しばらくの我慢よ。レイラ」


 全てが揃った所でレイラが自分に言い聞かせる。彼女は料理でもするかのようにあっさりと施術せじゆつを始めた。





 ◆





 エマをピックアップしたキングがマンションへ帰宅していた。フランツの拘束を巡り、これといった成果を得られなかったエマは、沈んだ気持ちで口をつぐんでいた。キングもまた、クロエとの対話は実現したものの、満足感を味わうにはほど遠い場所にいた。 


 なんとも言えない沈黙の中をココアとコーヒーの湯気が立ち上る。


 沈黙を破ったのはインターフォンであった。疲れた面持ちのエマが応対する。


「どちらさまでしょうか」


「先日、お電話を差し上げました中央情報局の者ですが」


 受話器を押さえたエマの顔に緊張が走る。キングも漏れてきた声に警戒心を強めた。こわばった表情で通すようエマに促す。


 帽子を脱ぎながらマンションに入ってきたのは、州警察の刑事二人組であった。煙草臭い中年男性がホワイト。まだ若々しさの残る男がブラックとそれぞれ自己紹介を受ける。


 キングの顔は険しいまま。エマもキッチンへ行ったきり戻ってこない。それも当然、と言いたげなホワイトがリビングを見渡した。


「歓迎されないのは承知の上です。少し座っても?」


「最初に言う事があるんじゃないのか。何故、フランツさんを拘束した」


 ブラックが申し訳なさそうに肩をすくめた。


「我々は国家公務員です。個人の判断ではどうにも出来ません」


「オリヴァー……今は副大統領だったか。彼の指示か」


「そちらも含めてお話ししたい事が」


 エマがキッチンから出てきて、二人の注意がわずかにそれた。次の瞬間、二人が目にしたのは大鎌を担いだ死神のキングであった。とつにブラックが銃を構える。キングがその美しい斜視を見開くと、白マントがたなびき拳銃は天井へと貼り付いていった。


「何なんだ、お前は一体」


「思い出させてあげるよ、僕達は前に一度会ってるんだ。取引しよう」


「フランツ・デューラーであれば下手な根回しをしない方が良いです。彼の命を思うのであれば。信用が出来ないのも無理はありません。しかし、聞いてください。我々のボスはです」


 いぶかしげな表情のキングが宙を浮く。ブラックを後方に下げたホワイトが頭を垂れた。


「どうぞ、私の事はようにも。ただし、ブラックはなにとぞご勘弁を。彼はまだ若いのでね」


 二人を見下ろしていたキングは大きく呼吸をすると、二人の肩をそっと叩いた。瞬間、そこだけ時が止まったかのように空気がとどこおる。気を失っていた二人は、キングの指を鳴らす音で意識を戻した。


「君は無人ビル爆破事件の時にいた……」


「そう、死神だよ。君らに偽の記憶を噛ませたのは僕だ。今、それを解いた。さあ、ソファーに座って」


 キングは大鎌に絡まるとしろへびさながらの姿となって、リビングから姿を消していった。エマが二人にお茶を提供している合間をって、私服姿で着席する。

 キングは若干、当惑していた。

 二人が落ち着き払っていたからだ。

 エマがトレーを下げると、早速ホワイトが口を開いた。


「保護されていた子供達が姿を消しました。医療チームもです」


「えっ?! そうですか……人間の仕業とは思えない消え方をしたんですか?」


「仰る通りです。今日お伺いした理由は、フランツさんも関係があります」


「と言うと?」


「彼は局の命令で拘束しました。ステファン元大統領ではありません。安心してください、フランツさんはお元気です。脱法的な資金洗浄でスパイ容疑はこじつけが過ぎる」


 キングは、二人にお茶を勧めると自らもココアを口に含んだ。リビングの隅では、エマも話を聞いている。


「一つ良いですか、ホワイト警部。先ほどからあなた方は何故、大統領にとつけていらっしゃるんですか?」


 話のかくしんに来た。そんな手応えを感じた二人組が目を合わせる。真剣な表情のブラックが話を繋いだ。


「キングさん。貴方から正体を明かしてくれて助かりました。我々は、病院とフランツさんの件でお伺いしたので。例えば、偽のステファン大統領を演じさせる。そういう事が可能な死神はいますか?」


 キングの目元がピクリと動いた。顔に手をやりうつむく。そんな能力を持つ死神は一人しかいない。


「います。偶像という死神の能力をけいしようした男が。その前に一つ確かめたい。なたがたはオリヴァー副大統領を信用していますか? 州警察に普段はいらっしゃるようですが」


「いいえ、全く。司法を買収している可能性がある。潜入を指示したのは、ステファンですよ。オリヴァーを疑っていました。それが今や副大統領だ。国務長官は官僚気質な方でね。知らぬ存ぜぬです」


「特別顧客という言葉に心当たりは」


「イブの庭絡みですか? 良くない噂と言えば大体、あそこだ…………やられた。ビル爆破テロの一件です。思い出しましたよ。我々は偽の証拠を掴まされた」


「記憶があやふやだったからでしょう。済まない事をしました。証拠に関しては、兄の仕業です。死神は目撃者の記憶を消す。それを前提に動けるのは彼以外にいません。ヨシュア・キンドリーです」


 名前を出された二人が、今更のように驚いた顔でキングの容姿を見ていた。斜視があまりに印象的で見落としていた。キングとヨシュアは合わせ鏡のように似ている。


「キングさん、貴方はオリヴァーの息子ですか?」


「はい。母親は人身売買された女性です」


「……オリヴァーは司法買収だけじゃない。人身売買にも関与しているとの噂がありました。しかし、疑えば必ずつうれつな批判を浴びる。彼は熱心なクリスチャンですから。そう言えばこんな事も公約に掲げていました。


 

 全員の声が一致した。

 ジョージは今、ヨシュアといる。


「ジョージさまは、特別顧客の元へ行かれたのですね」


「そうみたいだ。セツコさんから聞いたよ。ジョージの父親とオリヴァーは知り合いだったらしい。消息を絶ったのは、僕とステファン大統領が会見した日だ」


「その、ジョージというのは?」


 キングは二人にこれまでの概要をざっくりと伝えた。しかし話せば話すほどに、二人の表情が困惑で満ちてゆく。ついに耐えきれなくなったホワイトが言葉に漏らした。


「ユカリ・モリシタ殺害事件を担当していたのは我々です。私達も彼を探していたんですよ」


「彼をかくまっていたのは僕です。ユカリ・モリシタを殺害したのは……」


 言葉に詰まったキングはそれきりうつむいてしまった。レイラの名前は出せない。ヨシュアと司法の買収は深刻なきようだ。中央情報局の二人も察する所があったのか、それ以上は何も聞いてこなかった。





 ◆





 州都市部の高層ビル。いつもの執務室では、カイン拘束の一報を受けたヨシュアが浮かれ気味に歩き回っていた。首元を押さえたジョージが、力なくソファーにもたれかかる。不安と恐怖がない交ぜになった彼に、ヨシュアが楽観的なこわいろで話しかけた。


「傷の具合はどうだい? 直ぐに良くなるさ。ジョージ、君は優れた死神なんだから」


 傷口はいつまでもじくじくとしたままで、治りが遅い。ジョージは「どうかな」と独りごちていた。ヨシュアの視線は捕食動物だ。さいな言動も見逃さない。


「君は、二つの力を継承してる。特に魔術師の能力は素晴らしいよ、過去を改ざん出来るんだから。時にジョージ。君は取引出来るかい?」


 言い終わらないうちにジョージの身体が硬直して、眼球が左右上下バラバラに動き出した。規則正しくさえ見えるそれは、まるでコンピューターと昆虫のキメラだ。演算の終わったジョージが結果を出力した。


「可能だ」


「では取引といこうじゃないか。クロエには手を出さない。約束しよう。代わりに、トロイの再建をして欲しい。レイラ抜きのトロイだよ。あの間抜けな死神と出会う前まで改ざんすれば可能だと思う」


「……血をよこせ」


 青ざめた顔で震えるジョージ。そんな彼を見るヨシュアの顔が一気に邪気をはらんだ。受話器を上げて部下に指示を出す。物資の調達を待つ間、体温が下がりすぎた手をヨシュアが優しく包んだ。


「君は元が人間だから、こうして触れられる。苦しいんだね、ジョージ。君の辛さは私のものだよ。気に病む事はないさ。今、部下に輸血用の血液を持ってこさせてる。善意の血だ。好きなだけ飲むといい」


「すまない。取引を済ませてしまおう。どうすれば良いんだ」


 ヨシュアのこうかくが病的なつり上がりをみせる。しかし、貧血で視界がかすんでいるジョージには、表情を確認する手段がなかった。


「過去を改ざんするには、死神自身の身体が必要なんだ。クロエのためだよ。どうだろう? 引き受けてくれないか」


「クロエ……」

 

 周到に用意された偶像のナイフ。絶妙なタイミングでそれをヨシュアから手渡されたジョージは、腹部に刃を突き立てた。ハンカチで鼻をおおいだしたヨシュアをよそに胃袋を取り上げる。吐血を始めた彼は、気を集中させて声を張り上げた。


「この身体を捧げる! トロイを巻き戻せ! キングとレイラが出会う前までだ!」


 そこで力尽きたジョージは意識を失ってしまった。胃袋がなくとも人は死なない。ヨシュアが革靴の先でジョージの身体をいていると、ドアを叩く音が聞こえてきた。血液を持ってきた部下だ。


「ヨシュア様、ご要望のものです。気分が悪いんですか?」


 ドアの隙間から顔を覗かせたヨシュアに、部下が気を遣った。鼻をハンカチでおおったままの彼は、目元だけで微笑んだ。


「いや、なんでもない。ところでトロイなんだが。コマンドと連絡はつくか?」


 部下の表情がより一層、主を心配するものとなった。


「……彼は、とっくに亡くなっております。離反した連中も未だ確保出来ておりません」


「そう。ありがとう」


 血液を受け取ったヨシュアが扉を閉める。彼は執務室で思いっきり舌打ちをしていた。輸血用血液をジョージの顔にぶちまけて、雑に蹴り上げる。血が喉を通過した時、捧げた筈の胃袋が奇妙な動きを始めた。意志でもあるかのように、ヨシュアの足下へと移動してくる。


 今にも破裂しそうな程に膨れ上がった胃袋は、自ら切れ目を作ると血を噴き上げて偶像の顔になった。


「ィイ……キング……ァハ、マジュツシィ……キング」


「ハア? それは本当か、偶像」


 偶像はヨシュアに顔を近づけると、薄気味悪い笑みでうなずいた。ジョージの手がピクリと動き出す。瞬間、偶像は引き寄せられるようにして胃袋の中へと戻っていった。そのまま宙を浮いたジョージは、はりつけにされたキリストと同じ姿で傷の修復を始めた。


 ジョージが意識を取り戻したのは、それから30分後の事であった。


「どうだ? 成功したか、ヨシュア」


「キングだ。アイツに邪魔された。魔術師の能力はあの間抜けな死神が継承していった。クソッ!」


 大理石の床に舞い降りたジョージが傷のを確かめる。不機嫌丸出しのヨシュアをいちべつした彼は事もなげに呟いた。


「アイツはイスカリオテのユダだ。殺して能力を奪えば良い」


 執務机を叩く音がして、ヨシュアが珍しくヒステリックな声を上げていた。居室内にごうが響き渡る。


「輸血用血液をぶら下げながらか? セブンの報告では、尋常じゃない速度だったらしいぞ! しかも補給を必要としない。マトモにやり合えば、奪われるのはこちらだよ!」


 ジョージの表情が途端に飼い犬のそれとなる。怯えた目をした彼は、ヨシュアにひざまずき許しをうた。


「申し訳ありません、特別顧客。俺はどうすれば良いんですか?」


「新しい組織を作る。君も腹を決めるんだな。身体が何を欲しているか知っている筈だ。キングを殺したいんだろう? ジョージ」


「子供ですか……」


「このままだとクロエを守れないぞ。あれの存在が世界中に知れ渡ってみろ! 奪い合いで戦争が起きる。こまれになったクロエでも君は愛せるのか?」


「ダメだ! それだけは絶対にダメだ!」


「ならば血肉を」


 ジョージは、こんな時に限って正気を奪ってくれない神を恨んでいた。だからこそ、何があろうと揺るがないヨシュアの狂気が輝いて見える。


 このお方こそが、救世主。

 こんとんのメシアだ。

 ジョージは、ヨシュアに心酔し始めていた。



 

 -次エピソード『教皇の思惑』へつづく-


 

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