皇帝の目覚め-Ⅱ

「私はセツコ。セツコ・モリシタって言うんだ。


 キングは寝耳に水の情報に、しばしぼうぜんとした表情を浮かべていた。彼が耳にしていたのは、元特別顧客という情報だけだ。ジョージの叔母は含まれていない。職員を呼んだセツコはクロエを託すと、煙草に火をつけた。


「何から聞いたら良いか分からないって顔だね、キング。まず、ジョージの事から話そうか。私も甥っ子と例のジョージが同一人物だと知ったのは、クロエを預かると決まってからなんだよ。魔術師は見ての通り死神だ。ラストネームになんぞ興味がない」


「エマの方がセツコさんに近いんですよね。彼女は何故気づかなかったんでしょうか?」


 窓の隙間から煙を吐き出したセツコが天井を見上げた。マリアの周囲を天使達が祝福してまわっている絵画を見つめる。


「この辺りはモリシタって名字が多いんだよ。エマは生まれが日本じゃないんだ。スミスと同じ。ありふれた名字だと思うのは無理もないさ」


「クロエの件からと言うのは『ブラックダイアモンド』絡みですか」


「大枠ではそんなとこだね。内容までは見当がつかないけど。私はとっくに特別顧客から脱退していたから。オリヴァーとの繋がりは薄いけど、面識くらいはあるよ。セツコ・アイザワとしてね。夫が亡くなってようやく重荷から解放された気がしてさ。姓を戻した」


 キングはジョージに何が起きたのかを知りたかった。彼と初めて会ったのは、ソビエトが大統領暗殺をそそのかした時だ。集落から出たばかりのキングは、ジョージに自分を重ねていた。孤独な彼を嬉々として利用する工作員が許せなかった。独善と言われればそれまでだが、キングなりの正義感で助けようとした。


 けれども――キングは思う。

 そもそも何がジョージをあそこまで追い詰めたのか。

 ジョージの話だけでは主観が強すぎて分からない。


「ジョージの父ノブヒコは私の弟でね。歳の離れた末っ子だった。あの子が日本を出たのは私のせいなんだよ」


 セツコも何から伝えるべきか悩んでいたのだろう。煙草の灰が今にも落ちそうになっていた。





「先の大戦は特別顧客の内部分裂で起きた。私は身体の弱い夫に代わって特別顧客を務めていてね。当時、満州にいた。満州事変は知ってるかい? キング」


「教科書程度の知識なら」


「持ちつ持たれつ。それが特別顧客のおきてさ。軍需産業のりゆうこうで誰もがWin-Winの関係を築けると思ってた。ところが、関東軍の様子がある時からおかしくなった。中央に対してクーデターと受け取られても仕方のない行動を取り始めたんだ。そして、満州事変が起きた。焚きつけたのはコミンテルンの連中さ。そうならないための特別顧客制度だったのに。騙されたと気づいた時には何もかもが遅かった。情報工作なんてもんじゃない、あれは洗脳だよ」


「偶像が関与していたんですか、先の大戦に?」


「厳密には違うね。偶像の力は皆、知っていた。だからコミンテルンに出し抜かれたのさ。皮肉な話だけど、あれだけの力を持つ死神と契約していたからなんだ。『シオン賢者の議定書』を真に受ける国が現れるなんて、誰も思ってなかった。人間ってのは怠慢な生き物だよ」


「強大すぎる力に依存して、足下がおろそかになってしまう」


「そうだね。あっと言う間に日本は孤立した。本来ならば称号剥奪されるところを、脱退するなら大目に見ると持ちかけられた。私は、この国を守りたかった」


 しかし、事態は悪化の一途しか辿らなかった。どこまでコミンテルンの影響下にあるか分からぬまま、いや分からないからこそ特別顧客は完全に分裂した。そして大戦が勃発。というルールの名の下に。


「特別顧客は偶像の他にも死神と契約していた。私は、その死神の力に未来を見ていたんだ。それがまさか戦争を終わらせる名目で、日本に使われるとは思いもしなかったよ。まだ幼い死神でね。感情のコントロールが出来なかった。あの子も利用されたのさ。魔術師の弟だよ」


 キングは次から次へと飛び出してくる新しい情報に追いつくのがやっとだった。コミンテルン関連の書物はヘッゲルの屋敷で読んだ。決定的な証拠に欠けるとは言え、こうとうけいで片付けるのも違うというのがキングの感想だ。事実、ジョージに大統領暗殺を焚きつけたのはソビエトだ。


 キングには一つ気になる事があった。


「魔術師には弟がいたんですか」

 

「ああ。強大な力をコントロール出来ないってんで、下界に降りる事を長らく禁止されてたけどね。魔術師が死んで特別に許可が下りたんだと。プルトって言うんだ。いずれアンタも会うだろうさ」


 日の陰り始めた礼拝堂で、セツコが再び煙草に火をつけた。


「死神が破壊した街でノブヒコは産まれた。彼の見たものは地獄だったと思う。特別顧客だった私を恨んでいたよ。被爆後遺症に苦しむ人のために医師を目指した。弟に偶像とプルトの存在を教えたのは私だよ」


「確かに偶像の力は医学の発展にこうけんできます。しかしあの死神は――」


「言わなくても分かるよキング。偶像は悪魔の類さね。ノブヒコは死神を作ろうとした。あれだけの地獄を見てきたのに、子供の命を山ほど使い捨てて。自分の子供にまで手を出した。死にたいと思ったよ。それを知った時は」


 革ジャンにジーンズといった出で立ちはもしかしたら、セツコなりのよろいなのかもしれない。そのくらい、特別顧客を巡る悲劇とノブヒコの転落を語る彼女は弱々しく見えた。


「ジョージは、セツコさんの事を知ってるんですか?」


「憎んでる姉の話なんかするかね。親族がいる事すら伝えてないよ、ノブヒコは。ただ――」


「ただ?」


「自殺する前日に電話をもらった。正気じゃなかったと思う。。ジョージの事もその時に。甥っ子は失敗作フロツピーだと言ってたよ。器として耐えきれない身体だと嘆いてた」


「僕は偶像からエヴァの記憶をついずいさせられました。研究所にいた少年がジョージだったと思います。あんな所でパパなんて呼ぶ子供は限られますから。それに、魔術師を殺した時も生き延びたというような事を言っていました」


「ノブヒコは復讐したかったのかもしれない、特別顧客に。研究所の所長にまでなったんだ。エヴァを殺さなかったのだってそうさ。理屈では説明できない直感が働いたんだろうよ」


「自分の子供を使ってまでですか?」


「私の知るノブヒコはそんな弟じゃなかった。何かの間違いであったと思いたいね」


 ファイルの中身は実験の真の記録だ。キングは確信を得ていた。どんなバグを抱えていようが、実験でプラス反応が出たとなってはジョージの命がない。そうでなくても特別顧客にとって人の命は軽い。頭をもたげかけてキングはふと疑問を抱いた。セツコはどうだったのだろう。


「セツコさんも沢山の命と取引をしましたか?」


「そいつは墓場まで持って行くつもりなんでね。言わないよ。ここでやっている事が全てさ。私も90代だ。寿命が来るその日まで生きる。大戦は改ざん出来ない過去だしね」


「あの戦争が?」


「魔術師は出来ないと言っていたよ。あれも分岐点なんだと。戦後、科学技術は著しい発展を遂げた。今、大戦レベルの戦争が起きたら間違いなく人類は滅亡する。できるだけ早くうみを出す必要があった。つまりは必要悪ってこった。死神の世界ではそう捉えているようだね」


 死神の意志は常に介在する。キングは偶像が端から何もかも想定して、ジョージの父ノブヒコを誘惑したと考えていた。あの死神なら実験結果も全て把握している筈だ。


 偶像は今、ジョージの体内にいる。

 出来るだけ早く手を打たねば。


 煙草から立ち上る煙を見ていたキングの視線が、自然と懺悔室へ移動していった。


「セツコさん、僕はこれから兄を討たなければならない。その前に今までの罪をここで告白しても良いですか」


 セツコはずっと伏せていた目を開けると、煙草をくわえて微笑んだ。


「ニコチン中毒の老いぼれシスターで良ければいくらでも」


 頭を下げたキングは小さな懺悔室に入ると、ぽつりぽつりと懺悔を始めた。





 ◆





 僕は、中々身体が成長しなかった。本当は13歳で決行するつもりだった。最初に両親の殺害を思い立ったのは、8歳の時だ。集落に右手と両足のない爺さんがいた。彼は酷い飲んだくれで、当然の如く薬物にも手をつけていた。その割には金回りの良かった爺さん。その日暮らしの快楽が基本の集落で、僕だけが疑問を抱いた。


「遊園地にヨォ、死神がくるんだよ。指一本で300$くれるんだ」


 爺さんは歯のない顔で至って真面目に語っていた。彼が素面しらふな時はないから、僕も最初は幻覚でも見ているんだろうと思ってた。けれども、左手を失った日。爺さんは5千ドルもの大金を持っていた。両手両足がないから金を隠せなくて、そのまま殺されてしまったけれども。


 爺さんの死体を見つめながら、僕は初めて死神って本当にいるんじゃないかと思った。


 僕は、非科学的な事にはあんまり興味がない。テレビもバラエティーより、科学番組の方が好きだ。父さんは便器に教養は要らないが口癖だった。「母さんを見てみろ。お前も変わらないぞ」と言いながらテレビを叩く。僕は、テレビだけは壊されたくなかった。「母さんと変わらない」それはつまり、行為の合図でもあった。「母さんの仕事と同じ事をする。服を脱げ」の合図。


 下の毛が生え始めた辺りから、父さんは露骨に僕を避けるようになった。暴力は相変わらずだったけれど。母さんを連れて出稼ぎに出ている間、こっそりと筋トレを始めた。集落の人間はすぐに告げ口をする。小銭が欲しいから。だから、外を走ったりとかは出来なかった。


 母さんは僕が産まれる前から壊れてた。機嫌が良い時は、棒きれにタオルを巻いて「赤ちゃん」と言いながら指をしゃぶってる。そうでない時――薬が切れた時は大変だ。父さんですら止められないから、食べ物はなくても薬だけは切らさない。計算の苦手な父さんは、薬が山盛りだったら大丈夫って考える人だった。


 15歳になったある日。粘りつくような暑い日だった。


 その日も母さんは薬が切れて暴れていた。薬を捨てたのは僕。最初に僕が半分以上捨てた。僕たちが用済みになった父さんは、極度の潔癖症だった。自分の手で始末するより、二人で殺し合ってくれた方が汚れない。そう考えた父さんは、残った薬を全て売った。彼をそうするように仕向けたのは僕だ。父さんは細かい計算が出来ない。


 あの時の母さんはもう、自分の名前も分からなくなっていた。僕が小さかった頃はエヴァと呼ばれたら返事をしていたのに。今は黙っているか、オウム返しにエヴァと言うだけだ。それに性病の影響で皮膚が腐ったように所々落ちていた。


 用済みの母と用済みの息子。


 けれども、僕が本当に殺したかったのは父さんただ一人だった。母さんの寿命がそんなに長くない事は、テレビの情報で薄々感じていた。あの人は多分、HIVと梅毒に感染していたと思う。


 母さんが喚きながら僕に包丁を突き立てた時、今だって心が踊った。こいつらを殺すなら今だって。ほんのちょっと突き飛ばしただけで、母さんは足を骨折した。妙に軽い音がトレーラーハウスに響いて……僕はとても興奮した。


 ようやくこの地獄が終わるんだって。


 背中に突き立てられた包丁を抜いた僕は、父さんの首にそいつを思い切り刺した。口から真っ赤なビールを吹き出したアイツは怒ってた。僕にはそれがおかしくて仕方がなかった。


 今まで言いたくてたまらなかった事をついに言った。


「どうして自分だけは平気だって思えるの? アンタ、自分が思ってるほど頭良くないよ」


「ゴフッ……このクソガ――」


 首から包丁を抜いた僕は、父さんの眉間に今度はそれを突き立てた。母さんは自分も骨折してるってのに、手を叩いて赤ちゃんみたいに笑ってた。なんだか僕も楽しくなってきて、ビール瓶で勢いよく父さんの頭をぶん殴った。一度で良いから、こうしてやりたかった。ずっとその日を夢見てた。


 大嫌いだよ、父さん。

 


 ビール瓶は案外堅くて、三回目でようやく割れた。父さんは壊れたピッチングマシーンみたいに両手をぐるぐる回していて、ものすごくこつけいだった。瓶ごと顔に刺したらそのまま後ろへひっくり返って、やっぱり両手を回そうする。僕はそんな父さんの頭を思い切り蹴り飛ばした。変な声で叫ぶのが面白くて何回も蹴飛ばした。


 テレビからは「マザーグースのうた」が大音量で流れてた。


 立ち上がられると困るから、包丁でアキレス腱を切った。その時の動きといったら! どこからどう見ても蛙そのもので、僕は声を出して笑ってしまった。包丁は折れてしまったけど。そんなのはもう、どうでも良かった。


 ずっと一番痛い思いをしてきた場所に、折れた刃を突き刺した。胸のすくような思いを生まれて初めて経験した。


 それから僕は、ライター用のオイルを父さんの股間にかけて火をつけた。顔にはビニールを被せて透明テープでぐるぐる巻きにしてやった。


 芋虫みたいに暴れ回る父さん。

 テレビから流れる「マザーグースのうた」。

 手を叩いてはしゃぐ母さん。

 そんな地獄絵図を見ながら腹を抱えて笑う僕。


 最高の家族だよ。


 父さんがいよいよ絶命しかけた時、僕は母さんの首に手を掛けた。「エヴァ」って試しに名前を呼んでみた。けれども、母さんはやっぱり名前が分からなくなっていた。薬の禁断症状が出てどす黒い顔で震えている。


「あくま、あくま!ブー!」


 それが、母さん最期の言葉。

 彼女の首は、にわとりの首をひねるより簡単で軽かった。


 僕は残りの時間を、ただひたすらに父さんの身体を壊すために使った。疲れて気を失ってしまうまで、ガラス片で刺し続けた。意識が戻った時、例の爺さんが言っていたことを急に思い出したんだ。


 遊園地に死神がいるって話。


 それがダメなら、集落ごと燃やして一緒に死ぬのもありかなって考えたりした。僕はヒーローでもなんでもない。ただの人殺しだ。どうせ死ぬなら、せめて他のゴミを道連れにしたかった。もう二度と、僕みたいな子が生まれてこないように。


 魔術師と出会うまでの僕は、テレビのヒーローならこうするって言うのを真似してた。単純に生き方を知らないっていうのもあったし、存在しても良いっていう確信が欲しかったんだと思う。ジョージを助けたのだって、結局は僕の独りよがりだ。


 ……ジョージと友達になりたかった。


 僕はどうすれば許されるのだろうか。

 僕は、人を愛してもいいのだろうか。


 アンナ、君は本当の僕を知ったらどう思う?





 ◆





 州都市部の高層ビル。キンドリー邸ではいつにも増して冷ややかな空気が流れていた。父オリヴァーはヨシュアに命を握られている。そしてそれは、アンナもまた同じであった。大統領の会見をラジオで聞いた彼女は即座に理解した。


 大統領を演じているのは、父さん。

 兄さんがジョージの力を使ってやらせている。


 アンナは、胸元に忍ばせたキングのポケットベルに手をやっていた。あれから、ヨシュアはアンナの部屋から電話を撤去してしまった。今までのオリヴァーなら、いさめたであろう。けれども、彼にはもう抵抗するだけの力がなかった。盗聴がバレたヨシュアは、用があるなら部屋で呼んでくれと開き直る有様だ。


 兄さんは一体、何がしたいの?

 違う。

 本当の私は知っているの。

 兄さんが何を望んでいるのかを。


 ふと、久しぶりの臭いに顔をしかめたアンナが振り返った。シルクのガウンを羽織ったヨシュアだ。わざとシャワーを浴びずに部屋を訪れたのだ。汗と体液の混ざった独特の臭いがする。アンナは眉間にしわを寄せると、ハンカチで鼻をおおった。


「久しぶりなのに覚えてるんだ。流石だね、アンナ」

 

「兄さんこそ、少しは恥じらいを覚えたら?」

 

「ねえ。お前って男と寝た後、どうしてんの? 家のバスルーム以外、一人で使えないくせに。誰かにやってもらってんだろ。恥ずかしいのはどっちだよ」

 

「ウスノロ。男と寝る時は、いつだって私をそう呼んでた。今でも心の声は変わらないのね。盲目の前でするのがそんなに楽しい?」


「楽しいよ。お前がウスノロだから」


 ヨシュアはガウンを脱ぐと、まだ上気している身体でアンナをめにした。彼女が嫌がってもがけばもがくほど、ヨシュアの顔が歪んだ悦びで満たされてゆく。


「やめてよ!離して、ヨシュア!」


「おい、ウスノロ。お前は自分が共犯者だって事、忘れてるだろ? 都合の悪い所はお得意の知らん顔。お前が出たいって言わなきゃ、ジョージの父親は死んでなかったんだぞ」


 アンナは腕を振りほどくとこぶしでヨシュアの胸を強く叩いた。その激しい抗議とは裏腹に、酷く冷え切った声が居室内に響き渡る。この期に及んでまだ馴れ馴れしい悪ふざけを仕掛けるヨシュアに対しての言葉。それは、彼女の最終宣告だった。


「忘れてなんかいないわ。貴方はただ秩序を破壊したいだけ。欲求のまま動き回るけものの方がずっとマシよ。私は貴方の玩具おもちやじゃない。モリシタ所長を殺したのは兄さんだわ」


 ゆっくりと迫るアンナの足下で、脱ぎ捨てられたガウンがきぬずれの音を立てていた。


 -つづく-

 

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