トロイの戦車-Ⅱ

「直接会うのはお久しぶりですな。死神界の若き貴公子、キング。私を覚えておいでですかな? 魔術師です。貴方の良き友人ですよ」


 燕尾服えんびふくを風にたなびかせ飄々ひょうひょうとした口調でうそぶく魔術師。予期せぬ介入者にキングの表情はより一層険しいものとなっていた。大鎌を構え、その美しい斜視で睨みつける。


の差し金か、魔術師」


「そう思ってしまうのも無理はありませんね。しかし……」


 魔術師を乗せたヘリコプターがキングの周囲を器用に旋回する。


「死神の姿を公に晒してしまうほど余裕がないとは。貴方らしくありませんな、キング。マスコミの方には少々眠っていただくことにしました」


 怪訝けげんな顔をしたキングがコックピットを覗き込む。中にいたマスコミはその全員が瞳を紅梅こうばい色に染めていた。瞳孔どうこうは縦長でぼんやりと一点を見つめている。テレビカメラがショート音を立てながら煙を上げていた。

 

の力?」

 

「ええ。貴方は彼女を殺せなかった。はあの場で死んだのです。それが死神界のことわりです。温情で生かしておく、という概念が死神にはありません」


「今、能力の話をしている時間はない。何をしに来たと聞いている」


「貴方の覚悟をうながしに参りました。は関係ありません。私の意思です。キング、貴方に罪悪感を問うてしまったのは私ですから」

 




 地上では、突如として現れたもう一人の死神に騒然そうぜんとしていた。命令がなければ動けないアダムの子たち。傭兵部門トロイの少年兵。


 コマンドは唇を噛みしめ、州警察サイドのトロイも苛立ちを隠せないでいた。そんな彼らに強い違和感を抱く二人組の刑事。動員された州兵も訳が分からず困惑していた。


 ひりついた緊張が一帯を伝播でんぱしてゆく。

 冷たい雨が止むことなく降り続けていた。


 その時だった、一発の銃声音が鳴り響いたのは。音の方角は産業廃棄物処理場。少年兵が血を吐きながら崩れ落ちてゆく。少年を射殺したのはトロイのボス、コマンドであった。


 彼は今日を命日と決めていた。それを実行するためなら、己の部下をも平気で撃ち殺す。それがコマンドという男だ。


 死神が現れただけでも理解が追い付かないのに、唐突に起きた同士討ち。凍りつく事しか出来ない関係者たちをよそに、州警察の警官7セブンが叫んだ。


「突撃だ! 全員、突撃!」


 血に飢えたトロイのメンバーが、怒号どごうを上げながら産業廃棄物処理場へと向かってゆく。一方の少年兵らも、殺戮さつりくを求めて同胞のしかばねを次々と乗り越えて行った。


 泥水に顔を突っ込んだまま、その短い生涯を終えたアダムの子。


 州兵は相変わらず硬直状態のままだ。ホワイト&ブラックに至っては、成す術もなく押し寄せる彼らの下敷きとなっていた。


 広がりゆく血溜まりに、途切れることなく雨が降り注いでいた。






 上空では、キングが射殺された少年兵にハイスクールの惨劇を見ていた。自分のせいだ。自分のせいでまた死人を出してしまった。がんじがらめになった罪悪感でどうにも身体が動かない。


 そんなキングの背中を思い切りステッキで打ち付けたのは魔術師であった。


「いい加減、覚悟をお決めなさい! 貴方の力は何のためにあるのですか、キング。我々は死神です。けがれた存在にしか出来ない事をなさい!」


「魔術師……」


「あちらの少年兵たちは私にお任せください。貴方は警察の方を! 急いで!」


 背中を合わせた二人はそれぞれのターゲットを確認すると、武器を構えた。キングは大鎌を、魔術師はステッキの仕込み刀をそれぞれに構える。


「行きますよ!」


 魔術師の掛け声と同時にヘリコプターが急降下を始めた。ぐるぐると不規則な回転をしながら落下してくるヘリコプターに、一瞬のひるみを見せてしまったトロイ。その隙を見計らった二人が、ターゲットめがけて猛スピードで低空飛行していった。

 




 ◆



 


 キングは、彼らの足元をはちのように舞いながら大鎌を両手で回転させていた。銃弾の弾かれる音が途絶えることなく聞こえる。襲い来るトロイの警察官達は次々とぎ払われ、大鎌の餌食となっていった。


 足を狩られた者、腕を狩られた者、骨折させられた者。


 致命傷とまではいかずとも、到底動けるとも思えない大怪我を負わせたはずだ。それなのに、飛び掛かるのを止めようとしない。


 これじゃまるっきり自爆テロだ。

 州警察は一体、何者なんだ。


 再び躊躇ためらいの色を見せ始めたキング。そんな彼に向かって7セブンが歓喜の雄叫びを上げた。


「俺たちはトロイ。アダムの子だ! お前に殺せるか? 死神!」


 ……!


 パトカーの上にいた7セブンが放ったチェーンで足元をすくわれてしまった。その重量にはおおよそ似つかわしくない、砂漠のへびを思わせる動きにバランスを崩したキング。


 あっという間に身体が宙を浮き、大きな円を描いて地面に叩きつけられる。その衝撃で大鎌が手を遠く離れてしまった。


 余ったチェーンを振り回した7セブンが、取り囲む手負いの同胞を破壊しながらその身を車上からおどらせていた。


 キングに身動きするいとまも与えず飛びかかった7セブンが馬乗りになる。彼はチェーンを拳に巻き付けると、キングの顔をすさまじい勢いで潰し始めた。恍惚と溶けたような表情を浮かべながら、おぞましい笑顔で語りかける。


「ああ……あの方をずっとこうしたかった! あの方は俺の物だ! 俺だけのだ!」


 愛の呪言じゅごんを吐き散らしながら、ひたすらにキングの顔を潰す7セブン。返り血を浴びる度に高揚もその色味を増してゆく。下半身が今にも暴発ぼうはつしそうなほど硬くなっていた。


 それは余りにも一方的な蹂躙じゅうりんかに見えた。しかし、だらんと伸びたキングの手がかすかに動いて何かを手繰たぐり寄せる。


 卓越たくえつした頭脳で成り上がり幾度もピンチを乗り越えてきた。それがキング。美しき死神の本質だ。


 はたして興奮しきった7セブンに突っ込んできたのは、マスコミのヘリコプターであった。凶器と化したプロペラには流石に距離を取らざるを得ない。


 すかさず乗降用ステップに手を掛けたキングは、大鎌を引き寄せるとヘリコプターを上昇させた。砕けて骨がき出しになった顔面から右目が勢いよく飛びあがる。眼球は大きなを描くと、形を殆ど失った下顎したあごかすって急回転を始めた。


 DNAの螺旋らせんが急ピッチでキングの破壊された顔面を修復してゆく。現れては形作って消えゆくモザイクフレーム。小さなうねりとデジタルの集合体。半分ほど修復が終わった所で、その荘厳そうごんな機械美に衝撃が走った。


「キヒッ」


 歪んだ笑顔を浮かべた7セブンが、乗降用ステップにチェーンを巻き付けてぶら下がっていた。キングが顔の修復と並行して大鎌でぎ払う。


 しかし、7セブンはレイラよりも遥かに強かった。年の頃にして20代前半。肉体的にも全盛期だ。片手で自在にチェーンを操っては大鎌の攻撃をかわしてしまう。その度にぶつかり合う金属が火花を散らしていた。

 

 キングと7セブンを引き連れたヘリコプターは、大ぶりのUターンをさせながら無人の高層ビルへと向かっていった。

 




 産業廃棄物処理場では、魔術師が少年兵らの銃撃をシルクハットの中に納めていた。軽快なステップを踏んではハットをひらりと指先で回す。魔術師に肩を叩かれた少年兵が次々と意識を失っていった。


 そうしている間にもコマンドが放ってくるヘビーマシンガンの雨を、仕込み刀で跳ね返してゆく。その華麗なる動きは一流の手品師と言っても過言ではなかった。


 意識を取り戻した少年兵達の声が徐々に聞こえ始める。


「……死にたくない」

「なんでこんな事しなきゃいけないんだよ……帰りたい」

「死にたくなきゃ戦えよ!」


 片足でトントンと軽やかに後退した魔術師は、戦闘を拒否するアダムの子たちに手をかざした。崩れ落ちるトランプタワーさながらに姿を消した彼らは次の瞬間、遥か遠くのゴミ山で身をひそめていた。


 戦闘を継続するつもりの子らも別の場所でぐっすりと眠っている。


「ガキどもに何をした! 死神!」


 手榴弾を両手いっぱいに放ったコマンドが怒声どせいを浴びせる。魔術師は空中回転しつつ手榴弾を全て蹴り返すと、チッチッチッと指を横に振ってみせた。


「何もしていません。元の姿にお戻りいただいてるだけです」


 言い終わるやいなやゴミ山に飛び移って耳をふさぐ。コマンドのすぐ脇で蹴り返した手榴弾が爆発していた。今日を命日としたいがために己の部下を射殺したコマンド。だがしかし、彼の生存本能はまだそれを許してはいなかった。


 彼の目つきが代理戦争真っ只中のものへと変貌へんぼうげる。狂気の渦中かちゅうに自ら戻ってしまったコマンド。彼は少年兵たちを睨みつけると、手当たり次第に狙い始めた。


 洗脳され切ったアダムの子らは、殺されることを今作戦の最終目標としている。


「我々はエヴァ様と共に!」


 感極まった声で叫んだ少年兵たちが、その若い身体をコマンドに差し出していた。


「本当の事を知ってからでも、死ぬのは遅くありませんよ」


 魔術師がアダムの子らの前に立ちはだかっていた。


 相変わらず軽薄な様子で革靴を踏み鳴らす。彼のシルクハットが一瞬でその大きさを変えた。半径5メートルはあろうかと思われる巨大なシルクハットが、少年たちを包み込む。


 コマンドが舌打ちした一瞬の隙に、次々と肩を叩いては別の場所へと移してゆく魔術師。戦争狂のヘビーマシンガンが焼け野原よろしく、弾丸雨注だんがんちゅううの総攻撃を仕掛けていた。


「ここは戦場だ。俺らの任務は死ぬ事にある……違う、何を言ってるんだ! 俺たちは代理戦争の犠牲者だろう! ……嘘をつけ。志願したのはお前自身じゃないか」


 よどんだ目で支離滅裂な発言を繰り返すコマンド。魔術師は重心を低くして刀を構えると、彼の両腕を容赦なく切り落とした。ヘビーマシンガンごと地面に転がり落ちてゆく。雨を浴びた鮮血が水たまりにねていた。


 強烈な痛みがコマンドを襲う。噴き上がる血と絶叫。その地獄絵図が彼に最後の選択を与えた。病んだ目は大きく見開かれ狂気そのものとなっている。


「一緒に死んでくれるか? 死神」


 彼がその巨体に巻き付けていたのは無数の爆弾であった。周囲一帯を消し飛ばしてしまう程の威力いりょくを持つ爆弾。コマンドは病んだ笑みを浮かべると、怒号どごうを上げながら魔術師に抱きついた。


 破滅願望の権化ごんげを抱きとめた魔術師は急速な勢いで上昇し始めた。


「こういった事は、美しいレディとしたいのですが」


 大袈裟おおげさにため息をついた魔術師は、やれやれといった調子で愚痴をこぼしていた。





 ◆



 


 建築途中の無人高層ビル。その上層階付近で、キングと7セブンは戦闘を繰り広げていた。


 プロペラがガラス窓ギリギリを攻めては7セブンを振り落とそうとする。しかし、相手は並外れた身体能力の持ち主だ。ビルの壁面へきめんを駆け上がる程度の事は平然とやってのける。


 顔面を修復する過程でキングはある事に気づいていた。彼が持つチェーンにはのDNAが入っている。彼女の血で錬金したと言った方が正しいか。


 死神の武器を素通りしない。そして、死神の力をもってしても破壊が厳しい。


 おそらく、そんな武器がごまんと存在しているのだろう。


 そしてそれは、魔術師が共闘を持ち掛けてきた理由のひとつでもあった。今のはそれらを管理する気がない。あわよくばで死神の力を狙う者ほど、危険視される存在はなかった。


 僕を狙うのもだからだ。捕獲ほかくして解剖でもする気なんだろう。その力を得るために。


 キングが再びヘリコプターを急旋回させる。反動でついにビルへ激突した7セブンは勝ち誇った声を上げていた。早くもフロアで体勢を建て直している。ガラス窓が派手に割れ落ちていた。


「あの方ならこんなヘマはしないぞ、死神! 俺を見くびったりなんてしない。やはりお前は見てくれだけの偽物だ!」


 さっきから、この男は僕の顔に固執こしつしている。

 が見せた母エヴァの過去。は僕の兄だと言うのか。


 父親は誰なんだ。


 その瞬間だった。ヘリコプターが大きくかしいだのは。


 鍛え上げられてはいるが細身の7セブン。街を歩いていれば上背うわぜいのある美しい青年としか映らないだろう。そんな彼にここまでの力があると誰が想定出来ただろうか。


 身体にチェーンを巻き付けた7セブンが重心を低く取って、遠心力を意のままに操っていた。芸術的ですらある一連の所作しょさは、天賦てんぷの才としか言いようがなかった。墜落だけは避けたいヘリコプターが、頭からビルへと突っ込んでゆく。


 壁面へきめんの衝撃をもろに喰らったキングは、一瞬だけ気を失ってしまった。の血を吸ったチェーンが大鎌に絡みつく。


「キヒッ」


 確信を得た7セブンが不気味な笑顔を浮かべていた。


 意識を取り戻したキングは、素早く飛び跳ねると大鎌と自分を入れ替えた。一瞬でも判断が遅れていたら、チェーンを巻き付けた大鎌が自らの首を跳ねていたであろう。入れ替わり時に大鎌で切った頬を血がしたたる。


 キングの首にチェーンを絡めた7セブンが、またしても欲情に下半身を硬くしていた。したたる血を舐めようと顔を近づけてくる。その胸倉むなぐらを掴んだキングが唾を吐きかけた。


「そんなに俺を喜ばせないでくれよ、死神。ああそれにしても、本当にあのお方とそっくりだ。首だけよこせ。飾っておきたい」


「僕の兄だろう、は。名前を言え」


「ハァ? 何言ってんだお前。あのお方はこの世にただ一人だ。弟などいない。そんなもの、存在してはならないんだよ!本当はあの女だって……」


 重たいチェーンがミシミシと音を立てながらキングの首に食い込んでゆく。苦痛の表情を浮かべた彼の頬を、恍惚とした顔の7セブンねぶり始めた。力を振り絞ったキングがチェーンを浮かせ、後頭部に打ち付ける。


 鈍い音と共にバランスを崩した7セブン。彼のヒステリックな声が無人のビルに響き渡っていた。劣情を隠そうともせずにキングの顔のみを執拗しつように狙う。その瞳には病的な揺らぎが宿っていた。


 どうにも、殺したはずの父親と面影が重なる。


 吐き気をもよおしたキングが思わず顔を背けた、その時だった。どこか能天気な魔術師の声が聞こえてきたのは。

 




「いやあ、お待たせしました。おや、そちらにもお連れ様が? 初めまして。私、魔術師と申します」


 シルクハットに手をやった魔術師が7セブンに向かって慇懃無礼いんぎんぶれいな挨拶をする。揉み合いを止めた二人は魔術師がぶら下げているを見ていた。

 

 魔術師の身体には爆弾を体中に巻き付けたコマンドがしがみついていた。ブツブツと訳の分からない独り言を呟いている。


「ああ、ちょうど良かった。そこの紳士。こちらとキングさんを交換していただけませんか」


 淡々とうそぶいた魔術師は、コマンドの巨体をつまみ上げると思い切りブン投げた。


 7セブンのみぞおちに筋肉の塊がしこたまぶつかり転がってゆく。勢いは止まることなく、二人共々遠くの壁まで吹っ飛んでいった。魔術師の投げ方と言い、人間ボウリングそのものに映る。


 はたしてその滑稽こっけいな状況とは裏腹に、本物の死神と人間のハーフとではここまで力の差があるのか。居合わせた者全員がその能力差に圧倒されていた。


 ブン投げた本人は、手についたほこりを気にしていたが。


 実際には魔術師が突出して強いだけの事であった。いたずらに自らの力をひけらかさない。それが彼の美学だ。


 魔術師は指をパチンと鳴らすと今度はキングを抱き寄せた。


「同じ同性でも、私は友人との抱擁ほうようを選びます。それではごきげんよう、さようなら」


 手をかざして、ヘリコプターの乗員を地上の安全な場所へと移す。


 二人が遠ざかった次の瞬間、目もくらむような光と共に巨大な爆発が起きた。地響きを伴ったとどろき音と爆風。ビルの上層部があっという間に消し飛んでいった。


 魔術師に抱きかかえられていたキングが、眼球を口に含んで手をかざした。爆破物の落下速度がスローモーションの世界になってゆく。羽の如き軽さでふわりと舞い落ちてゆく爆破物。


 見下ろすと州兵たちが避難誘導を行っている最中であった。州警察もホワイト&ブラックが中心となって、アダムの子の保護に乗り出している。フランツ・デューラーの言葉がキングの脳裏をよぎっていった。


 『本当に性質タチの悪い押し売りというのはね、キング。商品の中に善意を混ぜておくんだ』


 その逆もまた然りという事。州警察の全てがおかしい訳じゃないんだ。爆発したのが無人のビルで本当に良かった。


 雨がいつの間にか止んで、雲の切れ間から光が覗いている。


「ありがとう、魔術師。助かったよ」

 

「何を仰いますか、貴方らしくもない。死神とは嘘つきな生き物です。こんな程度で信用されては困りますな」


 依然、真意が謎の魔術師。彼は大仰おおぎょうな口調で否定をしてみせると、まんざらでもない様子で鼻歌を歌いだした。

 

 


 ーつづくー

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