トロイの戦車-Ⅲ

 雲間から差す光を浴びて羽のように舞い落ちる爆破物。その中をかいくぐって魔術師とキングは地上へと着地した。再び現れた異質の存在に緊張の色を隠せない州警察と州兵。


 そんな彼らをよそに、魔術師が大道芸よろしくシルクハットを回転させる。ステッキが華麗に宙を浮いてハットを捉えた瞬間、全ての時が止まった。いつかのと同じ、切り取られたフィルムの世界となる。


 キョトンとした面持ちで周囲を眺めていたのはアダムの子であった。傭兵部門トロイの少年兵。各所から姿を現しては、続々とキングたちの前に集まってくる。


 あっという間に小さな人だかりがキングと魔術師を囲んだ。


 一番最初にやってきた少年兵が声を上げる。


「エヴァ様にそっくりだ、この人。貴方はエヴァ様の何?」


「僕はエヴァの息子。キングって言うんだ。彼女は神様なんかじゃない、君らとなんら変わらない人間だった。アダムの子だったんだよ」


「アダムの子……」


「君らが信じていたのは、という死神が作ったにせの奇跡だった。君たちを兵器として利用するためのね。それでも聖母エヴァが絶対だと思うかい?」


 美しき死神であり、エヴァの落とし子でもあるキング。彼の問いかけにアダムの子らは首をひねり始めた。洗脳が解けるとは疑問を抱く自由を意味する。疑問の余地なく何かを妄信や嫌悪してしまう事ほど怖いものはない。


「……神様なのに、どうして死んで来いって言うのかずっと不思議だった」


 一人の声を皮切りに、続々と本音を打ち明けだす少年兵。その中には当然、トロイそのものを肯定する声もあった。


「俺はレイラたちについていきたい。これも洗脳なの? キング」


「それは違う。君たちの時間が作ったきずなだよ。そこまで否定する権利は僕にない」


 強引に連れてきてしまったエデンの子らは、今でも頻繁に問題を起こしている。つい最近も、洗脳の解けた子をリンチしようとして寸前で止めた事件が起きたばかりだ。キングは同じ過ちを繰り返したくなかった。それぞれが納得いくまでアダムの子らに話し合いをしてもらう。


 魔術師は後ろ手を組んで背中を向けたままであった。時折、くるりとステッキを回す音が聞こえる。


 どのくらい時間が過ぎただろうか。一塊ひとかたまりだったアダムの子らは、自然と2つのグループに分かれていた。


「俺たちはキングと行くよ。もうこれ以上、戦いたくない」


「僕らはレイラとカインの元へ戻りたい」


「分かった、それじゃあ取引をしよう」


「おっと、キング。それならば、私も取引に便乗してよろしいですかな?」


 飄々ひょうひょうとした様子の魔術師が、時間を止めてから初めて言葉を発した。地面から軽く足を浮かせ、シルクハットを胸元にあてている。


「そういえば魔術師、君はどうして僕を助けてくれたの?」


「下心、とでも申しましょうか。一日で良いのです、どうか目を貸してはいただけませんか。代わりに彼らをポーランドの屋敷までお連れいたしましょう。あちらで起きている厄介ごとの解消もお引き受けします」


「目?」


「ええ。近いうちに貴方は、アンナ・キンドリーと再会するでしょう。その時に目をお借りしたいのです」


 今度はキングが首をひねる番であった。彼はヨシュア・キンドリーがである事をまだ知らない。ゆえに魔術師がアンナを知っていること自体、初耳であった。


「君はつかえているんじゃないのか? アンナとにどんな関係がある」


「そちらについても、キング。貴方は近いうちに知る事となるでしょう。正体をらしたのが私と知られてしまうのは、得策とくさくではないのです」


「……今回の介入を既には掴んでいる」


「仰る通りです。すっかり私は裏切り者と言うわけですな」


 そこまでして借りたいものが目。しかも、アンナ限定とは。いい加減を体現したような素振りしか見せない魔術師。そんな彼の秘められた本心を垣間見たキングは、申し出を受け入れる事にした。


「目でも心でも好きなだけ借りたらいいさ。いいよ、取引しよう」


 

 キングは舌の上に眼球を載せるとてのひらを高くかかげ、よく通る声で宣告した。


「魔術師。取引は、成立だ」 




 

「州警察とテロリスト一人でどんだけやらかしてったんだ、全く」


「これってですよね、先輩」

 

「だなあ、終わったらに行くぞ」


 アダムの子らがいないとされた現場で、ホワイト&ブラックが残処理に追われていた。州兵もがれき処理の手伝いに励んでいる。射殺された少年兵はキングが持ち去っていた。その亡骸なきがらをレイラたちの元へ返すために。


 冷たい雨が再び降り始めていた。


 




 ◆





 キングと少年兵たちは、トロイのアジトがある建築現場に姿を現していた。プレハブの建屋から豊かな黒髪を胸元に垂らしたレイラが出てくる。後ろからは褐色の肌をした精悍せいかんな顔立ちの少年も出てきた。年の頃はレイラと同じ。彼がカインだろうか。


 キングが少年兵の亡骸を濡れない場所に横たわらせてやる。悲しげに伏せた目でそれを見つめていたレイラが髪をかき上げた。


「わざわざアンタが出向いてくるとは思わなかった、キング。コマンドは死んだのね」


「うん」


「そう……で、この子たちは? 連れ去らないの?」


「私の知ってるキングでもそうしない事はあるんだよ、レイラ。納得いくまで話し合いをした上で連れてきた」


「そう? いかにもな私の知ってるキングだけど。無理やり連れ去っても不幸になるだけだーとか考えたんでしょ、どうせ」


「相変わらずキツイなあ、君は」


 カインは交わされる会話に二人だけにしか分からない世界を見ていた。同じ地獄を共にしたというなら俺だって一緒だ。恋愛感情を知らないカインには、それが嫉妬だという自覚がまだない。コマンドには抱いたことのない不快感をあらわにキングを睨みつけていた。


 カインの刺すような視線に気づいたキングは、再び雨の降り始めた厚い雲を見上げた。


「僕はもう行くよ。ここで戦闘する気はない。一つだけ聞いていいかな? 州警察にいたおかしな男。彼もトロイだよね」


「アレと俺らを一緒にするな。アイツが特別おかしいだけだ。州警察サイドの指揮権は俺にある。トロイを舐めるなよ、死神」


「アイツ? ああ……7セブンの事ね。あれはの狂信者よ。カインだって手を焼いてるじゃない。今更キングに噛みつかなくたって……ホント今日、アンタ変だよ」


「変なのは別に良いんだよ。その7セブンってのが僕の事をって言ってたんだ」


「俺に変って言ってるのか、死神」


「ハァ? もうちょっと黙ってよ、カイン。だったら何なの。知ってたとしても言うわけないでしょ、キング。ただでさえ、コマンドってボスを失ったばっかりなんだから」


 私の知ってる男どもは、どうしてこうも的外れな事ばかり言うのか。そう言いたげに長い足を伸ばしたレイラが建築階段から降りてくる。戻ってきたアダムの子らが自然と彼女を取り囲んでいた。レイラの微笑みに母性が宿る。冷たい雨の降る薄曇りの中、そこだけが輝いて見えた。


 カインもその大粒な瞳でレイラの後ろ姿を見つめている。


 彼らは今晩にでも居場所を移すだろう。

 キングは祈る。願わくば、これ以上の対立が訪れない事を。


 それぞれが大切な人を守りたいだけなのだから。


 キングは宙を浮くと、別れの挨拶はせずに雨空へと消えて行った。




 

 高層ビルの一角にあるヨシュア・キンドリーの執務室。大理石の床と大きな執務テーブル。時を正確に刻む振り子時計。柔らかくなめした皮のソファーにもたれたオリヴァー・キンドリーが、州警察からの報告を受けていた。


「やはり魔術師が裏切ったか……キングの捕獲に失敗した。の奪取も振り出しに戻ったな。ヨシュア、この責任をどう取る」


 ヨシュアはギプスで固められた右手をさすりながら、オリヴァーの前に立たされていた。死神の不在。それはにとってあってはならない事態であった。かつて、その存在自体が深刻な脅威となった死神を手放して以来の緊急事態である。


 先代のたちは皆、死神と持ちつ持たれつの関係を築いてきた。取引出来るだけの人間は残す。それが先の大戦で得た教訓だ。


 しかしヨシュアは、焦る様子もなくむしろこの状況を楽しむ余裕すら漂わせていた。


を廃棄しましょう。父さん」


「正気か? 唐突に何を言い出すんだ、ヨシュア」


「貴方の指示で折られた指は痛みますが、正気です。今回の爆破事故をの犯行として声明を出すのです。大まかには間違っていないでしょう。それに、証拠などいくらでも捏造できます」


 ヨシュアはつい手を叩きそうになって、ギプスで固められた手を恨めしそうに見つめた。彼には手を叩いて周囲を歩いて回る癖がある。いじめっ子のそれと同じだ。この時もソファーの周りを歩きながら話を繋いでいた。

 

は、国家によって排除される事となります。その実、決定的な証拠に欠けていたとマスコミを焚きつける。イスラム過激派あたりの責任にでもしておけば良い。そこで国家の非道を訴える爆破テロが起きたらどうなりますかね」


 まんざらでもない笑顔を浮かべたオリヴァーがバーボンに口をつけた。


「それは大変だな。大統領はただでさえ黒い噂の絶えないお方だ。との癒着ゆちゃくという噂がね。この自由の国において、私情で排除したとなっては信用の失墜しっついに繋がりかねん」


 上機嫌で葉巻をくわえたオリヴァーにすかさずヨシュアが火をつける。

 

「大統領の任期はあと一年です。スキャンダルまみれの大統領に四期目が勤まるでしょうか……私には到底、そうは思えませんが。来月から予備選挙も始まりますし」


「ふむ……非常に素晴らしいアイディアだ、ヨシュア。を温存しておいた甲斐があったな。ソビエトも機嫌を直すだろう。私はね、の分裂に心を痛めていたのだよ。しかし、ブラックダイアモンドの件はどうする」


 再び歩き始めたヨシュアが、オイルライターのキャップをカチリと鳴らした。サファイアブルーの瞳が一気に邪気をはらむ。アルビノを思わせる真っ白い肌が悪魔としか形容の出来ない笑顔で歪んでいた。


「ええ、それが興味深い人物を見つけましてね。面白い知らせが入りました。

 

 雨だれ残る高層ビルの窓越しに夜景が鈍い輝きを放っていた。


 




 ◆





 

 何日、意識を失っていたのだろうか。ずっと終わらない悪夢を見ていたような気がする。絞り切れていないタオルで顔を濡らしたジョージが、明かりのついたリビングを見渡していた。


 使われていなかった部屋は綺麗に清掃され、換気までされている。


 血で固まったポロシャツが鼻血の凄まじさを物語っていた。記憶がよみがえった衝動でまだ頭痛がする。こめかみを刺すような痛みが走って、ジョージは顔をしかめた。


「あー、ジョージ! 起きたの?」


 クロエがレタス炒飯を手に笑っていた。きちんとシャワーを浴びている形跡がある。いつもは手で拭き散らしてる鼻水もきれいに拭いてあった。魔術師とかいう死神がここまで世話を焼いていったのだろうか。


「ごめんな、クロエ。大変だったろう。俺はどのくらい寝てたんだ?」


「え?私、3までしか数えられないもん。だからえっと……」


 炒飯を丁寧に置いたクロエが真剣な眼差しで指を折る。しかし、どうやっても3の次が分からないのだ。その愛らしい仕草にジョージは自然と笑みをこぼしていた。


「ごめん。長い事、眠ってたんだな。ここには魔術師が来たのか?」


「そうだよ! 後……エマ。その人がお部屋を綺麗にしてくれたの。お花も飾ってくれたよ」


「エマ?」


「うん。だって、何にも出来ないんだもん。あ、でも。テレビ見られるようにしてくれたや」


 炒飯を抱きかかえたクロエがテレビのスイッチをつける。テレビでは大統領関連のニュースが流れていた。

 




「本当に良いんだね?」


「はい、覚悟は出来ていますから」


 キングは制服風のスーツに身を固めていた。隣にはフランツ・デューラーが。その後ろには同じくスーツ姿のエマが微笑みかけていた。


 あれからマンションへ帰ったキングは、二人が既にアジアンタウン子供たちを保護したと聞いて驚きを隠せなかった。どうやって診療所まで辿り着いたのだろう。保護や諸々の行政手続きが済んだ後で、こっそりとエマが打ち明けてくれた。

 

 エマが話していたキングの友人。そのうちの一人が魔術師だったのだという。


 クロエとジョージに関しても、魔術師が保護をしているという話だった。


 僕に関することはに筒抜けだ。おそらく……いや間違いない。僕は奴らの血縁者だ。


 それならばいっそ、魔術師の元にいた方が二人は安全かもしれない。なにせ彼は生まれながらの死神だ。人間界にしがらみというものがない。加えてあの凄まじい戦闘能力。どんな刺客が放たれようと魔術師なら一撃だろう。


 ただ、家事だけはからっきしだという魔術師がエマを一日数時間、駆り出していた。なんでも炒飯を食べたいと言ったクロエに、料理人を直接連れて行ったらしい。事情をまるで知らない料理人は、終始震えながら炒飯を作っていたという。


「さあ、行こう」


 フランツの声に促されたキングが顔を上げる。扉の向こうから男が二人出てきてキングとすれ違った。


 あの二人組は……


 確認する間もなくフランツから背中を押される。後方ではエマが笑顔で手を振っていた。手を振り返し、再び前を向いたキングが歩いてゆく。


 扉を開けた先にいたのは、まばゆいばかりのフラッシュライトとであった。





「この度、痛ましい姿で保護され大きな話題となりました児童人身売買事件についての続報です。人身売買組織の告発をした当事者キング・トートさんとステファン大統領の会談が本日、行われました」


「どうして……キング? 何してんだ、アイツ。ステファン大統領なんかと!」


 突然の怒号どごうに炒飯の皿を落としてしまったクロエ。彼女が振り向くとジョージが目を血走らせていた。鼻からはまた出血が始まっている。その余りの形相に過去の虐待を見てしまったクロエが、頭を抱えて震え始めた。


 




「今回は勇気ある告発、本当にありがとう。キング」


「いえ」


「君を含む子供たちは国家のプログラムによって保護される、安心してほしい。諸君、私は宣言しよう。人身売買組織エデンには教団と深い関与が認められた。先日のビル爆破が決定打となった。ここに教団を特定テロ組織団体と認定し、一斉捜査に入る!」


 


 ステファン大統領の口から出た突然の言葉に、キングは鳩が豆鉄砲を食らった表情をするしかなかった。思わず真顔で大統領を見つめてしまう。大まかには間違っていないが直接関与しているかと問われたら、キングですら返答に困るレベルだったからだ。


 あのビルを爆破したコマンドという男は、確かにトロイのボスだった。だかしかし、その本性は破滅願望のみの狂人。実質上のボスはレイラとカインだ。あの男に横繋がりの外交が出来たとはとても思えない。


 つまり、コマンド単体では教団との接点が限りなく薄い。下手すると教団自体が彼を知らない可能性すらあった。


 叩くなら、を直接叩かなければ意味が無い。それなのに何故、大統領はとテロを容易に結びつけてしまったのだろう……


 その時だった、キングが思い出したのは。大統領と面会する直前にすれ違った二人組の男。彼らは、あの爆破現場にいた州警察の刑事だ。一介いっかいの刑事がこんな所で大統領と直に話すなんてあり得ない。


 彼らは中央情報局の人間だ。


 



 ブラウン管の向こうでは、唖然あぜんとした顔で花束を贈呈されるキングの姿に大喜びしているヨシュアがいた。美酒びしゅ舌鼓したづつみをうちつつ笑い転げている。彼は叩けない手を嘆いたが、非常に気分が良かったので男娼を呼ぶ手配をした。


 またその一方では、ジョージが絶望と怒りをぜにした表情で震えていた。絶望を徐々に途方もない怒りが侵食しんしょくしてゆく。


「ダメだよ、ジョージ。また血が出てる」


「ふざけるな……キング! どうしてステファンなんかに頼った! アイツのせいで一家離散したんだ。俺が憎んでるのを知っていてどうして……裏切るのか。ここまで友として尽くした俺を裏切るって言うのかよ!」


「キングってココアの王様でしょ。どうしてそんなに怒るの?」


「――……クロエ?」


「何? テレビに出てるのって、もしかしたらキングじゃない。すごい……有名人だ。私の名前、くれたのキングなんだよ」


 怒りのあまり貧血を起こしかけた脳が、ジョージに理解を促していた。目の前のクロエは怯え、必死に頭を守っている。それをさも何でもない風に装って我慢してみせるのだ。彼女をそうさせているのは他の誰でもない、怒り狂っているジョージ自身であった。

 

 そして何より。クロエはジョージが眠っている間に夢から覚めていた。

 

 ああそうか。クロエの洗脳はもう――


 ジョージはクロエを抱き寄せると思い切り抱きしめた。暴力を振るわれるのかと身体を硬直させるクロエ。そんな彼女のおでこに自分のおでこをこすりつける。クロエの大粒の黒目からは涙が零れ落ちていた。


 愛おしさが溢れて止まらない。

 けれど、もう二度と元には戻れない。

 

 俺は知ってしまった。両親の狂気を。今更なかったことになんて出来ない。


 


 クロエを抱きしめるジョージの目から涙がとめどなく流れていた。石鹸の良い香りがするワンピースに涙のみが広がってゆく。

 

「愛してるよ、クロエ。何があってもこれだけは忘れないでほしい」


「ジョージ?」


「クロエ、本当だ。愛してる」


 ジョージはクロエの顔を見つめると、もう一度抱きしめた。クロエは幼いながらも別れの予感を機敏きびんに察知していた。ジョージが手元にあったファイルを抱えて立ち上がる。そんな彼の足元にクロエがしがみついた。


「なんで? 置いてかないで、ジョージ」


「ここでサヨナラだ、クロエ」


「嫌……嫌だよ! 私が悪い子だから? ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」


「謝るのは止めなさい、クロエ。君ほどの良い子なんてこの世にいない。誓って本当だ。自信を持ちなさい」


「だったら一緒にいてよ! ねえ、ジョージ!」


 ジョージは泣き叫ぶクロエからゆっくりと手をはががすと、部屋を後にした。ファイルを抱えてポケットを確認する。オリヴァー・キンドリー邸の電話番号がきちんと折りたたまれて中に入っていた。


 玄関を出てもなお、クロエの悲痛な泣き声がジョージの後ろ髪を引っ張った。帰ってきてとしきりに叫んでいる。


 ダメだ。

 俺はもう選択してしまったのだ。


 涙で顔をぐしゃぐしゃにしたジョージが夜道に飛び出す。ぶ厚い雲からは横殴りの雨が降り始めていた。それはまるで二人の涙のようであった。悲しみで溺れてしまいそうだ。ジョージは重たい足を引きずると、一番近い電話ボックスへとその歩みを進めていった。


 


 隠し扉の最奥さいおうにある一枚のメモを残したまま。暗闇で存在を寂しく泳がせるメモには、ジョージの父ノブヒコ・モリシタの懺悔ざんげが走り書きしてあった。


 (息子よ、弱い父を許してほしい。お前の記憶を奪い書き換えた私の弱さを。いつかこのメモをお前が見つけてくれることを願う。)


 



 -次エピソード『塔の住人たち』へつづく-

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