運命の輪-Ⅱ

「とぼけんじゃねえよ。知ってるぜ。お前、死神だろ」


 スネークの怒りがギラついた専用室に響き渡る。キングはなおも無表情なまま、スネークを睨みつけるのを止めなかった。


のネットワークを舐めてんじゃねえぞ、クソガキ。もう1つ教えてやる。お前は、洗脳されてる人間相手に取引出来ないんだってな」


「だったらどうだっていうのさ。それ、君が自分で得た情報じゃないでしょ。って誰?」


「テメエ、俺をおちょくるのも大概にしろよ!」


 スネークはテーブルの上に置いてあった、人間の顔ほどもある刃渡りのバタフライナイフを手に取ると、素早くキングの太ももに突き立てた。流石に痛みが強すぎて死神でも顔が歪む。彼の左腕を掴んでいるスネークの手には、更に握力が加えられていた。もう片方の手でキングのプラチナブロンドを乱暴に掴む。


「ふん。死神のくせして一丁前に痛みは感じるのか」


「離せ」


「誰が離すか。みじん切りにしても耐えられるか試してやる」


 キングは咄嗟とっさに太ももへ突き刺さっているバタフライナイフを抜くと、自分の左腕を躊躇ちゅうちょなく切り離した。吹き上げる血がスネークの顔を汚してゆく。その一瞬を見計らったキングは、直ぐ後ろにある窓ガラスを身体ごと割って外へ飛び出していった。


「現れたぞ! 探してたガキだ!」


 スネークの怒号と共に武装した男達が、一斉にコンテナの方へ向かって走り出して行った。スネークも部屋を飛び出し後を追った。






 だだっ広い倉庫へ移動されていたコンテナ。その中にたちはいた。ストック分も混ざって一塊になっている。PCを爆破する音を背後に、銃を構えた武装集団がコンテナを取り囲んだ。


 白マント姿に欠損した左腕で大鎌を担いだキングは、倉庫の屋上に現れていた。満月が照らし出す美しき死神。そのサファイアブルーの目が見開かれた瞬間、キングの周りを大鎌が高速で回りだした。


 目で追えないほどの速度で回る大鎌は、堅牢けんろうな鎧そのものであった。事実、外にいた武装集団の銃弾がことごとぎ払われてゆく。


 そのまま宙を浮いたキングは空中で旋回せんかいすると、倉庫内へ入っていった。

 

「来たぞ!」

 

 蜂のような動きで屋内を飛び回るキング。自身の周囲を高速で回転する大鎌はそのままに、コンテナの上へふわりと舞い降りた。騒然そうぜんとする武装集団をよそにキング右手を掲げた。斜視がうぞうぞと動きだして掌の上に落ちてゆく。


「死神。は、お前を元人間なんじゃないかと言っていた。しかもだとな」


 ラメの入った細身のスーツとキングの血で赤茶色に染まった毛皮の男。スネークは狡猾こうかつな笑みを浮かべると、拳銃を構えながらキングを挑発し始めた。キングのぽっかりと空いた眼窩がんかがその漆黒でスネークを睨みつける。


「お前らが、その名で僕を呼ぶ事は許さない。他の子供たちだって、そんな名前では呼ばせない。決して」

 

「へえ……正義の死神とは大層なこった。中のガキどもを殺せ」


 武装集団が銃を構えてコンテナを蜂の巣にしようとした、まさにその時。キングが怒りを露わにしてその目を見開いた。掌の上を浮くサファイアブルーの瞳が、激しく回転し始める。


 鳴り響く銃撃音。

 武装集団は、コンテナの中にいる子供たちそっちのけで同士討ちを始めていた。


 飛び散る肉片と脳漿のうしょうそして絶叫。スネークの放った銃弾は奇妙な軌道を描きながら、確実にエデンの構成員を撃ち抜いていった。自分の銃弾が部下を殺したからと言って罪悪感など欠片も抱かないスネークは、更にキングを挑発した。


「中のガキどもを助ければそれでエデンが殲滅せんめつ出来ると? 考えが甘いぜ、死神の坊っちゃん」


「君は勘違いをしている、スネーク。僕の目的はという名前を奪う事だ」


 ……!


 ふくらはぎに走る鋭い痛みで思わず振り返ったスネークは、相手が人間ではないと分かっていてもなお驚愕きょうがくを隠しきれなかった。目にしているものがにわかに信じ難く、何度も見てしまう。


 スネークのふくらはぎにバタフライナイフを突き立てていたのは、キングが自身で切り離したはずの左腕だった。


 バランスを崩して倒れ込んでゆくスネーク。その様を見ていたキングは、眼球の浮かぶ掌を高く掲げて叫んだ。


「行くんだ、みんな!」


 コンテナの扉が開いてゆく。中から勢いよく飛び出した子供たちは、スネークへ襲いかかっていった。キングは現場に舞い戻ってコンテナの中へ侵入してすぐに、子供たちと取引をしていた。必ず救い出す見返りにスネークを討つ手助けをして欲しいと。


「お前のことなんか大嫌いだ!」

「私達をここから出してよ!」

「連れてった仲間を返せ!」


 蜂の子のように群がってくる子供たち相手にスネークはなすすべもなく、その身柄をチェーンでぐるぐる巻きにされていった。そしてキングが掲げていた手を下ろすと、チェーンがリボンのように舞い上がり、スネークは天井のはりから逆さ吊りにされた。


 武装集団は既に全員、同士討ちで絶命していた。


「俺を殺したらエデンの情報は手に入らないぜ。ここだけだと思ってるわけじゃねえだろ」


「スネーク、お前の事は警察に引き渡す。ここからは組織の力が必要だ。エデン殲滅せんめつはこの国が行う」


「俺は単なる部門でしかねえ。なあ死神! 他にもいくらだっているぜ。お前の助けたいはな!」


「お前の挑発になど乗る気はない」そう言いたげなキングの左腕が、別の生き物のように床を這い回る。掌の上で回転していたサファイアブルーの瞳が動きを止めると、宙を浮き出した左腕はそのまま元あった場所へと収まっていった。


 キングはくっついた左腕を大きく振って大鎌を担ぎ直すと、コンテナからふわりと舞い降りた。


 子供たちに囲まれたキングは「さあ行こう」とだけ言うと、眼球を口へ含んだ。かざした右手の先から周囲の景色が崩れてゆく。01のプログラムコードが崩れ落ちる様相と共に、キングたちはエデンから去っていった。


 外からは、何台ものパトカーが到着した事を告げるサイレンが聞こえてきていた。





 ◆





「ああ、ありがとう。やはりスネークにも現場にいた少年の名前や容姿の記憶がないのか。防犯カメラにも映ってない……だろうね。では、彼の処遇はそちらで頼めるかい。ああ。港にでも放り込んでおいてくれ。見せしめとしては十分だろう」


 高層ビルの一室。受話器を置いた青年は、さて……と手を叩くと隣で浮いていた魔術師を見上げた。


「スネークの持ち分を全て抹消したい。取引にはがどのくらい必要かな、魔術師」


 黒いシルクハットに手をやった魔術師はステッキをくるりと回しながら、大理石の床へと足を降ろした。その燕尾服えんびふく姿にいささか似合いすぎる芝居がかった仕草で、青年の周りをゆっくりと歩く。革靴がカツカツという音を立てていた。


「ストックには逃げられてしまったのではないのですか?」

 

「規模はエデンより小さいけれど、ベネズエラにもすぐ使えるストックが置いてある。そちらを提供しよう。好きなだけ持って行くといい。でもまあ……差し当たっての急ぎは、現場の抹消か」


 青年は再び受話器を取り上げると誰かと通話し始めた。夜景の美しいビルの高層階。後ろ手を組んだ魔術師が外を眺めていると、扉をノックする音が聞こえてきた。続いて手探りでドアノブを回す音が聞こえ、扉が開いてゆく。


「兄さん、どうしたの?」


 大理石の床に大きな執務テーブル、壁で正確に時を刻み続ける振り子時計。部屋に入ってきた声の主は、アンナ・キンドリーだった。





「アンナ、車いすを使いなさい。転倒でもしたらどうするんだ」


「――……ヨシュア。また彼女を使うんですか」


 魔術師の言葉を無視したヨシュア・キンドリーは、アンナの元へと歩み寄っていった。アンナに魔術師の声は聞こえない。ただし、生まれつき盲目のアンナには視覚を補う非常に鋭い一種の感覚があった。


 何者かの気配を感じ取り、警戒心を強めたアンナの手をヨシュアが優しく取った。


「怖い顔しないでよ、アンナ。私たちは双子じゃないか。君に怪我なんてあったら、心臓が持たない」

 

「……誰かいるの?」

 

「誰も居やしないよ。アンナには目の見える世界を堪能してほしい。それが私の願いなんだ。済まなかったね。折角、適合する生体が見つかったのに」

 

「兄さん、臓器移植なら止めて。私、見えなくても構わないの。ねえ、あの施設の子たちってもしかして……」


 ヨシュア・キンドリーの瞳が一瞬で冷徹な色味へと変化してゆく。氷のような目をした彼は、妹のアンナを突き飛ばすと大理石の床に捨て置いた。


 アンナは、度々利用される取引のせいで身体が弱かった。つい最近も腎臓を使われ、移植を済ませたばかりだ。起き上がるだけの体力がない彼女は、冷たい床の上で自分の非力を嘆いた。


「アンナ、君は少しお喋りが過ぎる。施設にいた少年の事を教えてくれたのは嬉しかったけどね。魔術師、彼女の声帯を取引に使えるか」


「ええ、使えますが」


「では取引しよう。コンビナートの現場を抹消してくれ」


「兄さん、誰と話しているの? 止めて!」


 魔術師は表情を悟られぬよう垂直に浮くと、ステッキをくるりと回した。シルクハットを脱いで、頭から腹にかけて手をクルクルとさせながらお辞儀をする。アンナには聞こえない、よく通る声が部屋に響き渡った。


「ヨシュア・キンドリー。貴方との取引は成立しました」


 意識を失った彼女を抱き上げたヨシュアは、本当に悲しそうな表情を浮かべ、今は何も聞こえていない耳へ向かって囁いた。


「大丈夫。目が覚めたらこの事は忘れているさ。愛しているよ、アンナ。私の大事な妹、双子の片割れ」

 

 ヨシュア・キンドリーはその表情や言葉とは裏腹に、口角だけが異様な上がり方をしていた。見る人が見れば、悪魔の微笑みそのものに映ったであろう。そんな彼の表情を見ていた魔術師が声を掛ける。

 

「さて、私は現場へ向かいます。もう一人の死神の件はどうなさるおつもりで?」


「しばらく遊ばせてもらうさ。それに……彼は『』を知らない。アダムの子に夢中でね。滑稽で見ていて飽きない」


「そうですか。それではごきげんよう、ヨシュア」


「ああ。また頼むよ、魔術師」


 魔術師はシルクハットを目深に被ると、ステッキを振り回し足元からその姿を消していった。





 ◆





 養護施設。そこに現れたキングとアジトにいた子供たちは、元々居た子供たちと共に旅立ちの準備に追われていた。と言っても、持ち出すものなど殆どなかったが。フランツの手配したバスが二台、既に施設前に到着している。


 フランツ・デューラーは非常に優秀で仕事の速い男だった。本人は用心のためカナダ経由でハワイに渡り、諸々の手続きを済ませて既にモンゴルで雲隠れしていた。


「嫌! 行かない! ここから離れない!」


 大人しくバスへと乗る列の中、たった一人だけ声を荒らげて抵抗する者がいた。黒目の少女ことクロエだ。


「乗るんだクロエ。船が港に到着している。命の危険が少ない場所へ連れて行ってくれるんだよ」


「だから嫌って言ってるでしょ! キングの分からず屋! 大っ嫌い。死んじゃえ!」


「そんな事を言うんじゃない、クロエ。キングに謝るんだ」


 見かねたジョージがクロエを止めに入った。傷ついた表情を浮かべるキングに向かって、やりきれない視線を投げかける。クロエはジョージにしがみついたまま、離れようとしなかった。


「キング、この子は後発でも良いんじゃないか。どちらにしろ、最初に連れてきた子たちは当面動かす事すら出来ない」


「そうしたいのは山々なんだけど……エデンは彼女に拘っているんだ。彼女の目に」


「参ったな、最重要人物って事かい。このおちびちゃんが」


 フランツの手配した男が腕時計を指差す。男たちは一般人を装っているが、全員が手練れの傭兵か元エージェントだった。船の時間が迫っているのだろう。急いでくれというジェスチャーだった。子供たちはクロエを残して全員、バスに乗り込んでしまっている。


「あっ!」


 ジョージの叫び声に、キングを含むその場にいた者全員が反応した。クロエがいない。小さい背中が施設の中へ戻ってゆく姿を見つけたキングは肩を落としていた。「時間がない」男の声が背後でする。選択を迫られたキングは男の方を振り向くと、バスを出発させるよう指示した。


 走り去るバスを見送るキングとジョージ。それは喜ばしい第一歩のハズだった。アダムの子がその名を捨て、各々の名前を勝ち取った瞬間でもあった。それでもキングは肩を落とさずにはいられなかった。


「洗脳されると認知が歪むんだ。主観の軸足が変わっちまう。クロエの事は仕方ないさ、今はな」


「僕、本当に嫌われちゃったみたいだ。ジョージ、君は後発で来てくれるんだろう? クロエの説得をしてもらえないか。様子は僕も見に行くから」


「その件なんだがな、キング。俺はどうしても行かなきゃダメか。この国には姉貴とお袋がいる。出来れば離れたくないんだ。クロエの説得はもちろん試みるけれども」


「お姉さんとお母さんか……そうだったね」


 キングは、イブの庭に洗脳され心酔しきっているジョージの母と取引が可能か考えていた。どちらにせよ今後、イブの庭と対峙するのに洗脳は避けて通れない。


「俺のお袋と姉貴の話は後回しで構わないさ。キング、今はクロエとモグリの診療所にいる子供たちが先決だ」


「――……そうだね。ありがとう、ジョージ」


 元アダムの子たちを乗せた船が港を出る頃、ようやく鏡張りの部屋から顔を出したクロエはジョージに抱きついていた。


 既に姿を消し、湾岸沿いにあるビルの屋上から出発した船を見つめるキングの表情は、いつまでも切なく悲しいままであった。白いマントが寂しげにはためいてゆく。


 また同じ頃。魔術師はスネークのアジトで、その全てを黒いシルクハットの中に収めていた。


 スネークは、州警察によって射殺され港に捨てられた。打ち上げる波が死体を無様な様子で揺らし続けていた。





「……この花、どうされたんです? 坊っちゃん」


「これってエマが好きな花でしょ。買ってきたんだ」


「まあ嬉しい。ありがとうございます」


 花の扱いを知らないキングは、買ってきた花束をそのまま花瓶へ無造作に突っ込んでいた。花瓶には今にもあふれそうな程、水が入っている。


 屋敷の若き主人が見せる不器用な優しさ。抱えきれないほどの白百合の束を手にしたエマは、キングを見やるとかつてのエマかもしれない笑顔を浮かべていた。


「こんなに沢山……屋敷中に飾らなきゃ」


 浮き足立ちながら部屋を去ってゆくエマを見ていたキングの目にもまた、微笑みが戻り始めていた。


 結局、クロエはジョージが預かる事となった。アジア系の外見をしているクロエにとって、アジアンタウンにアパートを構える今の彼は好都合だった。「白人って俺らアジア人の区別がつかないからな」そう言いながらジョージは笑っていた。


 キングの部屋では彼の大好きなTVがついており、地元ニュースが流れている。目下の話題は、間近に迫った知事選一色だった。スネークというマフィアが殺害されたニュースは一日だけ取り上げられた。


「さて次は、知事選についての話題です。現職のキンドリー氏が優勢と伝えられる中、ご子息のヨシュア氏が応援演説に立ちました。セントラルホールと中継がつながっております」





「はい、こちら現場です。最近になってメディア露出を始めたヨシュア氏ですが。どうでしょう、御覧ください。この熱狂!スタジオにも伝わりますでしょうか」

 

 セントラルホールには先日、アンナ・キンドリーとを取材した記者たちも訪れていた。


「あれ、今日はアンナさんいないのか。双子のショット欲しかったのに……絵になるから」


 記者がぶつくさ愚痴る中、相変わらず仕事は仕事と割り切っているカメラマンが、ファインダーを覗き込みながら答える。


「あの二人、二卵性双生児って言う割には似てないですよね」


「二卵性って、言わば腹の中で一緒だったってだけの兄妹だからな。アンナさんは亡くなった母親似なんじゃないか」


「うーん……ちょっとニュアンスが違うんですよねえ」


「相変わらず理屈っぽいな。お前は、ヨシュア氏のお美しい顔に集中してりゃいいんだよ」


「お美しい顔……ああそう! それですよ。ほら、あそこで見た。ほら、あの」

 

「へ?」

 

「あれ? どこだったかな……忘れちゃったなあ。よく似た少年を見かけたハズなんですけど」


 カメラマンの声は、ヨシュアの登壇と共に湧き上がった熱狂でかき消されてしまった。スラッとしていて背の高い、スーツ姿の美しい青年が手を振りながらマイクの元へと歩み寄っていく。


 黄色い声援が大多数を占める中、マイクを握った彼はホールをぐるっと見渡すと、ニヤリと笑った。


 

「皆さん。本日は、父オリヴァー・キンドリーの応援に駆けつけてくださいまして本当にありがとうございます。息子のヨシュア・キンドリーです」





 -第2章『キングの葛藤』へつづく-


 

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