第二章:キングの葛藤

女教皇の憂鬱-Ⅰ

 、人身売買部門。通称。その一部を取り仕切っていたマフィアのボス、スネークが州警察から処刑された一ヶ月後。彼の死体が浮いていた港に、別の死体が浮いていた。


 パトカーのサイレンランプを背後に、刑事達がハンカチで鼻を覆う。


「腐敗が結構進んでるな……死後10日って所かね」

 

「そんな所じゃないですか。着衣の乱れはなし。目ん玉以外はキレイなもんですよ」

 

 若い方の刑事が鑑識の到着を待てない様子で、死体の目元へ手をやった。眼球がくり抜かれているのは誰の目にも明らかだった。直接の死因は心臓を刃物で一突きか。胸部と肩甲骨付近のみ、衣服が破れている。


 港へ破棄したのはここ数日の話だろう。ある程度、腐敗が進むまで待って捨てた。ざっくりとした手口だけ取ってみても、素人の犯行とは到底思えなかった。

 

「ユカリ・モリシタで間違いなさそうだな」

 

「間違いなさそうですね。しかし盲目女性を誘拐して、目玉だけくり抜いて破棄ですか。何がしたかったんだろ」


「彼女は誘拐じゃない。失踪届が出ていた筈だ」


「えっ?」


「警部補、鑑識が到着しました」


 刑事達に声を掛けたのは、警官帽を目深に被った若い警官だった。ヨシュア・キンドリーからスネークの処遇を託された警官。新たな死体が見つかった現場では、刑事達以外の全員がであった。


 鑑識班と警察官達の目が合う。彼らからリークをもらったマスコミが、早くも蝿のようにたかりだしていた。そんなマスコミを鬱陶しそうに見やった刑事たちが、一服するためにパトカーへ戻る。カーラジオからは大音量でニュースが流れていた。


「さて続きましては、再選を果たしましたオリヴァー・キンドリー州知事についての話題です」

 




「キンドリー知事本人の口から、人身売買組織への言及があった事はどのようにお考えですか」

「再任の知事が就任式で宣言というのは異例と言えます。批判を恐れない強硬派。これぞキンドリースタイルと言った所でしょう。大統領選への……」


「キング、ちょっとテレビうるさい!」


 ハイスクールの生徒会室。学園祭でにわかに活気づいている生徒たちをよそに、今日もキングはマイペースだった。歴代最年少で生徒会長の座に就いた美しき天才少年キング。しかし彼はほんの数十分前に「全員参加型の演劇」という提案を生徒会メンバーからにべもなく却下されたばかりであった。


 テレビを消したキングがパイプ椅子ごと振り返る。


「『レ・ミゼラブル』なら可能だと思うんだ」

 

「まだ言ってんの? この学校、生徒何人いると思ってんのさ」


「674人だけれど、講堂ごと舞台にすれ……ウッ!」


 別の生徒がたっぷりと砂糖のかかったドーナツを、その減らず口に押し込んだ。飛び級を打診されるほどの頭の良さとは裏腹に、キングは時折やけに子供じみた言動を取ることがあった。つい最近まで、トレイラーハウスを中心とした半径700メートルが世界の全てだった少年。しかし今、それを知る生徒はいない。

 

 慌ててドーナツを飲み込もうとするキングの姿は微笑ましく、生徒会室からは笑いが零れていた。


「州知事の身内が視察に来るんだろ? 学園祭」

「そういうの面倒くさいよねー。緊張するし」

「でもキンドリー兄妹だったら1回見てみたいかな」

 

「キンドリー州知事って子供いたんだ」


 口の中でベタついている砂糖をココアで流し込んでいたキングが呟く。ここ最近の彼は、エデン絡みの後始末に追われておりテレビを殆ど見ていなかった。船で脱出したアダムの子たちがポーランドにある屋敷へ到着したのは、つい数日前の話だ。


 洗脳を施された子供らと、そうではない子供ら。彼らは同じアダムの子なのに、船旅中もいさかいが絶えなかった。フランツ・デューラーが、メンタルケアに特化した船医を用意したにも関わらず。


 洗脳組の子らは、でジョージをあっさりと受け入れた。しかしそれは、住み慣れた家があったからこその話である。彼らからしてみれば、安住の地を無理やり奪われたと言っても過言ではなく、その不安から終始ジョージを求めていたという。


「さっきまでテレビ見てたじゃないか、キング」

 

「ここんところ忙しくて、家では見てないんだよ」

 

「またー。難しい本でも読んでるんじゃないのー?」


「それは否定しないけどさ。医学書ってドイツ語で書かれたものが多くて、読むの大変なんだよ」


「俺らなんかドイツ語自体読めないぜ」


 どっと賑わう生徒たちに微笑みかけたキングは、パイプ椅子から立ち上がると帰る準備をし始めた。


「後は任せて良いかな。これから行かなきゃいけない所があって」


 どうせ意見など1つにまとまらないのが学園祭だ。ちょっとした非日常感にワクワクするのが楽しいのだ。なんだか自分たちだけの秘密を共有しているような背徳感もそこにはあって、それを青春と呼んだりもする。


 浮かれた調子の生徒達はキングにOKサインを出すと、また元の雑談へ戻っていった。生徒会室の前でクイーンビーとすれ違う。彼女にしては珍しく、キングの姿が目に入っていない様子ではしゃいだ笑顔を浮かべている。これも学園祭前の高揚がなせる技なのだろう。


 キングは急ぎ足で学校を後にした。

 




 ◆





 アジアンタウンの古びたアパート、その一室。中で家事を切り盛りしていたのは、ブルネットの髪と黒い瞳が特徴的な少女クロエだった。文字は読めないが、写真を見ながら見よう見まねで料理をするのがここ最近のお気に入りだ。


 彼女にとって、生まれて初めて行ったスーパーは衝撃の連続だった。肉が腐っていない、見たこともない葉っぱが「野菜」という名前で売られている、ココアには種類がある。


「ねえ、ジョージ。どうやったらコレって出来るの?」

 

「ん? これはまだダメだ、クロエ。フライパンと火を使う料理なんだ。君には早いよ」


 と書かれた箱を恨めしそうに見つめるクロエ。この文字が入ってる料理の美味しさを知っている彼女は肩を落とした。落胆する小さい背中を見つめていたジョージの眼差しが、自然と優しいものになる。


「一緒に作るか? フライパン、触ってみたいだろ」

 

「いいの?! やった! ジョージ、大好き!」


 ベッドの上で跳ね回る彼女に苦笑いをしたジョージは、綺麗に片付けられているキッチンへと向かっていった。あれからクロエは、主だった洗脳被害の症状を見せる事はなかった。だからと言って楽観視は出来ない。


 何もかも、キングが悪い。キングのせい。そう受け取っているフシが見受けられたからだ。


 よって、二人が面と向かって話す機会はまだ実現していない。金銭面の負担はキングが行っている。クロエがエデンにとって最重要人物である限り、銀行での取引は危険が付きまとう。キングによる手渡しがアナログながらも一番、安全な方法だった。


「ええー! そんな葉っぱ入れるの? 嫌だあ」


「葉っぱじゃないよ。これはレタスっていうんだ、クロエ。炒飯に入れると美味いんだ」


 洗ったレタスを手でちぎる。二人の共同作業だ。こういう何でもない瞬間に噛み締める幸せほど、穏やかで優しいものはない。


 かつての俺には考えられなかった事だ。憎しみだけが辛うじて俺を生かしていた。いずれ別れの日が訪れるとしても、クロエ。俺はもう道を誤らないような気がするよ。


 一生懸命にレタスをちぎるクロエを見ていると、どうしても手放したくない思いが押し寄せて来てしまう。そんな未練を断ち切るようにして冷蔵庫を開けたジョージは、空になった醤油の瓶を見つけてクロエに尋ねた。


「ここにあったは?」

 

「真っ黒だったから捨てたわ」

 

「あらら……あれは真っ黒なのが普通なんだ。俺はやっぱり日本人なんだよなあ、アイツがないと生活出来ない……」


「ニホンジン? なにそれ」

 

「クロエの友達みたいなもんさ。日本マーケットまで買いに行くぞ」


 ジョージはクロエの鼻水を拭いてやると、寝室の椅子に引っ掛けてあったバッグを手に取り二人でアパートを後にした。

 




 一方、ハイスクールでは。


 碧眼へきがんにブロンドヘアがよく似合う、学園の女王ことクイーンビーが生徒会室を訪れていた。スクールカースト自体は大きな赤ん坊と成り果てたノーマンの退学と共に崩壊したが、だからといって平等が訪れるわけでもない。


 クイーンビーは相変わらず、取り巻きに囲まれてちやほやされることを好んだ。しかし、一方ではキングの熱心なファンであることも公表していた。


 その辺りの絶妙なバランスが、再びカースト化を招く事態を防いでいた。

 

 そんな彼女が今日は珍しく一人でやってきていた。


 生徒会はどちらかと言えば、キングのようなスクールカースト否定派が多かった。彼女が入室したほんの一瞬だけ空気がピリつく。けれどもクイーンビーは、そんな事にはまるで気が付いてない様子で一方的に喋りだした。


「キング。キャンディーだけどね。皆に配ったら足りなくなっちゃって」


 部屋の隅に向かって語りかけるクイーンビー。顔を見合わせた生徒会メンバーは、彼女の眼前で手を振った。誰かからハッパでも貰って吸ったんだろうか。


「クイーンビー。キングなら今さっき出ていったばかりだけど。すれ違わなかった?」


「何言ってるのよ、あれはキングじゃないわ。皆、見えないの? そこにいるじゃない」


 誰もいない場所を指差すクイーンビーの表情は、素面しらふそのものだった。ただ一点、ご自慢の碧眼へきがん紅梅こうばい色になり、瞳孔も猫を思わせる縦長になっている以外は。


 その場にいた全員が、彼女の瞳へ釘付けになって凍りついていた。何が起きているのか理解ができない。生徒会室の中を沈黙だけが響き渡っていた。





 ◆





 日本マーケットはジョージのアパートから徒歩10分ほどの所にあった。大通りを入った路地裏に店舗を構えている。この辺りは夜になると屋台が出て賑わった。赤を基調とした蛍光ネオンと八角の香りが街を覆い尽くしている。


 キングはスーパーの中で『味噌』と書いてあるパッケージを、夢中になって読んでいた。彼は小さい頃から食品の成分表を見る遊びを好んだ。テレビの他にあるものがそのくらいしかなかったからなのだが。


 今日はジョージが買い物に来る筈だ。クロエやルーカス達の様子を聞いて、お金を渡さなきゃ。彼自身は無自覚なようだが、3日に1回。判を押したような正確さでこのスーパーに訪れる。


 ふとショーウインドウに写り込んだ黒髪へ反応して、キングは咄嗟に身を隠してしまった。クロエが彼を嫌っているのは現状、揺るぎようのない事実だ。それはとても悲しいことだけれども。


 ここアジアンタウンでは、キングのような白人は悪目立ちしてしまう。バレぬようパーカーのフードを被って再び顔を上げた時、彼は信じられないものを見た。


 どうして今まで可能性を考えないで来てしまったんだろうか。心のどこかで全員、死んでしまったと決めつけていたのかもしれない。

 

 クロエと良く似た勝ち気な横顔。その主は、まさしく彼女の実姉レイラだった。

 

 10年ぶりに見たレイラは、長く豊かな黒髪が魅力的な美しい女性へと成長していた。歳は、キングより数歳上。現在は18歳くらいか。


 彼女は幼い頃から大人びており、気が強く、頭も良かった。集落では扱いにくい子ほど早く、。キングはその日が訪れるまで、大人達に対し沈黙を貫いた。レイラは対照的に大人達と戦う事を選んだ。


 いつだって血まみれだったレイラ。集落の子供たちは皆、一度は性のはけ口にされる。指しゃぶりが出来るようになれば、しゃぶれるものはなんだってしゃぶらされる。


 反抗的だった彼女は大人たちを苛つかせ、暴力的な性欲をぶつけるにはもってこいの子供であった。けれども、レイラは一度だって負けを認めなかった。その戦士然としたたたずまいに幼いキングは憧れていた。


 キングが初めて名前を授けた人物、それがレイラだった。


 あの頃と寸分違わない鋭い視線が動く。東洋の山猫を思わせるしなやかな身体が動き出そうとしたのを見逃さなかったキングは、気づいたら彼女の腕を掴んでいた。


「レイラ、僕だよ。キングだ」

 

「え……キング? どうしてこんな所にいるの?」


「他にも言う事あるだろ? 会いたかったよ、レイラ。生きていて良かった」


 喜びのあまり、キングは衝動的にレイラを抱きしめてしまった。その抱擁を受け止めながらも、彼女の視線は止まる事なく動き続けていた。

 

はここ?」

 

「そうここだ。後は……豆腐が売ってたら買って帰ろう。スープを作る」


 スーパーの前で奇跡の再会を果たし、抱き合う二人とすれ違っていったのは、ジョージとクロエだった。





「どうやってあそこから出たのよ? キング」

 

「それを聞きたいのは僕もだ、レイラ。あの集落は僕が終わらせた。君はどうやって生きてきたの?」


「終わらせたって……」


「全員、僕がこの手で殺した」


 二人は、アジアンタウンで行われている夜市の人混みを歩いていた。レイラが白人は目立つからとキャップをフードの上から更に被せてくる。キングは、逞しく日焼けした彼女の早足について行くのがやっとだった。


 レイラは確かに賢かったが、何より運動神経がずば抜けて秀でていた。


「私は……金持ちのペットにされてた。戻ってきたのは1年前。それまでは中東にいた」


「戻る? そんな事が可能なの?」


 アジアで数年前に流行ったポップソングが賑やかに流れてくる。赤と蛍光色のネオンが蝉のような電子音を立てては瞬いていった。その合間を波のように揺らめいてゆく緑色のネオン。キングは目をすぼめながらそれらを眺めていた。貧しいながらも幸せそうな子供たちが、路地裏で遊んでいる。


「……運動神経が良かったから助かった。今はカレッジの特待生よ。体操やってんの。もうちょっと行った所が家だから」


「……そうなんだ」


 キングは、クロエの存在をレイラに言い出そうか迷っていた。というより彼女の目はあの時、明らかに入ってきたジョージとクロエを追っていた。クロエはレイラが行方不明になってから生まれた子供だ。二人に面識はない。


 追っていたのはジョージだろうか。

 だとしても、何故だろう?


 どんどん路地裏の奥へと入ってゆくレイラ。このまま行き止まりになりそうだ。キングが周囲を警戒しだした瞬間、視界が開けて閑静な住宅街が姿を現した。路地裏の子供達よりは裕福そうなアジア人達が、バルコニーでビール片手に談笑している。


「後、ワンブロックで家だから。里親に育てられてんの、私。いい人たちなんだ」


「家族がいるってこと?」


「ま、そんなトコ。それよりアンタは? 集落のヤツら全員殺したってマジなの」


「本当だよ。って連中があそこから子供たちを連れ去ってた。レイラ、って言葉に心当たりない?」


 振り返ったレイラが、どこか切ない表情でキングの容姿を見つめた。アルビノを思わせるプラチナブロンドと白い肌。サファイアのような青い瞳、猫のようにしなやかで小柄な身体。特徴的で美しい右目の外斜視。


「……あんまり背が伸びなかったね。目は見えてんの? キング」


「ああ、見えてるよ。ちょっとコツはいるけど」


 レイラはほんの少しだけ頷くと、再び背中を向けて早足で歩き出した。夜風が心地よく、彼女の黒髪を揺らしていた。切りっぱなしのジーンズからは、真っ直ぐな足が伸びている。タンクトップ越しに見える背中の筋肉が薄く盛り上がっていた。


 彼女はこの辺りではごく平均的な家屋の前で立ち止まった。チャイムを鳴らして暫く待つ。人の良さげなアジア系の老夫婦が笑顔で出迎えた。養母の方は60代だろうか。足が悪いのか、杖をついている。


「おお、おかえりレイラ。その人は?」

 

「幼なじみよ。偶然、マーケットの前で再会したの」


「初めまして。キング・トートです」


 本来、名前を持たない子供である筈のキング。その彼がラストネームまで名乗った事に驚いたレイラは腕組みをすると、初めてリラックスした笑顔を見せた。


「そういえば私に名前をくれたのって、アンタだったけね。チビのくせに賢くてさ。おねしょも止まらないウチから名前にこだわってた」


 老夫婦の家から家庭的な匂いが漂ってくる。人がきちんと生活をしている匂いだ。養母の肩を抱いた養父が家の中へ入っていった。レイラも鼻歌を歌いながら二人の後を追う。傍から見ていれば、慎ましくも幸せな家族そのもの。


 彼女は目でキングを誘うと、外階段を飛び跳ねるようにして上がっていった。


 君はとっくに幸せを見つけていたんだな、レイラ。

 を知っているのに無視をしたのは、彼女にとって最早思い出したくない過去だからなのかもしれない。


「さあ、入って。ドアを閉めてくれる?」


 レイラの声に促され玄関の扉を閉めた瞬間だった。二人の影が重なる。


「……レイラ?」

 

 キングは、名前を呼んだ後もまだ信じられないと言う表情を浮かべていた。


 レイラは、ごく自然な仕草でキングの心臓にナイフを突き立てていた。刃先が肩甲骨を貫通して背中へ飛び出てしまっている。


「1つ言い忘れた事があったわ。キング、アンタは昔っからだった」


 ナイフを握りしめる、レイラの黒い瞳が鋭い光を放っていた。





 ーつづくー

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