運命の輪-Ⅰ
住宅街の一番外れにある、ひっそりと佇む古い洋館。
「兄の看取りをしてくれたそうだね。会いに来るのが遅くなってしまって、本当に申し訳なかった」
「いえ、とんでもありません。こちらこそわざわざお呼びたてしてしまって」
フランツは70歳前半。兄のヘッゲルとは親子ほど歳が離れており、スラッとした背丈に細身のスーツがよく似合う眼鏡をかけた男だった。先日、キングがレディマムに話したもう一人の叔父である。
彼の名誉のために言っておくが、キングが言ったような変態的趣味は持ち合わせていない。至ってノーマルで優秀なビジネスマンである。
「どうぞ、フランツ様。お茶の準備が出来ております」
「やあ、久しぶりだね。エマ」
「……はあ」
ヘッゲルの娘エマ。その記憶を全て失ったのが、今のエマだ。去り際、不思議そうに首を
「君はまだ15歳だったね。タックスヘイブンにペーパーカンパニーを作って欲しいと電話を貰った時はびっくりしたよ」
「急ぎだったので要件のみになってしまって。その節は、大変に申し訳ありませんでした」
「いやいや。で、投資話と言うのは?」
キングは非常に賢い少年だった。だがつい最近まで集落から出たことがなかったので、知識と経験に大きな
「人材への投資です。フランツさんの所有されているポーランドの屋敷を、学校として使わせていただけないでしょうか」
「それはまたどうして」
「――……
フランツの表情が一瞬で曇る。厄介な連中という認識は持ち合わせているらしい。世界中を飛び回っている彼の事だ。人身売買についても一定の見聞はあるのだろう。エマの淹れてきたコーヒーに口をつけたフランツは、気乗りしないのか黙ってしまった。
「フランツさん。僕は元
柔らかい光が差し込む窓辺に佇んでいたキングが、
アルビノを思わせるプラチナブロンドと白い肌。サファイアのような青い瞳、猫のようにしなやかで小柄な身体。特徴的で美しい右目の外斜視。
「詳しい事情を知っているわけではないんだが、よくあんな所から抜け出せたね……もしかして、兄が君を買ったのか? 彼の人間性を今更擁護する気はない。正直に言ってほしい」
「私の頭脳を買ってくださったのは事実です。しかしそれが
「私は兄が養子を取ったと聞いた時に耳を疑ったんだ。今際の際に思う所があったんだろうか、なんて考えたりしてね。私は彼のしてきた事を許しはしない。それでも血の繋がった兄なのでね……」
キングの言っている事は確かに間違いではなかった。しかしヘッゲルが死神キングと取引をした結果、実の娘であるエマに殺された事までフランツが知る必要性はない。
魔術師と対面を果たしてからのキングには、一種の揺らぎが生じるようになっていた。それは言葉にすれば一言『罪悪感』なのかもしれない。キングはそっと目を
二人ともごめんね。
それでも、僕は迷わない。
キングは目を開けると、その美しい瞳でフランツを真っ直ぐに見据えた。
「率直に申し上げます。このままでは臓器移植かテロリストにされるだけの子でも、教育投資が十分に可能です。ご覧ください、私がその生きた証明です。既に20名、
「じゃあ、ペーパーカンパニーを作ったのは……」
「ええ、ご察しの通りです。施設ごと買収しました。しかし、それは応急処置でしかありません」
「急ぎの話なんだね」
「はい」
フランツは携帯電話を取り出すと直ぐに何人かと話をし始めた。安堵のため息をついたキングは、喉が渇いて少し温くなったコーヒーへと口をつけていた。窓の外ではエマが庭木に水やりをしている。
通話を終えたフランツは、いかにも合理主義なビジネスマン然とした様子で立ち上がった。
「船を用意させた。ポーランドには有力者の友人がいる。彼にも協力を仰いでみよう」
「ありがとうございます。必ずやご期待に応えてみせます」
深々と頭を下げたキングの肩にフランツが手を掛けた。大人たちから凄まじい暴力しか受けて来なかったキングは、反射的に身体を硬直させてしまった。彼はまだ
気づいたフランツが直ぐに手を離した。
「済まない、キング。気にしないでくれと言いたかったんだ。その……私の配慮が足りなかったな。今後は、不必要な接触は控えるようにするよ。約束する」
「いえ……」
残ったコーヒーを飲み干したフランツは「ありがとう」と言うと、客間から出る準備をし始めた。キングと共に部屋を出てゆく。フランツは振り返って廊下を見渡すと感慨深げに呟いた。
「兄の写真は外してくれたんだね。戦果の写真を見ているのは辛かったんだ。あんなもの、二度と思い出したくもない。それでも愛情は別なんだよ。酷い男だと分かっていても、私にとっては兄なんだ。罪滅ぼしなんて偽善も嫌いだ。だからキング、君が正直に話してくれて嬉しかった。ありがとう」
「いえ、フランツさんの目は誤魔化せそうにありません。僕には無理です」
「ビジネスにしか能がない男さ。金も嫌いじゃないがね。じゃあ、人の手配をしないといけないのでお
「はい、こちらこそ。今日は本当にありがとうございました」
「ああ……そう。エマをここに連れてきたのは私なんだ」
笑顔でそう言い残し、フランツは屋敷を後にしていった。
客間へ戻ったキングは花瓶の側でしばしの間、庭の手入れをするエマを切ない眼差しで見つめていた。花を覚えておこう。これはきっとどんなエマでも変わらない。彼女だけの記憶だ。
キングは自室で白マントを羽織り大鎌を担ぐと、西海岸にある工場地帯コンビナートへと旅立って行った。
◆
西海岸にある殆ど廃墟と化したコンビナート。工場はとっくに稼働を止めてしまったが、まだところどころ光の残る一帯。その一番高い煙突の上にキングは立っていた。水平線に夕日が落ち、夜空が顔を覗かせる。潮風で白いマントが煙のようにはためいていた。
何者かの気配を感じたキングは、右手を掲げると胸の下にそっと降ろした。右目の斜視が生き物のように動き出してボトリと落ちてゆく。眼球を右手で受け止めたキングは、その手を差し出した。
左目を閉じ、ぽっかりと空いた眼窩で工業地帯の一点を見つめる。掌の上にあるサファイアブルーの瞳が、何かを探し回るように不規則な円形を描いていた。
「……おなかすいた……」
「……たすけて」
……!
浮いていた眼球が一際高く浮いた瞬間、瞳がとある方向を指してビタッと止まる。その様子はさながらコンパスそのものであった。閉じていた左目を見開いたキングは微かに声が聞こえるコンテナ目指して、直滑降していった。
何日、こんな状態に置かれているのか。真っ暗闇のコンテナ内は、既に命を落とした子供の腐敗臭と垂れ流しの汚物で酷い匂いを放っていた。空腹に耐えかねた子供が一人、まだ命を落として間もない子供の腕を噛みちぎろうとしている。
「ダメだよ。そんな事をしたら人間でなくなってしまう」
キングが腕を掴む。酷い栄養失調で手足は棒のようになり、腹部の膨張ばかりが目立っていた。年の頃は6歳位だろうか。聞き覚えのある声に反応した子供は、酷く掠れた小さい声で名前を呼んだ。
「キング?」
変わり果てた姿で人の肉を食べようとしていたのは、ルーカスだった。
「いいかい。ゆっくりだよ。そうでないと死んでしまうからね」
コンテナの中にいる子供たち、そのうち生存者は6名。キングは一人に一口ずつ、小さな砂糖菓子を含ませてやった。水も一気に飲むのは危ないので、少量ずつ口うつしで飲ませてやる。
その中で比較的に元気な一人の子供が砂糖菓子をおかわりしながら、状況を簡潔に教えてくれた。
「僕たちはハイキなんだって」
「他の子は?」
「すぐ側にいる。そっちはご飯も貰える」
声が聞こえたのはそっちの方だったのか……暗闇の中で外の音を拾おうとしたキングに子供が続けた。
「僕はもう人間じゃないの?」
「君は、食べてしまったんだね」
「うん。死にたくないもん……」
「そうか……僕と取引しないか」
「取引って何? 食べ物?」
「そうだよ。その代わり、君の嫌な記憶を僕に欲しい」
子供の唇はひび割れて一部が欠けていた。顔に付着している赤い液体が、水の代わりに何を飲んでいたのかという現実を嫌というほど突きつけてくる。キングはエマの顔が一瞬頭を過ったが、右目を口に含むと手をかざした。
「安心して眠るといい。目が覚めたら全部、終わってるから」
次に目覚める時、その子供は全てを忘れた別の誰かになっているだろう。人の肉に手を出してしまった子供が倒れ込む様を見ていたルーカスがキングにしがみついた。
「死んじゃったの?」
「違うよ、眠ってるだけだ」
「……そう。じゃあ食べられないね」
「ルーカスは食べたの?」
「ううん。でも僕、飲んだ」
ルーカスも口の周りが既に赤く汚れている。しかしキングはルーカスの記憶を奪うことを
キングは子供たちを集めると「必ず元気になること」という見返りの代わりに、ここから連れ出す取引をした。暗闇にノイズが混じり、崩れ落ちてゆくプログラムコードのように徐々にその背景を変えてゆく。
「うわっ! キング。どうしたんだ。この子供たちは?」
買収した施設
彼は元々、
身柄の安全を条件に、施設長を引き受けてもらっていた。
ソビエトの組織は現在、全く違う同志を犯人だと思い込んで追いかけている。
「詳しい話をしている時間がないんだ。直ぐに行かないと。子供たちを任せても良いかな」
「ああ。アジアンタウンにモグリの医者がいる。そいつを呼ぶさ」
「ありがとう。それじゃあ僕、行くね」
ジョージとキングのやり取りを聞きつけて集まってきた、同じ笑顔の子供たち。どちらも同じ
ただ一人。クロエだけが、黒い瞳を輝かせ笑いながら遠巻きにキングを見つめていた。
◆
「ボス、廃棄終了したぜ」
「掃除屋を手配しとけ。後、顧客用のガキにメシを食わせろ。病気にだけはさせんなよ」
ラメだらけのスーツに毛皮とサングラス。褐色の肌をした、
(0826新聞に注目。気をつけろ)
本来、ここはただの中継地点でしかない。使い物になりそうな子供はその用途によって様々な場所で管理されていた。
あの施設だけで150万ドルの損失だ。
しかもその金の殆どが、あの黒目のメスガキ。
苛立ちの未だに収まらないスネークは、倉庫を改造した専用室のソファーに座ると葉巻に火をつけた。ガラステーブルに足を載せて、8月26日の新聞に目を通す。アンナ・キンドリーの慈善活動を伝える記事と
部下の報告通り、レディマムの真隣にはもう一人いた。ただ、それ以上の情報が入ってこないのだ。取材に当たった新聞社を詰問しても、煮え切らない返事が返ってくるだけ。
揃いも揃って、言われてみればいたような……としか言わない。
洗脳されてるとしか思えなかったが、その部分だけの記憶が曖昧になる洗脳手法など存在するのだろうか。常識的に考えて有り得ない。正体不明の薄気味悪さに、ここ
残るヒントと言えば、レディマムの個人的な趣味くらいのものだった。
「ボス、
「ん。後、ストックからガキ一人連れてこい。ああ、シャワーを浴びさせてからな」
スネークは似た雰囲気の、ギラついた娼婦を
よって、痛めつける事を禁じられてるストック達相手にすることと言えば、1つしかなかった。
「おい入れ。ボスに失礼のないようにな」
扉の開く音と共に、おおよそ専用室の雰囲気とは合わない石鹸の香りが漂いこんでくる。プラチナブロンドにサファイアブルーの瞳をした白人少年が、まだ湯気のあがる身体にバスローブを羽織って立っていた。
スネークはキングの容姿を頭からつま先までじっくり眺めると、満足そうに鼻を鳴らした。
「お前、何歳だ?」
「13」
スネークの言葉にキングはそっけなく答えた。手招きされるがまま、スネークの横に腰掛ける。強引にキングの身体を抱き寄せたスネークは、今にも舐めだすような勢いで顔を近づけた。
「新顔だな。待ってたぜ、お前のこと」
「ありがとう」
褐色色をした手に力がこもる。
スネークはキングの耳に酒臭い息を吐きかけながら、囁いた。
「ここへ何しにきた」
「セックスの相手をしてこいって言われた」
「そうだな。お前は、本当にキレイな顔をしてる」
言葉とは裏腹にスネークの手はどんどんその力を強めていった。睨み返すキングに向かって投げかけたのは、性的な興奮ではなく怒りだった。
「お前だろ、
「何のこと?」
「とぼけんじゃねえよ。知ってるぜ。お前、死神だろ」
キングの腕がスネークの握力でミシミシと音を立てていた。
ーつづくー
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