月の嘆き-Ⅱ

 数日後

 

 キングは生徒会室で、クイーンビー相手に諸々聞き込みをしている最中だった。彼はこの街に来てまだ日が浅く、知らないことが多い。書籍やメディアで得る情報には限界がある。キングは珍しく腕組みをしながら険しい顔をしていた。


 レベッカの方が養護施設に近いし、子供を可愛がるのも彼女の方だ。それなのに、様子のおかしさを一度も耳にした事がない。おそらく、レベッカにはほんの表面しか見せていない。施設長レディマムの性格ならやりそうな話ではある。


 そう判断したキングはスクールカーストの元女王、良くも悪くも顔の広いクイーンビーに白羽の矢を立てた。


? どこでだったかしら……聞いたことがあるわ。クラブだったかな」


「アンダーグラウンドな人間の方が詳しい話だと思うんだ」


「そんな事言われてもあんまり嬉しくないんだけど。今、思い出してみる。ちょっと待ってね」


 紅梅こうばい色の瞳と猫のような縦長の瞳孔をしたクイーンビーは、天井を見つめると記憶を辿り始めた。


 年齢を誤魔化して遊びにいったナイトクラブ。派手な音と高揚を誘うライティング。一夜の出会いを求める沢山の人、ハーブの匂いと甘いカクテル。


 メインフロアじゃない。「」ってワードを耳にしたのは。私は酔ってた。クラブで迷って狭い廊下を歩いてたわ。間違えて突き当たりの階段を上がってしまった。タトゥだらけのギャングが、ナイフをちらつかせながら立ってた。


 すごく怖くて。でもギャングがナンパしてきたから、上手いこと逃げられた。

 あの異様な光景は……そうだ、VIPルーム。


 クイーンビーは赤い瞳をキングに向けると、確信を持って答えた。


「キング、思い出したわ。それっていうカルト教団の事よ」


「イブ……は信徒という意味か。クイーンビー、知ってる範囲で良いんだ。の事を教えて欲しい」


「ヤバめなヒッピーカルト教団って認識ね。みんなして真っ白い服を着てるのよ。いかにもじゃない? だから覚えてたのよね。だってクラブのVIPルームから、だとかってワードが飛び出してくるとは思わないじゃない」


「と、いうと?」


 クイーンビーは「キングにも知らない事があるのね」と言いたげに肩をすくめると、縦長の瞳孔を更にキュッとせばめた。

 

「教団は表の顔でマフィアが絡んでるって事。何したいのかまでは知らないけど」


 、白い服……


 全てが繋がったキングは、クイーンビーの耳元に「ありがとう」と囁くと右手をかざした。彼女の身体がグラッと揺れて意識を失い、背もたれにもたれかかる。


 直ぐに意識を戻したクイーンビーの瞳は、数多くの男子生徒を虜にしてきたいつもの碧眼へきがんに変わっていた。


「他の子にもこんな事してないわよね?」


「こんな事?」

 

「デートの話よ……私の口から言わせないで、キング」


 クイーンビーは1つも乱れていないブラウスを慌てた様子で整えると、そそくさとリップを塗り直して部屋から出ていってしまった。耳まで赤くしながら走り去ってゆくクイーンビー。その後ろ姿を見つめていたキングは「ごめんね」と小さく独りごちると、立ち上がって学校を後にした。





 ◆





「あ、キングだ!」

「ねえ、本読んでよ」

「だめー、僕たちと一緒にトランプやるの!」


 養護施設の門をくぐったキングは、今日も子供たちから囲まれていた。


 古い教会を改築した小ざっぱりとして清潔な建屋。

 白を基調とした壁板。

 白い服を着た子供たち。


 玄関の前で含みのある笑顔を向けるレディマムに、同じ笑顔で答えたキングは彼女の方へと向かって歩いていった。


「キング!アルファベットを教えてくれるって約束したじゃない!」


 そんなキングをさえぎるように目の前に現れたのは、白い服を着て屈託のない笑顔を浮かべている少女クロエだった。


 キングは、を浮かべている様子を確認すると、しゃがんでクロエに目線を合わせた。きちんとシャワーを浴びさせて貰っているのだろう。石鹸のほのかな香りがする。


「やあ、クロエ。元気にしてたかい?」

 

「うん元気!マムが沢山食べなさいっていうから、ランチおかわりしちゃった」

 

「もっと元気にならないとね。……健康診断はまだかな?」

 

「うわあ!すごい。キングってば何でも分かっちゃうのね!そうよ、来週行くの。生まれて初めての病院だからドキドキしちゃって」


 数日前のクロエは、地獄からの生還を果たしたばかりで酷く怯えきっていた。激しい虐待を受けていた子供がたった数日でここまで笑い、何の疑いも持たずに心を開くようになる事などまず有り得ない。


 クロエはまだまだ栄養失調が目立っていた。直ぐという事はないかもしれないが、病院からそれっきり戻ってこなくなる可能性も十分にあった。


 立ち上がったキングは、彼女の頭を撫でてキャンディーバーを持たせると、白いエプロンをたなびかせるレディマムの元へゆっくりと歩み寄っていった。


「こんにちは、レディマム。先日したお話の続きをしたいのですが」

 

「待ってたわ、キング。是非、話しましょう。特別な部屋へ案内するわ」


 特別な部屋は、事務室の机の下にある隠し階段を降りた先にあった。地下は石畳の小さい広場のようになっており、他にも部屋が3つある。「どうぞ、入って」自信ありげな声に促されて中へ入ったキングは部屋を見渡した。


 年代物のアンティークソファー、ホワイトタイガーの敷物、アールデコのシャンデリア。金はかかっているが趣味の統一されていない感じが、ある意味マムらしさを物語っていた。


 バーカウンターでビンテージワインの栓を抜くレディマムに紳士的な笑みを投げかけたキングは、感嘆かんたんを隠しきれない様子でいつもより声が大きくなっていた。


「お見事です、レディマム。この短時間でよくあそこまで調教したものです」


「あら、そんな。古典的な手法よ。コツは一度安心させることね」


「なるほど、僕が一役買ってしまったわけですね。これはやられてしまったな」


 用意したワインをセラーに戻したいレディマムは、ふくよか過ぎる身体をバーカウンターから押し出そうと腹をよじっている最中だった。しかしその表情には、一種の鼓舞こぶされたような満足感がにじみ出ている。キングはカウンターに置いてあったワインを受け取ると、彼女に背を向けゴテゴテとした絵画を眺め始めた。


「今回は先方がどうしてもあの子って言って聞かないのよ。黒い瞳がとても良いって。どう? 他の子じゃダメかしら」


「そうですか、残念だな。僕は貴方に興味を持ちましたよ。こんな程度で満足してるんですか? レディマム」


「どういう意味かしら?」


「言ったでしょう、叔父の経営する企業は世界展開をしていると。市場規模の話です」


 振り返ったキングは自分の美しい容姿をよく理解した上で、レディマムを誘った。


「叔父は見るのが好きなんです。困った人なんですよ、僕と子供たちが戯れているのを見ているのがそれは好きでしてね。レディマムも嫌いじゃないでしょう? 特に怯えた子供との戯れとは良いものです」


 バーカウンターからようやく身体を押し出したレディマムは、数十年ぶりの興奮に軽く震えていた。セラーのガラス越しに見るキングの姿は15歳にしては幼いが、無表情になると途端に大人びて色気を増してくる。邪悪さを隠した微笑みを浮かべている時などは、更に性的なものを感じさせた。


 子供と戯れているキングもきっと無表情に違いない。右目の美しい斜視だけは動くことなく、西洋人形の如く無機質なままなのだろう。アルビノのように白い肌が火照って赤く染まる。戯れが過ぎてしまって、悪魔のような笑顔を浮かべる彼を見ながら……下劣な妄想に自分が邪悪な笑みを浮かべてしまっていたレディマムは、ごく自然なキングの口調で我に返った。


「身の安全についてもこちらで保証しましょう。から抜けるお手伝いをしますよ」


「――……えっ?」


 どうしてこの子はの事まで知っているの?


 振り返ったレディマムが見たのは、白いマントに大鎌を担いだキングの姿だった。


 キングはどこか厳かさを感じさせる様子で、手に持っていたワイングラスを床に落とした。グラスが割れたのと同時に、レディマムの背後にあるワインセラーが一斉に開いてゆく。ボトルが飛び出しては落ちて割れゆく音が幾重にも重なって、悪趣味な部屋を覆っていった。


 しかしワインそのものは床へこぼれていなかなった。むしろその逆で、循環する血液のように天井へと吹き上がっていく。シャンデリアを伝って落ちてくる赤ワインは、謝肉祭を連想させた。


 赤毛にワインを浴び、白いエプロンを赤く染めたレディマムは状況が飲み込めず、笑ってしまっていた。人間、あまりにも理解の範疇を越えた事が起きてしまうと、得てして笑ってしまうものである。


「イヤだ、私ったら。幻覚剤が手についてたのかしら……あはは」


「それもが手配してるんでしょ? 幻覚剤を使った洗脳。古典的かつ一番手っ取り早い方法だものね」


 キングの姿がひしゃげた渦巻きのように見え始めたレディマムは、目をしきりに擦っていた。まとめてあった髪が解け、長い赤毛が天井へ向かって八の字に広がっている。シャンデリアからは、あいも変わらず赤ワインがしたたり落ちては赤毛を伝っていた。


 その造形はさながら心臓そのもの。

 

 キングはレディマムを無視して右手を掲げると、胸の下にそっと降ろした。右目の斜視が動き出してボトリと落ちてゆく。眼球を右手で受け止めたキングは、その手をレディマムに差し出した。


「洗脳って例えばこういう事をするの?」


 掌の上でゆっくりと回るサファイアブルーの瞳が急回転を始める。


 床に落ちて砕け散ったワインボトルの破片が飛び交い、食器棚からはよく磨かれた銀食器が飛び出してくる。集まっては崩れ、溶けては固まる。姿を自在に変えてゆく破片と銀食器。その動きはまるで脈動のようであった。生命による能動性と意志の介在を思わせる何か。


 レディマムはようやく目に違和感を抱かなくなったと思った瞬間、ガラスと銀食器で作られた鏡の棺桶に入れられて絶叫していた。


「何するの! やめて、キング! お願い!」


「こういう事をしてたんでしょ。ああそれから……僕、死神なんだ」


「何、何が目的なの?!」


「取引さえしてくれれば、大人しく引き下がるよ」


「クロエは渡せないわ……相手はなのよ」


「ふうん……そう。じゃあ、の情報を貰っても良いかな」


「それは……」


 レディマムが言い淀もうとするや否や、今度は置いてあった蓄音機が動き出し、ありとあらゆる不快な音を立てていった。加えて七ヵ国語のコーランが、大音量で直に鼓膜を刺激してくる。レディマムは、狂気から逃れたい一心で叫んだ。


「取引するわ! 事務室の裏に隠し金庫がある! そこに全部あるから!」

 


 キングは右目を舌の上に乗せるとニコリともせずに宣告した。


「レディマム。取引は、成立だ」



 しかし、取引が成立しても何も変わらなかった。


 レディマムは逆回転しはじめた七ヵ国語のコーランと、音調の狂いまくった賛美歌に鼓膜を刺されながら、相変わらず絶叫を続けていた。何処を見ても鏡の世界。逆立った赤毛は蛸の触手のようにずっとうねっている。


「取引したでしょ!出してよ!キング!!」


「大人しく引き下がるって言っただけだよ。そこから出すとは言ってない。君はもう少し虐待について学んだ方がいいよ。じゃあね」


 若く美しき死神キング。彼が赤ワインの雨を浴びながら部屋を出ていこうとした時、ドアの隙間から目を覗かせていたのはクロエだった。





 ◆





 クロエは自らの意志で鏡張りの部屋へ来ようとして、特別な部屋の異変に気づいた。子供たちの洗脳に使う鏡張りの部屋は応接間の隣に設置してあった。バーカウンターの棚をずらすとマジックミラーになっており、子供たちが狂っていく様も楽しめる趣向しゅこうが施されている。


 軽蔑の眼差しでまだ絶叫を続けるレディマムを一瞥いちべつしたキングは、クロエの方を向き直ると手を取った。


「おいで、クロエ。僕と一緒に帰ろう」


「行かないわ。ここにいる」


「君は悪い魔法をかけられてるんだ。魔法を解いてもらわないと」


 クロエは黒い瞳をキラキラとさせながら、首を横に振った。


「これは良い魔法よ。だって私、今とても幸せだもの」


「クロエ、君はこのままだと目を取られる。臓器移植されるんだ」


「この先、辛いことがあっても見なくて済むってレディマムは言ってた。それって素敵な事だと思う」


 あれほどキングにしがみつき助けを求めたと思えない様子のクロエは、ここへ来た本来の目的を思い出したのだろう。鏡張りの部屋へと歩みを進めていってしまった。ポケットからはキングのあげたキャンディーバーが、手つかずのままはみ出している。


 クロエの手を掴んだキングの左目には、涙が浮かんでいた。


「お願いだよクロエ、僕と取引すると言って。そうすれば君は元の世界へ帰れる」


「だから嫌よ。このままでいいの」


「ルーカスの事はどうするんだい?」


「ああ……ねえ、キング!ルーカスに会ったらここへ連れてきて。幸せになれるからって!」


 冷たい石畳の広場に、赤ワインの混じった涙がポタリと落ちてゆく。キングは声を漏らさぬよう震えながら泣いていた。無力感が容赦なくキングの心をえぐってゆく。自分が降らせた赤い雨は皮肉にも、彼の傷ついた心から流れる血そのものとなった。


 死神の能力には限界がある。キングの場合、取引が前提だった。相手が取引を望まない以上、能力を使うことは出来ない。


 鏡の部屋からクロエの屈託のない笑い声が聞こえて来た時、キングは歯を食いしばって立ち上がり地下室を後にした。事務室の隠し金庫からに関する情報を入手すると、子供たちの笑い声の合間を項垂うなだれたまま通り過ぎていった。


「帰っちゃうの、また来てよ」

「遊んでいって! キング!」


 皆、同じ笑顔の子供たち。白い服を着た仮面の天使。門の所まで来たキングは振り返ると、精一杯の笑顔で手を振った。


「しばらく僕、これないかも。ごめんね、みんな!」





 ◆





「ハァ? が買収された?」

 

「それどころか傭兵までいるんですよ」


「傭兵って……買収元は?」


「タックスヘイブンのペーパーカンパニーでした。追跡は難しいですね」


 男はくわえていた高級葉巻を、足でもみ消してしまった事に気づかない程度には苛立っていた。犯人はアジア系の大富豪だろうか。こっちの人身売買には関心がないと思っていたが。まあ、あいつらは金になりそうだと思ったら何でもやるか……男はごちゃごちゃになってる頭を整理しようとテキーラを一気にあおった。


 男の部下がPCから顔を上げて、これ以上はお手上げだと言わんばかりにバンザイした。


「傭兵はつい最近までバルト紛争の最前線にいた連中です。手練れ中の手練れですよ」

 

「国が関与してるって事か? あんな程度の施設に?」


「さあ……あれ? からメールが来てる」


 テキーラの瓶を床に叩きつけた男は、割れる音に苦い顔をしてこめかみを揉むと、部下をどかしてメールの内容を確認した。


「(0826新聞に注目。気をつけろ)これだけかよ、なんだこりゃ」


 最初の数字列に何かを察した部下が8月26日の新聞を持ってきた。アンナ・キンドリーの慈善活動を伝える記事とでの集合写真。


 男は新聞をひったくるとサングラスを外し、改めて写真を見た。この写真にクロエは写さない。レディマムはその約束を守っていた。


「マムなんかとっくに死んでるだろ。ガキだって約束通り写ってない。何処に注目すりゃ良いって言うんだ……」

 

「あれ? マムって空中でも掴んでるんですかね。何か妙なポーズだな」


 PCの前を陣取っていた部下が不思議そうに首を捻っていたが、男は話を聞いていなかった。縄張りをある日突然、しかも強引にぶん取られた怒りで頭が沸騰していたから。

 

 

 での集合写真には、キングの姿だけが抜け落ちて影も形もなくなっていた。

 まるで最初から存在などしていなかったかのように。

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