月の嘆き-Ⅰ
「今日もお願いしちゃっていいの? キング。生徒会だって忙しいのに」
「良いとも。君にはノーマンって恋人がいるじゃないか」
キングとレベッカの二人は、彼女がボランティアをしている養護施設の近くに来ていた。13歳くらいまでの子供たちが、庭にある遊具で無邪気に遊んでいる。
大きな赤ちゃんことノーマン。彼へかかりきりになってしまったレベッカの代わりに、ボランティアを買って出たのがキングだった。
レベッカは、子供たちが自分を見つけてしまって寂しい思いをしないよう、門の通り向かいから赤い鉄柵の中を覗き込んでいた。そして庭で遊ぶ子供たちの笑顔を見ると安心したのか、満面の笑みで去っていった。
信号待ちをしているキングのプラチナブロンドを見つけた子供たちが、早くも興奮を隠しきれない様子で騒ぎ始めている。キングが手を振りながら門をくぐると、彼を目がけて子供たちが一斉に駆け寄ってきた。
「キング! 今日は私と遊んでよ!」
「ねえ、僕とパズルやるって約束だよ!」
「僕は……僕、僕!」
「んーどうしようかな。おやつを食べ終わったら、順番に一人ずつ。全員と遊ぼう!」
キングの笑顔を見た子供たちが、まるでミツバチのように熱狂して飛び回っている。木造の古い教会を改築して作った養護施設。だが、白い建屋のペンキはこまめに塗り直してあり、全体的に小ざっぱりとして清潔だった。今日も、屋根の修繕業者が雨漏りの修理に訪れている。
白を基調とした施設で笑う子供たちは全員で20名。その様子はさながら天使そのもの。しかし、キングはそんな彼らへ向かって笑いながらも、どこか切ない視線を投げかけていた。
何故か行方不明になってしまう集落の子供たちにも、こんな未来があったのだろうか。
「キング、あっという間に人気者ね」
物思いに
「そんな。レベッカの代わりになんて無理ですよ。僕はあくまで臨時代理ですから」
「まあ、謙虚なのね。でも私は、貴方が孤児に
「両親を早い時に事故で亡くしてますから。そういう意味では、彼らと通ずるものがあるのかもしれません」
「そうね……ここにいる殆どの子供は元虐待児よ。それは知ってるでしょ? キング。そういう子達ってね、簡単に心を開いたりなんてしないの。疑り深いのよ。貴方は特にその……特徴的な外見をしているから」
「僕の右目が、子供たちに虐待を想起させるかもしれない。その事を
「ホント、おせっかいばあさんの
レディマムは申し訳無さそうに笑うと、キングの姿を改めて見つめた。アルビノを思わせるプラチナブロンドと白い肌。サファイアのような青い瞳、猫のようにしなやかで小柄な身体。特徴的で美しい右目の外斜視。
ホットケーキを焼く匂いがキッチンから漂い始める。ついうっとりとその容姿を見入ってしてしまっていたレディマムは、気を取り直したように背を向けると室内へ入っていった。食堂へ向かう子供たちとは逆の方を歩いてゆく。
事務所として使われている一室に入ると、寝巻き姿の痩せこけた少女が部屋の隅で膝を抱えていた。
「新しい子が入所したの。紹介するわ、クロエっていうの。6歳の女の子よ」
「はじめまして……」
大人から何かされる前に、先回りして言う事を聞くのがクセになっているのだろう。言われずとも立ち上がり、足元をふらつかせながら挨拶をする少女を見たキングは、微笑みを浮かべたまま絶句していた。
目の前で立つ少女は、何故か行方不明になってしまう集落の子供達。その中の一人だった。
ブルネットの直毛が特徴的な、お下げ髪の少女クロエ。
彼女が消えたのは、キングが両親を殺害する一週間前の事だった。
今まで一体、どこで何をしていたのか。集落の子供たちには皆、名前がなかった。いずれ、何故か行方不明になってしまうからだ。そんな子供たちに内緒で名前を与えていたのはキングだった。クロエという名もキングが与えた。
名前がある。それは自分が人間だという証し。
そして、自分たちには人間として生きる権利があるという抵抗。
クロエはキングの顔を見て一瞬首を
その時だった。屋根の上にいた修理業者が大きな声でレディマムを呼び出したのは。
「レディ!なんだかお偉いさんの車と新聞社が来てますよ!」
「あらいやだ。私ったら一日間違えてた!まったくこれだから年寄りは……」
ビックリした様子でカレンダーを見たレディマムは、その巨体を揺らしながら事務室から出ていってしまった。客人を迎えるために、あっさりクロエを置き去りにしてしまったレディマム。施設長というものの本質を知ったキングは、怯える彼女に目線を合わせるとゆっくりと歌うように語りかけた。
「僕だよ、キングだ。オレンジの木とココア。覚えているかい?」
クロエはなおも小刻みに震えて頭を抱えながら、謝罪の言葉を呪文のように吐き散らかしていた。「聖なる父よ。いただきまーす!」食堂にいるの子供たちの賑やかな声が聞こえてくる。キングは子守唄のような優しさで、同じ言葉を繰り返しクロエに語って聞かせた。
どのくらいそうしていただろうか。客人が訪れてレディマムと何やら話し始めた頃、ようやく顔を上げたクロエがキングを見た。
「――……キング。ココアの王様」
「そう。僕はココアの王様、キングだ。クロエ、汝の名付け親でもあるぞ」
「……キング!」
クロエは一瞬だけ悲痛な叫び声を上げたかと思うと、キングに全身でしがみつき声を殺して泣き始めた。今までどんな目に遭い、どんな物を目にしてきたか。声を上げて泣けば何をされるのか。言葉にせずともクロエの
◆
その頃、養護施設に訪れた客人は使用人に車いすを引かれながら、マスコミのフラッシュにまみれていた。しかし、彼女がフラッシュを眩しいと思うことはない。
アンナ・キンドリーは生まれつき盲目だった。年の頃は20代半ば。控えめに見ても美女と言って差し支えのない整った顔立ちをしている。食堂に連れてこられた彼女は、ホットケーキの甘い匂いと子供たちの可愛らしいざわめきに顔を綻(ほころ)ばせていた。
「まあ、キンドリーさん。ようこそエデンの家へ」
レディマムの媚びた声の方を振り返った彼女は、作り笑いとは絶対にバレない自然な微笑みを浮かべた。アンナ・キンドリーにとって、親戚と名乗る人物や猫なで声というものは日常であった。
「申し訳ありません、レディ。来る時間をもう少し配慮するよう伝えれば良かったわ。せっかくのおやつなのに」
子供たちは車いすに鎮座する盲目の美女を物珍しそうに見てはいたが、今はホットケーキの甘い誘惑の方に軍配が上がっている。おまけに彼らには、食べ終わったらキングと遊ぶという大命題があってそれどころではなかった。
パンパン!
レディマムの手を打つ音が食堂に響き渡る。子供たちはフォークを置くと、彼女の方を見た。そうするのが、養護施設エデンの家の決まりだったから。
「皆さん、この施設に10万ドルの寄付をしてくださったアンナ・キンドリーさんです。彼女と我らの父に感謝のお祈りを捧げましょう」
「キンドリーさんを囲んだ集合写真が欲しいですね。紙面映えするんで」
「あら、明日の朝刊かしら?」
浮き足立つレディマムとは裏腹に、子供たちとアンナ・キンドリーの表情には気乗りしない雰囲気が漏れ出していた。
子供たちにとっては、冷めてしまうホットケーキ。
アンナ・キンドリーはとっては、障がい者の自分を利用される憂鬱。
「あ、そうだわ。写真を撮るなら、彼を連れてこないと」
偽善をアピールするのにキングの容姿は非常に美味なトッピングである。再びホットケーキを食べ始めてしまった子供たちと困惑するアンナ・キンドリー、ネタさえ美味しければ何でも良いと思っているマスコミを残したまま、レディマムは食堂から消えていってしまった。
「思い出したくない事は言わなくていいからね。僕、君たちを探してたんだよ」
「キングはどうやってあそこから出たの?」
「あそこはもうないよ。僕が全て燃やした」
「人も?」
「うん。あいつらが二度とクロエを苦しめる事はない」
来客でざわめきを増している食堂をよそに、事務室でひっそりと座るキングとクロエ。クロエは安堵のため息をつくと、三つ編みを弄りながらぽつりぽつりと語り始めた。
「私も他の子、探したの。キングが名前を付けたルーカスって覚えてる?」
「覚えてるさ。ルーカスは光っていう意味なんだ。忘れるわけがない」
「連れてかれた場所……暗くて変な匂いがした。ガソリンと何かが腐ったみたいな匂い。そこでルーカスを見たの。でも……他の子はいなかった」
「
キングはその現象に名前を与えていなかった。そんなものに名前は必要ない。いずれ、存在ごとなくなってしまうものだから。キングは集落を燃やした時に、涙を流しながらそれを誓った。
人が焼けて絶命してゆく音と「もう二度と生まれ変わって来ないで」という祝福と共に。
「
「
「ねえ、キング。私、怖い。どうして私だけここに連れてこられたの?」
キングは滅多に揺さぶられる事のない感情が、激しく揺さぶられているのを隠せずにいた。しかしそれ以上の動揺と困惑そして恐怖で怯えているのは、他の誰でもないクロエだ。
両親を殺すと決めてから、指折り数えた日々。
何があろうと生き抜いてみせる。覚悟を決めたキングの心を、父親の凄まじい暴力は折れなかった。どんな屈辱からも目を逸らさないできた。便所代わりにされ汚されようとも。
ふと、おぞましい経験から生還を果たしたばかりのクロエが敏感に反応して、キングにしがみついた。「連れててって。お願い……」と再び青ざめながら震えて
ドアの隙間から二人を覗き込んでいたのは、レディマムだった。
キングの美しい斜視から刺すような視線を浴びせられたレディマムは、意外にも慌てていた。ドアの隙間から無理やり巨体を押し込んで部屋に入ってくると、額に汗をかきながら作り笑いを浮かべていた。
「まあ、クロエったら。すっかり懐いてしまって」
「ええ、とても可愛らしいですね。こちらでは養子の斡旋はしていないんですか?」
キングとクロエの話をどこまで聞いていたのか。レディマムは、含みのある発言をしたキングの真意を測りかねているようだった。事務机の後ろにあるロッカーから新品のエプロンを取り出し、身体に張り付いている白いエプロンを脱いだレディマムは、それとなく探りを入れ始めた。
「実はその子ね、既に養子の問い合わせが来ているのよ。ここは行政手続きが済むまでの仮住まいなの」
「そうなんですか。残念だな。
「叔父?」
「ええ。先日亡くなった叔父の弟です。僕にとってはどちらも叔父です。ヘッジファンドを経営していまして。今はシンガポールとアメリカを行ったり来たりの生活を送っているんです」
それはある意味本当の話だった。キングが乗っ取ったヘッゲル家。その実弟は、ヘッジファンド経営者であり世界の主要金融都市に支社を展開していた。ヘッゲルがあんな状態でも裕福な暮らしを維持できていたのは、戦果の
現在キングは、書類上ヘッゲルの養子となっている。
おろしたてで糊のピンと張る白いエプロンに着替えたレディマムは、振り返ると今度は本当の笑顔を見せていた。
「そういう事だったのね、キング。だったら少し時間を頂戴。先方に話をしてみるわ。良かったわね、クロエ。きっと神様から愛されているのよ」
「虐待児は簡単に心を開いたりなんてしないの。疑り深いのよ」先程、キングに向けたレディマムの言葉だ。彼女の言葉は確かに真実であった。
事実、クロエは無言のまま必死でキングにしがみつき離れようとしない。そしてそれは今の彼女にとって出来る最大限の抵抗でもあった。
キングはクロエの手を強く握り返すと、肩を抱いて微笑みかけた。
大丈夫、絶対に助け出してみせる。
僕は、死神だ。
◆
「あ、キングが来た!」
「もー遅いよー」
「このお姉ちゃんと写真撮るんだってえ」
「ごめんね、みんな。マスコミの方でしょうか……すみません、お待たせしました」
キングと名乗る少年の方へ顔を向けたアンナ・キンドリーは、その気配に懐かしさのようなものを感じていた。声色? それとも匂いだろうか。
「はい、それじゃあ皆あつまって!記念写真を撮りましょう」
やたら張り切っているレディマムと腹の上で跳ねる白いエプロン。彼女は「待たせたのはお前だろ」と言いたげなマスコミを無視して子供たちを並ばせると、車いすを引いてアンナ・キンドリーを中央に据えた。その横に自分。そしてブランドバッグでも抱えてるような感覚で、キングの腕を取ると真隣に引き寄せた。
自分たちも大概にゲスなのを棚上げにして、レディマムのゲスっぷりに呆れ顔のマスコミ。彼らはここからとっとと去れるなら、何でもいいやと言う気分になっていた。
早々に仕事と割り切っていたカメラマンは、ファインダーを覗くと不思議そうに首を傾(かし)げた。
「あれ? あの少年……どこかで見たことがあるような……」
「次の取材が押してんだよ、早くしろって」
「分かったよ……じゃあ皆さん笑って!はい、チーズ!」
養護施設エデンの家全員集合写真。
その中にクロエの姿はなかった。
ーつづくー
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