#13 陶器の底。あまい、あまい、砂糖。

「別れたほうがいいのかな」

 それは奇しくも、私の考えていたことと同じで。でも、ニルの口からだけは聞きたくない言葉だった。だからつい強情になってしまう。

「そんなこと、言わないでよ」

「……ごめん、でもあなたの幸せのために」

「余計なお世話だね。ずっと好き。あなたがいなくても、あなたが好きな私はずっと幸せだから」

「……そう」

 頬を綻ばせたニルをみて、これでいいんだと思った。

 立てかけてあった、ナイフの峰をつーっと辿る。

「怖くない? あのとき、私に刺されたのに」

「信じてるから」ニルは笑って、左手の指輪を右指でしめした。

「刺してこないってことを?」

「うーん、あなたが刺したいから私を刺すんだってことを、かなぁ」

 わずかな間で答えを平然と言われた。私の何もかもを受けとめてしまう、ある意味恐ろしい在り方にちょっと笑ってしまった。

「いま刺したくなるとしたら、自分だけだよ」

「だめ。それだけはだめ」

「うん、ニルがそういうからやらない」

 ふう、とニルが息をつく。髪を撫でたくなって触った。ニルは目を閉じてされるがままになる。指輪の金剛石はニルの白い髪と溶けあってきらめいた。

「最後まで私はニルを困らせる、悪い子だったな」

「私は、楽しかったよ」

「それならよかったけど」

 自信はないのだ。ニルは私を幸せにしてくれようと努めていたけど、私がニルに何をしてあげられたかと問われてしまうと、ちょっと答えに詰まる。

「今はニルのお話が聞きたい」前回の終わりでは、私が話し倒してしまった。あのときの私には余裕がなさすぎたのだろう。

「……わかった」

 ニルは頷く。そこにどれだけの思いがこめられていることか、瞳の強さから表れていた。

「私は、世界が好きだよ」私に対する好き、と同じくらいの響きに感じられて。嫉妬心がよぎるが、これがニルなのだ。私じゃないものを見つめるニルの瞳も、私の大好きな宝物だった。

「私はね、うーん……」

「あなたを幸せにする計画が、道半ばで途絶えてしまうのが悔しいよ。でも、あなたはもう一人で生きられているでしょう?」

「……そうかな」

「そうだよ。私の力を使って、一人で生きてる」

「ニルはいる。二人だよ」

「今日のあなたは強気だなあ……」

 それじゃあなたのこれからが大変なんだけど、とニルが呟いただった。

『世界の同調が停止されます』

 断絶の知らせ。

「あ……終わり、だ。もっとお話を聞きたかったのに」

 視界に光が迷いこんでくる。ニルの輪郭がぼやけてしまう。

「……せめてもの、最後の抵抗」

 大好きなニルの瞳を、何よりも最接近して見た。

 唇がしっとりと温かくなる。

 心がじんわりとニルの色で染みる。

「ずっと、私はいるからね」

 私とニルは笑った。笑えたはずだ。

 最後は楽しく、優しく終わって。

 これから私は一人でも生きていけるって――


 ゴーグル内が真っ暗になる。ニルアクセスを外した。

 自分の唇をたしかめる。最初は、ニルの唇の感触だと思った。

 指に触れたものは、水分だった。ニルの涙だろうか。

 ちがった。これは私の涙だった。

 これから。ニルがいないのに、私の命は続いているのだ。

 ニルが全てだった私の何もなくなった空白で、どう生きろというのだろうか。


 頭を壁に打ちつけたくなる。ニルの顔が浮かんで、頭を柔らかいスプリングに抑えつけておく。この部屋にいてはいられないと思った。社会に溶け込もうと。

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