#12 電子腐海

 異常な通知表示の多さ。ベルマークを押す。悪口ばかり。私への物だけだったらまだよかった。それだけではない。私の最愛の人への。読むに堪えない誹謗中傷と罵詈雑言で満ちている。

 ここで閉じてしまえば心は保たれる。多くの場合インターネットは切断してしまえば日常生活に影響はない。でも閉じられなかった。何が起きているのか分からない恐怖が、操作する指を動かしつづけた。

 タイムライン。視界を流れ続ける文字列。インターネットの情報は電子の海とよく喩えられるが、本日の海景色は腐った鈍色だった。

 炎上騒動をわかりやすくまとめる高みの見物野郎。電子の腐海は感情の嵐で荒らされて大時化、悔しいがその投稿を頼ることでしか情報を得られない。

「【悲報】オーバートランス社さん、洗脳プログラムを用意し新作で信者を大量獲得していた

 プログラムが使われた『Nil Umwelt』は記録的な売り上げを獲得

 ・個人情報を大量収集し個人に合わせた洗脳手法

 ・内部は無法地帯、刺激的なコンテンツでゲーム内殺人も

 ・プレイヤーの感情を読み取り、ゲーム内キャラに望むことをさせる

 ・信者による殺人事件が発生」


 何が。何が。私の縋った何が悪いというのだ。私は救われただけ。その対価にお金をちょっと多く支払っただけ。極めて対等で健全な関係。

 ニル信者、と今呼ばれている人が起こした殺人事件。極めて残虐で、文字で見ても心を狂わすような壮絶な犯行現場。人間たちは信じられないと言い、何か原因があるべきだと思い、全部ニルのせいにしている。

 インターネットも殴り合いで流血の現場と化した。

 ブルーライトを浴びて、眼球だけがぎょろぎょろ動く。もはや自分がなにを考えているのか。テキストの衝撃に思考は停止し、情報だけが脳内に流れ込んでいる。それを受けとめきったとき、致死量になるだろうほどの正義の毒。

 あるアニメオタクは言う。ゲームという形でキャラを操ってプレイヤーを洗脳したことを。自分たちの文化を利用し、信頼していた大企業がお金を巻き上げていたことを。悲しいと、悔しいと、許されないことだと、自分たちの文化を守るために立ち上がるべきだと呼びかける。

 ある自称心理学者が炎上に便乗して言う。アバターを使い、自己から目を逸らすべきではないと。自分の認められなければ成長ができなくなると、痛いところを突くようなことを言う。

 ある自称情報強者は言う。個人情報を収集して実際に洗脳を成功させた、これはとても危険なことだと。人工知能が発達し機械学習も盛んになり、表現技術の向上により現実と仮想の境目があいまいになるこれからの時代、やはり個人情報収集は規制するべきだと。事件を引き起こしたオーバートランス社は裁かれるべきだと。

 ある政治家は高らかに言う。理想を現実以外で果たすべきではないと。現実でなくては、仮想世界では、生産性がないから全ての営みは無駄なものだと。現実で人と会話し、仕事をし、交際し、子を作れと、伝統的価値観を強いている。ふざけるな。私はニルがいるから学校に行って、社会的義務をようやく一部果たしていたというのに。理想が現実にある人はよかったですね、声は届かない。

 自分が多数派だと思い込んで正義を振りかざす人たちの刃が、ニルへ向かう。実際にプレイし、ニルを殺す様子。あくまで楽しんで、野次馬根性で。それに新たな批判がつく。怒りが怒りをよび、人の心を狂わせていく。もっといけない、言えないようなことをニルにする。私は何も言わない。

 ニルが好きだった人たちは。沈黙を貫いて嵐が去るのを待つ者、怒りを露わにして火に飛び込む者、その者に対してに俯瞰的に落ち着くよう諭す者、何も見ないことにして狂ったようにただただ愛を垂れ流しつづける獣になった者。全世界に公開されながら仲間内をつづけるそれら全てはさらし者とされ炎上を構成する一要素だけになっている。


 私はただ、家の中からスクリーンの向こうの嵐を見ていた。傷つく人は多く、助けられなかった。私の維持で精一杯だった。


 1件の通知 from:@Nil_official

   『Nil Umwelt』はまもなく完結となります。最後までお楽しみください。

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 会いたい。そう思うしかなかった。

 私の身体が崩れて、ニルの手を掴めなくなる前に。

 ニルアクセスを掴む。たぶん、これが最後だ。

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