そして僕たちが出会った日のこと

1 ある日の授業

深い深い森の奥、普通の人間では立ち入ることができない険しく切り立った崖の向こう。

もしもあなたが空を飛ぶ生き物であれば、光もほとんど射さないような深い森が、ぱっと急に開けることに、きっと目を見張るだろう。


更にそこに素朴な家々が建ち並び、小さな集落を形成していたら?


あなたは「夢でも見ているのか」と目を疑うだろう。もしくは「異世界に迷い込んでしまったのでは?」と思ってしまっても不思議ではないかもしれない。


いずれにせよそれらは見間違いでもなんでもなく、集落は現実に存在している。

人間が入れない森の向こう。僕たち”月下人狼”の住処はそこにある。


急に月下人狼と言われても、あなたは困惑するかもしれない。「それって普通の人狼とどう違うの?」と。

ちょうど今、目の前に居る教官がそれを説明しているところだ。


曰く。


昔々、この世界には世界樹と呼ばれる大きな大きな樹が存在した。


世界の核である世界樹は、自らが倒れても世界が存続するように種を残す。しかし、種は脆く壊れやすく、また放っておくと親の樹が居ても居なくても、記憶を蓄積して勝手に発芽してしまう。

そうすると、世界の中に世界が存在するようになって、大体の場合は食い合いになったり、運良く混じり合っても、一歩移動しただけで天地がひっくり返り時間の長さが変わり……と、法則がめちゃくちゃな捻れた世界になってしまうそうだ。


そうならないように種を守るのが”種守”と呼ばれる役割を持った集団で、僕ら月下人狼が普通の人狼と異なる点だ。


種守には月下人狼だけでなく、月花人虎や月精兎人といった、多岐に渡る種族が存在しているけれど、全ての種族に共通していることがひとつある。


その身が生み出す魔力に”月の力”と呼ばれる性質が宿っているのだ。


通常、この世界に生きるどんな生き物にも、蓄えられた記憶から魔力と呼ばれるエネルギーを生み出す機能が備わっている。大体の生き物が生み出す魔力は、あまり強くない代わりになんにでも使える、いわや万能エネルギーだ。

で、大体の生き物は魔力を使って狩りをしたり、寒ければ火を生み出したりと、生活に役立てている。中でも人間と呼ばれる生き物は、魔力をあらゆる技術に役立てて文明を築いている、と言っても過言ではない。


一方、”種守”の魔力は、火を生み出したり、ものを凍らせるといったことは一切出来ない代わりに、他者の意識を奪ったり、記憶を封じたりすることができる。これは、他の生き物が生み出す魔力では出来ない唯一無二の特徴だ。

何故って? 

想像してみてほしい。誰かが目的を持って特定の記憶のみを世界樹に届けるようになったら? その記憶が負の感情しか存在しないものだったら?

世界はあっという間にめちゃくちゃになってしまうだろう。


そんな危険な力をどう使うのか。

例えば種を外敵から守るための戦いで優位に立つのはもちろん、日常でも狩りで獲物を追うときに役に立つ。


けれど、もっと重要なことがある。


それが”種守”という役割だ。

種守は、種が消滅しないように守りつつ、種から意識や記憶を奪うことで発芽を阻害する。そうやって次の世界が誕生する時を待つことが”種守”の存在理由であり、僕ら月下人狼にとっての誇り。


……だった。


「――今から約千年前、世界樹は倒壊した」教官の話が続く。「本来であれば、即座に新しい種が芽吹くはずだが、千年以上経った今でもまだその気配を感じられない。また、肝心の我々が守っていた種も、戦争の騒動と混乱で行方知れずになってしまい、未だに見つかっていない。消滅しているのか、或いは次元の狭間をさまよっているのかどうかさえ、我々にはわからない状態だ」


カッカッ、と軽やかな音を立てて黒板の上を白いチョークが軌跡を描いていく。

チョークは月下人狼ではなかなか作れない貴重品だというのに、教官は大胆に、事細かに授業の内容を書き出していく。

おかげでとてもわかりやすいのだけど。


「一方で消えるはずの既存世界は、こうして存在し続けている。また、新しい生命が生まれていることから、魂の循環は続いているものと思われる。これらの事実を総合して、我々月下人狼は『倒壊した世界樹は未だ生きて存在している』と仮説を立てている」


僕の前に座る子が手を上げた。


「教官、何故仮説なのですが?」


ふむ、と、教官は頷く。

「誰か、わかるものは居るか?」


途端に周囲が騒がしくなる。隣の子と話しあって答えを探している子も多い。

こうして、まずは全体に問いかけることで思考する機会を生む、というのが教官の……ううん、里全体の方針だった。


少しして、後ろの方から「はい」と声が聞こえた。

振り向くと、クラスの中でも一際体が大きくて黒い毛をした男の子が、大雑把な感じで手を上げていた。他には誰も手を挙げておらず、みんなの視線が彼に向いていた。


「では、グリフ。答えなさい」

即座に教官が指名する。グリフと呼ばれた彼は、視線にも動じることなく、よどみなく答えを紡ぎ出す。

「世界樹の存在を確認できていないからです。欠片ですら未だに見つかっていないと、おばあ……祖母から聞いています」

「正解」教官が頷き、そのまま続ける。「世界樹が倒壊して千年。我々は今居る世界をくまなく探索しているが、世界樹ないしそれに類する存在を確認できていない。しかし我々の使命は千年前も今も変わっていない。即ちこの世界が消える前に世界樹の欠片および世界樹の種を見つけることである。今日ここに居るものは、一族としてこの使命を胸に刻むこと。いいな」

教官がぐるりと生徒の顔を見回す。誰も彼もが姿勢を正して真剣に聞き入っている。


僕らの様子を見て、満足したように頷くと、では、と声音を少し和らげて教官は話題を切り替えた。


「それでは班分けを発表する。呼ばれた者同士で集まるように。一番……」

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