大江と小巻
埜々日
ある夜の二人
夜の21時。半地下の薄暗く、秘密基地のような喫茶店のボックス席。
古めかしいガラスの灰皿にちゃっちゃと灰を落としながらタバコを吸う女がいた。
名前を大江有紀と言う。
夜だというのに夏の蒸し暑さに死にそうになった結果、通い慣れた喫茶店へと逃げ込んできた。
少し見える窓から人を眺め、頼んだポテトサラダのホットサンドと、ミックスジュースを待っているが、中々来ない。
お腹がすいているわけでもないし、喉もサービスの水があるから問題ない。
だがしかし、どうにも手持ち無沙汰だった。
頭の中で考え事もできず、鞄に入った本を出す気力も無い。が、何かしていたい。
そんな大江のズボンから自分がいるとでも言うようにスマホが主張し、それに答えるように取り出す。
ロック画面にはそれぞれのアプリが開け開けと騒ぐように通知が多数溜っていたが大半の通知は大江にはどうでもよく、一個一個スワイプをして消していった。
そんな中、底の方にあった通知に目が引き寄せられる。
上から三番目、大江の腐れ縁――小巻マチからのメッセージだ。
指紋認証で一発で開いた先にあった文章に大江は固まった。
[君の人生に一回でも影響を与えたことってあったかな]
数秒の間、繰り返し繰り返しそのメッセージを大江は読んだ。
そして大きなため息とともにスマホを閉じ、画面を下において、煙草を灰皿に押し付け、またスマホを開いた。
三回指紋認証を行い、さっきと同じようにメッセージを読んで、今度は頭をかいた。
大江はこのメッセージを読んでなんとなく、小巻は死のうとしているのだと理解した。ついでに、小巻は無意識に私が止めることを願っているんだろう、とも。
そこまで考えて出た感想は一つだった。
「……だる」
大江に人の心が無いというわけでは無い。ただ単純になれてしまったのである。
なぜなら大江の知る限り小巻がこんなメッセージを送り、その後死のうとしていることを告白するのはこれで四回目だからだ。
最初は五時間の通話の末、始発で小巻に会いに行った。二回目は東尋坊まで行って、泣く小巻を迎えに行き、帰りの電車中ずっと手を繋いだ。三回目は一日中小巻と行動を共にして、精神科の予約も手伝った。
そして今回四回目。大江は疲れていた。バイト終わりだし、頼んだ物はまだ来てないし、そもそも週の真ん中だ。
それに、大江にとって小巻マチという人間は正直どうでもいい人間だった。
中学からの同級生で、友達というわけでも、同じ部活をやっていたわけでもない。大人になってからも趣味が合うわけでも無ければ、それぞれに恋人ができたら連絡も取らなくなるような、そんな都合が良いだけの関係だ。
ただ、連絡先を交換していて、すんでるところがやや近い。それしか大江と小巻を結びつけるものはなかった。
むしろそれだけなのによく持った方だ。もう潮時なんじゃ無いだろうか。
そこまで考えて大江は大きく息を吐いた。
これ以上考えるとよくない。再度スマホを閉じ、画面を下に置いた。
「お待たせしました」
同時に、ウェイトレスが大江に声をかけた。
紙製のコースターと、背の高いグラスとストローを置く。頭を軽く下げ礼をしながらストローを刺して口を持って行く。
甘く優しい、冷たくて気持ちいい。
ほっとため息をついた後、もう一口飲む。
少しの間何も考えずに居たが大江は今度は長いため息をついた。腐れ縁が、続くのは結局互いがなんだかんだで嫌いじゃ無いからだ。
そう考えて、店員を呼ぶベルを鳴らした。
*
小巻の暮らすアパートは、喫茶店から徒歩十五分程度のところにある。名前をロイヤルハイツといい、白を基調としている。小巻はこのアパートを清潔感があって気に入っていたが、大江は歓迎されてない感じがしてあまり好きじゃなかった。
特に音の響く階段が嫌いで、その階段をかんかんこんこんと音を鳴らしながら駆け上がり、二階の角部屋――ではなく、一個隣の209号室の扉をノックする。
一応とばかりに、大江はスマホを取り出して連絡を入れる。
[メッセージ一つで家に来る程度には影響与えてるよ]
そう送ればガチャバタドタンというような音が鳴って、軽く扉が開いた。
「……ほんとにいる」
そう言って半分だけ見えた顔は紛れもなく小巻だ。
薄いTシャツに、紐がだらんとしているショートパンツはいかにもルームウェアと言った風貌で、目元が軽く腫れている。
「うん」
大江がそう答えたあと、小巻は不愉快そうに呟く。
「……なんでいるの」
その言葉には来ないでほしかったと言うよりも、また期待してしまうとでも言うような、そんな意味合いが込められている。
「来てほしくないなら連絡しないでよ」
「……来てほしかった」
そういいながら小巻は軽く、すんと鼻をすすった。
「とりあえず入れてよ」
「……」
扉が大きく開いて、それを大江は掴み、入る。
大江はお邪魔しますなんて他人行儀な挨拶もしなければ、靴も別にそろえもしない。だが。小巻もそのことを当然のように受け入れている。
妙に暑く、ほこりっぽく、なおかつ電気のついていない部屋を二人は特に何の問題も無く歩く。
いつも過ごす部屋につくと、小巻は扇風機の首を回し座る。
「開けるよ」
そう言って大江は家主の同意も無視して、ベランダに続く窓と遮光カーテンを全開にした。月光をレースのカーテンが吸収し、時々たなびく。
目の前の家の窓と壁しか見えない景色だが、大江はなんだかんだでこの景色がお気に入りだった。
灯によっては上の方にある月が、スポットライトのように光っているからだ。
暑いが、なんとも気持ちよく、満足した大江は小巻の隣に腰を下ろす。
「……バイトは?」
「終わってる」
「ふーん」
何を話せば良いのかわからないような小巻なんて目にも無いようで大江は手に持ってたレジ袋からプラスチックの入れ物を取り出す。
「はい」
「何?」
「ホットサンド。ポテサラ入り」
大江がさっきまでいた半地下の喫茶店で買ったものを、使い捨ての入れ物に入れてもらい持ってきたもので、触るとほんのり暖かい。
「……」
「半分は私のだから」
そういって、大江は長方形を手に持ち、小巻にも渡す。
いただきますと小さく呟いて、食べ始めた大江を一瞥して、置く事も食べることもできず、どこか遠くを見ながら小巻は呟く。
「……良いのかな」
「何が」
「生きてて」
答えがたい小巻の呟きを聞いて大江は少しの間考える。
生きることに許可はいらないだとか、別に良いんじゃないとか、そういう適当な肯定の言葉ばかりが浮かんでは消えていく。
「……知らない」
そう言って大江は一口ホットサンドをかじった。
少しの間、部屋は扇風機の羽根と、首の動く音だけが響いた。
「まぁ、私はお前が死のうが生きるよ」
「……腹立つ」
「はは」
大江の笑い声に顔をしかめながら、小巻もホットサンドを一口かじって、少ししてもっと顔をしかめた。
「……キュウリ入ってるじゃん」
小巻の言うとおり、ホットサンドの中には輪切りのキュウリが少ないが入っている。
「いいじゃん、キュウリ」
「……」
「あぁ、暖かいキュウリ嫌いだっけ」
「……知らない」
よくわからないすね方をしている小巻を横目に大江はもう一口囓った。暖かいキュウリもそれはそれで大江は好きだった。
「……明日バイト?」
また、何を話せば良いのかわからなそうな小巻が話を振る。
「うん」
「ふーん」
「だから、今日は帰るよ」
「……じゃあ、泊まる」
そんな小巻のささいなわがままを聞いて大江は笑って言う。
「事故物件にしないならいいよ」
「するわけ無いでしょ」
不満そうに小巻はそう答えた。
多分、また小巻は意味深な言葉を大江に送るし、困らせるだろう。
が、大江はそれを拒否しなけりゃ、別に肯定もしない。
ただ適当に、話し続けるだけだ。
そうして、延命処置とも、交友関係ともいえない日々を続けるのだ。
大江と小巻 埜々日 @yayahi
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