針箱
増田朋美
針箱
今日もまた、どこかの地方で、土砂崩れがあったとか、そういう報道があった。必ず、どこかの地方で大雨と猛暑の報道が流れていて、大雨続きで日本はどうなってしまうのかと思われるほど、連日辛い日々が続いている。
そんな中、今日も製鉄所では、杉ちゃんもマネさんも、暑いなあと言いながらそれぞれの着物を縫っていた。片方は和裁として、着物を縫っており、もう片方は、簡単に着られる様にするための、二部式着物を縫っている。杉ちゃんの方は楽しそうに縫っているが、マネさん事、白石萌子さんの方は、真剣そのものだ。
「一体何を作っているんですが。なんだか一生懸命やっていらっしゃいますね。」
そう言いながら、汗をフキフキ、ブッチャーがお茶を持ってきた。それでもマネさんは一生懸命二部式着物を縫っている。
「なんでも、縫うさまを動画サイトにアップするんだって。その練習のつもりで、一生懸命縫っているらしいぜ。」
と、杉ちゃんが言った。
「それはいいじゃないか。うちで売っている着物もぜひ二部式にしてもらいたいなあ。そうすれば売上も上がるかな?」
ブッチャーが冗談でそう言うと、
「そうか。みんな二部式着物欲しがっているのかあ。僕が作っている着物も売れなくなるかもしれないよ。でも、二部式はあくまでも着物の代用で、本物を欲しがるやつも、絶対出るわな。」
と、杉ちゃんが言った。それと同時に、
「できました!それにしても袷で二部式着物作るのは難しいですね。着物って、単純に見えるけど、結構難しいものですね。できるだけ簡単に、着られたらいいのになあ。」
と、マネさんが完成した二部式着物を持ってそう言った。
「おう、良かったねえ。今日は訪問着を二部式にしたのか。それでは、小紋ばかりではなく、訪問着も二部式にすることができたわけだね。それで、動画サイトに、作り方をアップするんだって?」
杉ちゃんがそう聞くと、
「ええ、頑張って、アップしようと思っています。」
マネさんはにこやかに言った。
「ああ、これは、いわゆる、帯なしのたまゆら式と言われる二部式着物では無いですね。二部式って言うと、大体の人は、帯を付けないタイプのものが多いですけど、こういうふうに帯をつけるようにすれば、二部式であることもバレにくいなあ。」
ブッチャーは、マネさんの作った二部式着物を見て、なるほどと頷いた。
「ぜひ、俺の店で売っている着物も二部式にしてくださいよ。そうすれば、俺の店も、繁盛するかもしれない。」
ブッチャーだけ一人興奮しているのだった。
「まあ、たしかに、ブッチャーの店で売ってるような着物であれば、二部式にしてもいいかもしれないよ。立派な訪問着よりも、ブッチャーの店で売ってる着物は、身丈が短いことが多いでしょ。それだったら、二部式にしたほうが、いいのかもしれない。」
杉ちゃんがそういう通り、実は、二部式着物というのは、そういうときに役に立つものだった。普通に着れば、おはしょりができないという着物であっても、二部式着物であればきちんと着られると思う。
それと同時に、製鉄所に設置されている時計が、12時を鳴らした。
「あ、もうお昼だ。やだ、水穂さんにご飯を食べさせなくちゃ。それもそうだけど、僕達のお昼を急いで作っちゃうから、ちょっと待ってて。」
杉ちゃんは、急いで台所に向かおうとするが、
「いやあ、こんな時間ですもの。それにこの暑さだし、台所に立ってたら、疲れちゃいますよ。どうせ、ここには、杉ちゃんとマネさんと、水穂さん、あと俺しかいないんでしょ。それなら、出前でもとるか。ラーメンの出前なんかいかがですかね?」
ブッチャーはスマートフォンを取った。
「ああ、そうだねえ。それでは、出前を取るか。よし、ラーメン屋さんに電話してさ、醤油ラーメンと、水穂さんに、チャーハンを一つ。」
杉ちゃんがそう言うと、ブッチャーははいわかりましたと言って、ラーメンとチャーハンを電話で注文した。
「すぐ持ってきてくれるそうです。まあ、30分くらいですかね。」
ブッチャーが戻ってくると、杉ちゃんがありがとうと言った。ラーメンが来るまでの間、杉ちゃんたちは、糸くずを掃除したり、針箱をしまったりしていたが、
「本当は、お前さん専用の針箱を持っていたほうがいいな。と言っても、和裁用の針箱なんて、売っているところはなかなか無いと思うけど。100円ショップの、針と糸では、いつまでも、上達はしないよ。二部式着物と言っても、着物を仕立てるわけだから、ちゃんと、専用の針箱を持っておけよ。」
と、杉ちゃんが言った。確かに、マネさんは、自分の針箱を持っていなかった。まち針も縫い針も、100円ショップで買ったものである。糸も100円ショップで買える。マネさんは二部式着物を作るのには、そのポリエステルの糸で十分だと思っていたのであるが、
「いくらなんでも、100円ショップで売ってるものは、みんなやすかろう悪かろうだ。趣味でなにか作るやつならいいけれど、仕事として、生業にするのであれば、ちゃんと手芸屋さんで、買ってきたほうがいいと思うぞ。」
と杉ちゃんに言われて、マネさんはそうねえと言った。
「まあ確かに、和裁専用の針を用意したほうがいいのかもしれないが、でも杉ちゃん、今どき和裁専用の針やハサミなんかを売っているところは無いんじゃないのかなあ。だって、和裁コテを作る会社が、廃業したんでしょ。それなら、もう新規で買うことはできないんじゃないのかなあ?それでは、いくら欲しいほしいと言っても、意味がないと思うぞ。」
ブッチャーが現実的な意見を言うと、
「いや、大丈夫だ。不用品処分のガラクタ屋さんへ行けば、結構あるかもしれないよ。」
と、杉ちゃんが言った。
「ガラクタ屋さんね。それでは、リサイクルショップですか。それですと、新品じゃ手に入らないかもしれないですよ。中には壊れたり、使えなかったりするものだってあるんじゃないですかね?」
ブッチャーが心配すると、
「まあ、そんなとこだけど、それは諦めて、中古でいいものを探すんだな。どうせ、アビリンピックでも、和裁の部に出場するのは、ヨーロッパ人ばかりと言うじゃないか。そういう奴らは、みんな、中古で道具を入手するんだぞ。日本では使えそうなものは無いからって、闇市場のようなところに手を出してしまうやつもいるそうじゃないか。どうせ、和裁の道具なんて、新規で購入は無理なんだよ!」
と、杉ちゃんが言った。
「はあ、でもねえ。せっかく、二部式着物を作ることで、居場所を見つけることができたんだから、その時に中古の和裁道具で門出を祝うというのは、ちょっとねえ。」
ブッチャーが言うと、
「まあ、理想論はそうなんだが、今は中古のほうが、いいものが見つかるという時代だよ。なんとかサイトのオークションとかでは、いいものを見つけられるんだろ?それなら、使わない手は無いじゃないか。簡単に入手できてしかも安い!それならやってみるべきじゃないのかな?」
と、杉ちゃんは言った。それと同時に、
「こんにちは!ラーメンを持ってきました!」
とでかい声で玄関先から男性の声が聞こえてきた。
「あ、ぱくちゃんだ。おう、ありがとう!よろしく頼むぜ!」
と、杉ちゃんが言うと、ぱくちゃんこと、鈴木イシュメイルさんは、ラーメンのケースを持って、製鉄所に入ってきた。普通なら玄関でラーメンを置いて帰るはずなのに、ぱくちゃんは、部屋に入って、杉ちゃんたちの話に入りたがるのが、外国人ならではである。
「おお、立派な二部式着物だねえ!」
と、ぱくちゃんは、ラーメンのケースを置いて、マネさんが制作した二部式の訪問着を見てそういった。
「杉ちゃんから聞いてるよ。なんでも、二部式着物をいろんな人に作ってあげたそうじゃないか。着物を着たい思いを叶えて、いろんな人に喜ばれているそうだね。確かに、紐を縛るだけで着られる二部式着物であれば、着物の着方がわからない人にも着られるよね。」
「ええ、そうなんです。あたしもやっと、注文された二部式着物を作ることができるようになりました。訪問着を、2つに切って二部式にするというのは、着物が可哀想だという話も聞くけど、タンスにしまい込んでいる方がもっと可哀想だって私は、対抗しているんですよ。」
ぱくちゃんの話に、マネさんは言った。
「そうかあ。でも、作ってくれている二部式着物は、みんな女性用のきものばかりじゃないか。世界の半分は女と言うけどさ、半分は男でもあるんだよ。だから、男性の二部式着物というものはないもんかな?僕も着物を着てみたいよ。その思いを持つのは行けないの?」
「そうねえ。」
マネさんもそうだと思った。確かに、女性の二部式着物はよくあるが、男性も着物を着たいという思いを持っている。最近は、着物を着ている男性というものは少ないものだけど、いないわけでもない。
「なあ、その思いも叶えてよ。僕達みたいに、民族衣装を着たくても着れないわけじゃないんだからさあ。僕も、日本の民族衣装を一度は着てみたいもんだ。女性ばかりが、簡単に着られる着物を開発してもらって、男性はほっぽらかしって、ある意味、差別じゃない?」
「まあそうですね。男の着物は、おはしょりをしないから、簡単に着られるっていいますけど、たしかに、男性ものも、二部式着物があったらいいな。それは、ぱくちゃんの言うとおりかもしれない。」
ブッチャーもぱくちゃんの話しに入った。
「じゃあぜひ、僕にも作ってよ。二部式着物でいいから、日本の民族衣装を着てみたいよ。」
ぱくちゃんがそう言うので、マネさんは、わ、わかりましたとだけ引き受けた。
「じゃあ、作って欲しい着物を持ってきていただけますか?それを持ってきていただけたら、私、二部式に仕立て直しますから。」
マネさんはとりあえずそう言っておく。
「わかりました!ありがとう!やった!これで僕も、日本の民族衣装が着られるというわけか。ラーメンを発明したのは、ウイグルだけど、着物を発明したのは、日本独自だからね。そこはどうしても、追いつかないから。それでは嬉しいなあ!」
嬉しそうな顔をしているぱくちゃんを無視して、杉ちゃんとブッチャーはラーメンを食べた。ラーメンと言っても、ウイグル独特の麺で、よくあるインスタントラーメンのようなラーメンとは違っている。麺は、さぬきうどんと同じくらい太い。なので、ラーメンというより、黄色いさぬきうどんという感じの料理だった。マネさんは、こんなラーメンを食べさせられて、なんだか変なラーメン屋だなと思った。
「ほんじゃあ、着物をそちらの製鉄所に送るから、着物をぜひ、二部式着物に仕立ててね。」
杉ちゃんたちがラーメンの丼を返却したのを受け取ったぱくちゃんは、とてもうれしそうに言った。こういう嬉しい顔を直ぐするのは、外国人ならではだった。
ぱくちゃんがラーメンを製鉄所に届けた翌日、宅配便で製鉄所に着物が送られてきた。確かに、男性ものの、着物であるが、何でも中古で買ったらしく、上前の所々にシミがある。まあ、あの人は、あんなもので喜んでいたのか、と思われるほど汚れていた。それは多分、ぱくちゃんが、着物の使い方がわかっていないことから生じたのだろうなと思われた。とりあえず、ぱくちゃんが持ってきた着物を縁側に運び、広げてみる。そして、本に書いてあった通り、裾から95センチのところに線を引き、着物を2つに切って、切り口を縫い合わせた。その着物は袷ではなくて単衣だった。なので、二部式に直すのは難しいことではなかった。まず、上着の下の部分を縫う。のであるが、100円ショップの針では、なかなか針が通らないのだった。つまりそういうことから、このお着物は、紬の着物だとわかった。ところどころ、盛り上がったフシと呼ばれる折り目が見られる。つまりこれは、希少価値がある、牛首紬というやつだとマネさんは思った。それなら腐っても鯛で、多少シミがついていても、着物として着たくなってしまうわけだ。そして、上着の共衿の少し離れたところに腰紐を半分に切って縫い付ける。帯を付けないタイプであれば、紐は見えても構わないのであるが、今回は帯をつけるタイプなので、そうは行かない。その次に作るのは下半分で、まず、切った切り口を縫い合わせ、そして両端にまた腰紐を半分に切って、縫い付ける。男性ものであっても、巻きスカートのようにして着るようにするのである。やっぱり単純な作業であった。二部式着物を作るのは、さほど難しくない作業なのである。
「ほらできた。二部式着物。これでは帯を付けて、しっかり着れるわ。」
マネさんは、男物の二部式着物を、丁寧に畳んだ。杉ちゃんから、ぱくちゃんの電話番号を教えてもらい、メールで完成したことを伝えた。郵送しようかとマネさんは送ったが、ぱくちゃんは必ず取りに行くと返信をよこした。そのうえで、今度は、男性の帯を結ぶにはどうしたらいいかと聞いてきた。マネさんは、急いで、インターネットで、兵児帯の結び方を書いてあるサイトをぱくちゃんに送った。それにしても女性の着物についての情報は多いのに、男性の着物についての情報は非常に少なすぎるとマネさんは思った。もしかしたら、ぱくちゃんという人は、着物の種類とか、着ていく場所もあまり知らないのではないかと思われたので、マネさんは、紬の着物について、解説を送って上げることにした。すぐにメモアプリで解説文をまとめて、ぱくちゃんに送った。もちろんメールなのでぱくちゃんが喜んでくれるかとかは一切わからなかったけれど、明日取りに行くと言っていた。
翌日。ぱくちゃんが、着物を取りにやってきた。杉ちゃんが出迎えて、ぱくちゃんを縁側に招き入れる。マネさんは、着物を用意して待っていた。
「はい、完成しましたよ。ぜひ、着てみてくださいね。」
嬉しそうな顔をするぱくちゃんに、マネさんは着物を渡した。
「これなら、着物を着られるかな?」
と言いながらぱくちゃんは、まず巻きスカートのような着物を下衣を身につけてみた。次に紐を使って、上着を着てみる。男物であるから、二部式にしてみると、腰紐をつける必要はなかった。もう上着についている紐を結んで、その上から兵児帯を付けて、蝶結びにしてしまえば、もう着物姿は完成だ。女性の着物であれば、おはしょりを作らなければならないが、男性用であれば、基本的に腰紐があれば着られるのである。この当たりをもう少し強調させてくれれば、着物も着られるのではないかと思えるのだが、、、。
「なかなかいいじゃないか。なんか、中東のぱくちゃんが着物着ると着物の雰囲気が変わって見える。」
と、杉ちゃんが言う通り、外国人が着物を着ると、たしかに日本人の着物姿とはまた違うような気がする。なんだか、そのために二部式に考えているというのであれば、また意味も違ってしまうのだろうか。
その数日後のことであった。製鉄所に、ダンボールのやけに重たい箱が送られてきた。なんだろうと思ったら、送り主はぱくちゃんである。中身を開けてみると、着物が、十枚入っていた。外国人らしい、下手くそな字で、
「ぜんりゃく、こないだはどうもありがとう。よろしければ、これも二部式にしてください。よろしくおねがいします。」
と、書いてある。マネさんがそれを一つ一つ出してみると、皆リサイクルで入手したものらしく、紬とかウールとか普段着向きの素材の着物であった。これを全部、二部式に仕立て直してくれということらしいのだが、
「こんな大量に注文されて無理じゃないの?」
と、杉ちゃんに心配されてしまった。
「いいえ、やりますよ。あたしがやっと、必要とされたんだもん。その期待に答えなきゃ。」
マネさんは、早速一心不乱に二部式着物を縫い始めた。一枚縫うと、100円ショップで買ってきた針はすぐ折れてしまった。それでも、またマネさんは、100円ショップで針を買って、着物を縫い続けた。杉ちゃんが、何本針をだめにしたら気が済むんだといったが、そんなことも気にしなかった。よく手に針も刺さったが、そんなことも気にしなかった。一日一枚縫うペースで、10枚の二部式着物は無事完成した。マネさんは、ぱくちゃんに、製鉄所へ来てもらう様に電話した、ぱくちゃんがやってくると、10枚の二部式着物が縁側で待っていた。
「わあ、すごい!」
びっくりしているぱくちゃんに、
「ちゃんと、二部式にしましたからね。大切に使ってくださいよ。」
と、マネさんは言った。
「そうだねえ。なんか着れないので、放置しておくよりも、それよりも着れるように工夫してくれたほうが、こっちも嬉しくなるなあ。」
そう言っているぱくちゃんに、マネさんはいいことをしたと思った。
「いい加減に、新しい針箱を買ったらどうだ?」
二人のやり取りを見て、杉ちゃんがそう言ったが、
「いいのよ杉ちゃん。あたしは、100円ショップの針のほうが、立派な針より、やる気が出るから、これからも100円ショップの針で作り続けるわよ。」
とマネさんはきっぱりと言った。
「はあ、えーとそうか。でも、専用のものを用意したほうが、和裁はうまくいくと思うんだがなあ?」
と、杉ちゃんが言うが、
「杉ちゃんその反対。着物なんて、立派な人じゃないと着られないという常識がまかり通っている時代だから、あたしは、もっと手軽な道具で、手軽な着物を作りたいの。」
と、マネさんはにこやかに笑った。
「だから、立派な針箱は、いらないわよ。」
「そうなんだねえ。確かに、高級すぎるものより、手軽に着られたほうが、僕もいいような気がするんだよな。やっぱりさ、使ってあげないとどんなにいいものだって宝の持ち腐れになっちゃうし、そうなるより使ったほうがいいからねえ。」
ぱくちゃんがにこやかに笑った。やっぱり、何でも使えるものでないとだめだとマネさんは思った。
針箱 増田朋美 @masubuchi4996
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