Lie:verse Liars 俺たちが幸せになるバッドエンドの始め方2
2.プロローグ 良家のお嬢様の場合
「これは特別な契約だと思ってくれて構いません」
奇抜なスーツを着こなす男はまず、そう切り出した。
「最初にお伝えした通り、僕が見るのは《覚醒者》としての評価ではありません。あくまでキミ個人の行動と結果。こちらからお願いすることは滅多にありませんし、あえてノルマを設けるつもりもない。キミはキミの裁量により、あくまで自発的に動き、僕たちに貢献してくれればそれでいい」
ピエロみたいな顔をしたオッサンはさらにこう続ける。
「役に立ってくれている限り、無力な高校生でしかないキミに特別な権限を与えることを約束します。後は好きに使ってください」
にっこりと笑う怪しさしかない男が嘘を吐いていないということは、見ているだけで俺には分かった。
「? どうしました、不服ですか?」
「いえ正直、俺の要望が通るとは思っていなかったので」
そう言ったら笑われた。
「面白いことを言いますね、提案してきたのはキミなのに」
「止められる可能性も考えていた」
「ならキミは賭けに勝ったということです、おめでとう。……と言いたいところですが、単に僕へ話を持ち掛けた時点で、キミには人を見る目があった。それだけのことです」
飄々と語る男は、自らの目を指差しながら、俺の行動をそう評価した。
「……ひとつ聞いてもいいですか?」
「どうぞ」
「カリバーンのエージェントであるあなたが、こうして俺の企みを全て知って、それでも加担してくれるのはなぜですか?」
「加担はしていません。あくまで自分が有用だと思う提案に乗っただけです」
「見て見ぬふりをすると? それが犯罪行為であったとしても?」
ジッと視線を向ける俺の前で、男は不敵に笑う。
「キミの言葉を借りるとすれば、僕が──いえ僕たちが注視すべきは、あくまでも『非日常』の趨勢だ。その為に『日常』で何が起こったとしても、それは些細なことでしかない」
嘘は言っていない。この男は本気でそう考えている。
「壊れてますね」
だからニヤリと笑って、そう言ってやった。
すると男は微笑みながら自らコメカミを指差した。
「ええ、そうですよ。僕はここが壊れているんです。キミと同じようにね」
その通りだ。
だから、俺はこの大人を選んだのだ。
自分はもはや正常ではいられない。
耐え難い絶望の中で、それでも人として正しくあることができなかった。
どうしても許せないことがあるから。どうしても成し遂げなければならないことがあるから。
それは正しくあってはできないから、だから俺は壊れた。
間違うために壊れたのだ。
──一歩離れた場所から、そんな自分を俯瞰する、もう一人の自分がいる。
彼は俺を見て言うのだ。
なんと醜い化け物なのだろう。
身体が壊れ、心は荒み、魂すら穢れたその姿は、まるで怪物だ。
存在していいはずがない。
そんな風に蔑む彼がいて、そんな風に蔑まれても心が動かない俺がいる。
だから思うのだ。
もはや自分は壊れているのだと。
そんな俺に向かって、壊れている男は最後にこう言った。
「キミの
道化師が口にするには実に笑えない冗談だと思った。
覚悟を持ってここにいる。全てを賭すべくここにいる。
たまたま手にした『非日常』を利用して、認められない『日常』に終止符を打つために、俺は戦う決意をし、その為にこうして生き長らえている。
──だからなのかもしれない。
『
***
「ご、ごきげんよう、
放課後、校舎廊下を歩いていた
真白に声を掛けてきたのは2人の女子生徒。緊張した面持ちと寄り添うような姿から、2人で勇気を振り絞って挨拶をしてきたというのは、真白には容易に想像できた。
だから微笑を浮かべた真白は、そんな1年生の2人に足を向ける。
まさか真白が近づいてくるとは思わなかった2人は、緊張と興奮でややパニック状態。
そんな彼女たちに真白は尋ねた。
「今の『ごきげんよう』は『さようならのごきげんよう』かしら?」
真白の質問の意図に気付いたのだろう。2人は「あっ」とした表情を浮かべた。
「挨拶が全て『ごきげんよう』なのは中等部まで。高等部からは普通に使い分けるようにしましょうね」
微笑んだ真白に一瞬見惚れていた2人だったが、すぐに頭を下げる。
「も、申し訳ありません! 真白様を前につい緊張してしまいまして!」
「最初は慣れませんものね。私も高等部に入った頃は苦労しました」
「ま、真白様もですか!」
「初等部からずっと『ごきげんよう』でしたのに、急に普通の挨拶に戻せと言われても戸惑ってしまいますわよね」
「はい! はい!」
「でもあなたたちも、この春から由緒ある妃泉女学園・高等部の生徒になったのですから、これからはきちんと直していきましょうね」
真白の物腰柔らかい指摘に、2人はすぐに背筋を伸ばした。
「ご、ご指導、ありがとうございました!」
素直な子たちなのだろう。
そんな彼女たちに真白は、どこか親近感を覚えた。
だからというわけではないが、真白は片方の子の制服の裾を直し、もう片方の子の髪の毛をそっと撫でる。
「もう放課後ですが、我が女学園の生徒として、いつ誰に見られても恥ずかしくない姿を心掛けましょうね」
真白がそう微笑みかけた途端、プルプルと震え出した2人が、突然号泣し始めた。
「ありがとうございます! 真白様に直していただいた制服は我が家の家宝にします!」
「私! この髪、もう一生洗いません!」
感極まったといった感じの後輩2人は、そのままむせび泣きながら走り去っていった。
「廊下は走ってはダメですよ」
そう注意するも、その時にはすでに後輩2人の姿は見えなくなっていた。
「ふふっ。相も変わらず人気者ですね、真白さん」
聞き覚えのある声に振り返った真白は、「くすくす」と楽しそうに近づいてくる1人の女子生徒に向かって困った表情を浮かべる。
「買いかぶりすぎですよ、イチカさん」
「そんなことはないでしょう。容姿端麗、品行方正、文武両道。血筋も由緒正しき生粋のお嬢様。その眩い姿に誰もが見惚れ、微笑みを向けられただけで卒倒し、立ち去る背中に向かって手を合わせて拝む者さえいる始末。まさに妃泉真白は、我が妃泉女学園に降臨された女神様。私もその人気にあやかりたいものです」
3年生になってからのクラスメイトの仰々しい物言いに、真白は少し頬を膨らませ不機嫌さを強調する。
「そこまで言われると嫌味に聞こえます」
「お嫌でしたか?」
「いいえ。イチカさんがそういう方だと分かっていますから」
「それはようございました」
真白たちはそのまま2人並んで廊下を歩き出す。
「イチカさんはこれから生徒会室ですか?」
「これでも生徒会長ですから。ホントやることが多くて辟易してしまいます」
「全校生徒を背負って立つ立場の方がそんなことを言ってはいけませんよ」
「愚痴くらい聞いてくれてもいいじゃないですか。だいたい誰のせいで私が生徒会長をやっていると思っているんですか?」
彼女は真白を指差し、さらに続ける。
「真白さんが立候補してくださっていれば、それこそ満場一致の生徒会長が誕生し、私は適当な役職でのんびりできましたのに」
「その文句は、もう何度も聞きました」
「少なくとも私が生徒会長を辞めるその時まで、真白さんに対して文句を言う権利があると私は思っていますから。……ああでも、もし真白さんが生徒会長になっていたら、残りの役員の椅子を懸けた血みどろの抗争が勃発していたでしょうから、結果的には、こうなってラッキーだったのかもしれませんね」
そう軽快に笑う相手に対して、真白はふと思ったことを尋ねる。
「イチカさんは生徒会長になりたかったわけではないのですか?」
「そこまで高望みはしていませんでした。私としては生徒会に入れるだけでよかったので」
「それはまたどうして?」
「よくある話です。ウチの母親は教育熱心なところがありまして。なんとかお嬢様学園に放り込んだ庶民の娘に、さらにもう1つくらい分かりやすい箔付けが欲しかったようで」
「では生徒会長になって、お母様はさぞお喜びになられたのではないですか?」
「それはもちろん。まるで自分のことのように諸手を挙げて大喜び。ご褒美だと言って、妹と一緒に高級フレンチに連れて行ってくれました。それからというもの、誰彼構わず自慢するもので、正直見ていて恥ずかしいくらいです」
「ご家族仲睦まじく素敵なことではないですか」
微笑んでみせる真白の言葉に、彼女はどこか気恥ずかしそうだった。
「そういう真白さんのお家はどうなんですか?」
「私の家、ですか?」
「最近エスカレーター組の子から聞いたのですが。真白さんが初等部でも中等部でも学校行事に積極的に参加されなかった理由が、お家の方針だったと伺いまして」
「はい、その通りです」
真白は変わらぬ笑顔で、ただそうとだけ肯定する。
すると彼女は戸惑った表情で言葉を詰まらせた。
きっとそれは、多くの学友たちと同じような常識的な価値観を持つ彼女にとっては、予想外の反応だったのだろう。
「……そ、それでも真白さんほどの人徳があれば周囲の生徒だけでなく、先生方からも推薦があってもおかしくないと思いまして」
それとなく話の方向をズラした相手に向かって、真白は変わらず微笑む。
「きちんと事情をお伝えしてお断りすれば、皆さん分かってくれますから」
そんな真白の言葉に「なるほど」とどこか悪い笑みを浮かべながら、彼女は小さく呟く。
「……いくら模範的な優等生に面倒な仕事を押し付けたくても、自らの職が無くなるリスクを冒すような教師はいなかったわけですか」
「? 何かおっしゃいましたか、イチカさん?」
「いえいえ単なる独り言です。それにしても残念です。真白さんならきっと素晴らしい生徒会長になられたでしょうに」
「私には分不相応な役職です。私自身、率先して動けるタイプの人間ではありませんから」
「ご謙遜を」
「本当ですよ」
話をしながら廊下を歩く2人は、すれ違う他の生徒たちから「さようなら」と声を掛けられ、真白たちはそのたびに「さようなら」と微笑み返す。
「真白さん、なんだか変わりましたよね」
隣を歩く彼女がそんなことを言い出した。
「……そうでしょうか?」
「以前までと違って、どこか親しみやすい笑顔になった気がします」
「これまでは違いましたか?」
「そうですね。昔はそれこそ女神様だったけれど、今はアイドルくらいの感覚ですかね」
「……なんだか難しい喩えですね」
「要は距離の問題です。以前は決して触れてはならない近寄りがたい存在だったお方が、今は思い切って挨拶をしたり隣に並んで歩いてみたりできるんじゃないかと思える存在になった、というところですかね」
「大げさです。私は何も変わっていませんよ」
「でも周りから見ていた私たちからすれば真白さんは変わったように見えますよ」
隣を歩く彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべながら、右手の人差し指を真白に向けて伸ばしてきた。そして綺麗な指先が真白の頬に軽く触れる。
「もうイチカさん、急に人の顔を指で触ってはいけませんよ」
触れられた頬を押さえながら注意する真白の前で、彼女は真白に触れた指を振る。
「もし以前までなら、私はこの罪深い人差し指を切り落として謝罪しなければならないほどの罪悪感に見舞われたでしょう。でも今は精々、偉業を達成したこの指を称え、人気のない場所で舐め回すくらいです」
「舐め回すんですか!?」
思わず驚いてしまった真白のリアクションを見て、クスクスと笑い出した。
「単なる物の喩えですよ。本気にしないでください。……まあつまりは、それくらい変わったように感じていますというお話です」
「変わった……ですか」
そんな物思いにふける真白の顔を覗き込む。
「何か心当たりがおありですか?」
「そうですね。……強いて言えば、これまで関わったことのない方々とお話しする機会が増えたからでしょうか?」
「ああ確か。有名企業からオファーがあって学校公認で社会交流されていらっしゃるんでしたね」
「簡単なお手伝いをさせていただいているだけです」
「でもそれは、俗に言うアルバイトですよね? あー羨ましい! 私も一度はそういうことをやってみたいものです」
「生徒会長が校則違反を口にしてはいけませんよ」
「生徒会長にだって自らの願望を口にする権利くらいはあるんですよ」
そんな会話に花を咲かせていた2人だったが、自然と階段のところで足を止める。
「では私は生徒会室に向かいますので。よろしければいつでも遊びにいらしてください。真白さんなら大歓迎です」
「機会があればぜひ」
「それではごきげんよう、真白さん。また明日」
わざと間違いを口にする彼女に向かって、真白は変わらず微笑む。
「さようなら、イチカさん。また明日」
階段を下り、下駄箱で靴を履き替えた真白が校舎を出ると、送迎用の自家用車が止まっているのが見えた。
真白が近づくと、運転手が降りてきて、後部座席の扉を開ける。
「ご苦労様です」
真白が乗り込んだところで、運転手が口を開いた。
「当主様よりご伝言がございます」
真白がピクリと反応する。
「お父様はなんと?」
「明日よりしばらくの間、放課後の予定は全て空けておくようにとのことです」
理由は?
思わずそう尋ねようして、すぐに止めた。
運転手はただ言伝を命令されただけで、父の考えを知るはずがない。
「分かりました」
いつもながらの唐突な命令に対して、真白はそれ以外の返答を持ち合わせていない。
扉を閉めた運転手が席へと戻る間、憂鬱な気持ちを抱えた真白は、まるで何かを求めるようにカバンから取り出したスマホに目を向ける。
「本日はいかがしましょう?」
運転席からの質問に、スマホを操作していた真白は答える。
「……アズルドへ。先方から連絡がありました」
「かしこまりました」
車はゆっくりと動き出した。
窓の外に流れる景色を眺めながら、真白は先ほどクラスメイトが口にしていた言葉を思い出していた。
──真白さん、なんだか変わりましたよね。
どうやら周囲からは自分は変わったように見えているらしい。
だが残念ながら、真白にはその実感が全くない。
何か新しくできるようになったわけでもなければ、何を成したわけでもない。
相も変わらず妃泉真白という決められた『
どこか感傷的な気分になりながら窓の外に目を向ける。
信号で停車した自家用車の窓の外は、人の往来のある大通りが交わる十字路。
そんな通りにある、白い看板の洋菓子屋が目に留まった。
「……そういえば、ここだったわね」
妃泉真白は見えてはいけなかった存在を見てしまった8ヶ月前のことを思い出す。
***
街中の風景でなんとなく目を引く建物というものがある。
日々の中で目にする分かりやすい存在は、記号として使われることが多い。
大通りの十字路にある白い看板の洋菓子屋などは、まさにうってつけである。
人々の待ち合わせ場所や道案内の指標として使われることもあれば、真白のように日常のルーティンの一環として使う者もいる。
「あと5分ほどで学校に到着するわね」「そろそろ今日の習い事の準備を始めなくちゃ」
学校への送り迎えの際、車の窓から目にするたびに、真白は自然とそんなことを考えるようになっていた。
──だからその日も、自然と刷り込まれた日課のように窓の外に目を向けた。
しかしそこで真白の目に留まったのは、日常の中に紛れ込んだ異物だった。
「!」
信号で停車した車の後部座席から窓の外を眺めていた真白は、思わず息を飲んだ。
いつもの白い看板の洋菓子屋の前に、なんとも目を引く奇妙な男が立っていたからだ。
着ているのは風変わりなスーツ。顔は冗談みたいな化粧をしており、どこかピエロを彷彿とさせる。
そしてなにより問題なのは、男がその手に大振りのナイフを握っていることだった。
握ったナイフをユラユラ揺らしながら、通りを歩く人間を品定めするように眺め、微かな笑みを浮かべている。
それは異様な光景だった。
通りを歩く誰もがそんな男を目にして一瞬驚き、けれどすぐに何事もなかったかのように目を逸らし通り過ぎていく。危険な武器を見せびらかす男と関わらないように。
そんな光景を目の当たりにして、真白の口は自然と動いた。
「今すぐに警察に電話してください!」
突然、後部座席で声を上げた真白の言葉に、運転手は慌てた様子で振り返る。
「い、いかがされました、真白お嬢様!」
「刃物を持った男が人通りの中にいます! 急いでください!」
「か、かしこまりました!」
運転手は疑いもしなかった。
真白がくだらない冗談を言えるような人間ではないことが分かっていたからだ。
すぐに警察に電話を掛けながら、運転手も窓の外に目を向ける。
「お嬢様、暴漢はどちらに!?」
「あの男です! ほら、あそこナイフを持っている!」
「……ナイフ、ですか?」
運転手が目を細め、キョロキョロとしている。
「あの男です! 白い看板の洋菓子屋の前にいる!」
「……申し訳ありません、どうにも私には見当たらず。……あっ、警察ですか、刃物を持った暴漢がいるというのですが、特徴は……その……」
伝えるべき対象を見つけられず、窓の外に視線を彷徨わせる運転手を見かねた真白は、「貸してください」とスマホを引ったくる。
「もしもし、今から男の特徴を伝えます。白と黒の奇抜なスーツ。顔はピエロのような化粧をしています。その手にはナイフを握っていて。はい、そうです。ナイフです! 大振りのナイフ! 誰か襲われたら大変です! 今すぐに誰か寄越してください! 急いで!」
真白の緊張が伝わったのだろう運転手は、信号が変わると同時にハンドルを握る。
「お嬢様。すぐにこの場を離れます!」
スマホの向こうのオペレーターに場所の説明をする真白は、ずっと男を見ていた。
変わらず獲物を探すように周囲を見回していた男だったが、不意に耳元に手を伸ばしたかと思うと、
──ギロリとこちらに顔を向けた。
「!」
真白は思わず息を飲んだ。
道を走る何台もの車の中。しかもスモークガラスでこちらは見えないはずなのに、男は迷うことなく真白を凝視したように見えたからだ。
走り去る車の中、男が見えなくなっても真白の心臓が早鐘のように鳴り響いていた。
ニヤリと笑う男の顔が真白の脳裏から離れなかった。
なぜ自分はあのような行動を取ったのか?
突然の出来事の中で自身が咄嗟に取った行動について振り返った時、理由らしい理由が思い浮かばない。
ただ当然だと思うことをしただけ。それに尽きる。
なら、その当然をもう少し深く紐解いてみたら何が見えてくるだろうか?
その根源にあるのは、純粋な正義感?
否。
真白が行きついた答えは、環境と教育、だった。
そうするのが当たり前だから。そうするように教えられたから。
だから無自覚に反射的に、人はそのように行動するのだ。
もし文化も考え方も違う国の人間であったなら? それこそ赤子のように何の知識も持っていない人間だったなら? 果たして同じ行動が取れるだろうか?
であるならば極論、人の行動とは『事前に刷り込まれた正しいガイドラインに則った行動』でしかないということになる。
その人間の行動には、これまでの人生が反映される。
何を学び、何を教えられ、何を経験してきたか。
価値観から人柄、所作に至るまで、そこにはその人間の本質が反映される。
だからこそ妃泉家の人間として正しく育てられた自分が、その意思に反して間違った選択をすることなど決してない。
それが妃泉真白の当然である。
「妃泉さん、いいかしら?」
思いがけぬ出来事があった翌日の昼休み、わざわざ教室までやってきた担任教師が、真白に理事長室へ行くようにと言いにきた。
二つ返事で承諾した真白は、慣れた足取りで学園にある理事長室へと向かった。
扉をノックし「失礼します」と声を掛けて入室すると、叔父である理事長が満面の笑みで真白を出迎えた。
「お手柄だったね、真白君」
そうして叔父が教えてくれたのは、昨日の顛末だった。
真白の通報により不審者は無事に捕らえられ、危険な事件を未然に防ぐことができたと警察からわざわざ学園に連絡があったとのことらしい。
「学園の理事長としてだけでなく、叔父としても鼻が高いよ」
よほど褒められたのか、叔父はかなり上機嫌だった。
「妃泉家の人間として、この学園の生徒として当然のことをしたまでです」
警察にそれとなく素性を伝えていたこともあり、叔父の満足を得る結果を出せたようだ。
「流石は真白君だ。きっと兄さんもお喜びだろう」
ふと妃泉家当主である父親の冷たい顔が脳裏に浮かぶ。
そんな真白の表情は、次の叔父の言葉で戸惑いに変わった。
「ついては今後の防犯対策のために、先方が真白君の話を聞きたいそうだ」
「私の話を、ですか? そうは言われましても、私はただ通報しただけですし、改まって警察にお話しできることは……」
「兄さんの許可もとってある。さっそく今日の放課後に顔を出してくれ」
上機嫌の叔父は、真白の言葉を遮り、そう話を締めくくった。
「かしこまりました」
真白は恭しく頭を下げる。
父親の承諾があるのなら、それは真白にとっての決定事項だ。
放課後、真白を乗せた車が向かった先は、
「行先は警察署ではないのですか?」
「お嬢様にお話を聞きたいのは、森浜市の再開発事業におけるセキュリティシステムを担当している警備会社なのだそうです」
行先を知る運転手の言葉で、真白はある程度の事情を察する。
つまり今回の件はアマツヒ絡みということらしい。
──アマツヒ。
この森浜市を作り変えた大企業の名前である。
巨大資本を有する外資系企業であるアマツヒが日本の単なる地方都市の再開発に乗り出したのは、今からおよそ10年前。
真白が聞いた話では、当時、経営戦略的に何の価値もない極東の小さな地方都市に、突如巨額の投資を始めたアマツヒの奇行は、それなりの騒ぎとなったらしい。
そんな世間の批判を意に介さず推し進められた大規模な再開発は、たった10年で、なんの変哲もない一地方都市を文字通り、作り変えた。
今では人口50万人以上が暮らす政令指定都市となった森浜市。その象徴であり中枢に、かつての面影はない。
車の外に見えるのは、規則正しく整然と並ぶビル群。
一切の無駄なく洗練され過ぎた街並みが、真白の目の前に広がっている。
そんな10年前に始まったアマツヒによる森浜市再開発事業は、地元の名士である妃泉家でも当然大騒ぎになった。
当時幼かった真白には詳細が知らされることはなかったが、アマツヒはかなり強引な手段を取ったらしい。
金にモノを言わせた買収工作。再開発を後押しする政治的圧力。
結果的に、土地に根付く権力を有していた妃泉家をはじめとした地元の名士たちのほとんどが、森浜市再開発から締め出される形となったらしい。
そんな過去があるからこそ妃泉家はアマツヒに良い感情を持っていない。だが同時に決して無視できない存在として目の前に居座り続けている。
真白を乗せた車は、指定されたビルに到着。
車を降りた真白を出迎えたのは、背の高いパンツスーツの凛々しい女性だった。
「ご足労いただきありがとうございます。本日ご案内させていただく
案内役を名乗る藤麻は、真白を連れてビルの中を進みながら簡単な説明をしてくれた。
ある程度予想していた通り、ここはアマツヒ関連の警備会社であり、森浜市全般におけるあらゆる防犯セキュリティを一手に担っている会社であるらしい。
地元警察とも協力体制にあり、随分と密接な関係にあることも感じ取ることができる。
自分がこうして呼ばれたのも、それが要因なのだろう。
「昨日の通報が皆さまのお役に立てたのは嬉しいのですが、正直、藤麻さんたちにお話できることがあるかどうか」
「忌憚のないご意見をお聞かせいただければ、それで十分ですから」
笑みを浮かべる藤麻の案内で乗り込んだエレベーターが微かな振動と共に動き出す。
「ところで妃泉さん。つかぬことをお聞きしますが、近頃奇妙なモノを見た、なんてことはありませんか?」
随分と曖昧な問いかけに、真白は首を傾げる。
「……奇妙というのは、先日のような危険人物ということでしょうか?」
「ええ、まあそのような」
「特に思い当たりませんが……」
「そうですか」
藤麻の質問の意図が分からぬままエレベーターが目的の階層に到着する。
そして真白が通されたのは、窓の外の景色を一望できる応接室だった。
眼下に広がる中央区の街並みとそこから広がる森浜市の光景は、まさに圧巻の一言だ。
「まもなく担当者が参りますので、ソファに掛けてお待ちください」
「分かりました」
「私も同席させていただきます。真白さんの身の安全はこの命に代えても必ずお守りします。ですから何があっても動じずにご安心ください」
藤麻の随分と仰々しい物言いに、真白は眉を顰める。
その意味を真白が問おうとしたところで、応接室の扉がノックされ、そのまま誰かが入ってきた。
「どうもお待たせしました」
「!」
そして部屋に入ってきた男に、真白は目を見開き、思わず立ち上がる。
現れたのは、昨日、街中でナイフを持っていた例の男だった。
「安心してください、妃泉さん。見た目はアレですが、一応信用できる人間です」
真白を安心させるように藤麻が優しく声を掛けてくるが、真白の胸中は穏やかではない。
「藤麻くん。フォローになっていませんよ」
「でしたら郁人さん。指定のスーツを着るようにしてください」
「それはできない相談です。僕は藤麻くんたちのように、自分のアイデンティティを没個性の中に埋もれさせる趣味は持ち合わせていませんから」
そう口にする男は、真白の向かいの席に腰を下ろすと、にっこりと微笑んだ。
「戸惑わせてしまって申し訳ありません、妃泉真白さん。まずは自己紹介をさせていただきます。僕の名前は
住ノ江はポケットから取り出した名刺を、真白に向けて翳して見せた。
そんな真白の目の前で、名刺はひっくり返される。
「ただ本職は──秘密結社カリバーンのエージェントをしております。ちなみにエージェントナンバーは『Ⅱ』になります」
名刺の裏側には、今、住ノ江が口にした肩書きが書かれていた。
「……秘密、結社ですか?」
「ええ、世界の平和を守るために人知れず暗躍する組織です」
何かの冗談だろうか?
話がまったく理解できない真白に向かって、住ノ江は続ける。
「色々とお話ししたいことがあるのですが、まず先に昨日の件についての説明をさせてください。結論から言うと、僕がしていたのは定期的に行っている釣りの1つなんです」
「釣り?」
「獲物は特別な能力に目覚めてしまった若者。真白さん、あなたみたいなね」
それから住ノ江郁人が語り出した内容は、真白にとっては、あまりにも荒唐無稽な内容だった。
森浜市において実しやかに囁かれる若者の神隠し。
それは事実であり、《
そんな《偽獣》たちによって引き起こされる
住ノ江の説明はそこからも続き、森浜市の裏に《虚無》と呼ばれる空間があること。《覚醒者》と呼ばれる若者たちは現在50名以上に達し、クランと呼ばれる複数のコミュニティが形成されていること。《偽世界戦争》という人類滅亡の可能性すら示唆し始めた。
そんな話を聞かされたところで、到底信じられる話ではない。
疑う真白の前で、住ノ江は《覚醒者》の能力とやらでナイフを生み出し、そして消してみせた。
それは《偽装》と呼ばれる能力であり、他の現象同様一般人には見えないらしい。
「これが見えるということは《覚醒者》になったという証拠です」
住ノ江だけでなく、藤麻までもが拳銃を出してみせた。
本当に自分たちにしか見えないのだろうか?
そう疑う真白だったが、ここで昨日の出来事の違和感に思い当たった。
街中で通り過ぎる人たちから目を逸らされていた住ノ江だが、その理由が単に奇抜な格好をしていたからだとしたら?
逆に考えて、それだけ目立つ男がナイフを持っていたら誰でもすぐに気が付くし、もっと大騒ぎになってもおかしくなかっただろう。
それこそ、一目見ただけで真白がそのことに気付いたように。
騒ぐ真白につられて警察に電話をした運転手も、結局ナイフを持った暴漢が誰なのかが分かっていなかった。
つまり本当に見えていなかったのだ。
住ノ江の持っていたナイフは、あの時、真白以外の誰にも。
もしそうであるならば、なるほど確かに『釣り』である。
《覚醒者》にしか見えないナイフを持った住ノ江が『餌』であり、通報を受ける警察が『浮き』の役目。そうしてまんまと真白は釣り上げられたらしい。
「私たちは、近年増加する偽世界事件に対応すべく、《覚醒者》となった若者たちに協力をお願いしています。現在、多くの覚醒者諸君の協力を得て、森浜市で発生し続ける偽世界事件に対応できるシステムは構築できています。真白さんにも是非協力いただきたい。もちろん強制ではありません。可能な範囲で結構ですので、ぜひお力をお借りしたい」
格好はともかく、真摯で熱意の籠もった住ノ江の説明に、真白は考える。
「……ひとつ確認させていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
「なんでしょう?」
「つまり、一連の偽世界事件は、私たち《覚醒者》以外は認知できない事象であり、世間一般からするとそれは存在しない出来事ということでしょうか?」
「その通りです」
郁人の回答を聞き、真白の結論を出した。
「お断りいたします」
誰もが見惚れるような笑みを浮かべ、真白はそう答えた。
背後で藤麻が動いたのが分かった。おそらく驚いたのだろう。
しかし目の前の男は、微笑んだまま全く微動だにしなかった。
「なぜ? というのを今後の参考までにお聞きしてもよろしいですか?」
8ヶ月前、初めて『非日常』の存在を知った妃泉真白はまるで女神のような微笑みで協力を断った。
そして「なぜ?」という問いに対してこう答えた。
「理由がないからです」
***
「あーはっはっはっ!」
高笑いを響かせる真白は飛び掛かってきた狼型の《偽獣》に勢いよく手斧を振り下ろす。
それだけで、真っ二つにされながら地面に叩きつけられた《偽獣》だったモノの残骸は奇妙な痙攣と共に黒い灰となって消えていく。
《偽世界》の中で、真白は《偽獣》相手に暴れまわる。
自らが手にする《偽装》から伝わってくる肉を切り裂く感触が、真白の脳を刺激する。
「あーやっぱいいわ! これが気持ちよくて、たまらない!」
そう叫びながら、真白はとめどなく襲い来る《偽獣》たちを、次々と両手に現れる様々な武器で捌いていく。
ナイフも悪くない。滑らかに肉を裂く感触がダイレクトに手から伝わり、切り口から飛び散る赤い液体が宙に広がる光景は、視覚的にも華やかだ。
拳銃は相手を仕留めるには便利だが、刺激としてはやや物足りない。ただスタイリッシュに立ち回ることで、そんな自分に酔いしれることができる点では評価している。あと相手の口に銃口を突っ込んで引き金を引くのが楽しい。綺麗な花火を見ることができるから。
最近のお気に入りは大型ハンマーだ。スレッジハンマーと呼ばれる柄の長い両手で構える大型ハンマー。これを全力で振るった一撃によって相手の骨が砕ける音は、意外にも可愛らしく、手から響いてくる余韻は独創的で、他にない刺激をくれる。
だが一番はやはり手斧だ。
切り裂くと叩き割るが同時に楽しめるお得武器。両手で持って振り回してよし、投擲してもよし、多少切れ味が悪くなってもなんのその。強引にパワーでねじ込めるし、もっといえば微妙に引っかかるような切れ味の変化は、まるで味変のように飽きさせない。
これほど多彩に堪能できる武器はそうないだろう。
「あひゃ、あひゃ、あひゃひゃひゃ!!」
腹の底から高笑いをし続ける真白は、両手に次々と生み出す《偽装》を存分に振るいながら《偽獣》たちを屠っていく。
刺激を変えたくなったら、手にした武器を放り捨て、新しいモノを作り出す。
「もっとだ! もっと掛かってこい! 私に殺されにこい!」
《偽獣》たちの素敵なところは、いくらでも湧いてくるところだ。種類も豊富。現実世界に存在する生物を模写し、掛け合わせたような化け物たちは、毎回、真白を飽きさせない。
動かなくなったら黒い灰になって消えるのも、後腐れがなくていい。
たまらない。ずっと戦っていられる。無限にやっていたい。
『おーい、真白。そろそろ帰るぞー』
耳に付けたイヤフォンから何か聞こえたような気がしたが、知らない。無視する。
「オラオラオラ!」
『だから、おい……』
「最高さいこうサイコー!」
『人の話を聞けって言ってんだろうが! この戦闘狂!』
襲い来る《偽獣》たちの中で暴れまわる悪魔のように残虐な笑みを浮かべる真白は、なぜ自分がこの場所にいる意味について考える。
理由は単純明快。
ここではまったく別の自分になれるからだ。
妃泉真白の『
もしそんな真白に変化があったとするのならば、その人生に『
──妃泉真白は今まさに、バッドエンドに至る道の最中にいるのだ。
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