1.第一話 1/偽名とコードネーム

 ――彼女を見つけたのは、たまたまだった。


 駅前にある公園広場に出来た『穴』を注意深く観察する彼女が』であることは、すぐに察しがついた。

 無視をしてもよかった。

 でもベンチに座る彼女の後姿を見て、声を掛けることにした。

 そうして彼女と一緒に『穴』を潜り、《偽世界ぎせかい》へと足を踏み入れた。



「……なに、ここ?」


 そこは、先ほどいた公園広場とはまったく違う場所だった。

 を一言で例えるならば『荒廃した土地に打ち捨てられた廃墟はいきよ都市』。

 乾いた大地の中にそびえるビルの群れ。コンクリートの道路は所々ひび割れ、地面から斜めに生える朽ちかけの電柱が妙に哀愁を漂わせる。生命の息吹を一切感じさせないこの場所は、まさに終焉しゆうえんを迎えた都市といったところだろうか。

 彼女は『穴』のことを「どこかに繋がっていそうな入口」だと予想していたが、実際にこちら側にあった風景を目の当たりにし、驚きを隠しきれない様子。

 一方で、もはやこういった光景を見慣れてしまっている俺は「なるほどこんな感じね」と心の中で呟きながら周囲を見回す。

 《偽世界》の入口となる『穴』周辺は安全そうだ。彼女に話しかける前にアプリで確認し、今この《偽世界》には他に誰もいないことはチェック済み。状況から見ても、ここを担当している連中はまだ調査中であることが分かる。

 とりあえず彼女に対しては『君と同じで俺もなにも知らないよ設定』で声を掛けているので、引き続きそのように振舞うつもりで、話を振る。


「まさかこんな場所に繋がっていたとはね。……さて、これからどうしようか?」

「えっと……じゃあ、あそこのビルに登ってみるのはどうかな? 屋上からなら色々と見渡せそうだし」


 この場所に興味津々といった感じの彼女が指差したのは、少し先に見える高いビル。


「いいよ。行ってみよう」


 戸惑いよりも好奇心が勝ったといった感じの彼女の提案に乗り、彼女と共に廃ビル群へと続くコンクリートの道を歩き始める。

 と、ここで肝心なことを忘れていたことに気が付いた。


「そういえば自己紹介がまだだった。俺は浦覚うらおぼえ倫太郎りんたろう。あだ名はウラで通っている」


 俺は笑顔を浮かべ、息を吐くように『偽名』を名乗った。

 そんな俺の偽名を聞いて、彼女は俺の顔をジッと見つめてくる。


「浦覚倫太郎……なるほど。なんだかそんな名前っぽい顔してる。アレだね、名は体を表す的なヤツだね」


 どんな感想やねん。そんなこと言われたことないわ。いや偽名だから当然なんだけどさ。

 ただを知らない彼女とは違い、それがどういったキャラの名前か分かる身としては少々複雑な気分。

 そんな、別の偽名にしとけばよかったと軽く後悔している俺の様子を彼女が伺ってくる。


「どうしたの……えっと、ウラ?」

「あだ名を言うくらいで、そんなにモジモジしなくていいから。こっちが恥ずかしくなる」

「うん、そうだよね。なんかゴメン」


 いや、そんなマスク越しでも分かるくらい可愛くはにかまれても、こちらとしてはただただ罪悪感が半端ないっす。偽名故に。


「それでキミの名前は?」


 まずは自ら名乗り、相手の名前を尋ねる。

 コレ相手とお近づきになる為の世界の常識ナリ。

 そして彼女はこう言った。


「えっ? 私は名乗る気ないよ」


 この状況、この展開において、思いっきり拒否られた。なんだか新鮮な体験である。


「……なぜに?」

「ウラがヤバいヤツじゃないって断定できないから」


 どうやら彼女はきちんと相手を疑えるプライバシーのしっかりした子であるようだ。

 安心だ。これなら偽名を使うようなヤバイヤツに騙されることはないだろう。


「なら、なんて呼べばいい?」


 しばらく考えた彼女は、やがて恥ずかしそうに口を開いた。


「じゃあ……『ラビ』とかどうかな?」

「ラビ……ラビットか。なるほど、いいじゃん。似合っている」


 素直にそう思った。この子はどこかウサギっぽい雰囲気がある。何かあったら脱兎の如く逃げ出しそうなところとか特に。

 という訳で、とりあえず彼女とは『偽名』と『コードネーム』で呼び合えるくらいの間柄になれたようだ。

 ある意味、健全な心の距離感を保った俺たちは、目的のビルに向かって歩き進む。

 ラビの足取り軽く、歩きながらも興味深そうに周囲を見回している。


「そういえばラビはいつからアレが見えるようになったの?」

「アレって、公園広場にあった私たちが通ってきた入口のことだよね? ……うーん、たぶん間違いなく今朝からだと思うよ」

「……なんか歯にモノが詰まったような物言いだな」


 独特な言い回し。『たぶん』なのか『間違いなく』なのかはっきりしてほしい。


「私さ、最近図書館に通っていたから、毎朝あの公園広場を通っているんだ。でも昨日はあんな入口なかった。でもそれは『私が今朝から見えるようになった』んじゃなくて『今朝、あの場所に入口が現れた』かもしれないから」

「ああ、なるほどね。だから『間違いなく』に『たぶん』を付けたのか」


 俺の質問が「気付いたのがいつ?」だったら「今朝」という答えだったけど「アレが見えるようになったのはいつ?」だったから「たぶん間違いなく今朝」と答えたってことか。

 ひとり納得していると、ラビが俺の方を見た。


「ウラって、変なところで細かいね」

「そりゃラビも同じだろう」

「うん、だからよく言われる。『そんな細かいこと、普通は誰も気にしない』って」


 少し不機嫌そうな表情を浮かべるラビ。どうやら嫌な思い出でもあるらしい。


「逆に質問だけど、ウラはいつからアレが見えるようになったの?」

「さてどうだったかな。いつからだったか、よく覚えてないんだよな」


 初めて『穴』が見えたのは、およそ一年前であることは覚えているけど、正確な日付と時間と秒数を覚えていないので、その質問にはお答えできない。

 そんな俺の方をチラリと見て、ラビがぼそりと零す。


「……なんか怪しい」

「原因にまったく心あたりはないんだが、俺はよく他人ひとからそう言われることが多い。不思議なんだよな、俺ってそんなに悪そうな人間に見えるかな?」

「うん、見える」

「そっかー」

「でも……見えるだけで、そうじゃないかもしれない」


 意外な一言に、前を歩くラビの背中を見つめる。

 そして、に自然と口元が緩む。


「もしかしてフォローしてくれたとか?」

「し、知らないのに決めつけるのが嫌いなだけだから!」


 ちょっと速足になったラビを追いかけ、目的としていた廃ビル前に到着。

 パッと見で八階建て。崩れる心配はなさそうだが不気味な雰囲気を醸し出している。


「それじゃ昇ってみますか」


 ラビに先んじて入口になりそうな場所から建物の中に足を踏み入れ、中を確認。

 何かが潜んでいる気配はない。とりあえず安全そうだ。

 エレベーターはあるが当然動く訳もなく、奥にあった階段を登り始める。


「あれ? ウラってそんな手袋していたっけ?」


 後ろに続くラビが目ざとく両手に付けた黒いグローブに気付いたらしい。


「ああ、さっき付けたんだ」

「なんで?」

「両手がデリケートだから」

「ふーん、そうなんだ」


 そんな言葉を交わしながら二人でひたすら階段を上がっていく。時折ラビの方を振り返るも、少し息を切らすだけで問題なくついてくる。

 そのまま屋上に到着。

 屋上の作りはいたって平凡。現実世界でよく見るのと同じように鉄の柵で囲まれている。

 鉄柵に寄りかかり、なんとなく風景を眺めている俺とは違い、ラビは屋上をゆっくり歩きながら興味深そうに360度この世界を見回し始める。


「なんというか映画とかに出てきそうなディストピアっぽい世界だよね」

「確かに終末って感じだな」

「空は雲一つなくて、薄暗い帳みたいなモノに覆われているんだね。太陽とか月や星みたいに光源となりそうな天体はないのに世界が見渡せる。なんでだろう?」

「……なんでだろうね」

「やっぱり変だよね、この世界。地平線が丸くないみたい。世界の端っこがあるのかな」

「……」

「うーん、もしかしたらこの世界は、丸い球体の中にある平べったい大地なのかもしれないね」

「なに、その『逆・地球球体説』みたいな発見!」


 なんだか凄いことを言い出したぞ、この子! ……いや、けど! まったくもってその通りなんだけどさ! なんでちょっと高いところから見回しただけでそういったことが分かるの! というか着眼点が普通じゃないし、聞いたら凄いと思うような発見を当たり前のことみたいにスラスラ言うよね!

 出会ってから感じていたが、ラビからは普通にはない独特のナニカを感じる。


「……ラビっていくつなの?」

「もうすぐ、とりあえず高校生。ウラは?」

「見たまんま」


 先ほどから変わらず屋上をゆっくり歩きくラビが、チラリとこちらを見る。


「まあ普通に考えて年上の先輩ってところだよね」

「今更尊敬したくなった?」

「《俺たちは対等な関係条約》締結後なので、尊敬は遠慮しておく」

「そうしてくれると俺も気楽で助かるよ。それで? この世界はどうですか、ラビ博士?」


 冗談めかして聞いてみる。


「博士より研究員の方がいい」


 思わぬ反応が返ってきた。


「なんで?」

「そっちの方が可愛いから」

「……えーっと、じゃあラビ研究員。他に何かわかったことはあるかい?」


 鉄柵に寄りかかっていた俺の質問に、隣までやってきたラビが答える。


「なんにも分からない。なんなんだろうね、ここ」

「その割には随分と楽しそうだ」

「だって分からないって楽しいじゃん。それに他に誰もいなくて伸び伸びできるし、今のところ面白そうな要素しか見当たらないよ」

「それはまた随分と意見だ」

「ウラは違うの?」

「普通はこんな得体の知れない場所、不安に思ったり不気味に思ったりするもんだろ?」

「ふーん……でも、私にはウラがそんな風に思っているなんてちっとも見えないんだけど」

「そう?」

「鉄柵に寄りかかってぼーっと景色を眺めて、余裕というか来慣れた感があるというか、それこそ授業サボって学校の屋上でくつろいでいるヤツみたいに見えるんだけど?」


 こちらの顔色を伺うようなラビの視線に、思わず苦笑してしまう。


「どうやら俺は思っていることとやっていることがチグハグに見える人間らしくてさ。悲しいことに、よく誤解されるんだよ」

「単に嘘いているだけなら、誤解でもなんでもないんじゃない?」

「えっ? もしかして俺って疑われている?」

「そりゃ疑っているよ」

「どれくらい?」

「うーん、8対2くらい?」

「二割も疑われている訳か」

「ううん、八割方疑っているよ」

「かなりブラックですな。なら俺が悪いヤツだったら大変だ」


 そう笑ってみせると、ラビは俺から視線を外し、遠くの景色に目を向ける。


「そうだね。その時は諦めるしかないかな」

「……随分と後ろ向きだな。そこは『そうじゃない可能性に賭ける』場面じゃない?」

「それは賭けになってないよ。こうしてウラとこの場所にいる時点でんだから。ウラが悪いヤツならそれまででしょ」

「なら一発逆転を狙うのは? 俺が改心して良いヤツになるかもしれない」

「そういう希望的観測はしないんだ、私。そんなことは起こりえないから」


 チラリとラビを見ただけで、それが本心からの言葉だと感じ、なんとも言えない気持ちになる。


「……それで? この楽しい楽しい冗談話のオチはどうなるんだね、ラビ研究員。空気的には爆笑のひとつでもないと収まりが悪いぞ」


 そうおどけて尋ねたら、ラビが「きょとん」とした顔になる。


「えっ? 冗談だったの? 私ずっと真面目に話してたんだけど」


 真顔で返すその表情を見て、思わず吹き出してしまった。


「……えっ? なんでウラ笑ってるの?」

「OKOK、ラビが面白いヤツだってことが十分に分かった」

「ちょっと待ってよ! 私、なにもしてないんだけど!」

「大丈夫、大丈夫。ちゃんと出来ていた。俺的にサイコーに面白かったから」

「なにが面白かったの、今の! 分からない、分からない! 教えてよ!」


 必死な表情で詰め寄ってくるラビ。だが不意にその視線が俺の後方に向けられる。


「……ねぇ、ウラ。今あそこで動いたよ」


 俺を押しのけるようにして、鉄作から身を乗り出すラビが指差す方に目を凝らす。

 確かに何かが動いているように見えたが、それはここから死角となる建物の陰に入ってしまった。

 どうやらのことを見つけてしまったらしい。


「見に行こう。何か分かるかもしれないし」


 そのまま一人、階段に向かって駆け出すラビ。


「あっ、おい……」


 ――その背中を見た瞬間、首の右側が疼いた。 

 足を止め、うずいた場所を右手で押さえる。


「……まあ、もういいか」


 当初の目的も果たせているし、今更、隠す必要もないだろう。

 という訳で、少し距離を置いてその後を追う。

 ラビが屋上から目撃したを確認すべく、廃ビルを出てそちらに向かおうとしていた俺たちだったが、わざわざそんなことをする必要はなくなった。


「ウラ、早く早く」


 そう急かしながら階段を駆け下りたラビが、廃ビルを出たところで硬直する。

 目の前に自分より数倍デカい化け物が現れたからだ。

 予期せぬ遭遇。

 そいつの見た目は獣だった。ただ現実世界には絶対存在しない、虎とクマを不気味に混ぜ合わせたような四本足の巨体な化け物。

 化け物はムクリと前足を上げて立ち上がると、目の前に立つラビに向かって大きな口を開き、咆哮ほうこうを上げる。


「ブギャァァァァ!」

「ふぎゃー!」


 これに対しラビも対抗……ではなく、単にビビって変な悲鳴を上げた。

 化け物は右手を頭上高くに掲げると、ラビめがけて一気に振り下ろす。

 直後、地響きと共に砂煙が舞い上がった。

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