第6話 アラタの力

 俺とアンジェは昨晩出逢った公園のベンチに座っていた。既に夜の八時を過ぎており空では星が輝いている。

 昨日とは違い今日は雲が少なく満月に近い状態のためか割と周囲は明るく感じる。相変わらず公園に設置してある照明は光源としては心もとないのでありがたい。


「アラタ様、自宅から持って来たそれは模擬刀ですか?」


 彼女の視線の先――俺が手にしているのは木刀だ。子供の頃から父親から剣術や武術を習っていたためか素振りをするのが日課であり、今でもこの木刀を使ってやっている。


「オーク相手に魔力の無い俺が太刀打ちできるとは思わないけど、それでも丸腰でいるよりはこんな物でもあった方がマシだからね」


「お気持ちは嬉しいのですが、ここからは私の問題です。今からでもアラタ様はご自宅に戻られた方が良いかと思うのですが……」


「それは却下。こうして君と知り合えたのも何かの縁だと思うし、最後まで見届けさせてほしいんだ」


「そうですか。――分かりました。でも無茶はなさらないでくださいね」


 うっすら暗いせいではっきりと見えなかったが、彼女は少し嬉しそうな顔をしているみたいだ。

 こうしているとまるで夜の公園でデートをしているような気分になって来る。その一方で別れの時が近づいている気がして嬉しさと寂しさが入り混じった感じだ。


「こうしていると、まるで夜の公園でデートをする恋人同士みたいですね」


 俺が思っていたことを口にするアンジェ。もしかして彼女は俺の心が読めるのかと思い驚いていると、彼女はクスクス笑っていた。


「その様子ですとアラタ様も私と同じことを考えていたようですね。――ですが、メイドの私がご主人様と恋人になるというのは分不相応でした。申し訳ありません」


「そんなこと……ないんじゃないかな。むしろ君みたいな綺麗な女の子には俺みたいなパッとしない男は相応しくないんじゃって思う」


 一旦会話を終えると二人で夜空で輝く星々を見上げる。少ししてから彼女が口を開いた。


「ありがとうございます。アラタ様にそのように言っていただいて心の底から嬉しく思います。でも、アラタ様が私の本当の姿を見た時――きっと幻滅されると思います。私はそれが怖いんです。ですからそうなる前にお別れした方が、あなたとの出逢いを素敵な思い出のままにしておける。そう思ってしまうのです」


「アンジェの本当の……姿?」


 アンジェはベンチから立って俺の前に移動すると少し悲しそうな表情をしていた。それはアパートで時々見せていた悪戯っぽいものではなく心からのものだと感じる。


「私の真名はアンジェリカ・ディ・グランソラスと言います」


「グランソラス? それって――」


 その時、公園の林から大量の鳥たちが鳴きながら空を飛んでくのが見えた。その下方――月明りも照明の光も届かない暗闇の中から凶悪な気配を感じる。

 自分でも何故かは分からないがはっきりとそこにいる怪物の気配が認識できるのだ。

 昨晩、オークと遭遇しアンジェと出逢ってから自分の中に今まで感じたこと無い何かが芽生えつつあるのを感じていた。

 そんな自分の変化に戸惑いながらも、今は木刀を構えてその時が来るのを待つ。そして、それは間もなくやって来た。


 暗い木々の間から姿を現した豚顔二足歩行の巨漢の怪物――オーク。昨晩アンジェが倒したヤツよりも二回りほど大きな体躯を誇っている。

 昨日こいつと会敵したのは一瞬の出来事だったが、今こうして対峙してみてはっきりと分かった。

 こいつは昨晩の個体とは別物だ。体格もそうだが、その内面――賢さが違う。

 このオークは昨日アンジェの隙を突いて襲撃し、それが失敗すると無理に戦うことなくすぐに撤退した。

 状況を冷静に判断し、戦術として組み込む知性を持っている。単なる魔物と考えて無策で戦うのは危険だ。


「アンジェ、このオークは――」


「はい、オークの中ではかなり強力なレベルまで成長した個体です。これだけの相手となると並の冒険者では単独で倒すのは無理でしょうね。こちらの魔力に余裕がない以上、一気に決めます!」


 アンジェがその場から飛び出し先手必勝の作戦で向かって行く。確かにこの場合、彼女の選択がセオリーなのだろうけど、どうにも嫌な予感がする。

 そんなもやもやした気持ちでふとオークを見た時、俺は背筋がぞくっとする感覚を覚えた。

 

「あのオーク……笑ってる? まさかあいつ、アンジェの魔力が少ないのを分かっているのか?」


 あのオークは見た目こそ知性のかけらも無いような怪物に見えるがそうじゃない。こちらの状況を分析して襲ってくる賢しさを備えている。

 俺は駆け出してアンジェの後を追う。彼女は間もなくオークと接触しようとしていた。

 黒いオーラをまとめ上げ黒い大鎌が出現し、彼女はそれを手に取って敵に振り下ろそうとしている。


「このデスサイズならば!!」


 オークは持っていたこん棒で足元の地面を叩き付け、大量の土をまき散らした。それによりただでさえ悪い視界がさらに悪くなり敵の姿が一瞬見えなくなる。

 その一瞬、アンジェがデスサイズによる攻撃をためらった瞬間、土塊のカーテンの向こうからオークが突っ込んできて彼女を吹き飛ばした。

 

「くうっ!」


 オークの攻撃を大鎌で防御し空中で体勢を整えたアンジェは華麗に着地する。しかし、このやり取りでデスサイズが消滅してしまった。

 アンジェのクールな表情が一瞬歪むがすぐに元の状態に戻る。俺はそれを見て彼女には余力がほとんど残されていない事を悟った。

 この世界には魔力の根源となるマナが少ない。だから魔力を回復するのも難しいのだ。つまり魔力の消耗率も高いのではないか、という結論に至った。


「……アラタ様、すぐにこの場から逃げてください。ここは私が食い止めますので、その間に出来るだけ遠くへ!」


 俺の嫌な予感が的中した。オークはアンジェの魔力切れを狙って魔術を不発に終わらせた。

 そして、彼女にはもう魔力はほとんど残っていない。彼女は自分を犠牲にして俺を逃がす気だ。

 もしも俺が彼女と逆の立場だったら同じ事を言うだろう。それを分かって敢えて俺は言う。


「ごめん、それは無理だわ。武藤家家訓――『男子たるもの困っている人には手を差し伸べるべし』っていうのがあってね。アンジェをこんな所に一人置いて逃げるぐらいなら一緒に運命を共にするさ」


「どうしてですか? 私とあなたは昨日知り合ったばかりです。あなたが自らを危険に晒してまで私を救おうとする理由は無いはずです」


 そう言われましても何て答えればいいのか分からない。だって、俺自身にも分からないんだから。

 それでも足りない頭で考えて一つの結論にたどり着く。


「確かに俺たちは出逢ってから一日も経っていない赤の他人だ。でも、その間に一緒に過ごした時間は俺にとって凄く楽しくてかけがえのないものだったんだ。俺が君を助けたいと思うには十分な理由だよ」


「……もしかしたら、私はあなたに会うためにこの世界に来たのかもしれませんね」


 アンジェが顔をほころばせる。その時オークが凶暴な咆哮を上げ襲って来た。


『グゥオオオオオオオオオオオオオオオオ!!』


「くっ、今の私の魔力ではこれしか――シャドーダガー!」


 アンジェは掌に発生させたいくつもの黒い短剣を一斉に投げつけるが、先端が僅かにオークの表皮を抉っただけで弾かれてしまう。

 突撃の勢いは衰えずヤツはそのままアンジェに向かって行く。


『ガアアアアアアアアアッ!』


 攻撃直後で硬直していたアンジェを掴まえてその場から急いで逃げオークの攻撃は空振りに終わった。


「申し訳ありません」


「助け合うのは当然だろ。それじゃ、やってみる!」


 俺はアンジェをその場に降ろすとオークの後を追う。昨晩と違い、ヤツは確実に俺たちを殺しにかかって来ている。

 必ず転進してくるはずだ。そこを狙う。

 不思議な感じだ。昨晩オークに初めて遭遇した時は、非現実的な状況と恐怖に身体が対応せず震えている事しかできなかった。

 それなのに今は自然と身体が動く。この絶対的不利な状況を前にして、どのように動けばいいのか、どうするべきなのか考えるより先に身体が動いて対応しようとする。

 まるでこの非現実的な状況の方が自分にとって現実であったかのような、今まで噛み合わなかった歯車がしっかり噛み合ったような感覚がする。


『グオオオオオオン!』


 思っていた通りにオークは転進する為に動きを止めた。その瞬間を見逃さず俺は木刀を握りしめて走り込む。

 俺の接近に気が付いたオークがこん棒を横薙ぎに振う。俺は体勢を低くして躱すとヤツの目に木刀の先端を突き刺した。

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