第5話 クールだと思っていたメイドさんは悪戯好き
俺が寝室に戻って来るとアンジェリカさんはベッドの上ですぅすぅと寝息を立てて眠っていた。どうやら漫画を読みながら寝落ちしてしまったらしい。
俺は寝ている彼女を見て安堵していた。このまま明かりを消して俺も寝てしまえば、特に何も起きることなく一夜が過ぎる。
熱帯夜が続いているためエアコンの電源は入れたままだ。このままでは身体が冷えると思い、彼女にタオルケットを掛けようとする。
「う……うーん……」
普段より可愛らしい声を上げながら彼女が仰向けに寝がえりを打った。その時ゆったり目のTシャツの下で巨乳が思い切り揺れる。
その様子を俺は至近距離で見てしまい、大きく揺れたそこに無意識に手を伸ばす。
触れる直前で我に返った俺は急いでタオルケットを彼女に掛けて、床に敷いた布団に潜り込んだ。
「何をやってんだ……俺は……最低だ……でも凄かった……いやいやでも寝ている女の子に……」
俺も相当疲れていたらしく、自分を情けなく思っている間にすぐに寝入ってしまい目が覚めたのはもうすぐで正午になる頃だった。
寝ぼけ眼でベッドの方を見るとそこには誰もいない。
確か昨晩夜の公園で怪物と遭遇し、命を助けてくれたメイドさんを連れて来たと思ったのだが、やはりそんなのは夢だったらしい。
「そうだよな。あんな事が現実に起きるわけがない。漫画の読み過ぎであんな夢を見たんだろうな」
「おはようございます」
キッチンの方から女性の声がした。驚いて身体を起こすとそこにはメイド服に身を包んだアンジェリカさんが立っていて料理をしている。
そのまま動かない俺を見て彼女は微笑んでいた。
「申し訳ありません。アラタ様が眠っている間にキッチンをお借りしました。もう少しで食事ができますのでお顔を洗ってテーブルで待っていてください」
「は、はい」
言われるがまま顔を洗っていると、昨晩の出来事は現実だったということを思い出してきた。
テーブルに戻って来ると綺麗に盛り付けられたサラダ、ほどよくカリカリに焼かれたベーコン、目玉焼き、トーストが置かれていた。
俺が座るとキッチンからアンジェリカさんが現れ、カップにコーヒーを注いでくれる。
「ミルクと砂糖は使いますか?」
「あ、両方使います」
どれくらいミルクと砂糖を使うのか訊くと、彼女はコーヒーの中に適量を入れてスプーンで軽くかきまぜた後俺に渡してくれた。
この正しい食事を前に俺が驚いていると、彼女は申し訳ない表情で説明してくれた。
「昨晩購入したもので作らせていただきました。お口に合えばよいのですが……」
「ありがとうございます。――いただきます」
バターが塗られたトーストを口に入れた瞬間、ザクッと気持ちの良い食感が伝わる。同じトースターを使っているはずなのに、俺がやった時とは明らかに違う。
それ以外にも目玉焼きは丁度良い半熟加減でベーコンも外はカリカリで中はジューシーだった。
サラダ用のドレッシングは手作りのようで、爽やかな酸味と塩加減がマッチしていていくらでも野菜が食べられそうな気がする。
「凄い美味しいです。アンジェリカさんて料理が上手なんですね」
「痛み入ります。私はメイドですから、これくらい出来て当然です。食事が終わったら、お洗濯とお掃除をさせていただきたいのですがどうでしょうか?」
「いや……でも、お客さんにそんな事をさせるわけには……」
「アラタ様には出会ってからお世話になり続けていたので、私に出来る形でお返しをさせていただきたいのです」
アンジェリカさんの目は真剣だ。俺は掃除とかあまり得意ではないし、本職の方にお願いするのもいいかもしれない。
「それじゃお願いしようかな」
承諾すると彼女の表情がぱあっと明るくなる。食事を終えると俺は部屋の隅に移動し、アンジェリカさんによる掃除が始まった。
部屋の隅から隅まで掃除機をかけ、雑巾で色々な所を丹念に拭いていく。
洗濯機の終了のアラームが聞こえると間もなくしてバルコニーには洗濯された服やシーツが干されていった。
エアコンは消して全ての窓が開かれ、部屋の中を風が通過していく。いつもじめじめとしていた部屋がピカピカになり、今や爽やかな空間へと変わっていた。
「これが……俺の部屋? まるで新築の部屋みたいに綺麗になったぞ」
「ふふふ……アラタ様、褒めすぎです」
アンジェリカさんのテキパキとした仕事ぶりは尋常ではなく、すぐに俺の部屋の掃除は終わってしまった。
彼女としてはちょっと物足りなかったようで、紅茶を淹れて俺に勧めると自分は洗濯物の乾き具合をチェックしている。
すると俺に背を向けたまま彼女が話しかけてきた。
「そう言えばどうして昨晩はあのままご就寝されたのですか?」
「……へ?」
「いえ……入浴後寝室に戻って来られた時、私の寝込みを襲って来るかのような雰囲気でしたので。最も私は起きていたのですが」
「ぶふぉあっ!! げほっ、ごほっ、げほっ!!」
突然のカミングアウトに俺は口に含んでいた紅茶を吹き出した。あの時起きていたってマジですか?
「え……いや……あれはその……」
「それに昨晩お店でこのような物を購入していたので、やる気満々だったと思ったのですが……」
そう言いつつ彼女がポケットから出したのは掌に収まる正方形の小さな袋だった。
袋には中に入っているであろう円状の物が自らの存在を主張するように輪郭がくっきりしている。
俺はそれを見た瞬間に力が抜けてカップを落としてしまう。
放心状態になって固まった俺の代わりに、アンジェリカさんがカップを回収し濡れた床を拭いてくれた。
その時上目づかいで俺を見ており、そこからは怒りなのか呆れなのか感情が読み取れず身体から変な汗が出てきた。
「こちらの世界にはこのような避妊具があるのですね。『ソルシエル』にはこういったものは無いので大変興味深いです」
アンジェリカさんはコ〇ドームの袋をまじまじと眺めながら感心している様子だ。
俺は彼女の前に高速移動しながら正座の姿勢で滑り込んだ。
「きゃっ」
不意を突く俺のスピードに驚いたようで彼女から可愛い悲鳴が聞こえた。ちょっと萌えたが今はそんな場合じゃない。誠意を尽くす時だ。
「ほんっとすんませんでしたぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
俺は額を床に擦りつけながら謝罪の言葉を述べる。誠心誠意の土下座――それしか俺に残された謝罪の方法がなかったのだ。
だが、ここで悲しい事実が発覚する。
「アラタ様……そのポーズはどういう意味が込められているのですか?」
「え?」
そう言えば彼女は異世界の人物だった。土下座というものは存在しないらしい。世界レベルの異文化交流の悲しい壁にぶち当たってしまった。
「いや……これは土下座と言って……精一杯の謝罪の気持ちを表す姿勢でして……」
俺は土下座をしながら土下座の意味を説明するという訳の分からない状況に身を落としていた。
するとアンジェリカさんの控えめな笑い声が聞こえてきて俺は頭を上げてみた。
彼女は心底嬉しそうな表情をしている。頬は桜色に染まっていて少し興奮しているようにも見える。
「申し訳ありません、笑ってしまって。でも、アラタ様があまりにも可愛い反応ばかりするので、ついからかってみたくなってしまって」
「可愛いって……俺が? そんなこと初めて言われましたよ」
「そうなのですか? こんなにお可愛いのに。……そうだ。アラタ様、今後は私のことは〝アンジェ〟とお呼び下さい。親しい友人は私をそう呼びますので。それと私に対して敬語は一切不要です。ご友人に接するように砕けた感じで接してください」
「や……でもそれは……出逢って間もない女の人にそんな……図々しくないですか?」
アンジェリカさんはさっきまでのちょっと悪戯っぽい笑みから陽だまりのような柔らかい笑みで俺を見つめていた。
「私がそうしていただきたいのです。例え短い間であったとしてもアラタ様に私のご主人様になっていただきたいのです。――駄目でしょうか?」
少し悲しそうな表情でおねだりするように訊いてくる。これは反則だろ。見た目はクールな美人さんなのに、ふと可愛すぎる素振りを見せてくる。
こんな綺麗な女の子にこんな表情でお願いされたら断れないでしょうよ。
「それじゃ……アンジェ……これでいいかな?」
「――はい。よろしくお願いしますね、アラタ様」
こうして俺は彼女をアンジェと呼ぶようになった。
最初は彼女に対して緊張していた俺だったが、出逢ってからこの短時間で急速に打ち解け一緒にいて安心するような感じになっていた。
「あら、アラタ様こんな所に糸くずが……」
アンジェが目の前でわざわざ屈んで服に付いていた糸を取ってくれた。俺からは彼女の胸の谷間が丸見えで、ついつい凝視してしまう。
うわぁ……絶景だ。ずっと見ていたい。
そんな俺の反応を見透かしたように彼女は「見すぎです」と悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
やっぱり落ち着かないです。ドキドキする時の方が断然多いです。はい。
彼女と一緒にいればいる程ずっとこんなやり取りをしていたいという気持ちが強くなってくる。
でもそれは俺のエゴだ。彼女にとって一番いいのは元の世界に戻ること。確信はないがあのオークを倒せば彼女は元の世界に戻れる。そんな気がする。
心のどこかでオークが出て来なければいいのにと思いながら、俺たちは夜の帳が下りようとする中、あの公園へ向けて出発した。
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