第四十七話 そして、金井秀人は、自分の心に蓋をした
洋平が死んだ。
超隊員の手によって、殺された。
その事件から、一ヶ月が経った。
年は明けて、世間からは正月ムードも消え、当たり前のように世の中は動いている。
事件後、秀人は、洋平が殺された事件の詳細を匿名でマスコミにリークした。
大学生宅不法侵入事件。犯人の少年が所持していたのは、警察官の銃。その少年を、超隊員が殺した。超能力者でも何でもない、ただの少年だったのに。
この事件は、瞬く間に世間に注目を浴びた。秀人がマスコミに情報をリークしてから三週間以上経ったが、今でも、ニュースで見ない日はない。警察のいい加減な銃の管理。かなり前から犯行を重ねていた少年を捕まえられなかった、捜査の手際の悪さ。超能力という特殊な能力を持った者が少年を殺したという、非人道的と批難される結末。
テレビでは、警察関係者がカメラの前で頭を下げるシーンが、連日放送されていた。
洋平を直接手に掛けた五味は、引っ越しを余儀なくされたらしい。正義を気取ったネット住民に、住所を特定されたためだ。
思い通りの結末になっている。洋平のような奴を複数集めて暴動を起こせば、もっと大きな話題となり、警察への批判も集中するだろう。
これから計画する暴動の実験としては、十分過ぎる結果だ。
それなのに、秀人の気分は晴れなかった。
──あの日の夜。洋平が死んだ夜。
秀人は突然、超能力が使えなくなった。人生の半分以上の間使い続け、武器としてきた超能力。それが、突然、霧散したのだ。まるで、今までできていたことが、夢だったかのように。
家に帰ってから、地下室で超能力を使ってみた。問題なく使えた。レーダーも、プロテクトも、射撃も。ありとあらゆるパターンで使ってみたが、問題はなかった。
それなのに、どうして。
どうして、あの瞬間だけ使えなかった?
その答えは、未だに秀人の中で出ていない。
だから、試してみようと思った。自分が、超能力で、問題なく人を殺せるか。
時刻は、午後七時半。
秀人は久し振りに、事務所に足を運んだ。岡田が取り仕切っている暴力団事務所。しろがねよし野にある、十五階建てのビル。その十階。
そういえば、と思う。ここに来るのも、ずいぶん久し振りだ。いつ以来だろうか。
考えてみた。思い出した。洋平達を引き取ったとき以来だ。ずいぶん長い間来ていなかったんだ、と自分で驚いた。
エレベーターに乗り、十階まで上がった。事務所の明かりは、まだ点いていた。当たり前にノブを回して、事務所のドアを開けた。
「や。久し振り」
軽い挨拶を口にする。事務所内には、岡田を含めて八人の人間がいた。
全員が、少し驚いたような顔を見せていた。
しばしの沈黙。その後、全員が、ガタガタと椅子を鳴らして立ち上がった。
「お久し振りです! お疲れ様です!」
秀人は分かっている。自分は、ここの人間にとって招かれざる客だということを。ここにいる奴等が、秀人に笑いかけてくることはない。無邪気に、秀人との再会を喜ぶことはない。
洋平は嬉しそうだったな──ふと、秀人は思い出した。洋平と美咲が、老女の家に住んでいた頃のこと。車を移動しに来た洋平に、会いに行ったときのこと。
悲しそうで、でも嬉しそうだった、洋平の顔。
今でもその顔は、鮮明に思い出せる。
あれからまだ二ヶ月も経っていないのに、ずいぶん昔のことのようだ。
思い出を浮かべながら、秀人は、窓際の岡田の席に近付いた。
「岡田さん。誰か、殺してほしい人はいない? 組の中で対立してる人とか」
岡田は、しばらく会っていない間に少し太っていた。もともと恰幅のよかった体は、さらに太くなっている。
「え? どうしたんですか? 突然」
「いいから。誰かいない?」
久し振りに会う秀人を前に、岡田は緊張しているようだ。額に、玉のような汗が滲み出ている。
岡田はしばし考え、首を横に振った。
「いえ。今は、特に……」
「そう」
秀人は事務所内を見回した。
あのとき、洋平は頭を怪我していた。洋平の頭を殴った組員が、この五人の中にいる。
洋平を傷付けた奴等。
秀人の頭の中に、最近のニュースが思い浮かんだ。
世間に批難されているのは、警察だけではない。洋平もだった。犯罪を重ねた少年。ネット上では、死んで当然の奴、などと書き込まれていた。彼の行った犯罪を、書き連ねて。大きい犯罪では傷害や住居不法侵入。小さなものでは窃盗など。こと細かに書き込んで、洋平を批難していた。
当たり前に毎日を生き、不自由のない生活を送れる奴等が、洋平を批難していた。
ザワリと、秀人の胸中を殺意が撫でた。ネット界隈にいる、洋平を批難する奴等。目の前にいる、洋平を傷付けた奴等。
「じゃあ、これは貸しにしておいて。要望があれば、いくらでも殺してあげるから」
「はい?」
岡田は、意味が分からない、という顔を見せた。
構わず、秀人は、以前洋平を拉致した五人に狙いを定めた。銃を模倣するように人差し指と中指を突き出し、構える。
超能力を放った。無造作に。殺意を吐き出すように。
五人の頭が、床に叩き付けたトマトのように吹っ飛んだ。飛び散る血。ビチャ、という不快な音。
頭を失った五人の首から、ピューピューと血が吹いていた。血痕が、事務所の壁や床のあらゆるところに残った。
おそらく五人は、自分が死んだことすら理解できなかっただろう。それくらい、当たり前のように殺した。道端の石コロを蹴飛ばすような気軽さで。
生きている組員達は、皆、呆然としている。
鉄くさい臭いが漂う事務所の中で、秀人は自分の手を見た。超能力を打ち出した手。たった今、人を殺した手。
──やっぱり、何の問題もないよね。
胸中で呟いた。問題なく超能力を使える。問題なく、人を殺せる。
「な……なんで……ですか?」
口をパクパクとさせながら、岡田が聞いてきた。
「まあ、実験」
自分が、変わってしまっていないか。その実験。
「実験は成功だね」
きっと、あのときは、エネルギーが切れていたんだろう。そういえば、あまり食べていなかった気がするし。言い訳のように、秀人は自分に言い聞かせた。あのとき超能力が消えたのは、きっと、空腹だったからだ。今は、問題なく使えたのだから。問題なく殺せたのだから。
「じゃあね、岡田さん。俺に殺しを依頼したいときは、遠慮なく呼び出して。いつでも駆けつけるから」
ヒラヒラと手を振って、秀人は、血まみれの事務所を後にした。
廊下に出る。エレベーターに乗る。
降りるエレベーターの中で、ふいに思い出した。
昔のことだ。幼い頃のこと。
秀人の拾った野良の仔猫が、死んでしまった。車に轢かれて、弱っていた猫だった。
必死に看病した。両親に頼んで、病院にも連れて行った。寝る間も惜しんで世話をした。
それでも、死んでしまった。
あのとき。
悲しくて、悲しくて、秀人は大粒の涙を流した。守りたかった。助けたかった。成長する姿を見たかった。一緒に暮らしたかった。
父は、秀人の頭を撫でてくれた。
母は、優しく秀人を抱き締めてくれた。
秀人を慰める両親。
そういえば、つい最近も、こんなことを思い出した気がする。
あれは、いつだったか……。
思い出そうとしても、思い出せなかった。
まあ、俺が思い出せないくらいだから、大したことじゃないんだろうな。
自分の心に残る記憶を、秀人は簡単に切り捨てた。
自分が泣きそうな顔になっていることにも、気付かずに。
◇
それからひと月も経たないうちに、秀人は、自宅を引き払い、取り壊した。
岡田に指示して、事務所を移転させた。
まるで、自分の心の中から、全ての思い出を消し去るように。
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