第四十五話 金井秀人の思考と心は対立する
秀人が家主を殺し、入り浸っている一軒家。洋平達が住み着いたコンビニの、隣の家。その、二階の一室。
コンビニとこの家の窓は向かい合っていて、洋平達の様子を観察することができる。とはいえ、暗くてはっきりとは見えないが。
秀人の視界の中で、洋平が布団から飛び起きた。
暗くて、洋平の表情などは明確には見えない。それでも、彼が慌てていること、緊張していることは分かる。
秀人はスマートフォンを手にし、時刻を確かめた。
十二月二十四日。午前零時二分。
警察側の、洋平達を確保する作戦が開始されている時刻だ。
秀人はレーダーを広げた。超隊員二人がコンビニの鍵を開け、中に侵入したのが分かった。
洋平もレーダーを広げて、超隊員の動きを察知したのだろう。美咲を起こし、逃げる準備をしている。
秀人の位置から、洋平達の姿は影のようにしか見えない。動き回る、洋平と美咲の影。美咲の準備は、洋平に比べてあまりに手際が悪い。着替えの速度ひとつ取っても。
超隊員が二階に辿り着いた頃に、美咲はようやく服を着込み終えた。
逃げ出す前に、超隊員に踏み込まれる。そう、洋平は判断したのだろう。彼は懐中電灯を点け、銃を手にした。
懐中電灯の明かりで、秀人の目にも、洋平の姿がある程度見えるようになった。
洋平が、銃のシリンダーに装填されている銃弾を確かめている。戦闘準備をしているのだ。
思惑通りだ。美咲が足手まといとなり、洋平は超隊員と戦うことになる。自分の計算通りに物事が進んでいる光景。それを目にしながらも、秀人の表情は動かなかった。
ただ、なぜか、胸が痛かった。
美咲が必要な荷物を持ち、逃走準備を終えた。
けれど、もう遅い。二人の超隊員は、すでに、洋平達がいる部屋の前まで来ている。
洋平も、超隊員の動きを正確に把握しているのだろう。襖に向かって、ワンハンドで銃を構えた。
襖が開いた。
洋平が銃を撃った。
銃弾は二人の超隊員の足に命中した。
超隊員のひとり──五味が、銃弾を受けてその場に倒れ込んだ。足下のプロテクトが甘かったのだ。三橋から、五味は傲慢な男だと聞いている。洋平を子供だと思って油断していたのか。もしくは、ただ未熟なだけか。
部隊長である
五味は
洋平は銃を構えながら、正義や五味と対峙していた。
洋平の後ろにピッタリとくっつくように、美咲がいる。
正義が、まるで降参の意思を示すように両手を上げた。何かを喋っているようだ。洋平も言葉を返している。その声までは、秀人の耳には届かない。
何度か会話のラリーを繰り返す中で、肩の辺りまで上げた正義の両手が、ビクンッと震えた。遠くからでも、正義の警戒心が強くなったことが分かった。
上手く駆け引きをしているんだな──会話の内容までは聞こえなくとも、秀人には、それがはっきりと分かった。洋平が、会話の中で上手く正義を動揺させたのだ、と。
洋平が秀人の家に来たばかりの頃、教えたことがあった。
『普段から頭を使って。状況によってはハッタリで活路を開けることもあるから、頭の回転力は重要なんだ』
洋平は確かに有能だ。天才と言っていい。だが、彼の優秀さを支えているのは、才能だけではない。無限とも言える努力の成果だ。洋平は、頭の回転を速めるために絶えず問題集を解き、同時に、秀人の家にある本を読み漁っていた。少しでも知識を身に付けるために。自分の力を向上させるために。
純粋で、愚直で、感動さえ覚えるほどの努力家。共に生活した三ヶ月で、秀人は、そんな洋平の姿を毎日のように見てきた。
秀人の口の端が上がった。この場の雰囲気にはまったく似合わないが、なんだか、微笑ましい気分になった。
努力を重ね、その成果を出している洋平が──
秀人はつい、自分の目的も忘れて、窓の外の光景に見とれていた。懐中電灯の淡い光の中にいる、洋平の姿に。
よく頑張った。
成長した。
大した奴だ。
洋平を賞賛する言葉が、次々と、秀人の心の中で溢れた。紙一面に書き殴った文字のように。その一文字一文字が、秀人の心を温めてゆく。まるで、昔、両親とともに生活していたときのように。
洋平と正義が駆け引きをしている中で、美咲が、洋平のダウンジャケットの袖を掴んだ。洋平が、美咲に何か言ったのだろうか。
次の瞬間、美咲の大声が届いた。
「嫌だ!」
秀人の耳に届くくらい、大きな声だった。
「嫌だ! 一緒にいて! 離れたくない! 一緒にいたい! 私ひとりで逃げるなんて、嫌だ!」
美咲の声で、秀人は我に返った。心地よい温かさに包まれていた心が、急激に冷えてゆく。冷静さを取り戻してゆく。
──俺は、何をしている?
秀人が望んでいたのは、洋平が超隊員と激しくやり合うことだ。こんな駆け引きを期待していたわけじゃない。洋平達が逃げ切ることを、期待していたわけじゃない。
この状況を作り出した目的は、洋平と超隊員達を激しく争わせること。あわよくば死人を出すこと。
冷たい思考が、秀人自身に指示を出した。
自分の目的のために、この状況を動かすんだ。
秀人は右手から、超能力を発動させた。
膝をついている五味は、傲慢な男だという。自分が洋平に攻撃されたと思ったら、迷わず反撃するだろう。その状況を作り出して、理想通りの展開にする。
秀人は、発動させた超能力を細く薄く絞り、目の前にある窓の隙間を通した。外に出した超能力を、そのままコンビニの窓の方に伸ばす。コンビニの窓の隙間も通過させる。コンビニの室内に入れた超能力。その標的を、五味に定めた。
五味を殺さない程度の威力で撃ち出せるよう、超能力の強さを調整する。
超能力で攻撃された五味は、その攻撃を洋平が放ったものだと判断するだろう。警察側は、洋平を超能力者だと断定している。
五味は迷わず反撃する。本当は超能力を使えない洋平に向かって。
五味の攻撃を受けた洋平が、もしその一撃で死ななかったら。
洋平は、逃げ延びるために必死に抵抗するだろう。銃を乱射して。美咲と一緒に逃げるために。美咲と一緒に生きるために。
洋平の反撃が、さらに五味の攻撃を誘う。
この状況でそんな展開になれば、かなり高い確率で洋平は死ぬ。
警察が厳重に管理すべき銃を入手し、暴れた少年。超能力を使えるわけでもない未成年を、超能力で殺した警察。世間に大きな反響を呼ぶには、十分な内容と結末だ。
「さよならだね、洋平」
別れの言葉。洋平が死んだら、二度と会うことはない。
コンビニ内部まで侵入させた超能力を、撃ち出そうとして──
「!?」
秀人は、目を見開いた。
フッと、まるで霞のように。
秀人の超能力が霧散した。
──なんで!?
秀人は、つい、コンビニから目を離した。自分の手を見る。超能力は目視できない。それでも分かる。超能力を出せない。使えない。
使おうとして何度意識を集中しても、出てこない。
──どうして!?
こんなことは、今まで一度だってなかった。超能力を使えるようになってから、一度も。初めて人を殺したときだってそうだ。殺意を具現化するように超能力を繰り出し、人の頭をトマトのように吹っ飛ばした。
自在に使いこなし、多くの人間を殺してきた。
今も、これまでと同じように殺すつもりだった。
──それなのに、どうして!?
人生で初めてと言っていいくらい、秀人は動揺した。自分が自分ではないようだった。突き破れそうなほどに胸が痛い。自分の胸が──心が、悲鳴を上げているようだ。
ガタンッ、と大きな音が鳴った。コンビニの窓だ。
反射的に、秀人はコンビニの窓に視線を戻した。
コンビニの室内で、嵐のような突風が吹き荒れていた。
あの光景には、見覚えがある。秀人が、初めて超能力を発動させたとき。父親の死を知り、感情が高ぶったとき。あのときと同じだ。
突風は、明かに洋平の体から生み出されていた。
その直後、事態は大きく動いた。
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