第四十四話 村田洋平
「村田洋平君だな?」
部隊長が、両手を肩のあたりまで上げながら聞いてきた。
洋平は無言で、落ち着いて部隊長の様子を観察した。
床に捨てた懐中電灯が、上手い具合に彼等を照らしている。もっとも、はっきり照らされているのは、部隊長の胴体あたりだが。それでも、
精悍な顔立ち。筋肉質で、屈強さを感じさせる体。両手を上げていても隙のない立ち振る舞い。銃弾を完全に防ぎ切ったことから、超能力の強さも精度も相当なものだろう。間違いなく、圧倒的に強い。戦っても勝ち目がないことは、火を見るより明かだ。
「答える義理はない」
すり足で少し後退して、洋平は、部隊長の問いに拒否の意思を示した。
「怪我をした部下を連れて、とっととここから消えろ。二度と俺達の前に現れるな」
無駄だと分かっている要求。それをあえて口にしたのは、考える時間を稼ぐためだ。
戦っても勝ち目などない。戦うとしても、それはあくまで逃げるため。勝つための戦いじゃない。逃げるための時間を稼いで、逃げるために駆け引きをして、どうにかこの場を切り抜ける。
「大丈夫なの? 洋平」
洋平の後ろにピッタリと付きながら、美咲が聞いてきた。洋平が人を撃ったことを、心配しているのだろう。秋田家のときのようになるのではないか、と。洋平が苦しんでいるのではないか、と。
「大丈夫だ」
人を傷付けるのは恐い。殺してしまうかも知れないことに、恐怖を覚える。
それでも、戦える。撃てる。美咲と一緒にいるためなら。
「分かってると思うけど、俺に銃は効かない」
部隊長は両手を上げたまま、その場から一歩も動かなかった。ただじっと、洋平達を見ている。懐中電灯の光は、彼の顔までほとんど届いていない。かすかに見えるその顔は、どこか苦しそうにさえ見えた。
「おとなしく投降してくれないか? 君達とは、戦いたくないんだ。傷付けたくもない。君達の状況も考慮する。生い立ちを考えれば、情状酌量の余地は十分過ぎるほどあるはずだ」
戦わずに説得しようとする、部隊長の言葉。
その言葉を、洋平は鼻で笑った。笑いながらも、胸が焼けるような苛立ちを覚えた。
戦いたくない!? 傷付けたくない!? 状況を考慮する!? 生い立ちを考えれば、情状酌量の余地は十分にある!?
ギリッという音が鳴るほど、洋平は歯を食い縛った。
──ふざけるな!!
洋平の頭の中で、記憶が蘇った。助けを求めて訪れた交番での、警察官の面倒そうな顔。言葉。口調。他人の痛みなどどうでもいい、というような。
洋平は、戦いたくなくても戦う必要があった。弟を守るために。傷付きたくなくても、傷付けられた。奪われた。失った。大切なものが自分の手の中から消えて、生きる目的も意味もなくした。
弟を失ってから、自分には何もなかった。ただ生きているだけだった。
そんな自分にも、ようやく、幸せだと思えることができた。生きる意味や目的を見つけた。
美咲。
美咲を、失いたくない。一緒にいたい。奪われたくない。
──弟を見殺しにした奴等が、俺から美咲を奪おうとするな!!
異常なほどの怒りが湧き上がってくる。狂いそうなほどの怒りは洋平自身の制御を振り切り、暴走しそうだ。
それでも、立ち止まれた。抑えられた。自分の後ろに、美咲がいるから。生きる意味も目的もあるから。
深く呼吸をして、洋平は頭を回転させた。怒りは冷静さを失わせる。冷静さを失ったら、この場を切り抜けられない。美咲と一緒に生きる道が閉ざされる。だから、落ち着け。落ち着いて考えろ。
思考を巡らせるとき、浮んでくるのはいつも秀人のことだ。彼に教えてもらったこと。彼の言葉が、何度でも窮地から助け出してくれる気がした。
『何かを守りたいなら、その方法を教える。超能力だけが力じゃないんだから。そんな絶対的なものじゃない』
『超能力を使うには大量のエネルギーが必要となる。だから超能力者は、例外なく力士並の大食漢』
『銃で攻撃し、銃撃を防がせて超能力者のエネルギーを枯渇させれば』
『不利な状況で戦ったり逃げたりするには、運動能力や射撃能力、逃走のための運転技術だけじゃ足りない。咄嗟の判断能力や発想力が必要になると思う』
『普段から頭を使って。状況によってはハッタリで活路を開けることもあるから、頭の回転力は重要なんだ』
秀人の教えを、脳裏に駆け巡らせる。彼の教えが、洋平にとっての最大の武器だから。
「あんたに銃が効かないことなんて、分かってるよ」
洋平は無理に笑みを浮かべた。部隊長にこちらの顔が見えているのかは、分からない。それでも、余裕を見せたかった。ハッタリを効果的にするために。
「ただ、あんた、非常食とかは持ってないだろ。その様子だと」
洋平の頭に浮んでいるのは、秀人から教わったことだけではない。彼から伝えられた情報も、この状況で利用する。
『警察は、お前を超能力者と断定して捜査してるみたいだね』
「超能力はエネルギー消費が激しい。銃弾を防いでエネルギーを散々消費した状態で、俺とどれだけ戦える?」
肩のあたりまで上げられた部隊長の両手が、ピクンッと震えた。明かに警戒の色が強くなっている。
上手いことハッタリが効いた。部隊長の反応を見て、洋平はそう判断した。
状況は、洋平達が圧倒的に不利だ。部隊長が強引に取り押さえに来たら、瞬く間に捕まり、逮捕されるだろう。それくらいの力量差があるはずだ。
けれど、今はハッタリが効いている。部隊長は洋平を超能力者だと信じ、強硬手段に出られない状態になっているはずだ。
行動するなら、今がチャンスだ。部隊長が無駄に警戒している、今が。
そして、部隊長と自分の力量差から考えると、チャンスは今しかない。
自分のすぐ後ろにいる美咲に、洋平はそっと耳打ちした。もちろん、部隊長から視線は逸らさずに。
「美咲。今のうちに、窓から逃げろ。俺もすぐに行く」
部隊長が警戒しているのは、洋平が戦闘態勢を崩さないからだ。二人で一度に逃げようとしたら、間違いなく追ってくる。それならば、まずは美咲を逃がし、行動しやすくなったところで、洋平自身も逃げる。
冷静に、冷静に、頭の中で逃亡の流れを作ってゆく。美咲を逃がし、その後は、ハッタリを効かせながら洋平自身も逃げる。
美咲と落ち合う場所は、どこがいいだろうか。警察官が想像もしていなくて、ここからそう離れていない場所がいい。
そうだ。少し前まで働いていた、新聞販売店がいい。職場で落ち合う、と言えば美咲には通じるだろう。その会話が聞こえていたとしても、部隊長達には、それがどこを意味するのか分からないはずだ。
思考を巡らせていると、美咲が、洋平のダウンジャケットの袖を掴んできた。
部隊長を視界の端に入れたまま、洋平は美咲を見た。
美咲は、暗がりでもはっきりと分かるほど、泣きそうな顔になっていた。
「嫌だ!」
美咲の涙声が、室内に反響した。暗がりで出した大声は、隣近所まで聞こえそうなほど響き渡った。
「嫌だ! 一緒にいて! 離れたくない! 一緒にいたい! 私ひとりで逃げるなんて、嫌だ!」
美咲が握っているダウンジャケットの袖が、ギュッと擦れていた。それくらい、強く握っている。絶対に離さない。離れない。そんな彼女の意思を示すように。
少しだけ考えて、洋平はすぐに理解した。美咲の涙の意味を。
ああ、そうか。こいつ、まだ、俺が自分を犠牲にするとか思ってるんだな。自分を犠牲にして美咲だけでも逃がそうしてる、なんて……。
美咲がそう思ってしまうことに、心当たりはある。まだ美咲の家に住んでいたとき、彼女に言ったことがあった。
『逃げ切れないと判断した場合は俺が引き止め役として戦う。お前は、その間に逃げるんだ』
あれは、暴力団に狙われていたときだったか。
なんだか、ずいぶん昔のことみたいだ。
つい、洋平は、先ほどの怒りも忘れて微笑んでしまった。心から出た笑みだった。美咲が可愛くて、愛しくて、たまらない。
俺は、あのときとは違うんだ。今では、もう、美咲がいないと生きていけないんだ。美咲がいないと、安心して死ぬことだってできないんだ。自分を犠牲にしようなんて、考えられない。美咲と離れることになっても守ろうだなんて、微塵も思えない。
いつか、美咲の左手の薬指に、指輪をはめたい。安物の指輪だっていい。針金で作った指輪だっていい。ただ、誓いたいんだ。ずっと一緒にいると。美咲の体の中を巡る血になるくらい、離れることはないと。
洋平は一瞬だけ、部隊長から視線を離した。この窮地の中では、失態と言える行動だ。それでも、美咲をはっきりと見たかった。美咲と視線を合わせたかった。
「美咲」
自分の気持ちを、想いの強さを伝えたい。
「俺を信じろ」
ハッとしたように、美咲は目を見開いた。
洋平はすぐに、部隊長に視線を戻した。彼は、まだ動いていない。
美咲が頷いたのが、気配で分かった。
「分かった。信じる」
「ああ。俺達の職場で待っててくれ。俺もすぐに行く」
美咲の手が、洋平のダウンジャケットから離れた。
美咲はゆっくりと後ずさりすると、南側の窓に向かって駆け出した。
「待て!」
部隊長が動き出した。こちらに向かってくる。
予想外だった。洋平が身構えているのに、部隊長が、躊躇いなく向かってくるなんて。
洋平は瞬時に、銃口の狙いを部隊長に定めた。狙いは足。
俺は捕まらない! 美咲を捕まえさせない!
洋平は引き金を引いた。連続で、四発。装填されている銃弾を全て撃ち出した。
銃声と硝煙の中、部隊長は一瞬だけ立ち止った。銃弾を全て防ぎ切ると、再び向かってくる。銃弾を充填している余裕はない。接近戦でも勝ち目はない。
捕まる!? 俺も美咲も!?
ドクンッと、洋平の心臓が強く脈打った。
美咲と引き離されるのか!?
洋平の感覚が、研ぎ澄まされた。時間がゆっくり流れる。全てがスローモーションに見えた。こちらに向かってくる、部隊長の動きも。
美咲と一緒にいるんだ! どんなことがあっても! たとえ絶望の中でもがくことになっても!
ゆっくり流れる景色の中で、暴風のような感情が洋平の内側に吹き荒れた。強い、強い感情。
絶対に離れないんだ!!
洋平の頭の中に、痛みに近い感覚が走った。脳の中に、電流でも流されたような感覚。バチバチという音さえ聞こえてきそうな衝撃。
また、秀人の言っていた言葉が浮かび上がってきた。
『津波みたいな感情が頭の中で溢れて、そのときに、頭の中に電気が走ったような衝撃を感じたんだ』
秀人自身が語っていた、超能力が発動したときの感覚。
その直後、嵐のような強風が室内に吹き荒れた。
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