第四十三話 幸せの中に侵入されて、逃げるために、抵抗して



 今は何時くらいだろうか。

 そろそろ日付が変わる頃だろうか。

 十二月二十三日か、それとも、もう二十四日になったのだろうか。


 暗い部屋で、布団の中で。

 互いに裸で、洋平は美咲と抱き合っていた。

 温め合っていた。


 互いの吐息が届く距離。

 触れ合う肌が心地いい。

 心臓の鼓動を感じられる。それくらい、今は美咲との距離が近い。

 

 それは、洋平にとって、何にも代え難い幸せな時間だった。


 幸福の宝箱のような時間。


 ただひとつ、不満があるとすれば。

 こんな幸せな状況でも、周囲を警戒し続けなければならないことか。


 洋平は、常にレーダーで周囲の気配を探っていた。今の自分達の立場を、しっかりと理解していた。


 自分達は犯罪者。警察に追われている。狙われている。


 絶対に捕まるわけにはいかない。捕まりたくない。美咲と、片時も離れないために。弟を見殺しにした奴等に、屈服しないために。


 けれど、と思う。


 こんな生活が、いつまで続くのだろうか。いつまで、こんな窮屈な思いを美咲にさせるのだろうか。


 日付が変われば、クリスマス・イヴだ。本来の意味がどうであれ、今のこの国では、恋人や夫婦が一年で一番愛し合う日になっている。


 できれば、何の心配も不安もなく、美咲と一緒にいたい。幸せで何の不安もないクリスマス・イヴを過ごしたい。


 美咲を抱き締めながら、想像してみた。何の不安もなく、ただ幸せな毎日。そんな日々を美咲と過ごす。暖かい部屋で、美咲とクリスマス・イヴを過ごす。


 もし、そんな日が訪れたら。


 そうしたら、美咲に指輪を渡すんだ。彼女が昨日話していた、結婚指輪。互いの左手の薬指にはめて、心臓と心臓で繋がるんだ。決して離れないように。


 ずっと、ずっと。

 死が二人を分かつまで、美咲と──


「──!?」


 洋平は目を見開いた。


 洋平のレーダーの範囲内に、二人の人間が侵入してきた。まったく別のルートを通って、このコンビニの出入り口付近で合流した。その動きが、はっきりと察知できた。


 幸せな温かさに包まれていた洋平は、突如、凍るような寒気に襲われた。背中に鳥肌が立った。


 このコンビニ付近に来た二人が、何者なのか。考えるまでもなかった。


 ──警察に、この場所を嗅ぎ付けられた!


 ガバッと、洋平は飛び起きた。


 突然洋平が動き出したことに、美咲は驚いていた。


「どうしたの? 洋平」


 美咲は眠そうだった。おそらく、微睡まどろんでいたのだろう。けれど、このまま眠ることなどできない。


「警察が来た。今、ここに入ってこようとしてる」

「!?」


 美咲も目を見開いた。眠そうな顔が一変した。緊張感に満ちた表情。一気に目が覚めたようだ。布団から体を起こした。急に布団から出たせいか、冷えた体をブルッと震わせていた。


 レーダーで、警察官の動きが分かる。このコンビニの出入り口付近で合流した二人。一人が、懐から何かを取り出した。十センチにも満たない、固い金属製の物。この建物の鍵だろう。


「美咲、逃げるぞ。慌てなくていいから、服を着て、必要最低限の物を持つんだ」


 洋平は、部屋の南側の窓を指差した。


「そっちの窓の外に、ロープを垂らしてある。着替えて荷物を持ったら、ロープを伝って屋根に登るんだ。そこから、屋根伝いに逃げる」


 警察官達は、慎重に行動しているようだ。そっと、音が鳴らないように鍵を鍵穴に入れた。ゆっくりと回す。


 洋平は、複数の行動を器用に並立させていた。美咲に指示をする。レーダーで、警察官──おそらく超隊員──の動きを探る。自分も服とダウンジャケットを着て、逃げる準備をする。


 銃と銃弾が入ったウエストポーチを、肩から掛けた。


 超隊員がドアを開け、コンビニ内に侵入してきた。営業時はスタッフ以外立ち入り禁止だった場所に入った。廊下を通る。階段を昇って来ている。足音を立てないように、そろり、そろりと。


 美咲がようやく、服を着込み終えた。財布などの必要最低限の物は、まだ持てていない。


 超隊員が二階に辿り着いた。音を立てないように慎重に行動しているが、それでも、彼等の行動は早かった。


 ──駄目だ! この部屋から逃げ出す前に、あいつ等が来る!


 そう悟った瞬間、洋平は戦うことを決意した。肩から掛けたウエストポーチ。その中から、銃を取り出した。懐中電灯を点けて、装填されている弾数を確かめる。六発。全弾入っている。


 レーダーで、超隊員達の動きを正確に把握し続ける。隣のリビングダイニングの襖を開けた。中を見回している。洋平達がいないか確かめているのだ。手に何かを持っている。懐中電灯だろう。


 超隊員達がリビングダイニングから出た。こちらに向かって来る。


「ごめん、洋平。もう行ける」


 美咲の逃走準備が整った。けれど、もう遅い。この襖の向こうには、すでに超隊員がいる。


 洋平は、襖を開けて入ってくるであろう二人から隠すように、美咲の前に立った。右手のワンハンドで銃を構える。左手に懐中電灯。


 自分に人は殺せない。それは分かっている。けれど、逃げ切るために負傷させることはできる。射撃の練習は、秀人と何度もした。超能力者の欠点も、秀人から聞いている。


『超能力は脳が発動元になっているため、意識が届きにくいところの防御はどうしても甘くなる傾向がある。足下などは、その典型』


 狙いは、足だ。足を負傷させて、動きを封じる。動けなくして、逃げる。


 心臓の鼓動が速くなってゆく。驚くほど緊張している。秋田家では、失敗した。狙った箇所に撃てなかった。


 けれどそれは、殺す必要があったから手元が狂ったんだ。殺すつもりがなければ、正確に撃てるはずだ。そう、洋平は自分に言い聞かせた。今回はできる。やる必要がある。やらなければならない。


 ──美咲と一緒に逃げるんだ! 


 超隊員の一人が、襖に手を掛けた。


 銃を握る洋平の手は、汗ばんでいた。グリップを握る手が、滑ってしまいそうなほどに。


 襖が開いた。超隊員二人の姿が、洋平の目に映った。


 その瞬間に、洋平は引き金を引いた。二回。


 超隊員と洋平の懐中電灯に照らされた、暗い部屋。そこに銃声が響き、硝煙が舞った。


 火薬の臭いを漂わせながら、硝煙が消えてゆく。まるで、秋田家で発砲したときのように。


 あのときとは違い、洋平は狙いを外さなかった。正確に、超隊員それぞれの右足に銃弾が当たった。


 戦う。美咲と一緒にいるために。美咲と一緒に逃げるために。絶対に、美咲と離れないために。その気持ちだけで、戦えた。


「……うっ……ぐっ……」

 

 超隊員のひとりは、右足を押さえてその場にうずくまった。立ち上がろうとして、また膝をついた。出血はしていないようだ。超能力で、ある程度は威力を殺したのだろう。だが、あの反応から察するに、骨折はしているはずだ。


 もう一人の超隊員は、落ち着いて洋平達を見ていた。確かに銃弾は当たったはずだが、平然としている。身構えながら、膝をついた超隊員に聞いた。


「五味、大丈夫か?」

「部隊長、たぶん、足が、折れました」


 足を骨折した超隊員が回答した。相当痛いのだろう、言葉が途切れ途切れになっていた。


 部隊長と、五味か。洋平は、彼等の職位や名前を胸中で復唱した。銃を構えながら、彼等の様子を観察する。すぐに襲いかかってくる気配はない。


 とはいえ、油断はできない。怪我をしていない部隊長はもちろん、膝をついている五味も警戒する必要がある。超能力者は、手が届かない距離からでも攻撃できる。膝をついたままでも──こちらに接近しなくても、攻撃は可能なはずだ。


 洋平は必死に頭を回転させた。いかにして逃げるか。どうやって切り抜けるか。


 超能力者は遠距離攻撃ができる。背を向けて逃げるのは厳禁だ。簡単に狙撃されてしまう。まずは、あいつ等から目を逸らさずに、ゆっくり後ろに下がるんだ。ゆっくり、ゆっくり、南側の窓に近付くんだ。


「美咲」


 小声で、洋平は美咲に告げた。


「少しずつ、後ろに下がるぞ。どうにかして逃げるんだ」


 部隊長を視界に入れながら、ちらりと美咲を見る。彼女は小さく頷いた。


 部隊長に攻撃してくる気配はない。


 五味は右足を押さえながら、憎々しげにこちらを見ていた。


 すり足のように、洋平は半歩だけ南側の窓に向かって下がった。

 

 美咲も、洋平に合せて下がる。緊張しているせいだろう、彼女は若干息切れしていた。


 部屋が暗いのは幸いだった。自分達の細かな動きが察知されにくいはずだから。小さく後退しながら、なんとか窓際まで近付きたい。


 洋平は、左手に持った懐中電灯を床に捨てた。二発撃ったから、残りの弾は四発。状況に応じて、素早く弾を充填する必要がある。懐中電灯など持っていられない。


 円柱型の懐中電灯はコロコロと転がり、上手い具合に部隊長達を照らした。その姿が、ある程度はっきりと見える。


 五味は、身長が一八〇近くありそうだ。膝をついていても、長身なのが分かる。暗がりでもはっきりと分かるほど、嫌な顔をしていた。傲慢さを絵に描いたような顔。


 部隊長は、明かに五味よりも小柄だった。身長は、洋平よりも少し高いくらい。一七〇くらいだろうか。普通の警察官に似た、だが明かに違う制服に身を包んでいる。その制服の上からでもはっきりと分かるほど、筋肉質だった。


 再び洋平は、秀人の教えを思い出した。


『超能力は打撃から身を守ることはできても、関節技から身を守ることはできないんだ』


 つまり、超能力者と戦う際は、近接戦闘に持ち込んだ方が戦い易い。格闘の訓練も秀人と散々やったし、身体能力を鍛えるトレーニングも欠かさず行ってきた。


 けれど。


 部隊長の体つきを見て、洋平は、接近戦に持ち込むという発想をすぐに捨てた。


 接近戦において、圧倒的なパワーというのは大きな武器になる。技術やスピードなど、粉々にしてしまうほどに。


 体つきを見れば、容易に分かる。部隊長は、明かにパワーで洋平を上回る。彼を相手に接近戦を行うなど、リスクが大き過ぎる。


 ここは、逃げの一手だ。


 高鳴る鼓動と緊張を抑えながら、洋平は冷静に状況を判断していた。集中して、頭をフル回転させて。


 そんな洋平の思考が、一瞬、停止した。部隊長の、予想外の行動を目にして。


 部隊長は、まるで降参の意を示すように、自分の肩のあたりまで両手を挙げた。戦う意思はない、とでも言うように。


 洋平はすぐに我に返った。惑わされるな。落ち着いて思考しろ。冷静に状況を判断しろ。自分に言い聞かせながら、部隊長を観察する。


 部隊長は、静かにその口を開いた。


「村田洋平君だな?」


 その声には、どこか優しささえ感じた。





 

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