第二十六話 金井秀人はコントロールする



「洋平。お前の、初めての実戦の話だよ」


 秀人がそう言った瞬間に、洋平と美咲の顔が緊張の色に染まった。彼等は、秀人の言葉の意味をよく理解しているようだ。


 秀人の手元の、空になったティーカップ。少し前まで、談笑しながらケーキを食べていた。和気藹々わきあいあいとした雰囲気だった。


 その雰囲気は、手元のケーキと一緒になくなった。


 けれど、洋平や美咲の心から、秀人への敬愛はなくなっていないだろう。


 この三ヶ月間、秀人は、洋平と美咲を大切にしてきた。よく面倒を見た。昔、野良猫を拾ったときのように。彼等の、秀人に対する敬愛の念は、その成果だ。


「さて、と。それじゃあ、まず結論から言うね」


 洋平が固唾を飲んだ。


「予定がタイトで悪いけど、三日後。八月十一日の夜に、ある警察官の家に襲撃に入るよ。刑事部刑事一課の課長の、秋田慎之介って奴なんだけど──」


 二時間ほど前。秀人は、三橋から情報を聞き出した。刑事一課課長の秋田慎之介と、超隊の部隊長である前原正義の情報。そのために今日は外出し、先月と同じ居酒屋で三橋と待ち合わせた。少し前に食べたケーキは、その帰りに買った物だった。


「──そいつについて、詳しく話すね」


 洋平は小さく頷いた。美咲も、彼と同じように頷く。


 秀人は、頭の中で、三橋から聞き出した話を再生させた。


 刑事一課課長の、秋田慎之介。年齢は四十一歳。以前は、前原正義の父親の部下だった。正義の父が銃撃を受け殉職したことにより、その後釜として昇進。


 秋田は、正義の父を本当に尊敬していたようだ。彼の死を心から悼み、正義を含めた彼の家族に対し、自身の決意を告げたという。徹底した銃の撲滅に努める、と。正義の父の命を奪った銃。それを、治安維持以外の目的では使用させない。そんな世の中をつくる、と。


 それがそのまま、三橋の仕事のやりにくさに繋がっている。


 秋田の家は市内にある。持ち家の、一戸建て。そこで家族と生活している。家族構成は、妻と、息子と娘が一人ずつ。


 真面目で実直、家族を大切にし、警察官という自分の仕事に誇りを持っている──というのが、三橋の情報から秀人が抱いた、秋田の印象だった。


 当然、そんなことを、正直に話したりはしないが。


「秋田という刑事一課課長は、お前や俺が嫌う警察官の典型なんだ。自分の手柄を得るために平気で冤罪を作り出すし、そのくせ、手間がかかる事件には関与しない。もちろん、洋平や洋平の弟のような奴を、助けることもしない」


 少し前まで楽しそうに笑っていた洋平の顔に、悔しさが滲んだ。思い出しているのだろう。弟を助けてほしいと訴えたときに、面倒そうに切り捨てた警察官を。自分ひとりで弟を守らなければならないと悟ったときの、不安と絶望を。

 

「殺しても気に病む必要なんて、ない奴なんだよ。そんな奴が正義を振りかざしてふんぞり返っているだけで、虫酸が走る。そうだろう?」


 再度、洋平は頷いた。地頭のいい──知能が高いはずの洋平が、何の疑問も持たずに秀人の言うことを信じている。それは、彼が秀人に寄せる信頼の証明と言えた。


 洋平は優秀で、秀人と同じような境遇にあり、かつ、秀人を信頼している。

 

 秀人は、ここ最近、洋平に対する見方を変えていた。


 秀人は、警察が管理している銃を大量に入手し、それを大勢の手駒に渡して、暴動を起こさせて破壊行為をするつもりだ。


 警察が管理している銃が、暴動による破壊行為に使われる。それが社会に知れ渡れば、大きなスキャンダルとなり、警察の信用は地に落ちるだろう。


 だが、いきなり大勢の人間を手駒として使おうとすると、どうしても綻びが出てくる。自分以外の人間をコントロールするということは、それほどまでに難しい。


 だから、まずは少人数の人間を実験的に動かしてみる必要があった。そのために、洋平や美咲を引き取った。不遇な環境で育ち、自身に価値を見い出せない彼等なら、コントロールしやすいだろうから。


 実際、洋平や美咲はコントロールしやすかった。大切にし、親切に指導をし、適切に褒めれば、年相応の無邪気な笑顔を見せた。秀人によく懐いた。


 秀人にとっての誤算は、洋平が想像以上に真面目で、優秀だったことだ。彼は、疑いようもなく天才と言える男だった。


 泥にまみれていたせいで誰にも気付かれなかった、巨大なダイヤの原石。そんな少年。


 ここに来て、秀人は、洋平を手放すのが惜しくなった。こいつを上手く使えば、自分にとってかなり有益となる。もちろん、洋平自身に超能力の資質があることを悟られないよう、細心の注意を払う必要もあるが。


 洋平を、自分の手元におきたい。自分と価値観を共有し、自分と同じような生き方をさせ、自分と共に行動させたい。秀人はそう思うようになった。


 その第一歩として、まずは、洋平に人を殺させる必要がある。人殺しに慣れさせる必要がある。


 今の秀人は、人の命など綿毛より軽いと思っている。そんな秀人でさえ、最初の人殺しは躊躇った。自分を虐待した施設の職員を、殺すことさえも。


 殺人という一歩を、なかなか越えられなかった。


 秀人にその一歩を越えさせたのは、強い怒りだった。自分の父親を嘲った、施設職員への怒り。


 同じような怒りを、洋平にも持たせたかった。


「俺は、今でも許せないんだ。俺の父親を殺した警察が。その味方をした、司法が。俺達を批難した世間が。洋平はどう?」


 洋平の顔に浮かぶ悲しさや悔しさが、目に見えて強くなってゆく。思い出しているのだろう。誰にも助けてもらえなかったことを。自分の体を使って弟を守ろうとした時の痛みを。腕の中で命を失ってゆく、弟の姿を。少しずつ体温がなくなってゆく、弟の感触を。


 助けを求めた交番で、対応した警察官が、少しでも真摯に話を聞いてくれたら。ほんのわずかでも、手を差し伸べてくれたら。一緒に家に来てくれたら。助けてくれたら。


 自分の中で繰り返される「~たら」や「~れば」という仮定の言葉。それを繰り返す度に、胸が痛くなるのだ。


 秀人には、今の洋平の気持ちがよくわかる。秀人自身がそうだったから。施設にいた頃は、いつも泣いていたから。失った幸せを見つめて。無くした過去を振り返って。


 同時に、湧き上がるのだ。自分達の幸せを奪った者達への、煮えたぎるような怒りが。奈落の底のような恨みが。


「洋平は、そんな奴等を許せる?」


 洋平が、かすかに体を震わせていた。


 美咲が、心配そうに洋平を見つめている。洋平の気持ちをコントロールする、かなめと言える少女。洋平が、命がけで守った少女。今の洋平にとっては、弟の代わりと言える少女。


「もし、美咲が──」


 秀人の言葉に反応するように、洋平は美咲を見た。二人の視線が絡んだ。


「──弟と同じような目に合ったら、どう? どうしても守りたくて、でも、自分じゃ力不足で。警察に訴えて、でも無下に扱われて……」


 もし、その結果、美咲が殺されでもしたら。秀人がそう続ける前に、洋平は答えた。


「許せない。絶対に、許せない」


 守り切るのが、絶望的に難しい。その経験を、洋平は、つい三ヶ月前にしたばかりだ。


 暴力団に拉致された。手足を拘束され、絶望的な状況だった。秀人がいなければ、美咲はどうなっていたか。そのときの経験が「もし美咲に何かあったら」という不安を、現実的に想像させたのだろう。


 助けを求める声を面倒そうに聞き流された記憶が、心の中で渦巻いているのだろう。


「じゃあ、三日後だ。大丈夫だよね、洋平」

「大丈夫。やれる」


 洋平の声に混じる決意は、強かった。


 秀人はあえて、正義まさよしの情報を話さなかった。洋平が超能力者だという可能性を警察内で発言した、超隊の部隊長。彼の情報も、三橋から聞いていた。


 前原正義。警備部超常能力部隊員。中央警察署超常能力部隊第一部隊隊長。年齢は二十八歳。


 最終学歴は高卒。ただしそれは、大学に進学する学力がなかったからではない。刑事である父親に憧れ、いち早く警察官として働きたかったからだ。


 刑事一課課長であった正義の父親は、生前、昇進よりも、現場の仕事や犯罪者の更生に力を入れていた。


 犯罪者の再犯率は、一般市民が考えているよりも高い。そのため正義の父は、自身が逮捕に関わった犯罪者に積極的に接触し、懲役を終えた後も交流を欠かさなかった。彼等がまっとうに一般社会で生きていけるよう、尽力していた。


 その結果、彼は、犯罪者を追い詰める刑事という立場でありながら、元犯罪者に敬愛されるという特殊な人間となった。彼の葬式には、秋田のような警察関係者だけではなく、元犯罪者も多く参列していたという。


 そんな父に憧れた正義は、周囲の反対を押し切って、高校を卒業してすぐに警察官の道を歩み始めた。本人の希望は、父と同じ刑事になること。しかし、警察学校における最後のカリキュラムで、ブレーンコネクトを持つことが発見された。


 超能力の素質の大きさは、ブレーンコネクトの太さに正比例する。世界的な研究機関で記録されている最も太いブレーンコネクトは、一・三一ミリ。最も細いもので〇・三二ミリ。平均値が〇・五ミリほど。


 正義のブレーンコネクトは、〇・八四ミリと記録されていた。天才と言っていい部類だ。


 正義は、刑事のサポートに回ることもある超隊員という立場を受け入れ、その仕事に邁進した。状況により刑事のサポートをしながら、暴動鎮圧といった超隊の仕事も実直に遂行する。その傍らで、父が行っていたような犯罪者の更生にも尽力していた。


 かつての秀人や洋平の近くにいたなら、救いになった可能性のある警察官。


 だからこそ、その存在を、今は洋平には知られたくない。


 知らせるのは、洋平が殺しに慣れて、当たり前に人を殺せるようになってからだ。後戻りなど、できなくなってから。秀人と共に、秀人と同じような人生を歩むことになってから。

 

 綿毛を吹き飛ばすように、人を殺せるようになってから。


 洋平の表情は、緊張に満ちている。実行まで、まだ三日もあるのに。かすかに震えているように見えるのは、気のせいではないはずだ。少し前までの楽しげな雰囲気など、もう微塵もなかった。


 美咲は、洋平を心配そうに見つめていた。そんな彼女が、顔の向きを変える。秀人の方へ。向きを変えるだけの、ほんの数瞬。その瞬きする程度の時間で、表情もガラリと変わった。心配そうに洋平を見つめていた目。その目には、強い決意が表れていた。


 決意の籠もった目で、秀人を見つめた。


「ねえ、秀人──」


 美咲の唇から出た言葉に、洋平は目を見開いた。




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