第二十二話 金井秀人は嘘をついた



 秀人が洋平達と一緒に暮らし始めて、約二ヶ月が過ぎた。


 七月。洋平達を引き取ったときから季節は大きく変わり、今はすっかり暖かくなっている。


 そんな季節の、平日の夜。午後九時。


 秀人は、しろがねよし野にあるテナントビルに足を運んでいた。居酒屋やカラオケボックスが入っているテナントビル。その五階。


 今日の午後九時に、居酒屋の個室席を予約させたのだ。


 洋平と美咲は、家で留守番。


 居酒屋に入り、予約者の名前を店員に告げた。すぐに、予約席に案内された。


 この居酒屋を予約した男は既に来ていて、秀人のことを待っていた。


「や、三橋さん。ごめんね、時間ギリギリで」

「いえ、とんでもないです」


 三橋は額の汗をおしぼりで拭きながら、秀人に向かって愛想笑いを浮かべた。


 秀人は用意された席に座った。三橋と向かい合う位置。


 三橋──下の名前は、秀人も覚えていない。刑事部刑事二課暴力係の男だ。年齢は、三十九歳だったか。その記憶もあやふやだ。中年なのは確かだが。少し生え際が怪しくなっている前髪に、汗で光る額。眉間には、常に皺が寄っている。


 外見上は、さして特徴のない中年。どこにでもいそうな中年。特殊なところと言えば、刑事という身でありながら檜山組と繋がっている、というところか。つまりは、内通者。


 今日は三橋の仕事の状況を聞くために、ここを予約させた。彼の、内通者としての仕事の状況。


 個室とはいえ、ここは所詮居酒屋の一室だ。どこに監視カメラがあるかも分からないし、誰が聞き耳を立てているかも分からない。当然、話の内容を馬鹿正直に口にすることはできない。互いに分かる隠語で状況を報告させるのだ。


 店員が、お通しを運んできた。合せて、飲み物や食べ物の注文を聞かれる。


 秀人はコーラを頼み、合せて何品か食べ物も注文した。ラーメンサラダ、唐揚げ、ご飯大盛り、フライドポテト、シーザーサラダ、串カツの盛り合わせ、つくね三本セット、食後のデザートにパフェを三つ。支払いをするのは三橋だが、遠慮するつもりなどない。これくらいは、彼が組から受け取っている報酬に比べれば、大したものではない。


 一度に食べる量とは思えない注文を受けても、店員は笑顔で復唱確認をし、去って行った。


「……相変わらず豪快ですね」


 愛想笑いを浮かべながら、三橋は、褒め言葉なのか何なのか分からないセリフを吐いた。自身での努力を怠り、力のある者に媚び、安易な楽を求めるクズの笑み。


 秀人は、三橋を、都合よく利用できる小心者のクズだと思っていた。立場が強い人間には腰を低く構え、自分より下の立場の者には横柄になる。向上心が低いため、これ以上の出世も望めない。


 秀人は警察が嫌いだが、その昇格のシステムはかなり公平だと思っている。基本的には試験や仕事の評価で昇格するため、向上心や学習意欲の低い者はなかなか出世できない。そういった実績重視の出世システムを採用しているだけに、点数に繋がらないことはしない警官が出てくる──という弊害はあるのだが。


 洋平や彼の弟は、そんな警官の被害者と言えるだろう。


 そんな警察組織にいながら、三橋は、もう十年ほども暴力団の内通者をしている。なかなか出世できず不満を抱いていたときに、組にスカウトされたのだ。


 どのようなスカウトだったのかは、秀人は知らない。また、興味もない。ただひとつ言えるのは、目の前の男には信念も誇りもないということ。だから、安易で楽な道に進む。


 警察は、組織としては決して無能ではない。ただ、こういったクズが一定数いるのも、また事実だ。


 注文した飲み物と食べ物が運ばれてきた。


 秀人はそれらを口に運びながら、一緒に住み始めてからの洋平の変化を思い出していた。クズと言える警官の怠慢のせいで、人生が大きく狂った少年。


 秀人は、洋平には超能力の才能がないと告げた。


 もちろんこれは、嘘である。

 頭に触れるだけでブレーンコネクトの有無を確かめられる、というのも嘘だ。


 超能力の資質の有無──ブレーンコネクトの有無は、MRIなどを使って脳の検査を行わない限り分からない。それでも、断言できる。洋平には超能力の資質がある。それも、下手をすれば秀人以上の才能が。


 超能力の施術も受けず訓練もしていない現時点でさえ、レーダーの範囲は秀人よりも広い。それはまさに、洋平の並外れた才能の証明と言えた。


 だから嘘をついた。秀人が欲しいのは、自分の思い通りに動く手駒だから。自分以上の力を持つ手駒は、状況によっては自分の身を滅ぼす。


 考えてみれば哀れな話だ。洋平は、誰よりも優れた超能力者になれる素質がありながら、ゴミのような父親に育てられ、クズのような警官に対応されたせいで、こんな人生を歩んでいるのだ。


「それで、秀人さん──」


 目の前のクズのような警官に声を掛けられ、秀人は思考を中断した。


「ああ、何?」


 唐揚げを口に入れながら、聞く。


「──レンコンの仕入れの状況なんですが、その……」


 レンコン。回転式拳銃──リボルバーの隠語だ。もっとも、三橋との話し合いの場で言うリボルバーは、ただ一種類を指す。警察が管理し、警官が使用する、ニューナンブという銃。


「何? また仕入れられないの?」


 秀人は組を通じて、警官が使用している銃を三橋に横流しさせていた。組が仕入れた同種の銃とすり替えさせることで。


 秀人に問われて、三橋の額から汗がにじみ出てきた。汗の粒はすぐに大きな滴となり、ゆっくりと皺だらけの眉間に落ちてゆく。緊張で喉が乾いたのか、彼は手元の水を飲み干した。


「最近、仕事の進みが遅いんじゃない? 今のところ、仕入れたレンコンの数は、たった十個だよ? 俺としては、その十倍は欲しいんだけど」

「はい、あの……すみません、なにぶん、少し面倒なことになってまして」

「面倒? 何が?」


 三橋は再度、吹き出た汗を拭いた。隠語を用意していない内容を伝えるため、コソコソと呟くような声で話し出す。


「二年ほど前に、刑事一課で殉職した者がいまして。その原因が、銃殺だったんです」


 秀人は、頭の中で記憶を辿った。二年前。刑事の殉職。銃殺。キーワードで、頭の中を検索してゆく。


「ああ、なんとなく覚えてる。密輸された銃で殺された刑事だよね? 名前は確か、前田、だったっけ? それとも──」

「前原です」

「そうそう、そんな名前」

「前原は周囲に非常に信頼されていた刑事でして。そのせいか、一課の課長が、前原が殉職したことで銃規制に関して非常に過敏になっているんです。密輸入の銃に関しても、自分達が管理する銃に関しても」


 つまり、その一課長の管理と監視が厳しくなったせいで三橋が行動しにくくなった、ということか。


 その前原という刑事や一課長は、洋平に対応した警官や秀人の父の取り調べをした刑事とは、真逆の人間なのだろう。警官という仕事を、真摯に全うしている。正義と呼べる信念を持っている。


 昔の秀人にとっては──秀人の父にとっては、何よりも必要だったタイプの警察官。必要なのに、周囲にいなかった警察官。


 同時に、今の秀人にとっては、邪魔でしかないタイプの警察官。


 邪魔だから、やることは一つだ。


「じゃあ、消去しようか」


 消去。つまり、殺害。


 秀人の言葉に、三橋は息を飲んだ。緊張がピークに達したのか、口で細かい呼吸をしている。そのせいで喉が渇いたのだろう、近くのコップに手を伸ばした。だが、水は先ほど飲み干してしまったので、コップの中は空になっている。


「そんなに緊張しなくても大丈夫。俺がやるから。だから、情報をちょうだい。できるだけ早く」

「い……つまでですか?」


 緊張のせいか、三橋は言葉を噛んだ。


「そうだね。一ヶ月、ってとこかな。それまでに、俺も準備するから」

  

 丁度いい、と思った。一課長の殺害の実行は、洋平にやらせよう。


 洋平のここ二ヶ月の成長は、指導していた秀人自身が驚くほど目覚ましい。小柄ではあるが身体能力が高く、飲み込みも早い。すでに、警察や自衛隊の特殊部隊に劣らないほどの運動能力、格闘能力を身に付けている。実戦経験の不足はさすがに否めないが。


 さらに洋平は、地頭もいい。学習面での成長は実はそれほど期待していなかったが、真綿が水を吸収するように色んな知識を身に付け、発想力も磨かれている。


 洋平を育て、その成長ぶりを間近で見てきた秀人は、自信を持って断言できた。洋平は天才だ。もし、生まれ育った環境に恵まれていたなら、どんな分野でも、ひとかどの人物になっていただろう。それこそ、何年か先に学校の教科書に載るような。


 秀人は再び、生活を共にし始めた頃の洋平を思い出した。


 当初、洋平は、秀人が課した一般教養の課題を嫌がっていた。もちろん、だからといって、やらないことはない。根が真面目なのだろう。嫌がりながらもコツコツと勉強していた。


 地頭がいい洋平は、あるとき、無意識のうちに勉強のコツを掴んだようだった。簡単な算数の問題集とはいえ、その辺の大卒の人間でも不可能なほどの速度で解いて見せたのだ。


 その真面目さと優秀さに秀人は驚きながらも、つい、洋平の頭を撫でてしまった。凄いね、お前。頑張ったね。そんな言葉が、考えるよりも先に口から出た。まるで、秀人自身が、自分の父親に褒められていた頃のように。


 そのとき洋平は、本当に本当に、嬉しそうな顔で笑っていた。少し照れたような、くすぐったそうな。それでいて笑いを堪えられないという顔。


 その表情には覚えがあった。秀人自身が、父親に褒められたときにそんな顔になっていた。姿形も年齢もまるで違うが、秀人は一瞬、昔の自分を見ているような気分になった。


「……どうしたんですか、秀人さん」


 声を掛けられて、秀人は意識を現在に戻した。目の前のクズに視線を向ける。


「どうしたって、何が?」

「いえ、何か、すごく楽しそうに笑っていたんで」

「そう?」


 言われて、秀人は自分の頬に触れてみた。指先の感触で、口角が上がっていることが分かる。確かに、無意識のうちに笑っていたようだ。


 秀人は小さく息をついた。


「何でもないよ」


 気が付くと、超能力の防御膜──プロテクトが解けていた。自分の集中力が切れていたことに驚きながら、再び秀人はプロテクトを展開した。家から一歩でも出たら、どこに敵がいるか分からない。それなのに集中力を切らすなんて、俺らしくもない。


 自嘲しつつ、再び洋平のことを考えた。


 そういえばあいつは、野宿ができない寒い時期は、一人暮らしの大学生宅に強制的に不法侵入していたと言っていたな。その家に入り浸って寒さを凌いでいた、と。その際に警察に通報されて、レーダーを駆使して逃げ切った、と。


 つまり、洋平は──


「ねえ、三橋さん」

「あ、はい。何でしょう?」

「もうひとつ、調べてほしいことがあるんだけど」


 秀人は冷笑を浮かべた。暴力団員達を脅すときに浮かべる、冷たい笑みを。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る