第二十三話 金井秀人は自分の意思で殺した




 秀人に冷笑を向けられた三橋は、緊張に耐え切れなくなったように目を逸らした。テーブルの上にある、店員を呼び出すベルに手を伸ばす。指先は、微かに震えていた。


 ベルを鳴らすと、すぐに店員が来た。


 三橋はウーロン茶を三杯も注文した。よほど喉が渇いているのだろう。夏とはいえ、ここは冷房が効いている。それなのに、大量の汗をかいている。顎から、滴が落ちていた。


 注文を取った店員が立ち去ると、三橋は唾を飲み込んだ。乾いた喉を、少しでも潤すように。ゴクリ、という音が秀人の耳に届いた。大きく息を吐き、秀人の方に向き直る。


「それで、何を調べればいいんでしょうか?」


 秀人は、洋平から聞いていた話を頭に浮かべた。


 洋平は、冬場は大学生の家に入り浸って寒さを凌いでいた。その罪──不法侵入で、警察に追われているはずだ。その捜査の進捗状況と、担当している刑事が誰なのかを知りたい。


 洋平を駒として使おうとしている秀人にとっては、必須と言える情報だった。


 秀人が要望を伝えると、三橋は、ご機嫌取りが透けて見える顔を見せた。ベタつくような、媚びを売る笑み。


「それなら、もう知ってますよ。傷害事件も重なってるんで、刑事一課が担当しています。あと、それと……」

「何?」

「その犯人が超能力者であることが疑われているんで、超隊ちょうたいが護衛に加わっています」


 超隊──警察の警備部に存在する、超能力者のみで編成された部隊だ。正式名称は、警備部超常能力部隊。


 約四十年前に超能力の存在が科学的に認められた後、世界各国で、防犯や防衛の仕事を超能力者に従事させる動きが起こった。超越的な能力を持つ者が防犯防衛に従事すれば、犯罪の鎮火はもちろん、予防にも繋がるためだ。


 日本が超能力者による防犯防衛に着手したのは、約三十年前。世界にだいぶ遅れてのことだった。その法令を制定、施行するまでに、法案が出てから十年近くも掛かったのだ。


 超能力者を防犯防衛に従事させる警察法の改正により、警察の体制は大きく変わった。それまであった機動隊の制度が廃止され、代わりに超能力者のみで編成された部隊が発足した。それが超常能力部隊だ。


 洋平のことを捜査する刑事の護衛に、その超隊員がついているという。


「どういうこと? それ」


 顎に手を当てて考え込み、秀人は三橋に聞いた。


 犯罪捜査は、基本的に刑事が行う。それは今も昔も変わらない。だが、超隊が発足してから、捜査の進め方が変わった。


 ネットや街に存在する裏社会から、違法改造銃などの命に関わる武器を入手する犯罪者が増えた。そのため、事件の性質により、超隊員が内部出向という形式で刑事の護衛につくことが認められるようになった。


 超隊員の内部出向は、刑事部長と警備部長の判断でその可否が決定される。


「いや、なので、犯人が超能力者だったら危険なんで、超隊が護衛に……」

「いや、超隊が護衛につく理由は分かるよ。馬鹿じゃないんだから」


 あんたと違ってね。胸中で悪態を付け加えつつ、秀人は続けた。


「聞きたいのは、どうして犯人が超能力者だと思われたか、だよ」


 超能力は、脳にあるブレーンコネクトに電気信号を送る施術を行わない限り、まず開花することはない。秀人や洋平のような人間は、例外中の例外と言える。


 超隊が発足してから、警察学校では、ブレーンコネクトの有無の検査を行うようになった。授業の最終カリキュラムとして。


 ブレーンコネクトがある人間は、全人口の約五パーセント。かなり稀少な数だ。そのため、ブレーンコネクトの存在が認められた警察官志望者は、概ね例外なく超隊に配属される。


 ブレーンコネクトがある人間自体が稀少であり、その施術を受ける機会のある人間も稀少。数少ない人間に拒否権を与えたら、超隊に所属する人間はいなくなってしまう。


 このほぼ強制的な配属は、公務員に対する労働基準法の一部適用除外に該当する、と最高裁判所でも判例が出ていた。


 これらの事実は、「超能力の資質を持つ人間は稀少である」「超能力は施術を受けない限り開花しない」と認識されていることを示している。


 つまり、事件の犯人が超能力者だと推測されることなど、通常では考えられないのだ。例外的に考えられるのは、元超隊の人間による犯罪。しかし、被害者が警察に洋平の容姿を伝えているのなら、その可能性は真っ先に否定されるはずだ。


 それなのに、犯人は超能力者であるという可能性を踏まえて捜査されている。


 その理由が、秀人には分からなかった。


「えっと、それはですね……超隊の一人が、犯人が超能力者である可能性を訴えたんです」

「は? どうして?」

「犯人は、超能力で警察の動きを察知して逃げている、と主張したらしく」


 三橋が注文したウーロン茶が運ばれてきた。三杯。そのうちの一杯を一気に飲み干すと、彼は続けた。


「その超隊員──前原というんですが」

「前原?」

「ええ。さきほどの話に出た殉職した前原の、息子です」

「その前原が、どうしたの?」

「前原自身が、超能力を使って、周囲の動きを察知できるそうなんです。ほんの七、八メートルくらいの範囲なんですが。犯人はそれと同じ超能力を使って、警察を捲いて逃げているかも知れない、と言っているそうで」


 二つの意味で、秀人は驚いた。


 一つは、超隊にレーダーを使える者がいること。


 秀人の知る限り、超隊が訓練する超能力は、超能力を撃ち出す射撃と、体を守るプロテクトのみだ。よほど独自に研究し鍛錬を積まなければ、レーダーを使えるようにはならないだろう。むしろ、レーダーのように使うという発想にすら辿り着かない。


 もう一つは、前原が「犯人もレーダーを使用できる」という発想に辿り着いたこと。


 周囲の誰もが不可能な技術を使える者は、多少なりとも「自分は特別だ」という意識を持つ。そんな人間が、自分特有の能力を他人も使えるなどとは、通常では考えない。


 それらの事実から秀人は推測し、導き出した。超隊の前原の人物像を。


 真面目で努力家。しかも、発想が柔軟で、その結果考えついたことを堂々と口にできる。つまり、自分の努力の結果や発想に自信を持っている。自身で研究してレーダーを身に付けたことから、向上心の高さや能力の高さも伺える。


 やっかいかもな──秀人は、前原にどう対処すべきか、考えた。


 消した方がいいだろうか。いや、まずは銃の仕入れを優先するために、一課長が先か。殺しが初めての洋平を超能力者にぶつけるのは、荷が重いしな。


 胸中で考えをまとめながら、秀人は残っている食べ物を口にした。最後にウーロン茶で喉を潤す。

 

 舌に残った料理の味がウーロン茶で流されてから、秀人は再び三橋に冷笑を向けた。


 彼はすでに、ウーロン茶を二杯、飲み干していた。汗は止まっていない。


「じゃあ、三橋さん。調べごと、一つ追加で」

「追加、ですか? 何を?」

「その、超隊の前原のこと。経歴から、顔写真なんかもくれると有り難いかな。あと、過去の仕事上の実績とか」

「さっきのにそれも加えて、一ヶ月で、ですか?」


 三橋が弱気な顔を見せた。


「そうだよ」


 言いながら、秀人は人差し指を三橋に向けた。その指先から、超能力を棒状に伸ばす。先端は尖らせていない。丸みを帯びた超能力の先端が、三橋の眉間に触れた。


 三橋の喉の奥から「ひっ」と声が漏れた。


「今はただ触れてるだけだけど、このまま貫くことだって可能なんだよ? 分かるよね?」


 三橋が震えだした。その振動で、顎についた汗が落ちている。


「三橋さんも、結構いい思いしてるでしょ? この間なんか、組の名前出して、風俗店をハシゴしてたらしいし」

「あの……それは……」

「甘い汁を吸ったんだから、その分働かないと。でしょ?」

「いや、でも……」


 秀人は少しだけ、超能力の先端を尖らせた。チクリとした痛みが、三橋の眉間を襲ったはずだ。彼の体が、大きくビクンッと震えた。


「働かざる者食うべからず。昔の人はいいこと言うよね」

「はひぃ」


 三橋は、タイヤから空気が抜けるような声で返事をした。おそらく本人は「はい」と言ったつもりなのだろう。


 秀人は超能力を解くと、席から立ち上がった。


「じゃあ、よろしくね、三橋さん。一ヶ月後の今日に、またここを予約しておいて」


 今日は七月八日。だから次は、八月八日。


 三橋は放心している。眉間から秀人の超能力の感触が消えた途端に、力が抜けたようだ。馬鹿みたいに口を半開きにして、ぐったりしている。だが、秀人の言葉は耳に入っているはずだ。こちらの指示を無視することは死に繋がると、分かっているだろうから。


「じゃあ、お会計、よろしく」


 言い捨てて、秀人は店から出た。


 ビルから出ると、ぬるい風が吹いていた。夏特有の風。空には、月が見える。


 前原という超隊員は、できるだけ早く消した方がいいだろう。


 そうは思っていたが、秀人は、あえて後回しにすることにした。まずは洋平に一課長を殺させて、殺人に慣れさせる。


 どんな人間でもそうだが、初めて人を殺すときは多少なりとも躊躇う。殺しという一線を越えることに、少なからず怯えるのだ。


 秀人もそうだった。初めて殺したのは、自分を虐待した児童養護施設の職員。


 この件に関しても、秀人は、洋平や美咲に嘘をついていた。児童養護施設にいた人間が死んだのは、秀人の超能力が暴走したからではない。


 父の死を知らされたとき、秀人の頭の中で電気が流れたような衝撃が走った。直後、秀人の体の内部から風が生まれ、吹き荒れた。それは、ただの風だ。殺傷能力など微塵もない。


 自分の中から生まれ出た風を感じ、秀人は、自分の能力を自覚した。自分の体から風が生み出された。これを強化すれば、施設内での虐待やいじめから、身を守ることができる。超能力を磨こうとした動機は、そんな発想からだった。


 しばらくの間は、児童養護施設の中で、ひっそりと訓練をした。


 その間にマスコミに届いた父の手紙は、世間を賑わせた。警察は連日謝罪会見をしたものの、一環して、捜査や取り調べに問題はなかったと言い続けた。


 秀人に対する児童養護施設の人達の態度も、変わることはなかった。父親の冤罪やその悲痛な最後が知られても。変わらぬ虐待。変わらぬいじめ。それは、今思えば、振り上げた拳の行き場がなく、惰性で秀人への暴力を続けていたのだと理解できる。


 だが、理屈として理解できても、共感や納得はできるはずがない。


 超能力を殺人ができるレベルまで磨いた秀人は、あるとき、施設の職員に尋ねた。


「お父さんは無罪なのに、どうして僕をいじめるんですか?」


 職員は、恥をかかされたというように顔を赤らめると、無言で秀人を殴ってきた。


 すでにプロテクトで身を守れるようになっていた秀人は、ダメージを受けることなどない。


 反撃だって、簡単にできたはずだった。しかし、躊躇った。怖かったのだ。人を攻撃するということが。傷付けるということが。殺してしまうかも知れない、ということが。


 だから、プロテクトで身を守ることはできても、抵抗することはできなかった。


 超能力の源泉は脳だ。だから、その精神状態が能力に大きな影響を及ぼす。


 秀人の躊躇いを打ち消したのは、職員が殴りながら吐き捨てた一言だった。


「どうせ、お前の親父が犯人に決まってるんだ! お前の親父は、レイプ殺人犯なんだよ!」


 秀人の記憶にある父親は、優しかった。弱った野良猫を秀人が拾ったとき、一緒に病院に連れて行ってくれた。野良猫が回復したら里親探しをしてくれたし、治療の甲斐なく亡くなってしまったときは、一緒に泣きながら弔ってくれた。


 そんな父親を、目の前にいる謝罪もできないゴミは「レイプ殺人犯」と貶めた。


 秀人の躊躇いは一瞬にして消え去った。


 躊躇いという盾に守られなくなった殺意は、職員に向けられた。その頭を、トマトのように吹っ飛ばした。


 潰れたトマトから吹き出る水分や種のように、職員の血や脳が周囲に飛び散った。


 人間を殺した。一瞬で。その辺にいる虫でも踏み潰すように。あまりにも、あっさりと。


 簡単に吹き飛ばせた命。


 死んだ職員を見た瞬間。秀人の中で、命の重さは、綿毛よりも軽くなった。


 その日のうちに、秀人は施設を出た。施設内の人間を、女子供関係なく皆殺しにして。後には、もともと人間だった肉の塊だけが残されていた。血だまりの中に浮かぶ、肉の塊。


 初めて人を殺すときは、誰でも躊躇う。洋平だってそうだろう。そんな躊躇いを持ったまま超隊員と戦わせるつもりはない。


 まずは一課長で、洋平に殺人を経験させる。前原の息子は、その後だ。


 外出の用事を終えたので、秀人は帰路についた。


 平日でも、夜のしろがねよし野の人通りは多い。笑いながら夜のひとときを過ごす人達が、通り過ぎてゆく。


 秀人の頭の中に、再び洋平の姿が思い浮かんだ。褒めてやったとき、子供のような笑顔を見せて喜んでいた彼。


 洋平の笑みの種類に残酷な冷笑が追加される日も、そう遠くはないだろう。秀人が人を脅すときに浮かべる、冷たい笑み。


 そんな笑みを、洋平も、近いうちに見せるようになるのだ。


 そんなことを考えた。


 夏。暑い季節。

 それなのに。

 なぜか、心に寒さを感じた。




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