第十六話 選択肢がなくて、ついて行って、でも共感もできて



「自己紹介がまだだったね。俺は金井秀人だよ」


 檜山組の事務所が入っているビルから出た後。


 洋平と美咲を連れ出した男──金井秀人の第一声が、それだった。


 秀人は、洋平の目の前で涼しげに笑っている。しろがねよし野のネオンに照らされたその姿は、つい目を逸らしてしまいそうになるほど美しい。


 秀人の姿を最初に見たとき、洋平は、彼をてっきり女性だと思った。その口から出た声が明らかに男性のものだったときは、少なからず驚いた。


 だが、それ以上に洋平を驚かせていたのは、超能力と思われる秀人の力だ。


 超能力については、洋平も詳しくは知らない。ただ、その存在自体は知っている。一部の警察官や一部の自衛隊員のみが使えるという、超能力。


 その威力は、圧倒的だった。暴力団事務所の人間を怯えさせ、その中の一人を瞬く間に昏倒させた。まるで、別の世界に住んでいる人間を見ているようだった。

 

 こんな奴が、もし敵に回ったら。自分の頭に浮かんだ考えに、洋平は寒気すら感じた。美咲を守り切る自信など、まったくない。秀人に怯えていた暴力団員からでさえ、美咲を守ることができなかったのだから。


 いざとなったら、自分が犠牲になってでも美咲を逃がさないと。洋平は常に秀人と美咲の間に立ち、彼の動きを警戒していた。


 そんな洋平の心情を、秀人は見透かしていた。


「そんなに警戒しないでよ。俺は、逃げることさえ不可能なあの状況から、お前達を連れ出したんだからさ。もう少し心を開いてくれてもいいんじゃないかな?」

「心を開いて、ついでに股でも開けばいいの?」


 洋平を間に挟みながら、美咲が、嫌味とも皮肉とも取れる口調で吐き捨てた。


 秀人は余裕のある顔で、ククッと小さく笑った。


「なかなか上手いこと言うね。まあ俺は、女子高生には興味ないんだけどね」


 秀人は、どの角度から見ても美しい外見をしている。多くの人が行き交うこのしろがねよし野でも、その容貌は特に目立つ。


 もし、彼が美咲と二人で歩いていたら、ナンパしてくる男が後を絶たないだろう。それほどの美貌の彼が、低い声で笑っている。そんな目の前の光景に、違和感を覚えずにはいられなかった。まるで、物語の世界にでも入り込んでしまったようだ。


 けれど、秀人の存在もその能力も、物語の中のものではない。洋平自身が、確かに自分の目で見たものだ。


「ひとつ教えろ」


 常に美咲を自分の影に隠しながら、洋平は聞いた。


「あんたは、警察関係者なのか?」


 秀人が事務所で使ったのは、おそらく超能力だ。洋平が欲し、焦がれていた能力。弱い者を守るために、強くなりたかった。あんな力があればと、何度も思った。同時に、期待していた。自分が使っているレーダーは、超能力ではないか、と。これを応用すれば、守りたい者を確実に守れるようになるのではないか、と。


 洋平の問いに、秀人は首を横に振った。


「いいや。俺は警察官じゃないよ。ついでに言うなら、俺は警察が嫌いなんだ。あいつ等は正義の大義名分のもとに、国をバックにして、自分達が守りたいものしか守らない。自分達が守りたいもののためなら、平気で他のものを貶める。そんな連中だからね」


 ネオンに照らされた、目映いばかりの光に包まれる、週末のしろがねよし野。


 そんな明るい場所で、秀人の顔に、一瞬だけ暗い影が表れたように見えた。美しい顔立ちをしているだけに、その姿には、異様なほどの迫力があった。


 秀人の顔の影は、すぐに消えた。まるで、一瞬の幻だったかのように。


「まあ、俺は、別に正義の味方でもないし、無償でお前達を助けたわけでもないから。俺にとって不要だと思ったら、すぐに手放すつもりだしね。もちろん、危害を加えるつもりはないけど」


 コロコロと秀人の表情は変わる。笑顔。彼が男性だと知らなければ思わす頬を赤く染めてしまいそうな、笑顔。


「とりあえず俺の家に来なよ。悪いようにはしないからさ」


 洋平は何も言えなかった。秀人を信用することなどできない。彼は、一切の情けもかけず、暴力団員に重傷を負わせた。他人を傷付けることを、何とも思っていないのだ。そんな人間を、簡単に信用できるはずがない。


 その反面、秀人の言葉に引っ掛かるものがあった。だから、拒否の言葉も口に出せず、何も言えなかった。


『俺は警察が嫌いなんだ。あいつ等は正義の大義名分のもとに、国をバックにして、自分達が守りたいものしか守らない。自分達が守りたいもののためなら、平気で他のものを貶める。そんな連中だからね』


 つい先ほどの、秀人の言葉。


 それは、洋平が警察に対して抱いている印象と、驚くほど合致していた。


 警察は、父親の暴力に晒されている弟を、助けようともしなかった。弟を助けて欲しいという洋平の訴えを、面倒そうに突っぱねた。


 警察は、正義の味方ではない。弱い者の味方でもない。それなのに、正義の大義名分を掲げている。


 自分と同じ気持ちを口にした秀人に対し、洋平の警戒心は薄れていた。だが、ここで彼を信用することによって、美咲の身を危険に晒す可能性があることも事実だ。


 だからこそ洋平は、秀人を信用することを躊躇っていた。彼の言葉に、素直に頷けなかった。


「私にもひとつ聞かせて」


 美咲が洋平の前に出ようとした。


 洋平は自分の腕で美咲を止め、彼女が秀人に近付き過ぎないようにした。超能力を使える秀人の前では、無意味かも知れないが。


「何?」


 必死に美咲を守ろうとしてる洋平に、秀人は苦笑していた。


「もし、今、私達があんたについて行かなかったら、どうなるの? あいつ等みたいに私達を拉致でもするの? それともまた、私達を、あいつ等に拉致させるの?」


 自宅に向かうタクシーの後をつけられたことから考えて、美咲の自宅の場所は、暴力団に知られている。逃げたところで、自宅に帰れば捕まるだろう。逃げ伸びたければ、どこかに失踪するしかない。


 秀人は肩をすくめて見せた。


「俺は別に、お前達をこれ以上どうこうするつもりはないよ。俺を信用してついて来るかはお前達の自由だし、逃げるなら、追うつもりも止めるつもりもないしね」

「本当に?」

「うん、本当。ついでに言うなら、さっきの連中は俺が脅しておいたから、しばらくは大人しくするだろうね。少なくとも当分の間は、あいつ等に狙われる心配もないはずだよ」

「当分の間?」


 洋平は秀人の言葉を復唱した。


 秀人が頷く。


「何だかんだで、あいつ等がお前達に恥をかかされたのは事実だからね。目を付けられてることに変わりないよ。今はただ、俺を敵に回したくないから危害を加えないだけで。だけど、お前達と俺の繋がりがなくなったと知ったら、また狙われるだろうね」


 つまり、今提示されている選択肢の中で一番安全なのは、このまま秀人について行くことなのだ。彼が本当に洋平や美咲に危害を加えるつもりはない、ということが前提となるが。


 洋平の気持ちは、このまま秀人について行く方に傾いていた。もちろん、彼を全面的に信用したわけではない。ただ、先ほどの彼の言葉が、洋平の心を動かしていた。


 意見を求めるように、洋平は、後ろにいる美咲を見た。


 美咲は、洋平のパーカーの袖を掴んだ。小さく頷く。彼女の表情には、秀人への明らかな警戒心が表れていた。顔が強張っている。それでも、この場にある選択肢の中で何が一番の安全策なのかは、分かっているのだろう。


 洋平も、美咲に向かって頷いた。


「分かった。どこに行くんだ?」


 洋平の返答を聞いて、秀人の表情が緩んだ。妖艶な美女から、優しげな美女に変化するように。


「だから、俺の家だよ。とりあえずこの近くに車を停めてるから、ついて来てよ」

「分かった」

「あと、名前は? あ、フルネームでね」

「村田洋平」

「笹森美咲」

「そう。洋平に美咲、ね。俺は秀人でいいよ」


 秀人は洋平達を手招きし、歩き出した。


 洋平と美咲は、秀人についてネオンの下を歩いて行く。


 美咲は、まだ明らかに秀人を警戒していた。洋平のパーカーの袖を掴んだまま、後ろを歩いている。その手には、力が強く込められている。


 当然のように、洋平もまだ警戒していた。秀人の圧倒的な力が自分達に牙を剥いた場合、美咲を守れる自信がない。たとえ自分の命を犠牲にしたとしても。


 だが、洋平の警戒心は、明らかに、美咲のそれよりも弱かった。



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